その先にあるのは夢か現か
私が寝たきりから復活しておよそ一週間が過ぎた。
右腕の傷もようやく塞がり、未だ痛みは感じるものの問題なく動かせる。腕には大き目な傷跡が残ってしまったがこればかりは仕方がない。
「ああ、奥様のお綺麗な腕が……っ」
「自分の不用意な行動で出来たものだし、動くなら問題ないわ」
「そういう訳にはまいりません!」
私の着替えを手伝いながらハンナさんが絶望の表情を浮かべている。気にしないよう軽く返事をしてみるが彼女の気は済まないようだ。
元々一人で済ませていた身支度だが、怪我もあり最近はこうして彼女が世話をしてくれている。もう治ったから一人で出来ると断っているのだが「奥様の世話を焼けないメイドなんて、ただのメイドです!」とどこかで聞いたことがあるようなないような台詞を吐かれ今に至る。この強引さはスヴェンさんを見て学んだのだろうか。
「ハンナは少々人見知りでして、慣れればとてもいい子なんですよ」
そう言っていたのは年配のメイド長さんだ。たおやかな仕草で目尻に皺を寄せ微笑む彼女が言うのならそうなのだろう。最初はおとなしいと思っていたハンナさんだがなるほど、人見知りならば仕方がない。
傷跡が隠れるよう長い袖の服をあてがわれ、されるがままに身に着けていく。
文字通り傷物の女になってしまったわけだが、既に人妻である私には問題ないだろう。いやどうなんだ? そもそも真っ当な夫婦でもないのだから、これを理由に追い出されるような事もあるのだろうか。
その夫である公爵様と言えば、仕事が忙しいとのことでまともに屋敷に戻ってこないらしい。たまに帰ったと思ってもすぐにまた出かけてしまい、先日の謝罪をしたいのだがなかなか都合がつかない。
「ブラックな職場かはたまたワーカーホリックか、少し心配ね」
思わずぽつりと漏らせばハンナさんがきょとんと首をかしげる。
「魔術の用語でしょうか?」
「いえ、何でもないわ。ただの独り言よ」
「奥様が旦那様の働き過ぎを案じてらっしゃるという事ですね! 理解しました!」
どの行間を読み取ったらそう的確に解釈できるのか。そしてなぜ嬉しそうな顔をしているのか。
「奥様と旦那様は不仲だと思ってましたので、誤解の様で安心いたしました!」
「誤解なのかしら」
「……奥様は旦那様の事がお嫌いなのでしょうか」
そう真っ直ぐな目で問われると言葉に詰まる。確かに少し前までははっきり嫌いだと口にしていた。しかしそれは自分の子供っぽさが招いた感情であり、公爵様が悪い人間だとは思わない。前に温室で話したデデとの会話が頭をよぎる。
「悪い人だとは思ってないわ。強いて言うなら良く知らない、かしら」
「そうなんですね。確かに旦那様が離れにいらっしゃることは少ないですから。では今後はこちらにより足を運んでいただくよう、スヴェンさんに画策をお願いしておきますね!」
閃いたとばかりに軽やかに言い放つがスヴェンさんはとんだとばっちりである。それに、より公爵様を知ったとしても私がいつ追い出されてもおかしくない身の上であることには変わりない。
「まずは謝罪させていただきたいわ」
それがいつになるのやら。
そう続けようとしたとき、部屋のドアがノックされそこには件の人物が立っていた。
◇ ◇ ◇
ガタゴトと馬車に揺られ、向かい合う事なん時か。
私の目の前に座る男は腕を組み、銀色の髪を体の動きに合わせ跳ねさせながら俯き目を閉じている。
初めて公爵家に来たときも乗ったものだが伯爵家の馬車とは比べ物にならないほど豪奢で、内部も広く革張りの椅子が何とも心地いい。とはいっても他の馬車と比較してのことで、前世の車やらバスやらに比べたら揺れるのなんの。
(この揺れの中でよく眠れるわね)
感心しながら眺めてみるが一向に起きる気配はない。多忙だと聞いていた通り随分な疲労を全身に纏っている。ハンナさんとの会話中に公爵様が現れた時はそりゃあもう驚いた。そんな固まる私など意に介さず「外出する。一緒にこい」と相変わらずの調子で言われ馬車に乗せられたのだが、以来ずっとこの調子だ。
(ようやく巡ってきた謝罪のチャンスだというのに、これじゃあ話もできないわ)
もう一週間も前になる出来事を思い返せば、あんなに泣いたのはいつ以来だろうか。少なくとも今生では初めてだろう。不意に公爵様の口から出た自分の名に思わず動揺をし、あれよあれよ顔を出した様々な感情がそのままぐちゃぐちゃに吹き出してしまった。一度決壊した涙腺はそう簡単に止めることもできず、溜め込んだものをすべて吐き出すまでそれは続いた。公爵様はさぞドン引いたことだろう。
(別に、役立たずと罵られたかったわけじゃないわ)
――本当は、ずっと欲しかった言葉。違う、私が欲しいのは妹の回復という結果であり、過程に対する評価じゃない。それなのに、嬉しかった。嬉しいと感じてしまった。
例え今までの努力が何も実を結ばなくとも妹さえ救えればそれで良かった。はずなのに。そんな風に優しくされたら挫けてしまいそうだ。それは妹を見捨てると同義であり、その甘い誘惑に転びそうな自分に恐怖を感じ足が震えだす。
(もうゴールしたい? そんなバカなこと。私は立ち止まったりしないわ)
揺れる体を押さえる様に握る手に力を込め、いつの間にか俯いていた頭を上げる。
窓の外に意識を向ければ明るい日差しと流れる景色が視界に入る。どこに向かっているかも分からない馬車はいつの間に街を抜けたのか、広がる草原を貫く街道をひた走っている。久々に見る外の景色に懐かしさを感じ、ああちょっと前まではこんな長閑な場所で暮らしていたんだった、と実家のある伯爵領に思いを馳せる。
揺れる馬車に身を任せ次第にうつらうつらしてきた頃、通り過ぎる景色が私の落ちかけた意識を引っ張り上げた。
(ん? 今の物見塔は見覚えがある……? 王都からの方角は……この道って――)
今更ながらに気付いた。この道の続く先にあるのはバートン伯爵領であると。
(伯爵領――っていうか、もしかして私の実家に向かっているの? 何のため⁉)
急に突き付けられた事実に混乱しだすが無常にも馬車は進み続ける。
(お父様に用があるなら向こうを呼び出すだろうし、わざわざ公爵様が出向くってことは)
あれ私、捨てられる?
そう結論がはじき出されると、ぶるりと震えが体を伝う。
身に覚えはいくらでもある。そうなっても何の不思議もないし、私自身がこの婚姻にこだわる理由もない。おかしい事は何一つないはずなのにこの湧き上がる感情はなんだろう。恐怖、後悔、慙愧の念。
(ああそうか、いつの間にか私は公爵邸が――)
ふと向かいを見るといつの間に目を覚ましたのか公爵様が顔を上げ、窓の外に目を向けている。気怠げなその目に映るのは流れる景色かそれともこれからの成り行きなのか。
今更謝っても見苦しいだけだろう。そう思うと口を開くこともできない。
黙ったまま視線を窓の外に戻すとやがて領都の見慣れた街並みが近づいてくる。
(どんな結末が待っていたとしても、私の気持ちはちゃんと伝えないと)
そう心に固く誓うと、街を望む位置に建つ伯爵邸を見据えた。




