幕間 不器用な男
バートン伯爵領からエリカと共に王都の公爵邸に戻ったのは一週間ほど前になる。
帰りの馬車の中でエリカは長らく積んでいた肩の荷が下りたせいか、激しい揺れの中でもぐっすりと眠りこけていた。それでも馬車による疲労は溜まったのか、帰宅後は痛む体を押さえながらぐったりと床に伏してしまった。無理をさせたかと心配していたが翌日にはけろりと元気になっていて、その姿にほっと胸を撫で下ろす。
俺はといえば対照的に帰宅後すぐから積みあがっていた仕事の処理に追われ、日に日に体力を消耗していく。職場と屋敷の往復を不定期に繰り返しているとようやく業務の区切りが見え、最後のひと山を前に休息を入れようと一旦屋敷へと戻ってきた。
「お帰りなさいませ旦那様」
「ああ。ある程度休んだらまたすぐに城に戻る」
公爵邸の執務室でいつものように椅子に体を投げ出すと、出迎えたマルセルが手慣れた様子で茶を給仕する。
それはいつものコーヒーでなく『ヒース商会謹製』と書かれたラベルが見える真新しい缶に入った魔草茶だ。以前試しにとエリカに振る舞われたことがあったが、その時飲んだものと比べると格段に味がいい。もちろん効能もしっかり備わっており、体のあちこちから疲労が立ち消えていくのを感じる。
「……ヒース商会のギリアムという男は気に入らないが、商品は確かなものだな」
「個人の主観に惑わされずに本質を見極められることは素晴らしい事でございます」
「随分と引っかかる物言いだな」
個人の主観、とは恐らく俺が「ギリアムという男が気に入らない」と言ったことだろう。エリカとの付き合いは長いようだが商人として胡散臭いのは事実だ。咎められる謂れはないはずだ。
「効果があるからといって乱用するのはよろしくないと奥様が仰せですので、どうぞ控えめに」
「……ああ」
気分的には浴びるほど飲んで全身すっきりしたい所だが、あらかじめ釘を刺されていては仕方がない。
飲み干した空のカップを名残惜しく眺めながらソーサーへと戻す。
「エリカはどうしている?」
「離れで変わらず過ごされております」
まったく会えていない彼女だがどうやら元気ではあるようだ。『変わらず』というのはそのままの意味で、今日も使用人たちを振り回しながら庭やらを走り回っていることだろう。
「そうか」
安心し自然に表情が緩むとそれを見たマルセルが目を細める。
「何だ?」
「いいえ、とても仲睦まじいご様子で喜ばしい事と存じます」
「今日は随分と絡んでくるな」
「とんでもございません。私はただ奥様の為にも旦那様がご自身のお体を労わっていただきたいと願うばかりでございます」
奥様の為という言葉に力がこもって聞こえたのは気のせいではないだろう。確かにバートン伯爵領から戻った際にマルセルには「エリカを正式な妻として扱うように」と言いつけたが、以来事あるごとに圧をかけてくるのだ。
「ええ、マルセルは嬉しゅうございます」
胡乱な目を向けた俺に対して朗らかな笑顔を返してくる。いや別に何も聞いていないが。
ただ俺の体調を気遣っていることは間違いなく、無理をしている自覚もあるのでその点は申し訳なく感じる。
「仕事の方は直に区切りがつく。それまでの多少の無理は大目に見てくれ」
「左様でございますか」
不毛なやり取りを切り上げる様に執務机の奥にあるソファへと移動する。身体を投げ出し横になればマルセルの小言が耳に届く。
「寝室でお休み下さい」
「起きたらすぐに動けるようここでいい。時間になったら起こしてくれ」
「奥様が聞かれましたら仕事中毒だと呆れられそうですな」
そんなマルセルの言葉に、聞こえないふりをして目を瞑った。
瞼を閉じても睡魔がまるでやってこない。身体は休息を欲しているというのに、このちぐはぐな状態は非常に心地が悪い。それでも起きているよりはましだろうとそのまま横になり続ける。
暗い瞼の裏にはやりかけの仕事があれこれと浮かんでは消えとても休まりそうにない。何とか気を紛らわそうと思考の矛先を別方向へと伸ばせば、やがて彼女へと辿り着く。
◇
ぱっと浮かんだのはベッドの上で大粒の涙を流す姿だった。
それは俺の短慮な言葉により引き起こされた出来事で、前回の反省を踏まえ言葉には細心の注意を払ったつもりだったが結果はより酷いものだった。
何があっても強気で前向きな彼女が、非力ながら離れの皆を導いた彼女が、背中を丸め嗚咽を漏らす姿は弱々しいただの少女でしかなかった。
……これが彼女の本来の姿なのかもしれない。そうならば彼女は今までどれほどの覚悟で苦難に立ち向かってきたというのか。
力になってやりたい、素直にそう思えた。
エリカが望むもの、それはやはり妹の回復だろう。
