父と夫と中の人
伯爵家に着くと既に出迎えの使用人さんたちが外で待ち構えていた。
とはいっても元我が家で働く使用人さんの数は多くなく、家令兼執事と補佐の従僕さん二名ほどだ。
(っていうか、家には事前に連絡してたんかい。……そりゃあそうか)
アポなし訪問は貴族の間ではご法度だ。できれば私にも事前告知が欲しかったところだが、聞いていたらそれはそれで情緒が荒ぶって大変なことになっていただろうからこれで良かったのかもしれない。
公爵様に続いて馬車から降りるとおじいちゃん家令のジョンが進み出て、恭しくお辞儀をする。私が幼い頃からおじいちゃんだった彼は変わらず皺が多くて表情がよく分からない顔をしている。しかしその足取りは確かなもので、元気そうな姿にほっと心が和む。
「ようこそお越し下さいました、マクスウェル公爵閣下。バートン伯爵がお待ちです」
ジョンの案内に続き屋敷内へ入るとエントランスでは既に父と義母が揃い、こちらへ歩み寄ってくる。
広いホールはさすが伯爵邸と言いたいところだが、よく見るとあちこちに修繕の跡があり年季を感じさせる建物である。広く素朴な造りのこの館は存外居心地がよく、久しぶりに感じるこの空気感に帰って来たことを実感する。
「ようこそマクスウェル公。この度は我が領地までわざわざお越しくださり感謝いたします」
「久方ぶりですバートン卿。突然の申し出にもかかわらず快い返事をいただけたこと感謝します」
「えっ……」
硬い表情のままおずおずと挨拶をする父に対し返されるのは、聞いたことのないほどの柔らかな透き通る声。口角を上げにこりと微笑む表情は造形の良さを強調し、銀に輝く髪と瞳と相まってしゃらしゃらと煌びやかな音が聞こえてきそうだ。
(何これ、誰これ? 公爵様⁉ まるっきり別人じゃないの)
「これ、なんという顔をしている! マクスウェル公、不出来な娘で申し訳ない」
開いた口が塞がらないとはこのことを言うのだろう。目も口もあんぐりとまん丸く開いた私は間抜け面を晒している。それに気付いたお父様が叱責の声を上げるがそれすら耳に届かない。
硬直している私に気付き、見かねた公爵様が私の方へ近づくと笑みを浮かべたままの顔を寄せてくる。
「……言いたいことは理解できるが今は黙っていろ」
そっと耳打ちしてきた公爵様の声は先程とは打って変わって低く冷たく、普段の聞き慣れたものであり逆に安心する。ようやく我に返りこくこくと頷くと耳元でふうと溜息が聞こえ、銀色の頭が離れていく。
視界の中へと戻った公爵様は先程と同じく笑顔の仮面をべったり張り付けており、私は何とか間抜け面を封印し胡乱気な眼差しを向けるに留めておく。
(そういえばこの人、巷では『麗しの黒公爵』とか呼ばれてるのよね。こういう事だったのね)
とんだ猫かぶりを見てしまった。衝撃の事実に肩が震えるのを必死にこらえていると、いつの間にやら公爵様と父は挨拶もほどほどに何か話し合っている様で慌てて耳を傾ける。
「長旅でお疲れでしょう。まずはおもてなしをさせていただきたく」
「折角の申し出ですが先に用件を済ませてしまいたい」
公爵様の『用件』と言う言葉にびくりと体が反応する。一体何用なのか。やはり離婚……?
