はじめての舞踏会、めくるめく騒乱 2
王城内にある大広間、細やかな装飾が施された壁には歴史を象った彫刻が並び、高い天井から吊り下がる巨大なシャンデリアが魔力灯の揺らめく光を周囲へと散らしている。
その足元には数百人という貴族が絢爛な衣装を纏い集う。一年で最も煌びやかに彩られるのが今日、王家主催の舞踏会だ。
(いつもは早々に引き上げることだけを考えて参加していたんだがな、こうも見え方が変わるとは)
眩い景色の中で目が行くのは、俺の隣に立つ妻のエリカだ。この日の為に仕立てた菫色のドレスを纏い、結われた艶やかな黒髪が降り注ぐシャンデリアの煌めきを受け止めている。
(ああ、美しいな)
素直にそう思う。が、それを口にしても当の本人には何一つ伝わらないのが口惜しい。エリカは外見を褒められることに興味がないのか何を言っても全く響く様子がない。
女性を口説くというのがこんなにも難解なものだとは思いもしなかった。今までは俺の地位や外見を目当てに令嬢らがこぞって群がってきたもので、自ら何かをする必要などまるでなかったのだが。
(だからこそ、彼女に惹かれる)
予測不能で自由な彼女に散々振り回される毎日がこんなにも楽しいとは。いつかはその何にでも好奇心を向ける瞳を自分へと向けさせたいと思うが、焦る必要はない。
「……さま、キース様! 聞いてます?」
「すまない、聞いていなかった」
「寝不足ですか? こんなところで立ち寝なんてしたら危ないですよ」
なんだその立ち寝という新しい概念は? エリカは時折不思議な言葉を使う。取り済ました表情のまま眉間に軽く皺が寄るがエリカは構わずに続ける。
「デビュタントのご令嬢たちが広間中央へ集まってますの。セシルもいるかもしれませんわ」
「そうだな、探しに行こうか」
俺が答えると喜色を露わにし、その表情につられて俺の眉も下がるのが分かる。
肘を寄せればエリカがその隙間に手を添える。最初は躊躇しつつの随分とぎこちない動作だったが、緊張も解けたのかすっかり遠慮は消えている。実に彼女らしい。
今宵は妻との初の舞踏会を存分に楽しもう、そう思いを巡らせた。
(そんな折には決まって邪魔が入るものだ)
内心溜息を吐きながら、立ち止まり前方を見据えた。
◇ ◇ ◇
歩き出してすぐの所で立ち止まるキース様の顔を見上げると、ちょっとだけ顔を強張らせ何やら前方を見ている。
視線の先を追うと、どうやら一人の男性がこちらに向かって歩いてきているようだ。
「これはこれはマクスウェル公、ごきげんよう」
その男――キース様より年上の中年、顎にひげを貯えた細身の貴族――が目の前まで来るとキース様へ慇懃に挨拶をする。少し芝居がかった抑揚の強い声色に大げさな身振りのこの男は、胡散臭い系貴族であると私の直感が告げている。
「ごきげんよう、アキュベリー卿」
どうやら知り合いの様だ。表向きはニコニコとしたままであるが、それはそれはそっけなくキース様が挨拶を返す。
「隣にいらっしゃるのは噂のご夫人ですかな? 流石、公爵様のお力を振るえばどんなご令嬢であろうと美しく映えるものでございますな」
すごい、めげてない。おまけに皮肉を重ねてくる。
毛の生えた心臓を持つこのアキュベリーという男は私の全身をねっとりと観察しており、私は防御用の鉄壁の笑顔で応戦する。こんなに嬉しくない『美しい』という言葉は初めて聞いたわと内心で関心もする。
「ええ、妻のエリカです。こちらはアキュベリー侯爵だ」
「初めまして、アキュベリー侯爵様。キース・マクスウェルの妻、エリカでございます」
キース様はあくまでこの男の会話に付き合う気がないらしい。手短に紹介をされ、ならば私も意向に沿おうと簡潔にそれでも丁寧な所作で挨拶をする。
そんな態度がお気に召さなかったのか、アキュベリー侯爵は面白くなさそうに片眉を引き上げる。しかしすぐに口の端を吊り、顎髭を撫でながら嫌味めいた笑身を浮かべる。
「ほうほう随分と練習なさったようだ! 折角公爵夫人の座を射止めたというのに捨てられては敵いませんからな! 夫の為に涙ぐましい努力をされるとは、いやはや妻とはかくあるべきですな!」
