エリカの日常
……っくしゅん!
「奥様、感冒かの?」
「いいえ、平気よ。誰かがきっと噂でもしてるのね」
「くしゃみと噂が関係あるでの?」
温室内で土いじりをする庭師のデデと私はそんな他愛ない会話を交わす。
「今日は旦那様も早く戻ると聞いとるでの、ほどほどで切り上げて少し休むとええの」
「ありがとう、そうするわ」
デデの言葉に素直に頷いておく。
ブラックな環境に定評のあるキース様の職場だが、最近はホワイトとはいかずともグレーくらいには薄まってきたようで夕食までに戻られる頻度も増えたものだ。
作業用のワンピースを纏い、ふかふかの土をえいやと耕していく。手足どころか頭まで泥まみれになりながら種まきを終えれば全身が達成感に包まれる。
「ふぅ! 私もなかなか様になってきたのではなくて?」
「まだまだでの」
「庭仕事が様になられても困りものですが」
調子に乗るとすぐに辛辣な言葉が返ってくる。二人とも私に厳しいわ。
「いいえ、困ることなんてありませんわ! 何でも出来ないよりは出来た方が絶対お得です! それよりスヴェンさんがここで何をしてるんですか?」
いつの間に背後の、土のかからない少し離れた位置に立ち、私とデデの会話に自然に混ざってくるのはお馴染みの執事殿だ。相変わらずお仕着せを隙なく着こなし、左目にあてがわれた良く磨かれた片眼鏡が美しく光っている。
彼は私のお目付け役でもあり、ふらふらとあちこちを徘徊する私に普段から付き従っているが、温室まで来ることは珍しい。
理由は簡単。温室内は庭師がいないと勝手に入れないので私が一人になることはないことと、以前付いてきたときに私の尻もちに巻き込まれてしこたま泥まみれになったからである。あの時の事はちょっとは反省している。スヴェンさんも反省を生かしているのか、この距離感である。
「昨日に旦那様からお預かりした物をお渡しに来たのですよ。魔草の種だと伺っております」
そう言って懐から小さな包みを取り出す。その瞬間、包みから溢れる様に赤い光がふわりと漂う。周囲に振りまく魔力の多さからそんじょそこらの魔草と格が違う事が窺い知れ、思わずごくりと唾をのむ。
「何の種だか分からないけど兎に角すごい魔草ね! デデも手を貸してくれる?」
「まかせるの」
スヴェンさんから包みを受け取り、早速中の物を皿にあけ確認してみる。小指の爪ほどの大きさの黒く細長い種で、それを見たデデが目を丸くした後ぎゅっと細めて、じっと観察している。
「……リンゲアの種だの」
「流石ですね。正解です」
「何よスヴェンさん、知ってたの?」
私の不満の声に「当然です」とばかりにすまし顔をよこす。
「旦那様が正体不明の物をお渡しになるはずがないでしょう」
それもそうねとあっさりと納得する。
種を凝視し続けるデデには私たちの声は届いて無いようで微動だにしない。
「リンゲアと言えば有名な魔草よね。高品質の魔力回復薬が作れて、ただし栽培難易度がめちゃくちゃ高いっていう」
「その通りです。流通も制限されているものですから中々手に入らない貴重な種ですよ」
流石は公爵様である。私には到底できないことをさらっとやってのける。しかし栽培難易度がSランクだというこの種、デデは果たして――
「……いけそう?」
難しい顔をしたまま固まっているデデの隣にしゃがみ込み恐る恐る伺ってみる。
「やるでの!」
突然大きな声を上げ、天に向かって拳を突き上げるデデ。興奮気味のその表情には気合が十分に漲っている。
「わ、私も! 手伝うわ!」
「だの!」
デデにつられ私も立ち上がり、一緒にうおおと声を上げる。なんだかよく分からないテンションの二人を前に、その原因を持ち込んだ人物は実に冷ややかな視線を投げ小さく溜息を吐く。
「士気が高いのは結構です。是非とも栽培を成功させていただきたいものです」
そう語るスヴェンさんに私は「ん?」と首をかしげる。何か薬を必要としていることがあるのかと眉を寄せれば「いえ」と短く否定し言葉を続ける。
「リンゲアと言えば第一に浮かぶのが回復薬ですが、その咲かせる花が実に美しいのだそうですよ。赤く燃えるような大輪はかがり花とも呼ばれ――」
「ああよかった。薬が必要な人がいるわけじゃないのね」
スヴェンさんの言葉にほっと胸を撫で下ろす。少し前までの自分の妹を思い出し、他人事ではないと一瞬凍った背筋と表情がすぐにぐにゃりと弛緩する。
「……ええ、まぁ。そうですね」
対照的にスヴェンさんは何とも歯切れの悪い、気まずそうな顔を見せる。一体なんだというのか。
