ひと時の休息 1
悪夢の舞踏会から数日。
いつも通りののんびりとした日常が流れ、私は離れにある自室にてぼんやり過ごしている。
「奥様、コーヒーが入りました」
「ありがとうハンナさん」
私の世話を担当するメイドさんの声を受け、書斎机からソファへとその身を移す。
「……退屈だわ。庭に出ても」
「いけません。旦那様やスヴェンさんからきつく申し付けられてますので」
ずっとこの調子である。
この数日は館内の自室と食堂と書庫をふらふらするくらいで、外に出ることを禁じられている。
「そうよね、あれだけの事を仕出かしたのだもの、謹慎も当然よね」
「違います、謹慎ではなく休養です! 奥様はすぐ無理をされるから! きちんと休んで下さい」
そう言うハンナさんの表情は真剣だ。
確かにあの日、予定よりだいぶ早く帰宅した私は服も体もボロボロで、ハンナさんが今にも泣きだしそうな顔をしながらも丁寧にドレスを脱がせ体を清めてくれたのは記憶に新しい。本当に申し訳なかったと思う。
「分かったわ。ちゃんと休むから」
そう答えればハンナさんは満足げな笑みを浮かべる。彼女にはいつも笑っていて欲しいものだ。
湯気の立つコーヒーを口に運びまったりと寛いでいると、ハンナさんがトレイにまとめられた手紙の束を指し示す。
「こちらが本日お出しする封書でよろしいでしょうか」
「ええ。お願いしてもいいかしら」
「はい、お預かりいたします!」
それは私が書き溜めた手紙の束で、主に顔見知りの貴族への返信である。
あの舞踏会の後、ジュドー侯爵夫妻から手紙が届いた。それはそれは長く綴られた安否を気遣う夫人からの手紙と、簡潔ながらに助力を申し出てくれる侯爵様からの手紙。ありがたさと申し訳なさを噛みしめながら返事を綴った。
驚いたのは、あの日挨拶できなかった顔見知りの貴族たちからも私を気遣う手紙が届いたことだ。
皆ジュドー侯爵様同様に私が夜会で声をかけて知り合った方々。魔術や医術、産業についてなどの知見の為に散々お世話になっていた。世話になりっぱなしで恩も返していないというのに、私の心配やマクスウェル公爵を支持する旨を表明してくれている。
こんなにも自分に味方がいたことに驚き、それぞれにありったけの感謝の言葉をしたためた。
(あとは、実家への説明と謝罪の手紙を書かないとね)
セシルのエスコートとして参加していた弟フレデリックと、姿は見なかったが会場にいたであろうお父様とお義母様。セシルによればフレデリックはそれはもう不機嫌らしく、信頼回復は無理であったとしても弁明位はしておきたい。
そのセシルはと言えば。特に問題もなく職務に励み、仕事帰りには毎日のように我が家に寄り顔を見せてくれる。職場にはアキュベリー侯爵も当然いるのだが、キース様の顔を見るとフラフラと出て行ってしまい顔は余り合わせないらしい。いや仕事しなさいよ。
カレンディア殿下が無事だったこともセシルから聞くことができ、その点は一安心だ。
(アキュベリー侯爵もカレンディア殿下もキース様が対応するとおっしゃっていたし、私の出る幕はないのよね)
ガラスでできたかすり傷もすっかり癒え、さて私は何をしたらいいかとぼんやりするころ。
キース様から思わぬ提案がなされ、私はそれに飛びつくように受け入れたのだった。
◇ ◇ ◇
ざわざわと賑わう喧騒の中を、まっさらな白のローブをはためかせながら軽やかに進んで行く。
「エリカ、傷が癒えたばかりなのだから、はしゃぎすぎないよう気を付けろ」
「はーい、キース様!」
浮かれた足取りのまま振り返ればそこにいるのは勿論キース様で、その出で立ちはいつもの仕事用のローブではなく私とおそろいの白いローブだ。大き目のフードがついた腰下ほどの丈のそのローブには縁に金糸で文様が縫い留められ、胸元には同じく金色の留め具がきらりと光っている。
