欲しかったのはその温もり
すっかり暗くなった庭先を一人ぶらぶらと歩く。
今夜は伯爵家に滞在し明日王都に戻るという事でのんびり実家を満喫してみる。この家を出てから経ったひと月という時間で庭に茂る草花は季節をひとつ巡り、置いて行かれたようなさびしさを仄かに感じる。
「ここにいたのか」
暗い地面を歩く私の前に淡い光の玉が出現し、その先に人影が浮かぶ。
「公爵様。お父様との晩酌はもういいんですの?」
「ああ。俺は酒はそれほど飲まない」
「お父様が寂しがってそうですわね」
魔術の灯りをふよふよと浮かせた公爵様が何となしに私の隣を歩き、のんびりとした夜の散歩を続ける。
「この暗がりを良く歩けるな」
「夜中によく抜け出したりしてましたから。身体が覚えてますわ」
「……聞いたことをこんなにも後悔するとは思わなかった」
お決まりの溜息にくすくすと笑みを漏らすと、やれやれと頭を掻きむしる公爵様の姿が灯りに揺れる。
ゆっくりとした時間が流れ、それがいつまでも続くようなそんな錯覚に陥りながら、それはとても素敵な事ではないかとふと思う。ずっと忙しない日常を過ごしてきた。ようやく肩の荷が半分下り、これからは少し速度を緩めて進むのも悪くない、そう思った矢先。
「そういえば、禁術の行使の前に破婚だの言っていたな。あれは何だ?」
……あっさりと夢を打ち砕くような鉄槌を振り下ろす公爵様には感服するわ。
そう、それは夢であって現実は非情だ。薄氷の上を進むが如くの私の人生はそんなに甘くなかった。
「あれはその、私の早とちりというか、何の説明もなく実家に連行されれば誰だってそう思います! 自分の行いに問題があることは自覚してますし、いつ捨てられても、それこそそれが今でも不思議に思いませんわ!」
何となく気まずさを感じ、やや早口でまくし立てる様は我ながら見苦しい。仕方がないと言いつつも未練がましい態度がありありと見え、ああ私は公爵家が好きなのだと改めて思い知る。
気の置けない使用人さんたちや本音で語り合える人々、それらはかけがえのないもので一度その心地よさを知ってしまったら思いを断ち切るのは容易ではない。
そうは言っても私が何を望もうが決定権を持つのは公爵様だ。その彼の表情からは感情は読み取れず、一体何を思うのか。
「お前は『黒』の魔力についてどう思う」
うん、予想外の問いだ。一瞬頭が真っ白になるも、なんとか今まで培った知識を捻りだしてみることにする。
「白の魔力の次に少ない希少な魔力ですね。呪術や闇を操る魔術と相性がいいと教本で読みました」
「一般的にはそう言われている、不吉の象徴ともな。もっと専門的に言うならば他者の魔力や術式に干渉することに長けた性質を持つ」
「セシルにかけた魔術と相性がいいと言ったのはそういう事だったんですね」
あの禁術は魔力を打ち消し封印するものだと言っていた。うんうんと納得し、公爵様の魔力が黒でなかったら今回の事は叶わなかったのかと幸運を噛みしめる。いや、この人なら相性の悪い魔術であっても使いこなす感はあるが。
「お前は俺が恐ろしくはないのか」
うんうん、うん? さっきから質問に脈絡がなさすぎる。なんのこっちゃと睨むような訝しむような目で首を傾げれば公爵様が呆れた顔を返してくれる。
「今言ったろう、黒の魔力は不吉の象徴だと忌み嫌われている。魔術師にとっては天敵のようなものでさらに忌避されるものだ」
「私は魔術師ではないので」
「知っている」
よく分からないが、つまりこれはコンプレックスというものなのだろうか。そういえば、セシルは公爵様の魔術を目の当たりにした時にとても怯えていた気がする。お父様やお義母様も感謝の言葉は口にすれど、公爵様にあまり近付こうとはしない。いやこれは単に身分の問題かもしれないが。
「その黒の魔術を扱うのが公爵様なら怖くないですわ」
多分それが私の率直な意見だ。
「私にとっては呪いや闇を扱うのも炎や水を扱うのもどちらも同じくらい脅威ですし、魔力に関しては私は無いに等しいですからその恐怖は分かりませんが、公爵様なら悪い様には使わないでしょう? あ、悪いことをしている方々には確かに脅威ですわね」