一体どこから目線なのか謎だが、馬鹿にされていることは理解できる。それにしても何が言いたいのだろうか。
僅かにイラつきを覚えながらも、キース様が何も言わない以上私が口を挟むわけにはいかない。
「おっと失礼。私の妻も紹介したい所でしたが、今は馴染みのあるご婦人方への挨拶回りに忙しいようでしてな。社交の場で女性陣の取りまとめを行うのは妻の重要な務めでございますからな」
こちらが思案している隙にもアキュベリー侯爵の口からはどんどん言葉が垂れ流されている。
「そちらのご夫人は麗しの公爵閣下に夢中でそれどころではないようですが。いえいえ責めているわけではございませんよ、どこぞの男についていかれてはマクスウェル公も困りますでしょう?」
延々と続くと思われたアキュベリー劇場だが、ここでキース様が静かに口を開く。
「言いたいことは以上ですか?」
ひゅっ、と鳴る喉の音はアキュベリー侯爵からかそれとも私からなのか。
その声色はいつもと何ら変わりがない、なのに無茶苦茶に怖い。笑顔なのに全然笑っていない。キース様の腕を掴む手にぎゅうと力がこもり、私の鉄壁の微笑にもぴきりと亀裂が走る。
(今まで散々怒らせてきたと思っていたけど、あれはまだまだ序の口だったのね。ていうか、今無事である自分が奇跡……!)
己の幸運に感謝しつつ動向を見守っていると、キース様は話は終わりというかの如く私の手を引きながらアキュベリー侯爵にくるりと背を向ける。
「では、用がないのであれば失礼いたします」
「まっ、お待ちいただきたい!」
ようやく硬直が溶けたアキュベリー侯爵が慌てる様に声を荒げ、私たちの背にしつこくも食い下がってくる。
「私はただマクスウェル公を案じているだけなのですよ! 貴殿だって承知でしょう、その女の悪癖を! 社交の場に顔を出しては未婚既婚問わずに男に粉をかけるあばずれ――」
「彼女は私の妻だ。それ以上侮辱することは許さない」
いつもより一段低いその声は、ざわざわと騒々しいこの会場内でもはっきりと耳に届く。その笑みの消えた表情は険しく瞳は冷ややかで、繕った仮面でないのは見ての通りだが自宅で見るキース様の表情ともまるで違う。
いつの間にか私たちの周囲はしんと静まりアキュベリー侯爵の「いや」だの「しかし」などと言った見苦しい言葉だけが漏れ聞こえる。
そんな中。
コツコツと鳴る足音が騒ぎの中心へと近づいてくる。現れた姿は白髪に強面の、皺が刻まれた中に鋭い眼光を宿した相貌の紳士と、その一歩後ろに控えるふっくらとした体躯に大らかそうな笑みを湛えた婦人であった。
「ジュドー侯爵様⁉」
思わず声を上げたのは私だ。突然知った顔が渦中に現れ反射的に名を呼んでしまう。しまったと慌てて口を押さえてももう遅く、周囲の視線が私へと向けられる。
そのジュドー様と言えば。青い顔をする私を見てその厳しい眼差しを緩め、あれ? 私ではなくキース様の前で止まる。
「マクスウェル公、お初にお目にかかります。初めに、エリカ嬢とのご婚姻を心よりお慶び申し上げます」
後ろに立つ奥様ともども深々と礼をし祝いの言葉を述べる。とそこへ相変わらず空気を読まない男が割り込んでくる。
「ジュドー卿、一体どういうおつもりです?」
「どういうつもりも何も、貴殿が呼んだのでしょう?」
アキュベリー侯爵の問いにジュドー様がそう答えるが、その真意が掴めず困惑の表情を浮かべる。主にアキュベリー侯爵と私が。
「そこのエリカ嬢が夜会で声をかけた男というのが私だと言っているのですよ」
そうジュドー様が捕捉すると、周囲がざわりとどよめく。
「エリカ嬢には大変世話になりましてね、妻が」
「ええ、エリカさんのお陰で長年苦しんでいた持病が良くなりまして、こうして夫と舞踏会へも出られるようになりましたのよ。どうしても直接お礼が言いたくて出しゃばってしまいましたわ」
チャーミングな笑顔を振りまきながら夫人が私へとウインクを寄越す。うん、お元気になられたようで良かったわ。