「早速栽培する場所を決めるでの!」
私たちのやり取りに興味のないデデは待ちきれないとばかりに動き出す。植物の事となると周りの事は目に入らないようだ。流石は庭師の鑑である。デデに遅れをとらないようにと私も後に続き駆けだした。
(服飾に興味のない奥様への贈り物として旦那様に種子を提案してみたのですが、これは……)
正解だったのだろうか? とスヴェンは一人心の中で唸る。魔草であり且つ美しい花を咲かせるこの種子は奥様への贈り物としては最適な選択だったと言える。しかし己の言葉により穿たれた僅かな綻びによりその魅力を存分に伝えきることが出来なかったのだ。何たる失態か。
それでも。
視界の先に映る主の思い人は幼さの残る無邪気な笑顔を見せている。少し前までの、どこか切羽つまった息苦しさを感じる表情とはまるで違うその笑顔は、主が望むものであることは間違いないだろう。
(本当に奥様は難解で厄介なお方だ)
ある意味噂通りのその奔放さは見るものを惹きつけて止まない。貴族らしさは欠片も見えないのにその芯の強さは美しく、高貴さすら感じる。なんとも不思議な女性である。
そして、主の閉じた心を開いてくれたその存在に深く感謝の念を送る。外と内の顔を使い分けつつも常に気を張っていた公爵様が愛を口にするなど、誰が予想できたことだろうか。
(このお姿を直接見ることが叶わないのは非常に残念ですね。せめて克明に書き記しておきましょう)
主の喜ぶ顔が目に浮かび、思わず己の表情も緩む。
未だ夫婦らしい雰囲気を一切持たない二人だが、この先長い時間を共にするのだ。きっと思いは届くだろう。
「スヴェンさんも! せっかく温室まで来たのだから観念して手伝って下さい!」
物思いにふける使用人の手を遠慮も躊躇もなく掴んでくる。その手は小さく細く――
「奥様、おっしゃっていただければ手をお貸しします。せめてその泥だらけの手を先に洗ってから」
「呼んでもぼんやりしてたからですー、お仕置きですー」
泥だらけの手を軽く振りほどきぱんぱんと土を払うと、ころころと笑う彼女の後に付き従うのだった。
「それにしても奥様が魔草を育てていたのは妹様の治療の為でしたよね? ならばもう必要ないのでは?」
思考の旅から戻ったスヴェンさんを従えデデの元へと向かう途中、そんな疑問を向けられる。
そう、元々は妹を助うためと始めた魔草探索だったが既にキース様の魔術のお陰で薬の類は必要ない。それなのに私は未だに庭や温室に通い続け、デデの邪魔……おっと手伝いをしながら庭仕事に勤しんでいる。
「いつ何の役に立つか分からないもの、備えておくに越したことないわ」
と言うのは噓ではないが半分は冗談で。スヴェンさんが珍しく真面目な顔で頷くものだから慌ててお茶を濁す。
「――って言うのは建前ね。自分でも最近気づいたのだけれど、私、植物が好きなのね。なんだか楽しくてやめられないわ」
生憎そんな殊勝な考えはなく、私は我がままで身勝手なのだ。そう取り繕うように笑って誤魔化せば呆れと溜息と小言が降ってくると思ったが、案外それはなく。
「まぁ、奥様らしくて結構だと思いますよ――その泥まみれになるのを少々控えていただければなお良いですが」
「だの」
それまで会話に加わっていなかったデデからも返事が飛んでくる。本当にこの二人はこういうときだけ息が合うわね。
予想とは違う角度から分が悪くなり、何とか話題を逸らせないかと周囲に目を走らせる。
「ねぇスヴェンさん、これ見て頂戴! 随分と育ったでしょう?」
そう言いながらある水場近くの一角へと走り寄る。
それはこの温室に初めて足を踏み入れた時にデデとともに種を植えた場所だった。
「なんとも反応に困りますね。こちらの植物は花は咲かないのですか?」
「タムの仲間は元々花を付けんの」
得意満面に見せつけた私とは対照に微妙そうな渋い顔を見せるスヴェンさん。うーん、気持ちは分かる。
そこに生い茂るのは腰までの高さにまで成長した緑。デデの言葉通り花はなくわさわさと揺れる茎にひたすら緑の葉が連なり、温室内の湿度の高さも相まって非常に鬱蒼としている。小さく丸みのある葉が規則正しく並ぶ様は鳥の羽根のようにも見え、私はかわいいと思うのだけど。
「こちらも魔草なのでしょうか?」
「そのはずだけど」
スヴェンさんの質問に自信なく答える。
種の頃にうっすら見えていた魔力は今ではすっかり見られない。見えないほどに魔力が大きいのならもっと周囲に何らかの影響が出るだろうし、それもないというのなら――もしや種の状態でしか魔力を保持しないとかなのかしら?
