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魔術研究区画

 王都の中央に位置する城、その敷地内の西側区画に連なる棟の一角にそれはある。

 『魔術研究区画』

 国内の魔術を包括的に管理する魔術省が置かれ、そこに属する魔術師団や研究施設などが連なる区画である。構成するのは勿論魔術に長けた者であり、その多くが貴族籍を有する――それが俺の職場である。


「マクスウェル様、おはようございます。こちら先日の件の報告書となります」

「おはようございます。ありがとう、目を通しておきます」


 管理部のある中央棟に入ると職員が挨拶と共に書類を差し出してくる。にこりと外向きの笑顔を掲げ挨拶を返しながら丁寧に書類を受け取ると、周囲にいた女性職員の視線が集まるのを感じる。

 エリカには「キモチワルイ」だの「愉快」だのと散々な評価を得ているこの外面だが貴族、特に女性には大層評判がいいようで、知らぬ間に『麗しの黒公爵』などという呼び名が定着していた。初めて聞いた時は背筋に冷たいものが走るのを感じたがそれで社交が円滑になるのなら安いものだ。

 黒の魔力保持者にして幼い頃から魔術に長けていた俺の評判は芳しいものではなく。周囲の貴族からの警戒を躱すためにと身に着けた、低姿勢かつ柔らかな物腰と偽りの笑顔はいつしか俺を守る鎧となっていた。……それがあっさりとエリカに破られるとは想像もしなかったが。

 そんなことを考えながら扉を抜け、所狭しと資料棚が並び薄暗くなった通路を進めば途中先程のようなやり取りが何度か繰り返される。笑顔のままに両手が書類で埋まる頃、ようやく最奥にある自分の机へと辿り着く。毎日の日課のようなものだ。

 椅子へ腰を落ち着けると早速と書類を捲る。この部署で取り扱う業務は魔術に関わる全般であり、それらは多岐にわたる。魔術の研究や保護、魔術師団の育成と運営、薬や道具の開発・取り扱いの認可など上げたらきりがない。報告書、申請書など振り分けながら内容を確認し必要な物にはサインをしていく。

 そうしていつものように朝の業務を片付けていると俄かに入り口付近で騒めきが起こる。その原因には心当たりがあるため特に気に留めることもなく書類の確認を続ける。続けているとその内手元を影が覆い、仕方なしに顔を上げる。


「お~や、おやおや、補佐殿。なぜこちらにおられるのかな?」

「これはアキュベリー殿、ごきげんよう。なぜとはどういった意味でしょう」


 大仰に声を上げるその男に、他の職員へと同様に笑みで返す。歳の頃は30代、少し癖のある髪を横に流し毛先がくるりと上を向き、尖るあごの先から伸びる髭も同じくくるりと渦を巻く。そのあごひげを手で丁寧に撫でながら俺を見下ろす男。同じ魔術省に籍を置くアキュベリー侯爵だ。

 アキュベリーは俺の返答にそれまで浮かべていた胡散臭い笑みを引っ込め代わりに眉尻を大きく吊り上げこれまた大仰に喋り出す。


「おやおや! 補佐殿ともあろう方がその席が副長官の物であると存じないとは! ふん、そのような仕事ぶりでは重要な案件を任せることなどできませんな!」


 言いたいことは大方予想通りである。ひと呼吸おき、なるべく波風立てぬようにと穏便な言葉を選ぶ。


「もちろん存じておりますよ。しかし配置換えの都合で席の移動は三日後だと伺っておりますが」

「はっ、情けない。下っ端共の都合に合わせないと上官の席も準備できないのですかな? マクスウェル殿は優秀な方だとの噂を耳にしておりましたが、いやはやとんだ流言だ」

「……それは大変失礼いたしました。すぐに準備をいたしますのでしばしお時間をいただきたい」

「いいでしょう。周囲のゴミも処分することをお忘れなきよう」


 自分の言い分が通った事に満足したのか、不満を覗かせた表情をくずさないまでもくるりと背を向け立ち去っていく。……ヤツは俺が席を空けるまで業務を放置する気なのだろうか。あらゆる意味で頭が痛くなってくる。


(まあいい、とっとと席を明け渡すとするか。面倒事で残業になるのは御免だ)


 そう切り替えて机の上の書類をまとめ始めると、アキュベリーが去ったのを確認した職員たちがわらわらと集まりだす。


「マクスウェル様、申し訳ございません! 我々が至らないばかりに……!」

「直ちに新たな席をご用意いたしますので! おいそこの収納箱移動させられるか? 総務部に執務机の手配を――」

「そこに余っている机と椅子で問題ありませんよ。場所だけ確保していただけますか」


 申し訳ないと頭を下げながら忙しく動き回る彼らに声をかければより一層恐縮し頭を下げてくる。このごたごたの原因は彼らにはないのだから責める気などない。すべての原因はあの男であり考えれば腹も立つのだが、それよりも今後もこんな騒動が起こるかと案じればうんざりする気持ちの方が強くなる。

