再会の夜 1
想定外に長引いた庭いじりから離れへと戻ると、泥だらけな姿の主を迎えたメイドが悲痛な叫び声を上げる。
「奥様! 本日は旦那様のお帰りが早いと言ったじゃありませんか! もうっ急いで湯浴みしてお支度しないと……っ」
私付きのメイドのハンナさんが若干キレ気味に慌ただしく動いている。うん、何だかごめんなさい。
そうは言っても湯殿の準備はすでに万端で、ハンナさんの他数名のメイドさんたちが手際よく私の服を剝ぎとり体の汚れを洗い流していく。
私としてはお風呂は一人で済ませたいのだけども、「メイドの仕事を奪うおつもりですか」とわざとらしく、さめざめと泣かれてしまってはこちらもあまり強くは言えない。以来、朝の身支度も含めて私の身の回りの事はハンナさんを筆頭としたメイドさんたちにお願いすることとなっていた。
それにしてもキース様が早く戻ることは極々たまにあるけれど、今日は皆の様子が少し違うように感じる。随分と忙しないというか、テンションが高いというか。スヴェンさんにも庭いじりの最中にやたらと念を押されたのを思い出す。
「今日は何かあるのかしら?」
「ふふ、お楽しみです!」
楽しそうに私の髪を流すハンナさんが嬉しそうに答える。それはもう何かあると言っているのと同義ではないのか。
まぁ様子からして悪い事ではないのだろう。私は深く気に留めず、もみくちゃにされる全身を彼女らに委ねた。
風呂から上がれば全身をタオルで拭かれ、髪やら体やらにやたらといい匂いのする何かを塗りたくられていく。多分お肌にいいやつ。今まで美容なんてものを気にしてこなかった身だが最近はメイドさんたちに良いようにおもちゃにされ、心なしか肌も髪もつやつやになった気がする。
「奥様は磨きがいがありますね!」
そんな事を言われたりしたけど、元がマイナスならばそれはそれは効果は抜群なのだろう。色気も何もない私でも一応は女の子、整っていく身体に悪い気はしない。自分が随分と現金な人間なのだと思い知らされ、心には少しばかりのダメージが入る。
「本日はどれをお召しになりますか?」
上機嫌なハンナさんが真新しいドレスを両手に提げて私へと見せつけてくるが、既に体力と精神力は使い果たされ選ぶ気力も残っていない。
「任せるわ」
「分かりました! ではこちらの空色のドレスに致しましょう!」
そう言って明るい水色のドレスを選び取ると、棒立ちの私にぱっぱと着せていく。うん、とても楽……自堕落になりそう。
そのまま髪を結われ薄めの化粧を施され、アクセサリの類を身に着ければようやく支度の完了だ。
目の前に置かれた姿見には見慣れぬ姿の自分が映り、初めの頃は「これが……私⁉」などとちょっぴり感動もしたものだが、違和感は未だに拭えない。
肌触りが良くしっとりとした質感の程よく空気を纏いながら広がるドレスは、細部にまで装飾が施され華美さがありながらもとても動きやすい。淡い色の服は乙女感と上品さが強くて苦手意識を持っていたのだが着てみれば案外悪くないものだ。やはり高級なものは違うのだろうか。
耳にはギリアムから購入した耳飾りが、丁寧に編まれた髪にはいつもの髪飾りが揺れ、首には新たに加わったネックレスがかかる。細目の銀色の鎖に宝石が三つほどついた比較的シンプルなデザインのものだが程よく存在を主張し胸元を飾っている。
「よくお似合いです! さすが旦那様が奥様の為にご用意されたドレスですね!」
一仕事終えたハンナさんが満足げな表情で頷いている。
そう、これは以前にキース様に贈りたいと打ち明けられた新しいドレスだ。受け取ると答えた数日後には仕立て屋が公爵邸へ訪れるというスピード感で採寸やらデザイン選定やらが済まされ、やがて数着のドレスとアクセサリ類を手にしたのだった。
「デザインも生地の肌触りも何もかもが高級で、着ているだけで緊張するわ……」
確かに美しいドレスだ。が、平民根性が染みついている私には感動よりも恐怖の方が上回るのだ。もしどこかに引っ掛けたり汚しでもしたら――
「もしドレスを損なうような事がありましても、私たちが修復いたしますのでご心配には及びません!」
私の心の叫びが聞こえたかのような返事が返ってくる。有能メイドさんたちには頭が上がらないわ。
「そうね、その時はお願いするわ」
「はい! さあそろそろ旦那様がいらっしゃいます、お出迎えに参りましょう!」
ハンナさんに促され、ややぎこちなく足を運ぶと真新しいドレスが軽やかに揺れる。その感触にテンションが少し上がるのを感じながら玄関ホールへと向かった。