公爵様の憂いに合点がいきすっきりした。良くも悪くも正直者の私にとっては怯える必要など何もない。
そうどやぁと得意げな顔を見せつければ、溜息を吹き付けられるかと思いきや予想外にも穏やかな表情を返される。
「そうか、ならば俺の元にいろ」
ぱちくりと目を瞬かせていると、今度こそ頭上に溜息が降り注ぐ。
「お前を捨てるつもりはないという意味だ。だいいちお前のような厄介者を野放しにしてはまた大なり小なり問題を起こすだろう」
「どこにいても問題は起こす気はしますけど」
「目の届く範囲ならば多少の尻ぬぐいはしてやる。それが不満なら問題を起こすな」
公爵様の言葉がうまく呑み込めずしばらく頭の上をふよふよと漂っていたが、次第に心にストンと落ち着きその意味を理解する。
「本当に、いいのですか? 公爵様のお側にいて」
「そう言っている。そして『公爵様』ではない。俺はお前の夫なのだから……名前で呼べ」
「えーと……キースベルト、さま」
「キースでいい」
目線を外しながらそう言う公爵様の顔は心なしか赤く染まっているように見え、そう意識するとこちらまで赤くなってしまうから困ったものだ。
「……明日はまた数時間の馬車旅だ、今日はもう休むぞエリカ」
「はい、キース様」
差し出された手に自分の手を重ねると互いの熱が伝わるようで、さらに顔が熱を帯びた気がする。
手を引かれたままふわふわと来た道を辿り、伯爵邸にあてがわれた互いの部屋へと戻った。
一夜明け、朝食を済ませると旅の支度を整える。
王都の隣に位置する伯爵領、その中心に位置する伯爵邸から王都の公爵邸へは馬車でおよそ半日ほどだ。遠くはないが体には十分堪える距離である。
庭で念入りに準備運動をしていると馬車の準備が整えられ、やがて公爵様……キース様も表へとやってくる。一晩寝て昨日よりは疲労の色は見えないがそれでも全快はしてないようだ。使用人さんたちに向けるきらきら余所行きスマイルと背後霊のような魔力の対比が酷い。
「……随分と奇怪な動きをしているな。呪術か何かか?」
「準備運動です!」
私の前まで来るときらきらが立ち消え途端に訝し気な表情に変わる。
それにしても私に魔術が使えないことを知ってのこの言い草である。そこまで奇怪ですか。そういえば公爵邸に行ってすぐの時もハンナさんにストレッチを目撃され居たたまれない空気が流れたんだったわ。
ストレッチという言葉はなくとも準備運動の概念くらいあるだろうに。何がおかしいのかと考えた結果、自分が公爵夫人という立場であるという結論に辿り着く。納得。
「準備運動か、確かに合理的なものではあるな。見た目の難を除けば」
「……今後は時と場所を弁えます」
いささか優しくなったようなそうでもないような態度に戸惑いつつも、飾らない態度には安心を覚える。ほんの昨日までは『良く知らない人』だったというのに不思議なものだ。
いつの間にやら旅支度は整ったようでいつでも出発できるとのこと。じゃあ早速と馬車へ体を向けるとキース様が私を呼び止める。
「セシル嬢に会わなくてもいいのか?」
そう尋ねるキース様の言葉にぴくりと肩が揺れる。
「ええ、私が顔を見せたら迷惑でしょうし、セシルが元気になったことが分かっているので十分です」
昨夜も今朝も食事の席にセシルはいなかった。ずっと寝たきりでいたのだ、元気になったからといってすぐに歩き回ることはできない。ならば私が顔を見に行けばすむ話なのだがそれも気が引け今に至る。私はセシルとは禁術の行使の際に顔を合わせたきりだった。
ひと月前に今と同じように伯爵邸を去る時の出来事が頭をよぎる。『もう顔は見たくない』『二度と帰ってこないで』そう告げるセシルの声が今でも耳にこびりついている。
あの時はなぜそんなことを言われたのか理解できずに呆然としていたが今なら分かる。私の良かれと思ってとっていた行動がセシルを随分と苦しめていたのだと。