 そう溜息を呑み込みつつ自分の荷を纏めていると、入り口にほど近い部屋の隅、散乱していた木箱が積み上げられ小さな空間が作り出されている。埃の被った机と椅子が置かれ、職員の一人が手に持ったペンサイズの魔術杖(ワンド)で机の天板をトンと叩くと瞬く間に清浄化される。こうして俺の新たな席が用意された。


「しかし、マクスウェル様にこのような場所をご案内するのは……」

「私はどちらでも構いませんよ。とはいえあなた方からすればそうもいかないのでしょう。今は仮の席として使用するという事で納得いただきたい」

「そんな、お気遣いまでいただき恐縮にございます! 早々に相応の席をご用意いたしますのでしばしの間辛抱願いたく……!」


 年季の入った質素で飾り気のない机に荷物を降ろすとようやく落ち着くことが出来た。



 発端を辿ればそれは数日前に行われた魔術省内の人事にある。

 それまで魔術省副長官の肩書を持っていた俺は、その人事により長官補佐という立場に変わった。そして空いた副長官の席に就いたのがアキュベリー侯爵だった。

 ここで問題なのが俺とアキュベリーのどちらが立場が上なのかという事だが、省内での指揮決定権の優先順位を考慮するとアキュベリーの方が上という事になる。付け加えるなら魔術省内では知識や技術が重要になるため貴族の爵位よりも役職が優先される。結果、アキュベリーのあの態度である。


「今回の人事、マクスウェル様が長官に就任されるのかと思っておりました」


 人事の発表の後に度々そんな声をかけられる。


「ご期待していただき嬉しいですね。長官はお年を召しておられるが優れた魔術師であり、私もまだまだ学ぶべきことが多い。勉強させていただきますよ」


 俺から言えるのはそれだけだ。なぜなら本来なら今回の人事で長官への昇格が決まっていたのを自分で蹴ったも同然なのだから。

 

(エリカの為にと踏み切った禁術の行使、その承認を強行した代償といったところか)


 つまり。承認をくれてやるから今回の人事に目を瞑れと暗に示され、それを了承したのだ。

 後悔はない。元々肩書にこだわりはないしこれで相殺となるなら十分と言える。


(上官が無能でなければ、な)


 机上が整いさて業務を再開しようというとき、目の前に見える扉が乱暴に開かれ問題の男が戻ってくる。

 俺と同じ魔術省官用の鈍色のローブをはためかせ、副長官であることを示す記章をわざとらしく揺らす。煙でも喫んできたのだろう、煙草の香を振り撒ながら大股で歩いていく。

 途中俺が視界に入ったようで、出入り口付近という本来下位の者へ充てられるその席位置と宛がわれた備品の粗末さに満足するように下卑た笑みを零し、一瞥のままに最奥の上座の席へどかりと腰を下ろした。


(やれやれ、先が思いやられる)


 心の中で一つ大きな溜息を吐くも束の間。

 一際大きな声が部署内に響く。


「それにしても随分と陰気臭い所だ、薄汚く散らかり放題ではないか。今までの運営管理は一体どうなっているのだ?」


 重厚な木材に繊細な彫りが施された品のある執務机に乱暴に肘をつきアキュベリーが唸る。よく磨かれた天板が彼の身に着ける様々な貴金属を反射しちかちかと眩しい。


「申し訳ございませんアキュベリー様。何分ここは物が多くまた人手も足りないため整理もままならなく……」

「言い訳とはまた見苦しい。己の無能さをひけらかす暇があるなら動きたまえ」

「もっ申し訳ございません!」


 アキュベリーへと書類を提出に行った職員が嫌味をたらたらと垂れ流されている。そんな暇があるのならとっとと解放してやれと言いたい。

 そう思いつつも、アキュベリーの言い分も理解できなくはない。乱雑に置かれた棚や物が雑多に積み上げられ、狭苦しいのは事実だからだ。

 その多くは改訂中の資料であったり未分類の魔術用具だ。取り扱いの難しい危険なものも含まれ、知見のある魔術師がいない場所に移すことはできない。それらの物は解析鑑定の後に然るべき保管手順書を作成し他部署へと引き渡すのだが、出ていく物より新たに持ち込まれる物の方が多く、 一向に減る様子はない。