「それではこちらへ――」
父に案内され奥の部屋に進む公爵様を追うよう、見慣れた廊下をぱたぱたと駆けだした。
招かれ入ったその部屋は元私の部屋だった。すっかり片付けられ私の私物は残っておらず、がらんとしたそこは空き部屋になっているようだ。
部屋の中央に置かれた飾り気のないテーブルに公爵様は歩み寄ると、羽織っていたローブの懐から一つの巻物を取り出す。羊皮紙の端からきらきら零れる光を見るに、魔術の式の類が書かれているのだろう。
(やっぱり……。まぁ、仕方ないわ)
それが予想していた物であると確信し、ぐっと目を瞑る。
教会で結んだ婚姻を破棄するには『破婚の儀』という儀式が必要になる。実際に目にしたことはないが教会より交付される専門の術式により行使される魔術だと聞いたことがあり、あの巻物が恐らくそうなのだろう。
カリカリと羊皮紙の上を走っていたペンの音が止み、目を開いたところでこちらを向いた公爵様と視線がかち合う。相変わらず柔らかい笑みを向けるその人は私の知らない、どこか遠くの存在のようだ。
「こちらにサインを」
公爵様のような何かに促されテーブルへと近づくと、目の前に置かれた巻物には既に公爵様とお父様のサインがなされている。他にも見たことのない名前がつらつらと並んでいるが、こちらは教会関係者の方だろうか。様々な文様の印があちこちに押され、もはや何の書類なのかも分からないのでは? と心配になってくる。
(せっかくの機会だし、じっくり見てやろうじゃないの)
足掻いても何も変わらない、私がサインをすればすべて終わりだというのならこれくらいの自由は多めに見て欲しい。
置かれた巻物を手に取り上下を持って目の前に広げる。改めて全体を眺めてみると紙の中央付近には何も書かれていない空間があることに気付く。恐らく魔力持ちにしか見えない術式などが書かれているのだろう。下部には幾つものサインと印章が所狭しと並び、不自然に空いた小さな空間が私の記入する欄なのだと推測できる。上部には何やら細かな字が並び、読んでみるとどうやら注意事項のようだ。
(えーとなになに、以下の術式は二人以上の立会人を以って行うべし? あとは行使は一度のみ許可される、禁術の使用による不利益は術者の責とする――禁術⁉)
何やら不穏な単語が目に留まりごくりと息をのむ。破婚の術式ってそんな危険なものだったの? 読み進めてみると堅苦しく回りくどい文章の中に『倒壊』や『昏倒』だのと言う言葉が連なり挙句には『術者の身の安全を保障するものではありません』とな。
いやいや何かおかしくないだろうか。離婚するのに命がけなの? 私の動向を見守る二人に向けおずおずと疑問を口にしてみる。
「……あの、これって破婚の術式では……?」
「何っ破婚だと⁉ まさか公爵家でも問題ばかり起こしているのではないだろうな⁉」
「えっいや問題は起こしてますけど……」
「お前と言う娘は――!」
私の言葉にお父様が血相を変え詰め寄ってくる。近い。長らくおざなりな扱いを受けていたためこれほどまでにお父様と間近で話すのは久しい。いつの間にか皺が増え相応の年齢を感じるわ。感慨深く眺めている私と叱責を続けるお父様の様子を傍から見る公爵様は、変わらずの笑顔ではあるが眉間の辺りが少しぴくぴくと動いているので内心はとても呆れているのだろう。きっと公爵邸なら深く長ーい溜息を漏らしているところだ。
「バートン卿。彼女は少々破天荒ではありますが、屋敷の者皆からも慕われ問題はありませんよ」
「お、おお、そうでございますか。それはそれは……」
公爵様のパーフェクトスマイルが言葉の胡散臭さを助長してないだろうか。いまいち信じられない様子のお父様は言葉をうまく継げず、吹き出した汗をハンカチで忙しなく拭っている。
それにしても、この様子では離婚と言う話ではないようだ。じゃあ一体何の集まりなのだろう? 握っていた巻物に再び視線を落としていると公爵様が口を開く。
「事前に説明をしていなかったな。それは国により使用を制限されている魔術の使用許可証だ。君がサインを終えれば行使が可能となる」
いい加減慣れない表情と声色に鳥肌が立つも今はそれどころではない。国から制限ってそれは、破婚の術より余程重大な物ではないのかしら。
「確かに禁術と書いてあります」
「ああ」
「術者に危険が及ぶともあります」
「問題ない」
まるで話が見えない。この男には説明する気があるのだろうか? こういう所はいつもとまるで変わらない。
「マクスウェル公がセシルを治療して下さると言っているのだ! お前とてずっとそれを望んでいただろう? さあ面倒をかけずにサインをするのだ」
「っ⁉」
見かねたお父様が発した言葉に私はばっと顔を上げる。公爵様を見ればその笑みは薄れ、細められた目が私を捉えているが慈愛とも哀愁ともとれる憂いを感じさせ、その真意は掴めない。
「妹を……助けてくれるのですか?」
「助ける、とは言い難い。私が出来るのはあくまで現状の改善までだ。それでも随分と楽にはなるはずだ」
申し訳ないとでも言いたげな瞳が私を見ている。そんなの、感謝以外しようがない。こみ上げる思いを詰まらせぐっと押し黙っていると、公爵様が私にペンを差し出す。
ふうと息を吐き震える手でペンを受け取ると、巻物にミミズが這ったような歪なサインを書き加えた。




