はじめての舞踏会、めくるめく騒乱 1
あっという間にその日はやってきた。
王家主催の舞踏会。
公爵家の馬車にて王城まで辿り着くとそこは馬車、馬車、馬車。
馬車内の窓にかかるカーテンの隙間からちらりと外を覗けば、華美に飾り立てられた馬車や従者が列をなし、まだ会場外だというのにひたすらに眩しい。
国中の貴族たちが集まるこの絢爛たる光景は初めて見るものではない。それでもやたらと眩しく感じるのは私の目の前に座るキース様のせいもあるのだろう。
普段の鈍色のローブとは違う体のラインに沿ったタイトなコート。黒に近い墨色の生地には金糸や銀糸で繊細な刺繍が施され、シンプルながらも洗練された上品さを纏っている。いつもは跳ね気味の髪もしっかりと撫でつけられ普段は隠れ気味の耳元も露わになり、その整ったかんばせを惜しげもなく晒している。そう言えばこの人、無駄にイケメンだったのだと改めて思い知らされる。
(うう、眩し……)
突き刺さるオーラから逃れるため瞳を閉じようとするが、キース様の「エリカ」という呼びかけでそれはあっけなく阻止される。
「今日のドレスは一段と良く似合っている」
「はひっ、ありがとうございます! キース様も本日のお召し物、良くお似合いです」
「そうか」
急な声掛けと緊張のせいで声が裏返った。キース様はそれに動じることなくいつも通り淡々としている。
(流石公爵様、私も見習わないと)
そう思いつつも自らの体を覆うドレスに意識を向ければそうもいかない。
本日のドレス ~玲瓏なる貴婦人・舞踏会風~
それは屋敷で着ていた上質なドレスとはまた一味も二味も違う煌びやかで豪奢なものだ。光沢を放つ淡い菫色の生地はパールを彷彿とさせ、宝石を散りばめたレースが所々にあしらわれている。広めに空いた胸元をチェーンが複雑に絡み合うようなデザインのネックレスが飾り、髪をアップにしたためさらけ出されたうなじにまで絡みつたう。
初めて目にした時は派手すぎじゃないかと眉を寄せたものの、纏ってみれば案外そうでもなく、広がりの押さえられた足元は既婚者の落ち着きを感じさせる作りだ。
いや豪華なことには変わりない。そして私には荷が勝ちすぎる。そう思って辞退したくもあったが、社交という地雷原に飛び込むのだからこれくらいの防御力は必要だろうとも理性が判断し着用に至る。
「緊張しているか」
「まあ、そうですね」
その問いに不安を隠すことなく正直に答えた所で、馬車の動きが止まる。
やがて扉が開かれキース様が先に表へと降り立つと、くるりとこちらに向き直り私の方へ手を差し出す。
「心配ない。そばにいる」
「……はい」
表の灯りが逆光となり表情は良く見えないが、その声色には安心を覚える。差し出された手に自分の手を重ねその傍らに降り立った。
いざ戦地へ。そう意気込んでいると、キース様が私の方へそっと肘を寄せる。ええと、これは……掴めってことかしら?
そりゃあ私たちは夫婦でありキース様がエスコートをしてくれるのは自然であり当然なわけだけど、突然の降って湧いた状況に一瞬思考が停止する。
「どうした?」
「いえ!」
うん、別にやましいことなど何もない。ぎこちなくその腕に手を添えるとキース様は私に合わせる様にゆっくりと歩き出した。
キース様の腕を取りながら会場となる大広間へと足を踏みいれると、ざわりというどよめきの後に周囲の視線が私たちへと一気に集中する。
それは決して好意的なものではなく、驚き声を上げるや眉を顰める者、ひそひそと隠れて物を言う者など、とても気分がいいとは言えない反応だ。
(っていうか何これ、完全アウェー状態じゃないの!)