「いくらなんでもそれは難しいのではないでしょうか?」
マルセルに問うも難色を示されるが、一つの可能性――禁術の行使という手段が頭によぎる。完治は無理でも望みを繋ぐことはできるのではないか。
「承服いたしかねます。旦那様の身の安全が保障できません故。それに国からの承認をどう得るおつもりでしょうか?」
「方法はいくらでもあるさ」
当然のように首を横に振るマルセルだが可能性があるならば俺は諦めたくはない。結局俺の強情さにマルセルが折れる形となり、計画を進めることとなった。
◇
バートン卿と話をするために伯爵領を訪れるとエリカの妹であるセシル嬢と初めて対面する。色素の薄いあどけなさの残る少女で、華奢な体躯も相まって16歳という年齢以上に幼く見えた。ベッドに横たわる体は息も絶え絶えといった様子で、浅い呼吸で体が小さく上下している。
(よくもこの状態で耐えているものだ)
高魔力症は自身も幼い頃に罹患した経験がある。強い魔力を持つ子供がかかることは珍しい事ではなく体の成長と共にすぐに治まるものだ。俺の場合は自身の魔力が体内を焼き尽くすような痛みが数か月続き、地獄のような日々だったと今思い返しても身震いがする。――それを数年。この幼い少女が耐えているというのは驚嘆に値する。姉に似て妹も相当辛抱強いのだろう。
事のあらましをバートン卿に説明する俺を見つめるセシル嬢の視線は厳しい。明らかに警戒されているようだが生憎今は構っているほど時間がない。
「例え魔術が成功したとしても、セシル嬢にはその後に過酷な修練が必要となるでしょう。その覚悟がなければ――」
「やります。お願いいたします」
俺の説明を聞き終わる前にセシル嬢本人がはっきりと答える。持ち上がらない頭で視線だけをこちらに向けているがその意思の固さは十分に伝わった。
「分かりました。では準備が整い次第執り行いましょう」
◇
術を展開し始めると、エリカは不安な面持ちのセシル嬢を支えながらじっとこちらを見ていた。その瞳に影はなくいつもの強気な輝きを放ち、俺を信じていると、そう聞こえた気がした。
と思いきや。術式が進むにつれ彼女の表情は変化していく。取り巻く魔法陣を視線が追い弾けた光にぱちぱちと目を瞬かせ、まるで目の前の光景を楽しんでいるように口元が弛んでいく。
(……緊張しているこちらが馬鹿馬鹿しくなるな。まったく、真剣なセシル嬢を見習ってくれ)
そう頭の中で毒突きながらつられてこちらの口元も緩みそうになるも、詠唱は滑らかに続いていく。
何重にもなる魔法陣が複雑な造形を描ききると術式はセシル嬢へと吸い込まれ、儀式はつつがなく終了したのだった。
◇
その夜、久々にエリカと会話をした。相変わらず礼儀も遠慮もない態度だが過剰に恐縮されるよりはずっと話し易いことに気付く。何よりこちらの態度の悪さも気に留めないのが大層楽だ。
セシル嬢を完治させることは無理だったが、それでも喜んでくれた。
初めて触れられ微笑みかけられ、彼女の熱が自分の手に伝わったその時。
彼女に惹かれていた自分の気持ちにようやく気が付いた。
◇
ふと目が覚め、ソファの背もたれを掴みながら体を起こす。身体の軽さから結構な時間が経っているようだと察する。
すぐに物音を聞きつけたマルセルが水差しを持って入室してきた。
「マルセル今何時だ、なぜ起こさなかった?」
「休息は取れましたでしょうか。数刻前に城から使いの者が来まして、本日の会合は延期になるとのことでしたので」
悪びれる様子もなくそう答える。主人に断りもなく使者を返すとは何事かと苦言を呈したかったが、タイミング良く水を差し出され、先に乾いた喉にぐいと流し込む。
「ノックで起きないご様子でしたから。その体たらくで務めに赴かれましても大した成果は上がらないでしょう」
「言ってくれるな」
しれっとそう言われては何も言い返せない。今でこそ主と家令という関係だが、公爵位を継ぐ前は勉学を教わっていた師でもある。それはそれは厳しかったことを思い出し、これ以上食い下がるのはやめようと代わりに溜息を漏らした。幾つになってもマルセルには頭が上がらない。
「使者は説明の為に改めて夕刻に参るそうです。先に軽食でも召し上がられますか」
「いや、それまでに書類を纏めておきたい」
足を床に降ろし立ち上がる俺を見ながらマルセルはふむ、と口元に手を当てる。……今度は何だ。
「おや、そうでございますか。奥様がバラ園の東屋で使用人たちと茶会をされるとおっしゃっておりましたが、残念でございます。旦那様は欠席とのご報告を――」
「待て。…………先に軽食をとる」
「承知いたしました。それでは身支度を整えてらして下さい。そのようなお姿を晒せば奥様に何を言われるやら」
