素直な気持ち
公爵邸に降り注ぐ日差しは相変わらず暖かく、部屋に引きこもる私の事も等しく包み込んでくれる。
この一週間、じっくりと考えた。
キース様が出張で家を空けたこの頃は、驚く程静かな日々だった。
(嫁いですぐの頃なんてキース様がまともに顔を出すこともなかったのに。今になって少し離れただけでこんなに不安になるだなんて)
どうかしてる。そんな思いを抱えたまま、ぼんやりと自室の机に向かえば時間が無為に過ぎていく。
時折ハンナさんやスヴェンさんが私を労わるようにお茶やら菓子やらを持ってきてくれるが、お腹だけが満ちるばかりだ。
(ああ、最近庭もデデに任せっぱなしだわ)
窓から見えるせかせかと動き回る庭師の姿に目が留まり、申し訳ない気持ちになる。先日久々に働こうかと庭へ出て行ったところ「そんなうわの空では邪魔だでの」とあっけなく追い返されてしまったのだ。
今は目下抱えるこの問題を片付けねば全方位へと迷惑を振りまくばかりだ。
その問題とは言うまでもなく『キース様に怪しまれている問題』である。
(……いつまでも秘密にはできないわ)
出した答えは、私が妻としてキース様の側にいることを望むのならば裏切るような行為は容認出来るはずもなく、まずはきちんと話し合おうというものだ。至極当然な結論である。
その話し合いが自分の秘密を暴露するものになるのかは分からないが、どうしても言えないとなるのなら私はこの家にいる資格がないという事になるのだろう。
(寂しい、悲しい? あるいは恐怖……なのかな)
もやもやと燻る気持ちに脳が焦げそうになった頃、スヴェンさんが扉をノックする音に俯いていた顔を上げる。
「失礼します奥様。先程早馬が参りまして、旦那様が今夜には戻られるとのことでございます」
「本当⁉ 大変、何の準備もしてないわ!」
それは予定より一日早い帰りであり、本来なら喜ぶべきなのだろうが未だうじうじと頭を抱える私にとっては受け止めきれない報せでもあり。
分かり易く狼狽えていれば深い溜息が耳に届き、その聞きなれた音に少し落ち着きを取り戻す。
「落ち着いて下さい奥様。支度する時間は十分にございますので。昨夜は出張先の遺跡で何やら事故があったとも聞きましたが、何事もなく勤めを終えられたようで奥様も安心して――」
「事故って何⁉ キース様は、他の皆は無事なの⁉」
ぼんやりと聞いていた頭に不穏な単語が飛び込み、思わずスヴェンさんに掴みかかる。
「……っ! 問題ない、と聞いております。不用意な発言失礼いたしました。奥様、どうかご安心下さい」
「あ……ええ、ごめんなさい」
私の剣幕に慄くスヴェンさんから慌てて手を放し謝る。そんな私に頭を下げる彼だが私の方こそ早とちりしてしまって本当に申し訳ない。自分の余裕のなさに嫌気がさしてくる。
「奥様が旦那様の事を真剣に考えて下さっているならば、旦那様はそのお気持ちに答えてくれるでしょう。どうか旦那様をご信用下さい」
「ん、ありがとう」
この一週間ひたすら塞ぎ込む私を見放すことなく見守っていてくれた彼らにも報いねばならない。
私はぱんと自分の頬を叩くと気合を入れ直し――目の前のスヴェンさんと部屋を訪れたハンナさんにこっぴどく叱られたのだった。
◇ ◇ ◇
日はとうに落ち、身支度を整えた私は玄関ホール脇にある来客用控室で落ち着きなく歩き回る。
「奥様、旦那様が戻られましたらすぐにお伝えしますので少し休まれてはいかがでしょうか」
「ごめんなさい、部屋だと落ち着かなくて。我がままなのは分かっているけどここで待ちたいの」
「でしたら何か温かいものをご用意いたしますのでお座り下さい。その調子ではお疲れになってしまいます」
「ありがとう、お願いするわ」
私の返事を受けるとようやくその眉を下げ、ハンナさんが茶の支度をしに部屋を出ていく。付き合わせて申し訳ないが、今夜だけは我がままを通させて欲しい。
時は夜半前。早馬の報せでは今夜と言っていたが具体的な時間までは伝えられていない。日暮れ過ぎから出迎えの準備を整え待機しているが、夜が更けていくばかりで待ち人は一向に現れない。
あの人の事だ、たとえ事故があったのだとしてもけろりとしながら対処して、ついでにセシルも他の人たちも守ってくれている事だろう。心配はしていない。
(元々仕事中毒のきらいがあるし、今日だってサービス残業してるだけよ。きっとそう)
ただ早くその顔を声を確認したくて。
そんな時間がじりじりと過ぎて行けば待ち焦がれた時が訪れる。
報せを受け玄関ホールへと飛び出せば、そこには見慣れた鈍色のローブと、いつもよりぼさぼさめな銀の跳ね髪が見える。
「エリカ、こんな時間まで――」
「ご無事で良かった、キース様……!」
言いたかったのは「お帰りなさい」の言葉だった。