キース様よろしくにっこりと笑みを張り付けて周囲の反応に動じないよう歩を進めているが、心の中では悪態の一つもつきたくなる。
独り身であった去年までの夜会でもそれなりにひそひそされる事はあったが、ここまであからさまな敵意は感じなかった。……正直舐めていた。公爵夫人という肩書はこれほどまでに重いのだと、想定が甘かったという他ない。
「大丈夫か」
私が脳内でテンパっているのに気付いてかキース様が頭上から降ってくる。声はいつもの調子だけれど、その顔を見上げれば私とおそろいのにこやかな笑顔が見えちょっとギャップが面白い。
落ち着き払った様子はさすが、この程度の喧騒は意に介さないようで何とも頼もしい。そんなキース様を見れば私も少し落ち着きを取り戻す。
「ええ、問題ありませんわ。意地の悪い言葉に屈する様な真似は致しませんわ!」
「頼もしいな」
気合を入れる様に宣言すれば、ふわりと口元を緩める。この笑顔は偽りではない。家でもたまにしか見ることのない本物の笑顔だ。……これはずるい。イケメンが至近距離で、きらきらしてて、非常に目に毒だ。
くらくらする頭を押さえながらキース様と二、三言葉を交わしていると、背後から何やら気配が近づいてくる。
振り向けばそこには真っ赤なドレスを纏った令嬢が扇子を片手に、取り巻きの令嬢を引き連れて立っていた。ザ・悪役令嬢といったその登場シーンにちょっと感動に打ち震えそうになるが、そこはおくびに出さず取り澄ました笑顔を彼女らに向ける。
「あら、何方かと思いましたら貧乏伯爵家の無能令嬢ではなくて? 似合いもしない、随分と分不相応なドレスを召してらっしゃるから気付きませんでしたわ」
ばさりと扇子を広げながら言う彼女は確か、エイミー・ハミルトン伯爵令嬢だ。顔と名前は知っているが確か面識はない。口元にあてがう扇子の奥からこちらを値踏みする様な眼差しを向けている。
「これはエイミー・ハミルトン様、ごきげんよう。お目にかかるのはお初でしたかしら。ドレスをお褒め頂き光栄ですわ」
失礼のないように丁寧に挨拶をすれば、公爵家に嫁いでからスヴェンさんの指導により日々磨いていた淑女作法が遺憾なく発揮される。元々最低限の礼は身に着けてはいたが、やはり第三者に指導を受けるとその質はぐんと上がる。加えてのこの装備、今の私は大分『公爵夫人』に見えるはずだ。
顔を上げにこりと微笑みかければ、名指しされたエイミー様と他周囲の貴族たちがしんと黙り込む。
……ええと、どうしよう? 声をかけられはしたが私には彼女たちに用はない。他に言う事がないのなら退去願いたいところだけど――そう考えているとぱちりと扇子が鳴り、一層厳しい目を向けるエイミー様が口を開く。
「……っ不可解な噂を耳にしておりましたが、あながち流言でもないようですわね。どうやってマクスウェル様に取り入ったのか分かりませんが、貴女のようなふしだらな令嬢が側にいていい御方ではありませんのよ?」
恐らく周囲の誰もが言いたかったことなのだろう。私の一挙手一投足を見逃さんと衆目が集まるのを感じる。
隣に立つキース様が私へと視線を送るがそれには笑顔のみを返し、私は一歩前へと進み出る。
ここで公爵であるキース様が発言すれば皆引くだろうが、それではいけないのだ。私が彼女たちを納得させ自らの意思で引かせなければ意味がなく、私の立場はずっと変わらない。
静かに息を吐き、やや膝を落としつつエイミー様を見上げるような視線を向け、言葉を紡ぐ。
「流石エイミー様は分かってらっしゃいますわ、おっしゃる通りマクスウェル様はとても素晴らしい御方でございます」
とりあえず相手の意見を肯定しつつ持ち上げる。
「聡明で思慮深く、私のような半端者にも変わらぬ態度で接して下さる人格者、誠に感謝しておりますの」
ついでにキース様の事も持ち上げておく。私が誑し込んだのではないアピールだ。あくまで腰は低く、相手が同調しやすいように。
するとあら不思議、私の言葉に耳を傾けようという空気が生まれてくるじゃありませんか。
「ところで、先程私のドレスをお褒めにあずかりましたが、エイミー様のお召し物こそ大変素晴らしいものでいらっしゃいますわ!」