わさわさ揺れる葉をいくら撫でても水飛沫が舞うだけで、スヴェンさんが「濡れるのでやめて下さい」と叫ぶばかりだ。
渋々手を止めると水場から離れ、別の区画の前にしゃがみ込む。
「こっちに植えたコたちは随分と小さいのよね」
そこはデデの苦言を振り切って私が独断と偏見で種を蒔いた場所だった。
同じ植物のはずなのに丈は脛程度しかない。やはり水が足りなく発育が悪いのだろうか。全体的に小ぶりになったその葉はミニチュアの様でもあり可愛さが三割増しに見える。小さいものは大体可愛い。
(鉢植えにして部屋に飾れないかしら)
そう考えながらその葉を撫でてみると、隙間からちらりと鮮やかな色が覗く。
「デデ、あれ!」
「蕾、だの」
それはこのタムのではなく足元のさらに低い位置に広がる植物のもの、元々この温室内に植えてあったものだ。
「『ドラゴンウィスカー』だったかしら、この植物。でもおかしいわ、タムを撒いたときはまだほんの小さな芽だったのよ?」
地を這うように広がるその植物は割とメジャーな種だ。丈夫で気候に左右されずに育つため広く流通し、普通の庭にも良く植えられている。地面いっぱいに青い花を咲かせ非常に華やかな景色を作るものだが成長が遅く、開花まで一年はかかるはずだが。
「……おそらくそのタムの影響だの」
土を軽く掘り返しながらデデが言う。その手元をよく見ると――なるほど、ほんのりと発光している。それは恐らくタムの魔力でどうやら地下に蓄えられていたようだ。豊富なエネルギーを含んだ土が周囲の植物の成長を促したという事なのだろう。
「試しにここの土を他の場所にも撒いてみるでの」
土をいじりながら言うデデはいつも通りの無表情なのに、丸い瞳はきらきらと輝き子供っぽくて実に楽しそうだ。
(万能肥料ってところかな、何かの役に立つかしら? 今度ギリアムにも送ってみよう)
それはさておき、と。
キース様からいただいた種を蒔く場所を決めると三人で手際よく作業を進める。
土を掘り起こし余分な草や根を取り除いて適切な肥料を混ぜ、種にそっと土をかぶせる。デデは試しにと一部の種の周囲に先程のタムの魔力を含んだ土を混ぜ込んでいる。最後に全体にたっぷりと水を与えれば完了だ。
「どんな芽が出るか楽しみだわ」
「ええ、きっと美しい花を咲かせることでしょう」
「それまでに回復薬の精製方法を調べておかないとね!」
花壇の前に座り込んだまま私が力強く返事をすると、横に立つスヴェンさんはこれまた渋い顔を見せる。私また何か間違ったの⁉
「奥様は美しい花にはご興味ないのでしょうか?」
「? 普通にあるわよ、楽しみね。でも花だけが魅力ってわけじゃないもの、全てを愛でないともったいないわ」
「……恐れ入ります」
なぜだか白旗を上げるスヴェンさんの背を、手袋を外したデデがポンと軽く叩く。
「奥様は難攻不落だの」
「まったくです」
どうやら私の与り知らない何かで通じ合っているようだ。普段は仕事場が重ならない二人であるのに固い結束を感じ取ることだけは出来る。
「よく分からないけれど、頑張って?」
首を傾け二人を見上げながらとりあえず激励を送れば、上から大きな溜息が二つ。解せぬ。
「それよりも。本日は旦那様は夕刻には戻られ一緒にご夕食を取られる予定ですので、それまでにその泥を綺麗に落として、ご夫人らしくしっかり身なりを整えてお迎えください」
「分かってるわ、流石に泥まみれのまま出迎えたりしないわよ!」
「どうでしょうか。つい先日も――」
旗色が悪くなるのを察し、咄嗟にスヴェンさんに手を伸ばす。彼の手を取りぐいと引いて立ち上がればくるりと身体が入れ替わり、さっきまで私がしゃがんでいた土の上にスヴェンさんが転がる。
「奥様っ、何を……っ」
「あははっ、ほら早く! 泥を落としに戻るわよ!」
スヴェンさんから浴びせられる怨み言を背に、離れへと軽やかに足を向けた。