「すごいです、貴族だって全然ばれてませんね!」
「ああ」
そう言い合い周囲を見渡せば、旅人や商人・街の人たちが忙しなく行き交い、広場へと続く通りを活況で埋め尽くしている。
誰一人私たちに目をくれる者はいない。
外歩き用のドレスの上に羽織ったこのローブは何やら魔道具らしく、曰く他者からの認識を阻害する効果があるらしい。何それ凄い。とはいえ効果はそれほど強くはないらしく、握手など肌にしっかり触れたりすればその相手には効果がなくなるようだ。
私とキース様はこれを纏い、互いの効果を打ち消し合ったのちこの地へ繰り出していた。
「私、一度来てみたかったんです!」
王都の外郭に連なる街はいわゆる平民街だ。ここはその中央に位置する広場で、普段は露店が並んだり催しが開催されたりするのだが、本日のそれは四半期に一度開かれる春の大蚤の市だ。
いつも以上に賑わうこの場所には所狭しと人や物が並び、荷車や屋台には見たこともないような商品が並ぶ。あるいは香ばしい匂いや煙を立ち昇らせた食べ物屋さん、果ては大道芸人のような人たちがひしめき合い、どこに関心を向ければいいかと混乱する。
「ゆっくり端から回ってみるか」
目を回し気味な私をくすりと見やるとキース様がそう言って私の手を取る。
「はぐれたら厄介だ。しっかり捕まっていろ」
「は、はい!」
手を繋ぎ、人波の中へ身を滑らせた。
「それにしても驚きましたわ。キース様は街を歩き慣れてらっしゃるのですね」
「仕事では外部へ調査に赴く事があるからな。現地で物資を調達することもあるし、商店も普通に利用する」
「楽しそうですわ! ……すみません、お仕事でしたわね」
他愛のない会話を楽しみつつ、繋いでいない空いた手には何かの肉の串焼きがしっかりと握られている。その食欲を誘う音と匂いに視線を奪われていたら見かねたキース様が買ってくれたのだ。己の食欲が憎らしいところだが、口に運べば期待していた粗野な味がガツンと脳を責め立て思わず顔も綻んでしまう。
貴族をやっていたら中々経験することのない食べ歩きだが、意外にもキース様も躊躇なくかぶりついている。見かけによらずワイルドな一面もあるのだと知り、なんだろう、見ているとやたらと胸がドキドキする。
(ていうか、二人で手を繋ぎながら食べ歩きとか、まるで――)
そこまで頭に出かかった時、おもむろにキース様の視線がこちらを向く。
「ん? どうした、足りないのか」
「ひぇっ⁉ 大丈夫です! 足りてます、おなかいっぱいです!」
「そうか?」
こちらに食べかけの串を差し出そうとするキース様を必死に押し返し、慌てて自分の串をむしゃむしゃとほおばる。油断も隙も無いわ。
「と、ところで! なぜ急に街へお誘いに?」
咄嗟に話題を変えてみる。見た所キース様は蚤の市に用があるわけではなさそうだ。私の歩調に合わせながら、ぶらぶらと散策を楽しんでいるように思える。
私としては久しぶりの街歩きであり来てみたかった大蚤の市だ、楽しくて仕方がないのだけれど。
「ここの所ずっとふさぎ込んでいるだろう。気晴らしになればと思って誘ったが、迷惑だったか?」
「そんなこと……っ、とても嬉しいです!」
まさか私の為だったとは。
忙しいであろう仕事と私の尻ぬぐいの合間を縫ってわざわざ連れ出してくれたとは、申し訳ないやら不甲斐ないやらありがたいやらで感情が蛇行するように駆け巡る。
それでも素直に嬉しいと答えれば、ひと際優しい笑みを向けられその蕩けそうな瞳に吸い込まれそうになり――慌てて顔を背ける。
なんなのこれ、調子が狂うわ。やたらに熱を感じる頬を押さえ自分の内にある違和感を探れば、まだ体調が万全じゃないのかしらとの結論に辿り着く。
(うん、今日は何も考えずにのんびり楽しもう、そうしよう)
そう気合を入れ直し、繋がるキース様の手を引いて露店巡りを再開した。




