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佇む影は夢か現か

 跳ねる馬車に体を揺すられ、疲労と眠気が頭の中でぐるぐると渦巻いている。

 城内での仕事を終え、自宅である公爵邸へと帰る馬車は、まだ昇りきらない眩しい朝日を浴びながらゆっくりと走っている。


(まったく、こんな時間になってようやく帰れるとは。業務の割り振りを少し考え直した方がいいな)


 溜息交じりに外に目をやれば俄かに活気が満ちて来た朝の街並みが流れ、窓には光を浴びてきらきらと銀色に瞬く髪がばらばらとかかる自分の顔が映る。腫れぼったい瞼には疲労の色がはっきりと見え我ながらひどい顔をしている。

 ともあれ仕事は片付けて来た。数日は家でゆっくりできるだろうと背もたれに体を預ければ、意識は次第に揺れの中に呑まれていく。


「っ!」


 がくん、と落ちる感覚と同時に馬車が止まり、勢いのまま後頭部を強かに打ち付ける。


「クソッ、何だ?」


 思わず悪態をつき鈍く痛む頭を押さえつつも、空いた手でぱちりと指を鳴らし一つの魔術を発動させる。

 貴族の馬車を止めるというのは重大な行為である。

 城にほど近い街の中央区画であるこの場所には貴族の館が多く建ち並び、野盗のような破落戸に襲われるようなことはまずないが厄介事が起こった事には違いないだろう。閉め切られた馬車内からは外の騒動を窺い知ることができないが、先程放った魔術により御者たちの話し声が直接耳に響く。


「公爵様は屋敷に戻られる最中だ。用向きなら戻られてからでいいだろう!」

「いやそれでは遅いのだ、一刻も早くお伝えせよとマルセル殿から言伝られて――」


 馬に跨り御者と言い争っている男はどうやら我が家の使用人のようだ。マルセルの使いという言葉を聞き、賊に襲われるよりも余程の面倒が起こっていると察する。

 直接話を聞くため馬車の小窓を開き、使いの者を近くへ呼ぶ。


「失礼いたします、公爵様! このような場所で足をお止めしました事、大変申し訳ございま――」

「構わん、用件は何だ」


 馬鹿丁寧に挨拶するその男に促せば慌てて本題を口にする。


「はっ、マルセル殿より言付かっております! 公爵邸離れにて魔力嵐(ストーム)が発生、至急お戻りいただけますようお願い申し上げますとのことでございます!」

魔力嵐(ストーム)だと⁉」


 先程まで気怠げだった意識がその単語により急激に覚醒する。なぜ? 誰がどうやって? 疑問は尽きないがマルセルがいち早くと使いをよこした意味を理解し素早く馬車から飛び降りる。


「すぐに屋敷に戻る。馬を貸せ」

「は、はいっ、只今!」


 目の前にいた使いが馬から降りると入れ替わる様にその背に跨り、公爵邸へ向けて駆けだした。



「旦那様!」

「お帰りなさいませ旦那様!」

「直接離れに向かう、マルセルへ伝えろ!」

「「はっ!」」


 馬を駆る俺の姿を確認した守衛たちが門を開けて待ち構え、そのまま言葉だけを残しすり抜ける。

 公爵家の敷地内に入った瞬間、その異変ははっきりと姿を現し肌がざわりと粟立つ。離れを呑み込むように覆う魔力が空に渦を巻き、その勢力が強まっていくのが分かる。

 ……予想以上に規模が大きい。マルセルがすぐに俺に伝令をよこした判断に舌を巻く。

 公爵家の敷地内は外敵からの襲撃に備え、常に結界に覆われている。外からは見えなかったその魔力嵐(ストーム)は結界により内側に留められ周辺への被害の拡大を防いでいるようだが、変わりに嵐の中にいる者たちの逃げ場を塞いでいる。

 防護魔術をかけた馬から降り、離れの中へと足を踏み入れる。


「旦那様⁉」

「旦那様が戻られたぞ!」


 使用人たちの言葉に迎えられるように進めば、すぐ目の前の玄関ホールに多くの者が集まり身を寄せあっているのが見える。すぐにぱちりと指を鳴らしその一帯を結界で覆えば取り巻く魔力の圧が取り除かれ、皆一様に顔を上げ表情を明るくする。

 それにしても、外から見た様子ではもっとひどい有様になっていると思ったが案外動ける者も多いようだ。それになぜここを避難の場にしているのか。

 疑問のままに周囲を見渡していると一人の執事が息を切らせて駆け寄ってくる。


「お帰りなさいませ旦那様、何卒、お力添え願います……!」

「よく持ち堪えた。状況を説明してくれ」


 規律正しくも余裕のない表情で訴えるスヴェンは俺の言葉に安堵の色を見せる。いつもはきっちりと着込んでいるお仕着せにはしわや汚れが目立ち、随分と奮闘していた様を窺い知る。