なぜか楽しそうにするマルセルを後に、言われた通りに自室へと足を向けた。
そもそも使用人と茶会というのはどういうことなのか。……エリカのすることを深く考えても意味はないのかもしれない。
庭に出てみればそれは言葉の通りで。流石に同じテーブルを囲むようなことは無かったが、厨房の人間に限らずメイドや庭師など様々な職種の使用人たちが各々作った菓子類を持ち寄り、皆で好き好きに味わっている。
「貴族のお茶会って政治の場になりがちですけど、本来ならおいしいものを皆で味わう場であるべきですわ」
エリカの言い分も分からなくはないが、貴族としてそれはいかがなものかと首をかしげる。
「ほらキース様、手が止まってますわ。久々にお顔を拝見したと思ったらげっそりやつれて、しっかり食べて栄養をつけて下さいまし! 魔草茶だけ飲んだって体力は回復しませんのよ! はい、ハンナさん特製のキッシュです。私のお気に入りですわ」
口を挟む隙もなく目の前でテキパキと動き、エリカ自らが料理を皿に取り分け俺の前に並べる。
(ただ一つはっきりと言えるのは――彼女のこの自然な笑みは心地がいい)
そう思うと自然に顔が綻び、勧められた料理を口に運ぼうとした時――邪魔が入るのは誰の嫌がらせだろうか。
夕刻に再び来ると言っていた城からの使者が折り悪く到着したらしく、渋々と席を立つ。
「またお仕事ですの? 職場環境の悪さに呆れます」
背後から聞こえるエリカの声に心から同意をする。が今すぐどうこう出来るものではない。いずれは何とかしたいと思いつつ今はおとなしく使者の元へと向かった。
公爵邸本館の庭を望むサロンに使者を通し、朗らかな笑顔で出迎えつつその報告に耳を傾けていると、窓の外に見える茶会の場でエリカが何やらこちらを見ながら話をしている様子が伺える。
何のことかと密かに指をぱちりとならせば外の話し声が己の耳に直接聞こえ、どうやらスヴェンとの会話のようだ。
「キース様って外ではいつもあんな何ですか?」
「あんなとはどういう意味でしょう?」
「こう、違和感のある笑顔というか、キモチワルイ感じの――」
「……尋ねたのはこちらですが、もう少しお言葉を選んでください奥様。だいたい旦那様に対してそんなことをおっしゃるのは奥様だけでございますよ。美的感覚がおかしいのでは?」
「言葉を選ばないことをスヴェンさんにとやかく言われたくないわね。私だってお顔は綺麗だと思ってますよ? 整ってるし瞳も透き通ってきらきらしていて、髪はまぁよく跳ねてますけど。『美人は三日で飽きる』なんて言うけどキース様のお顔はずっと見ていられますね」
「それはどちらのお言葉ですか?」
「どこだったかしら。ただ中身との落差がすごいというか、愉快です。やっぱりキース様はいつものように目つきが悪い方がらしくて私は好きだわ」
「そうですか。次は旦那様に直接そうお話し下さい」
「え、嫌よ。怒られるじゃないの!」
ごふっ。
外の会話に反応し思わず軽く咽る。目の前で報告を続ける使者がびくりと体を揺らし、自分の態度に問題があったのかとその顔に不安と緊張の色を浮かべる。
「公爵閣下……?」
「ああ、問題ない。すぐに返事をしたためよう」
「はっ」
何事もない素振りで笑顔を向ければ、恐縮しより一層背筋を伸ばしている。
受け取った報告文書の返事をさらりとしたためそのまま託すと、使者は速やかに城へと戻っていった。
バラ園での茶会も済み腹も精神も満たされ屋敷へと戻ると、スヴェンがすぐに離れの様子の報告を携えてやってくる。
その内容は主にエリカと使用人たちのどたばた狂騒劇であるが、不満の声が上がることもなくいたって平和に幕を下ろしているようだ。
「ご苦労。引き続きエリカの力になってやって欲しい」
そう労いの声をかけると、執事は立ち去る前にぽつりと一言漏らす。
「随分と奥様に甘くなられましたね」
「……そういうつもりではない。正当に評価した結果だ」
「そうでしたか、それは失礼いたしました。最近は旦那様の表情が和らいだと離れの者たち皆が喜んでおりますよ。それでは失礼いたします」
一体何を言いたいのか。言うだけ言って立ち去るその背に溜息を投げかけると横からすっとコーヒーが差し出される。
やたらと機嫌のいいマルセルに頭を抱えつつコーヒーに映る自分の眉間の皺に視線を落とした。
親友に言いくるめられ見知らぬ女と婚姻を結んでひと月過ぎ。俺の内外の環境は目まぐるしく変化を遂げた。
――あいつはここまで見越して彼女を俺に引き合わせたのだろうか。だとしたら腹立たしい限りである。
次に会った時にはありったけの苦情とほんの一言くらいは礼を伝えてやろう。




