親愛と恋愛
昼下がり。
マクスウェル公爵邸離れにある自室にていつものように机に向かう。
この屋敷に来てから僅かに季節が進み、暖かさを増した日差しが手元をふわりと照らしている。
目の前に広げられているのは懇意にしている商人や実家などから届いた手紙たち。
お気に入りの便せんを取り出しカリカリとペンを走らせ返事を綴っていると、やがて扉を叩く音がコンコンと静かに響き動いていた手を止める。
扉を開けばそこには最近よく顔を出すその人が立っていた。
「あらキース様、この時間に珍しいですわね。人を寄越して下さったら私の方から出向きましたのに」
「いやいい、散歩ついでだ。忙しかったか?」
私の旦那様であるキースベルト・マクスウェル公爵だ。相変わらず銀色に輝く髪と整った顔がきらきらと眩しい。その表情はいつも通りにぶっきら棒ながらも棘や冷たさはなく、これがこの人の素なのだなと最近気づいた。
私が先程までいた机の方に視線を向け作業中であると察すると少し申し訳なさそうに眉を寄せる。私よりもずっと体も大きい年上の男性だというのに可愛く見えてくるから不思議だ。
「封をすれば終わるところです。良かったらソファにかけてらして」
そう部屋へ招き入れればキース様は素直に応じ、私は作業を速やかに終わらせるため再び机へと向かった。
何通かの手紙をまとめ終えた頃に気の利くメイドのハンナさんがお茶と菓子を持って入ってくる。甘く香ばしい匂いが部屋中に広がり反射的に口角が上がってしまう。この匂いは焼き菓子かな? ウキウキと心を弾ませながらキース様の向かいの椅子に腰を下ろした。
私の部屋でこうして向き合いながらお茶を楽しむ光景にも随分と慣れたものだ。
最近のキース様はお仕事もひと段落着いたのかブラックな労働環境も大分ましになったようだ。目の下の隈も薄まり疲労により魔力が滞留してできる背後霊の影もない。こうして時間に余裕もでき、そんなときは決まって離れへと顔を出す様になったのだった。
「ん……おいしい……!」
ハンナさん特製のパウンドケーキを口に運ぶとバターとナッツの香ばしい香りに意識が支配される。彼女は菓子作りが趣味らしく時々こうして振舞ってくれる。甘いもの好きな私にとって女神のような存在だ。
そんな彼女にあやかろうと私にも作り方を教えて欲しいと頼んだことがあるのだが、その願いは執事によりあっけなく却下された。この世界で貴族が料理をするのは非常識らしい。もっともなご意見である。
しかし非常識な貴族である私には通じない道理でもある。前世の私は料理は得意とはいえなかったが普通に自炊はしていた。たまには何か好きに作ってみたいという衝動に駆られるのだ。
(今度ギリアムのお店に行ったら台所を使わせてもらえないかお願いしてみよう)
そんな顔見知りの商人のことを考えつつ意識を目の前に戻すと、キース様はテーブルに置かれていた木彫りの鳥の像を手にしまじまじと眺めていた。以前にギリアムから引き取ったガラクタの一つだ。雀のような小型の鳥がモチーフになっており、ふくふくとした丸いフォルムが非常に愛らしい。素朴な造りながらも彫りは繊細で羽毛の筋が細やかに表現されているが、対照的に足元には粗さが目立つ。作者は飽き性なのかあるいは羽フェチか、どちらにしろ残念であることには違いない。
「そちらの木彫りはギリアムから商品にならない物だからといただきましたの。愛嬌があってなかなか気に入ってますわ」
「ギリアム……あのヒース商会の悪徳商人か」
「その悪徳商人ですわ」
私の言葉を聞きキース様の表情がやや険しくなる。そういえば前にギリアムと手を切るよう釘を刺されたことがあったわね。キース様の中ではギリアムの印象は芳しくないようで、私としても擁護のしようもないのだがそれでも彼には何かと世話になっている身だ。
(商会で扱う品の評価は悪くなかったはず。どうにかギリアムの事も正当な評価を……)
した結果がこれだとしたらもう私に言えることはない。ううむと首を傾けていると耳もとの飾りも同じく傾く。白く半透明な宝石を銀細工が包み込んだこの耳飾りはまごう事なき逸品で、ギリアムが婚礼の祝いにと持ってきた物だった。
キース様の目線が私の耳もとに向いているのを感じ何を言えばいいだろうと迷っているところ、キース様が先に口を開く。
「ドレスを贈ろうと考えているが、どういったものが好みだ?」
「誰にです?」
???