しかしその顔を見て溢れたのは安堵と涙で、いやこんなところで泣くわけにはいくまいと必死に眉間に力を込めそれを零さぬよう堪える。
非常に不細工だろう私の表情をなんとも困った表情でキース様が見ている。久しぶりに見るその顔は相変わらず綺麗に整い、しかし少しこけたようにも見え、それでも怪我はなく元気そうで。
何と言葉をかければいいか考えあぐね口を結んでいれば、見かねたスヴェンさんが後ろから助け舟を出してくれる。
「発言を失礼します、旦那様。私の失言により昨晩に遺跡で事故があったことをお伝えしてしまい、奥様は旦那様を非常に心配されておりまして」
「そうか」
スヴェンさんの説明に短く答えたキース様は静かに息を吐き、堅く握りしめていた私の手にそっと触れる。
「随分と心配をかけてしまったようですまない。只今戻った。セシル嬢も他の者らにも被害はない。迎えてくれて感謝する」
「……は、い」
静かに語りかける声にただそれだけを返すと、キース様の険しかったその表情がふっと和らぐ。
それはとても温かく、流されるように私の手からもするりと力が抜けていく。キース様の一回り大きな手で包み込まれ、それが現実であると実感すると私はようやく言いたいことを口にした。
「お帰りなさいませ、キース様」
「ああ」
◇ ◇ ◇
「違うのよ! 私が言いたかったのは、そうじゃなくて!」
憤慨する声が離れの廊下に木魂する。久々に平穏が戻ったと口々に笑い合う使用人さんたちの態度が解せない。
「お元気そうで何よりです奥様! 今日はお天気もいいですし久しぶりにお庭にも出ますか?」
にっこにこと満面の笑みを浮かべて私に付き従うハンナさんが言うが、違う、反応がおかしい。
「何で皆そんな嬉しそうなのよ! 私は憤慨しているのよ! 己に!」
「やはり奥様は騒がしいくらいが丁度いいのでしょう。旦那様も無事戻られて、日常が戻った実感が湧くというものです」
騒ぎを聞きつけやってきたスヴェンさんの嫌味が憎たらしいわ。塞ぎ込むより本音をまき散らす方が私らしいことを自覚しているからなお腹が立つ。しかし今腹を立てる相手は己なのだ。
「私はキース様にお話ししたいことがあるのよ! なのに情けない顔を晒すだけでっ、またお仕事三昧!」
深夜のキース様お出迎えの件はぐだぐだに終わった。
それでも彼の言葉を聞き、揺れていた私の心は固まった。だというのに!
翌日から早朝深夜の仕事の毎日。忙しいのは分かるけど、話をするどころか挨拶する暇さえほとんどないのはどういう事なのか。
おまけに前回深夜まで待って醜態をさらしたおかげで「夜遅い日は顔を見せないから先に休め」とのお達しまでご丁寧に残して。行動が完全に読まれているわ。
昼下がりの庭の東屋で。
咲き誇るバラに囲まれたお茶の席、向かいに座らせたセシルに対しそんな愚痴をまくしたてる。
「お義兄さまは魔術省以外のお仕事もあってお忙しいのです。ですがお姉さまをこんなにも放置するなんて許せませんわ」
嘆く私に同調し一緒に怒ってくれるセシルは今日も天使である。いやキース様が怒りを向けられる筋合いは一ミリもないのだが。
その天使セシルは今日はお休みだ。出張の振り替え休日らしく、心配を拗らせた私に顔を見せる為、我が家に足を運んでくれていた。
華奢で虚弱な彼女だがやつれることもなく元気な姿を見せてくれ一安心した私は、ついでに弱音を吐くに至る。
「夫婦喧嘩が無事収まったようで私も嬉しいです!」
「……別に喧嘩はしていないわ。ただそうね、謝りたいことがあるの。何とか時間を作れないかしら」
考え込み頭を抱えていると、そう言えば以前にも似たようなことがあったなとふと思い出す。
あの時は離れで魔力嵐が起きて、キース様の前で号泣して、怪我して寝込んだ後だったかしら。一週間くらい顔を見ることが出来ず、その後実家である伯爵家に強制連行されて、捨てられるのではと勘違いして怯えていたっけ。
(……何一つ成長していないわ私)
思わずため息が漏れるも、今はセシルの前だったと慌てて背筋を伸ばし表情を作る。
「お姉さまのそういう所、嫌いじゃないですけど無理をされるのは嬉しくないわ」
「……ごめんなさい」
怒られてしまった。
再びしょんぼりと俯くとセシルが私の頭に手を伸ばしよしよしと撫でてくれる。私が幼い頃に落ち込んだセシルに対してよくしていた『なでなで』だ。こんなところで返されるとは、不覚にも萌える。
「セシル~」
「よしよしお姉さま」
情けない姉をわしわしと撫で嬉しそうにほほ笑んでいる。が、その内何か閃いたのか突然私の手をぐっと握り、身を乗り出す。
「お姉さま! そういう事でしたら、お義兄さまに差し入れでもお持ちしたら如何でしょう?」
「うん?」
ナイスアイデアと瞳をきらきらと輝かせる彼女に、私は気の抜けたハテナ顔を返すだけだった。