すかさずに、話題そらし。ここでは相手に口を挟む隙を与えず一気に畳みかける。
「特にそのお色、鮮やかな赤はハミルトン領で産出される紅草の物でしょうか。噂に違わぬ美しさ、まさにハミルトン家の魔力を象徴するかのような趣深さを感じますわ」
そしての褒め殺し作戦だ。ポイントは彼女だけでなく家や領地ごとまるっと褒める。大げさなくらいでちょうどいい。
「そ、そう? よく分かってるじゃありませんの、この赤はハミルトンの特別な色ですの。他の物ではそうそう出せない色でしてよ」
かかった! ちょっと照れくさそうに言うエイミー様に萌える。ツンデレの素質があるわ。
敵意が薄まったところで本命を口にする。
「私、皆さまが思う通りの未熟者でございます。エイミー様のような素晴らしい淑女のお手本があります事はこの上ない幸運ですわ。どうかご指導いただけますと幸いでございます」
最後は深々と頭を下げる、お願いという名の強要。
「……貴女、マクスウェル様と釣り合うかはさておいて、思っていたより見どころのある方ね。精進なさい」
「有難う存じます」
うむ、完璧に決まった。
エイミー様は不満を顔に残したままではあるが、ひとまずこの場を収め取り巻きと共に立ち去る。
人は誰しも自分に好意を寄せる相手を無下には扱いにくいもので、エイミー様が話を聞いて下さる方で助かったわ。
遠巻きにしていた貴族たちも興が削がれたのか皆思い思いに散っていく。
会場内には喧騒が戻り、私はキース様へと向き直り――どやぁ! と得意げな顔を見せれば、キース様の顔面にはそれはそれは綺麗な作り物の笑顔が張り付いている。
あれぇ? それはどういう感情かな?
「よくも見事に口が回るものだ」
顔は笑顔なのに口からは溜息が漏れ出ている。
うん、褒められた? いやこれは微妙だぞ、呆れられているのではないだろうか?
「褒めている。馬鹿正直な性根は弁舌には向かないと思っていたが、大したものだよ」
褒めていると言うのならここは素直に喜ぼう。
「お褒めにあずかり光栄ですわ! 説得の肝は嘘を言わない、何者も貶さないことですの」
「なるほど、参考にしよう。それにしてもハミルトン嬢とは初対面だと言っていたが、領地のことまでよく知っていたな」
「無能な私にとって情報は命綱ですもの。夜会に出る以上、貴族領の知識は必須ですわ」
これは公爵家に来る前からの事。社交をするには相手と共通の話題を持つことが重要であり、貴族名鑑の類は読破済みだ。
さらに公爵家には国内の地理や産業を網羅した書籍も数多くある。新たな情報を追加入力し公爵夫人となった私のバージョンは日々更新されているのだ。
「エリカが努力家であることを改めて思い知ったな」
今度は苦笑い。でもその中には優しさが溢れ、私もつられて顔が弛む。
「さあ、まだ舞踏会は始まったばかりだ。気を抜かずに行こう」
「はい!」
再びキース様の腕に手を添え、会場の奥へと踏み込んだ。
◇ ◇ ◇
「お姉さま凄いです、あちらの令嬢を蹴散らしてしまいましたわ!」
白いドレスを揺らしながら興奮気味にそう語るのは今宵デビュタントを迎えるセシル・バートンだ。
遠くに見つけた我が姉と義理兄は到着早々に衆目を集め、見知らぬ令嬢と何やら揉めているらしかった。
遠巻きに人垣ができ、そのさらに外側にいたため姉らに近付くことは出来なかったが、令嬢の群れが姉の前から去っていくのが見え、姉の勝利を確信したのだ。
「どう? フレッド。お姉さま素敵でしょう!」
隣に並び立つ自分によく似た風貌の少年の腕を掴み顔を見上げれば、彼は怪訝な表情を浮かべたまま微動だにしない。その幼さの残る青い瞳は、遠くを行く姉の背を映していた。
「……別に。そもそも、社交の場で喧嘩を売られる事自体がおかしいでしょ。セシル姉様、行くよ」
そう吐き捨てた後、セシルを半ば引き摺る様に会場の奥へと進む。
「もう、素直じゃないんだから」
弟に引かれながらカツンカツンとヒールを鳴らし、初めての舞踏会に胸の高鳴りを感じながら人の波へと身を任せた。