唐突なキース様の言葉に思わず首を傾げ、反射的に質問を返してしまう。
「……お前以外いないだろう」
「私……私ですか⁉ どの流れでそういう話に行き着いたんですか?」
「どの流れという事ではない、以前から思っていた事だ。エリカは俺の妻だというのに贈り物の一つもしたことがないだろう」
なぜだか少しの怒りを孕みながらそう早口で言い立てるが、その怒りの矛先が向くのはどうやら私ではないようだ。謎が増え首を逆側にかしげているとふいと顔を逸らされる。
「住まいと生活をいただいてますが」
「そう言う事ではない」
今湧いた苛立ちは私に対してのようだ。考えた末に出た言葉にお決まりの溜息を返され、横に向けた顔から半眼の視線だけがこちらを向いている。察しが悪くて申し訳ないが、分からないものは分からないのである。
「もう少し分かり易くお願いしますわ」
「俺がお前にドレスを贈りたいと言っているだろう」
確かにそうおっしゃってたわね。分からないのはその理由なのだけども。改めて考えてみるが、うーむ。ドレス、ドレスかぁ。正直枚数は事足りている。庭や街を彷徨くときは平民仕様のワンピースを着ているし、伯爵令嬢時代から愛用しているドレスは傷みも少なくまだまだ十分着られる。
「何着でもいい。必要なら装身具も揃えるといい」
悩む私に追い打ちの様に声がかかる。なぜそんなにも贈りたがるのか。大体貴族女性用のドレスやアクセサリーがいくらすると思っているのだろうか。公爵様なのだからきっと資産はあるのだろう。だからと言って無駄遣いはいただけない。貴族の収入は領民から得たお金なのだから領民に還るよう使うべきなのだ。
(そんなことくらいキース様だって心得ているはず。だったら――)
頬に手を当て考えを巡らせていると指に耳飾りが触れる。そう言えば。ギリアムがあの時に言っていた言葉を思い出す。
「分かりましたわ、つまりキース様は私に『公爵夫人という立場に見合った装いを心掛けろ』とおっしゃりたいのですね! 私、自覚が足りませんでしたわ。ご指摘感謝いたします!」
「いや待て、そういう意味では……」
正解を導き出しすっきり晴れやかな表情を浮かべる私に公爵様の言葉は届かない。
「まぁ、うん、それでもいいのか? いや良くないだろう。しかし……」
気付くと今度はキース様が先程の私の様に頭を抱え考え込んでいる。完璧な答えを見つけたはずなのになんだというのか。ぼそぼそとつぶやく声がだんだん小さくなり待つことしばし、キース様も何らかの結論を出したようだ。
「エリカ、妻として受け取ってくれるか」
「はい、キース様!」
今度こそ笑顔でそう返事を返した。
◇ ◇ ◇
エリカとの談笑が終わるころ、部屋に顔を出した執事が俺に視線を送ってくる。恐らく本邸でマルセルが呼んでいるのだろう。エリカに断りを入れ茶の時間を切り上げると部屋を後にした。
「旦那様。お楽しみの所、申し訳ございません」
「問題ない」
後ろを歩くスヴェンがそうしおらしく頭を下げるが、声をかける前に部屋の外で肩を震わせていたことに気付いてないはずがないだろう。
「…………スヴェン、聞くが女性というのはドレスや宝飾が好きなものではないのか?」
「僭越ながら申し上げますと、奥様は少々変わったお方ですので」
僭越と言いながらもはっきりと言う。だが俺も同じ意見だ。しかしここまでとは想定していなかったのも事実だ。
最近は仕事も落ち着きようやくエリカの顔を見られるようになったのはいいが、その都度目に入るあの耳飾りになんとも心がささくれ立っていた。ギリアムという商人はエリカとは俺よりも付き合いが長く、妹の事で長らく奔走していた彼女の協力者でもあった。当然信頼も厚いのだろう。贈られたのではなく購入したものだと聞くし、外せと言う筋合いはない。
「我ながら下らん嫉妬だ」
溜息と共につい漏らした言葉をマルセルが聞き逃すはずもなく。
「旦那様が贈り物をなさればよろしいでしょう」
と至極真っ当な助言を受け、妻へ贈り物をしたいとようやく切り出してみたのだが。
(多少なりとも喜ばれると思っていたのだがな)
思っていた反応と違う。いや喜ばれはしたのだろう、ただそれが明後日な方向を向いていただけで。
公爵夫人として、と言った彼女の言葉は俺にとっても悪い気のするものではない。しかしそれは薄々感じてはいたが目を逸らしていたある事実を、否応なしに白日のもとへ引き摺りだすものとなる。
思い返してみれば兆候はあったのだ。
彼女の妹を助けた後に公爵邸に戻った時の事。俺はエリカに今後は離れではなく本邸で暮らすことを提案してみたのだがそれはあっさりと退けられた。曰く「離れの方が温室まで近い」「好きに模様替えをし大変快適である」との理由だ。
その後も食事や茶などを時間の許す限り共にしてきたのだが、どうにも会話が噛み合わない時がある。
「スヴェン、離れ付きの執事であるお前の忌憚のない意見を聞きたい。エリカは俺をどう見ている?」
はっきりさせねばならない。その思いで執事へと問う。
「人として、旦那様に信頼と尊敬の念を抱いていると断言いたします」
「男としてはどうだ」
「意識されていらっしゃらないかと」
………………
………………
………………
いや、分かっていた。
エリカが俺に向ける感情は恩義でありいわば親愛だ。そもそもこの婚姻自体が政略めいたものなのだ。そこに恋愛感情を求めるという方が酷なのかもしれない。
それでも自分の気持ちに気付いてしまったからには引き下がる気など微塵もない。
「俺は彼女を愛し、愛されたい」
口をついた俺の本音は自分自身に向けたものであったが、聞こえていた執事が驚いた顔をした後に恭しく頭を下げる。
「使用人一同、心より助力させていただきます」
「ああ、頼む」
見送りのスヴェンを離れに残し、一人本邸へと足を向けた。