(恨まれて当然ね)
それでも私は満足だ。仮とはいえ彼女の苦しみが消えたのだから。これからは陰ながら力になれればいい。
「迷惑だとか、私の気持ちを勝手に推し量らないで下さる?」
鈴を転がすような軽やかな声が背後から突き刺さる。
振り向けばそこには、細やかなプラチナブロンドの髪を揺らした小柄な少女が立っていた。
腕を組んで仁王立ちになり、少し吊り上がった大きな瞳で私を睨みつけている。……かわいい。恨まれているのは百も承知だが私の妹が可愛すぎる。重すぎる愛情を抑える様に顔を両手で覆っているとずんずんと軽い足音が近づき、私の目の前で止まる。
「挨拶もなく発つだなんて随分と薄情ですのね、お姉さま」
「……もう歩いて大丈夫なの?」
「私の話を聞いてます?」
きっぱりはっきりものを言うセシルはおろおろと取り乱す私とは対照的だ。
「だって二度と顔を見たくないって言ってたじゃないの……」
「それはお姉さまが強情だから、そうでも言わないとせっかくの縁談を破棄してしまうと思ったからですわ!」
限りなく小さくなった私の声と反比例するようにセシルの声が大きくなる。
そして言われて初めて気が付く。……私、心配されていたのね。
「不出来な姉でごめんなさい」
「……まあいいわ、許してあげます。だからちゃんとお顔を見せて下さい」
俯き閉じていた瞼を開くと、そこにはずっと望んでいた元気な姿をしたセシルがいる。強気な言葉を使ってはいるがその瞳は潤み揺れているのが見て取れる。
「私、後になって気付きましたの。マクスウェル様といえば誰もが憧れる貴公子ですもの、そんな御方からお声がかかるなんて怪しさしかなくて……ずっと不安でしたの。実際お会いして見れば上辺だけの笑顔を張り付けた優男だもの、お姉さま絶対騙されてるって」
うん妹よ、その辺でやめておこうか。奥でお父様とお義母様が真っ青な顔をしている。あ、お父様が意識を飛ばしてしまったわ。
ちらりと横のキース様を窺えば片手を口元に充て瞼を固く閉じている。よく見ると微かに肩が揺れていて……必死に笑いを堪えているのだと察する。怒ってらっしゃらないのなら何よりです。
「でもね、マクスウェル様とお話をするお姉さまを見て理解したわ。ちゃんと愛し合っているのですね!」
「あい……えええ⁉」
横からごふっと咽る音が聞こえる。妹の口から出た唐突な単語に私たちはもはや何の言葉もない。
いや確かに結婚もしているし、感謝もあれば信頼もしている。しかし愛と言われるとそれは……どうなんだろう?
「ふふふ、お二人ともお顔が真っ赤ですわ」
セシルがそう言って笑うが今の私にキース様の様子を窺う余裕はない。恐らく私同様に対応に苦慮していることだろう。
「セシルよ、あまり長く引き留めてはご迷惑だ」
何とか復帰したお父様がいつの間にかセシルの横に立ち、その体をそっと支える。
そうだ、セシルもまだ万全ではない。長々と立ち話をするわけにはいかない。
「そうでしたわ、ごめんなさい。お義理兄さま、お姉さまをよろしくお願いいたします。決して、泣かせるようなことはなきようお約束下さい」
「あ、ああ。……守ると約束しよう」
一瞬詰まるも、はっきりとそう告げたキース様の言葉にはセシルも満足げだ。
「では出立しようか、エリカ」
「はいキース様。セシル、元気でね。お父様とお義母様も」
「ええ、お姉さまもお達者で」
伯爵家を発つのは二度目で。それは一度目とは違い家族や使用人さんたちの皆の温かい笑顔に見送られてのものだった。
馬車に揺られながら小さくなっていく人影を見つめながら、最後にセシルをぎゅうと抱きしめたその体温を思い出す。
「何、またすぐ会えるだろう」
「そうですわね」
キース様の言葉にこくりと頷く。そう、セシルには険しいながらも未来へと続く道があるのだ。そして私たちには支えてくれる家族もいる。
新たな旅立ちに気を改めて顔を上げればキース様が満足そうに微笑む。
揺れる馬車とこれからの希望に身を委ねながら、我が家への帰路を進んだ。