「今――」

「ワシは行くでの! 離してくれんかの!」


 話し始めたスヴェンの言葉を遮るように奥から野太い叫び声が聞こえる。あれは……デデか? 寡黙なあの男が声を荒げるとは一体何事だ。


「無茶ですよ! デデさんだってフラフラじゃないですか!」

「構わんの!」


 小柄な体で、己を押さえつける大の男三人を振り切るように体を捩じれば彼に軍配が上がる。尻もちをつかされた男たちの間を抜け、騒ぎの元の庭師の前へ進み出る。


「どうした」

「旦那様⁉ 奥様を、どうか奥様をお助け下せえ!」


 俺の姿を見るや足元に駆け寄り床に額がつくほどに頭を下げる。そのあまりの勢いに思わず言葉を呑み込んでしまう。


「ご説明させていただきます。奥様の話によりますと二階の書庫にある魔術書がこの度の元凶であるとのこと、避難の遅れたメイドを探しに奥様が先程二階へ上がられたとのことでございます」


 後ろからスヴェンがざっくりと要点をまとめた説明をする。疑問点はあるものの今はそれだけの事が分かれば十分だ。

 それにしても離れでの騒動と聞いてあの女が関わっているとは思っていたが、予想に反せずその中心にいるようだ。しかし一点、驚かされたのはこの場にいる者たちの表情だ。デデを始めとする使用人たちが明らかにあの女の安否を気遣い、縋るような眼差しを俺に向けている。

 一体何があったというのか――いや考えるのは後でいい。


「分かった。二階へは俺が行く。他の者はこの結界内で待機するように」

「承知いたしました、どうぞお気をつけ下さいますよう」

「奥様をお願いしますだ!」


 使用人たちに頷きを返すと、正面に見える階段へ向かった。


(なるほど、この辺りは随分と魔力が濃い)


 玄関ホールと廊下を区切る様に積まれた、壁状になった雑多な家具類を抜けると途端に嵐が肌をつく。あれらが堰となりホールへの魔力の流入を防いでいたのか、恐らく発案はあの女なのだろう。

 階段を一歩上がる度に感じる魔力の圧が増し、嵐の中心部へと近づいているのが分かる。


(これほどの強さとは……まずいな)


 魔術の心得がある者ならば結界を張るなどすれば問題にならないが、非魔術師となると話は別だ。火の中あるいは水の中に飛び込むにも等しく、その身を容赦なく蝕むことだろう。

 自然に早まる足のまま二階へと到達すると、ホールに隣接する書庫の開け放たれた扉が目に入る。


(あれが元凶か)


 扉の奥に見える机に置かれた一冊の本。そこから吹き上がる魔力が出口を求める様に扉から吹き出し、屋敷全体へと流れ出していく。

 とっとと止めてしまおう――そう考え書庫に足を向けると、背後から不意に物音がする。


「――!」


 振り向いた先、視線を落とすとそこにはもう一つの目的だった人物が映る。背中に女を抱え、ずるずると床を這うように進もうとしているようだが既に力は入らず殆ど動けずにいる。何とか頭だけは前を見ようと持ち上げるもその青白い顔に浮かぶ焦色の瞳に光はなく、俺が映っているのかも定かではない。


「っ、『術式解除(マジックキャンセル)』!」


 書庫内の本に向け指を打ち鳴らし、術式解除の術を放つ。

 この嵐の原因はあの本に記されているであろう魔術式が誤作動を起こしていることにある。解除の魔術を受けるとたちまちに式は解け、吐き出していた魔力を引き戻す様に呑み込んでいく。


「きれい……」


 ぽつりと一言、場にそぐわない言葉が聞こえたのと同時にふつりと嵐は消滅し、静寂が辺りを包んだ。

 床に伏せる二人に近付き無事を確認すると、そっと仰向けに寝かせる。無事とはいっても意識はなく、ひどい顔色で呼吸も随分と浅い。特にこのお騒がせな女の方はメイドに比べて明らかに消耗し衣服も派手に汚れ、よく見れば腕には怪我も負っている。

 

(メイドを探しに来たと言っていたか。この身体でよく……)


 魔力も持たず、人を担げるとは思えないほどの華奢な体で、たった一人あの嵐の中に足を踏み入れたというのか。…………馬鹿な女だとは思っていたがここまでの大馬鹿だったとは。

 こけた頬にそっと指を這わせるとわずかに温もりを感じる。


「……本当に、お前と言う女は世話が焼ける」


 煩わしさとも違うもやもやとする思いが心にじわりと広がる。

 眠る様に横たわるそのか細い姿に小さく溜息を吐き、己のやるべきことを見据え立ち上がった。

 

 指を鳴らしスヴェンへと思念を送れば階下から慌ただしい音が響き始め、じきにスヴェンにデデ、他幾人かの使用人たちが階段を駆け上ってくる。


「旦那様、ご無事でしょうか!」

「奥様は……っ」

「そこにメイドと共に寝かせてある。すぐに医者を手配してくれ」

「っ承知いたしました!」


 生憎と治癒魔術は不得手だ。この場で自分に出来ることはなく、彼女らを使用人たちに託し書庫へと向かう。

 閲覧机の上に置かれた一冊の本、と挟まれた一枚の紙を手に取る。


「これは……そう言う事か」


 見覚えのある魔術書と、『棚の隙間に落ちていました』と書かれた紙に使われている特殊なインク。過失と偶然が運悪く重なった結果、あの事態を引き起こしたのだろう。

 

「すべては俺の責任だ」


 やり場のない憤りが手に持ったメモ書きをくしゃりと握りつぶす。

 彼女になんと詫びたらよいのか。

 弱々しく横たわる姿が脳裏に蘇り、彼女が最後に漏らした言葉が耳の奥に木霊していた。

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