傾いた日が差し込み、オレンジ色に染め上げられる玄関ホールへと来るとスヴェンさんが迎えてくれる。
「お支度の方が間に合ったようで何よりです。旦那様から贈られたドレス、とても良く似合っておりますよ」
「社交辞令でもそう言ってもらえるのは嬉しいわね。どう、公爵夫人に見えるかしら?」
「正直な感想を述べたつもりですがね。ええ、無駄に動き回らなければ立派な公爵夫人に見えますよ」
いつもは辛辣なスヴェンさんだが今日の評価は激甘だ。キース様と一緒に食事をする時くらいしか着ない新調されたドレスだが使用人さんたち皆からはおおむね好評の様で、やたらとほっこりとした顔を向けられるのはいいがちょっとこそばゆい。
そうこうしている内にキース様が到着した様で、玄関の大きな扉がゆっくりと開かれる。
見慣れた鈍色のローブがゆらりとはためくのが見え視線を送れば、その背に受ける夕日により輪郭がオレンジ色に煌めいている。神々しいやらと眩しいやらで目を細めているとその人の歩みは止まり、私はスカートの裾をチョンとつまんで膝を落とし、貴族らしい礼を取る。
「お帰りなさいませキース様」
「ああ、出迎え感謝する。……美しいな。前の薄紅色のドレスもよかったがそのドレスも良く似合っている」
下げた頭を上げると既に玄関扉は閉じられ、目の前にいるのはいつものキース様だ。口元に手をあてながらやや目を細め、何やら感慨深げに私を見つめている。
「はい、とても美しいドレスですわ! この生地の光沢、しっとりと滑らかな肌触り、それなのにしっかりと張りもあって、流石公爵領の名産品ですわ!」
その視線に答えるようにやや胸を逸らしてドレスを見せつける。いやキース様に贈られた物なんだけど。
このドレスの仕立ては王都に店を構える工房によるものだが、その素材となる生地はどれも公爵領で産出されたものを使用している。高品質でお貴族様御用達の逸品だ、それを惜しげもなくふんだんに使っているのだから美しいドレスに仕上がるのも頷ける。
「うん、そうか……」
そうですよ。
何やら目を閉じ眉間に皺を寄せるキース様には既視感を覚え、ああ、昼間のスヴェンさんと同じ表情だなと思い出す。脇に控えるスヴェンさんに目を向ければやはりキース様と同じような渋い顔を見せている。ほんと何なの。
首をかしげながらその様子を窺っていると、その後ろに揺れる影があることに気付く。
「ああ、失礼した。今日は客を招いている」
私の視線の向く先に気付いたキース様がそう言いながら一歩横へと身を翻すと、その背に隠れていた小柄な姿がはっきりと私の前に現れる。
「久方ぶりでございます、お姉さま」
緩く波打つプラチナブロンドの髪を揺らし、キース様と同じく鈍色のローブを纏った彼女は先程の私と同じ様に優雅に礼を取る。前に会った時とは見違えるほどに健康的になった笑顔の中に、以前と同じく輝く瞳が私を映している。
そこにいたのはセシル・バートン、私の最愛の妹で。
「……かわいい!」
思わず魂の叫びが口から溢れる。
「そのローブ、官吏の制服⁉ めちゃ似合う……っ尊い! 私のっ、妹が! 可愛すぎる!」
思わず胸の前で両こぶしを握り締め、挨拶すら忘れて感情のままに声を上げる。
だって制服! それもミニサイズ(キース様比)! これはもう反則!
心の奥底に眠るオタク魂が刺激されて語彙力が消失しているが、このセシルを見たらそれは仕方がないのだ。不可抗力なのだ。
「お姉さまはお変わり無いようで安心いたしました」
荒ぶる私を拒絶することなくころころと笑う姿はどう見ても天使。本能の赴くままにセシルをぎゅーと抱きしめる。このままお持ち帰りしたい。
セシルはそんな私の背に腕を回し抱きしめ返してくれる。小さな体に温もりを感じ、ほんとに元気になったことを今更ながら実感する。あ、まずい。泣きそう。
必死に情緒を押さえようと素数でも数えようかと、思案する私の耳に低い声がかすかに届く。
「こういった服が好みなのか。ならば仕立て屋を呼んで作らせるか――」
「旦那様、落ち着いて下さい」
キース様とスヴェンさんの声だが、その意図は相変わらずよく分からない。
ぼんやりと流れる思考のさ中、今度は耳元からはっきりとした声が響いてくる。
「お義理兄さまって、ポンコツですの?」
「ぽん……⁉」
セシルの放った言葉により周囲に衝撃が走る。
なぜだかポンコツ判定を受けたキース様は言葉を失い硬直している。
「成程、奥様の妹様ですね。とてもよく理解いたしました」
ぽつりと落ちたスヴェンさんの言葉に、周囲の使用人さんたちがうんうんと頷くのが見えた。