二人の言葉を聞いていた周囲からは途端に嘆声があがり、
「おい、つまりどういうことだ」
「ジュドー卿のような厳格な方がなぜ?」
「愛妻家であると有名な御仁だろう、小娘にうつつを抜かすはずがない」
「アキュベリー殿の早合点だったのか? とんだ茶番ではないか」
各々言いたい放題である。
「……っく、失礼する!」
ばつが悪くなったアキュベリー侯爵がそそくさとその場を後にするとやがて人垣も解け、ようやくアキュベリー劇場に幕が下りた。
この場に残ったのはジュドー様と夫人のみで、改めてキース様へと向き直る。
「出過ぎた真似を致しました」
「いや、貴殿の声掛け感謝いたします。放っておいた方が墓穴を掘るかと見ていましたが、その分彼女を不快にさせてしまったのは思慮不足でした」
そう言って私を見るキース様は元のきっちりとした笑みに戻っている。どうやら魔王モードは解除されたようだ。いや良かった。
「職務上のお立場もございましょう」
目くばせをする私たちを細い目をさらに細めつつ、微笑ましそうに見ながら言う。そんなジュドー侯爵の言葉を聞き、ふと思い出す――セシルに聞いたキース様の職場の話を。簡潔に言うのならパワハラ上司がいるらしい。
(……なるほど、あの方がそうだったのね)
色々と合点がいったわ。嫌味のオンパレードだったことも、それらにキース様がノーリアクションだったことも。
とりあえず、パワハラ侯爵はジュドー様が追い払ってくれたのだ。お礼と、久々にお会いした挨拶をすればその厳つい顔面が途端に解れる。その流れでキース様にもジュドー様を紹介していく。
「ジュドー領は薬草の一大産地ですから、お話を伺いたくて声をおかけしましたの」
それは2年前の社交シーズンの事、独りで夜会に参加されていたジュドー様の話を聞いていくと、奥様が慢性頭痛に悩まされているのだと知る。薬草で有名な地であるのに妻の体も癒すことが出来ないと嘆かれていたが、私はその原因にふと思い当たることがありそれを口にしてみた。
それはいわゆる魔力の相性であり、赤の魔力を有するとされるジュドー侯爵家に於いて同じく赤の魔力を帯びた薬草は効きが悪いのではないかと。
「馬鹿な、同じ色ならば効果は強まるはずであろう?」
「一般的にはそうですが、奥様の魔力の方が強すぎて逆に効きが悪いとも考えられませんか? 試しに相反する魔力色の薬草を使用してみてはいかがでしょうか。ええと、例えば霧吹草ならジュドー領でも採取が出来ますよね」
完全に素人意見だったが、藁にもすがりたかったジュドー様は私の意見を採用した。結果、当たりだったようだ。
「本当に、嘘のように頭痛が消えまして。エリカさんには感謝してもしきれないわ」
厳ついジュドー様とは正反対の大らかな雰囲気を持つ夫人が嬉しそうに笑う。寄り添うお二人は実に幸せそうだ。
「成程、そのようなことがあったのですね」
話を聞き終えたキース様が静かに頷く。不貞を疑っていたわけではないだろうが、そう言ってもらうと密かに安堵する。
そんな私の心も見透かしてか、ジュドー様が言葉を続ける。
「私以外のエリカ嬢と噂された者も皆似た様なものでしょう。彼女ときちんと向き合い言葉を交わせば誠実な令嬢である事は分かりますからな。いや、マクスウェル公には言うまでもありませんな」
にかっと不似合いな笑顔をジュドー様が見せれば、キース様はやや困り気味な笑顔を浮かべる。私も出会い頭のやらかしが脳裏をよぎり、微妙に苦い顔となり目線をすっと逸らす。
そんな私たちを見た夫人は何かを察した様で、くすくすと楽しそうに笑いだす。
「結婚の報せのお手紙をいただいた時は本当に驚きましたけど、素敵な方と巡り会えたようで安心しましたわ。エリカさん、今日はとてもお綺麗よ」
「マクスウェル公。僭越ながら、エリカ嬢をどうぞよろしくお願いいたします」
「ええ、お約束いたします」
キース様が気を取り直してそう答えた時、大広間の奥から楽器の音が鳴り響く。
王族方の入場の合図である。
私たちは正面へと向き直り、ようやく始まる舞踏会へと気持ちを向けた。