 加えてここの職員の特性も弊害を生んでいる。魔術師というのは研究肌で内向きの志向の者が多く周囲にあまり頓着しない。そういう人間が集まればこのような環境になるのも当然の流れだ。アキュベリーは元々魔術省の人間ではなく文官からの異動でやってきた。面食らうのも仕方のない話なのだ。

 かくいう俺も戦犯の一人なのでどうしたものかと頭を悩ます。


「まったく使えんな! すぐに城内の使用人を呼び整理にあたらせ給え!」

「アキュベリー様、ここ魔術研究区画内は魔術師以外の立ち入りは禁じられております」

「だったら、魔術の心得がある使用人を集めればよいだろう!」

「そんな無茶な……!」


 そんな事、出来るものならとうにやっている。城に務める使用人は下級貴族出身の者も多く確かに魔術を扱える者もいるだろうが、多少齧っている程度では話にならない。


「アキュベリー殿、この粗雑な環境は私の力不足故のこと大変申し訳ない。何卒改善の為のお時間をいただきたい。またこちらですが『副長官』殿の承認が必要な書類となります。どうぞご確認の程よろしくお願いいたします」


 背中を丸め縮こまった職員とアキュベリーの間に割って入り、にこりと微笑みながら書類を差し出す。副長官という言葉を強調するのを忘れない。


「ふん、迅速に頼みますよ」


 公爵である俺が詫びたことで溜飲が下がったのか素直に書類を受け取る。非常に分かり易い男だ。

 叱責を受けていた職員を下がらせ、俺も戻ろうとアキュベリーに背を向けた所で再び声がかかる。


「ああ、そう言えばマクスウェル殿」

「何でしょう?」


 笑顔を張り付けたまま振り向けばアキュベリーはにやりと底意地の悪い笑みを浮かべている。


「いえ噂を耳にしましてね、少し前にご結婚なされたそうじゃありませんか。あまりに突然の話で驚きましたが、いや目出度い事ですな! それにしても公爵という地位にありながら内密に済ますとは、実に水臭い」


 やれやれ何事かと思えば。

 この手の嫌味を言われることは婚姻を決めた当初から予測していたことだ。身体ごとアキュベリーへと向き直り、用意しておいた文言を丁寧に告げる。


「ああ、その事でしたか。この度は縁に恵まれ妻を迎えることとなりまして。諸事情により広くお知らせすることが出来ず申し訳ありません」


 変わらぬ調子で返すと室内の空気が急激に冷え込むのを感じる。

 この部署で働く者たちは当然俺の婚姻の事実については知っている。しかし俺自身がそのことについて積極的に語ることはなく、今まで触れることのできなかった話題なのだ。

 背後で業務に勤しんでいた職員たちの手がぴたりと止まり緊張感が増し、その様子を確認したアキュベリーはこの話題が俺にとって弱みとなると確信したのだろう。隠す気の全くない悪意のある笑みを浮かべながら饒舌に語り出す。


「まるでこそこそと隠れる様にというのは感心しませんな。何かやましい事でもおありなのかと勘繰られても仕方のない事です。そう、例えば……ご夫人の素行に問題があるなどと」

「確かにそういった『噂』があることは承知しております」


 アキュベリーの指摘はほぼ事実である。俺自身、婚姻を結んだ当時はそう思っていたし、自覚があるからこそ動じずに受け流すことが出来ると思っていた。

 ただそれは、少し前までの話だ。

 準備していた誤魔化しの言葉とはまるで違う、俺の本音が零れ出る。


「――しかしそれはあくまで『噂』なのです。妻は実に勉強熱心な努力家でかつ思いやりにあふれた素晴らしい女性(ひと)ですよ。私は彼女を迎えることが出来た幸運に感謝しております」

「は⁉ いや、しかし……っ」


 予想外の返答だったのか、言葉に詰まったアキュベリーが目に見えて狼狽える。……いやそれにしても挙動不審が過ぎる。

 まあいい、これ以上言う事がないのならば付き合う必要もない。


「では、業務の方へ戻りますので」


 くるりと反転し自分の席へと戻ろうとすると、職員たちの顔が一斉にこちらを向いているのに気付く。皆一様に目を見開き固まっている様子に自分の顔がいつの間に自然に綻んでいたことに気付き、慌てて作り物の笑顔に挿げ替える。

 狭い通路を抜け自分の席へと戻るとあちこちからの声が耳に届く。

 

「……おい、今のマクスウェル様の顔見たか?」

「やばい……なんつーかやばい……」

「眩しくて脳が溶けそうだった」


 こほん、と軽く咳ばらいをすれば一瞬しんとなるも、再びざわざわとささめき合う。

 周囲から漏れる雑音に耳を塞ぎ、業務へと意識を集中させた。

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