吹き荒れる嵐、後に残るは静寂 2
屋敷の周囲は魔力の嵐が吹き荒れているというのに、視覚的にはいつもと何一つ変わらない。朝の陽が差し込み磨かれた床が輝く穏やかな玄関ホールが目の前に広がる。
しかしいったん背後に視線を向けると、具合が悪く呻きながらソファに横たわる人々と、険しい表情で忙しなく動き回る人々の喧騒が響き渡る。
このギャップに思わずぞっとするも、悠長に構えている暇はない。
「奥様、ワシは何をすればいいでの」
私の後をついて歩くデデが厳しい表情を向け尋ねてくる。彼には見えていなくても肌には魔力を感じているらしく、この屋敷内の危うさを誰よりも感じているのだろう。
「私が指示する家具を一緒に運んで頂戴」
そう言いながら隣の部屋へと進んで行く。
魔力の動線のメインは廊下だ。なので廊下を避けるようなるべく部屋から部屋へと移動をし、目当ての調度品を目指す。
(二人で運べるサイズで、なるべく魔力が強めの物は――)
今は吹き荒れる嵐のせいで魔力がまったく見えない状態であり、頼れるものは己の記憶だけだ。慎重に選び取った椅子や花瓶を運び出しては玄関ホールに戻り、廊下に面した側に衝立を作るイメージで並べていく。私よりも背丈が小柄ながらも腕の太さは倍はありそうなデデは想像以上の怪力で、重くてムリかと諦めかけたキャビネットであっても一人でふんぬと運んでいく。
「助かるわ、デデ!」
「お安い御用だの」
魔力の濃度が薄めな場所を選んで進んでいるとはいえ、それは濃い所と比べたらと言うだけで体に影響を及ぼすには十分な強さだ。鳴りやまない耳鳴りと頭痛を無理やり見て見ぬふりをし、たまによろめく身体をデデに支えられながらもなんとか作業を続ける。
「大分穏やかになったの」
何往復目かした頃、玄関ホールの障壁が随分立派になってくるとその効果が感じられるようになる。
奥で休む人たちも少し落ち着いたようで、心配げな顔をこちらに向けている。
「そうね、もう少し壁を作ったら休みましょう」
「だの」
私より丈夫とはいえデデの顔にも汗が滲み、疲労が見えている。彼は何も言わないが随分と無理をしているのだろう。
(もう一息よ。あと目ぼしい物は……厨房にある大鍋!)
厨房に入ったことはないが、気になってちらりと覗き込んだことがある。なぜ鍋に魔力があるのか分からないが、ここは公爵家、気にしては負けだ。
部屋伝いに通れないところは廊下の壁に張り付きながらぎりぎりを進み、厨房へ着くと目的の物を見つける。
「これで大きい物は最後でいいかしら。デデ、お願いするわ。私は魔草のハーブを少し集めてから戻るわ」
「分かったの」
自身がすっぽり収まりそうなほどの大鍋を担ぎ、デデが厨房を出ていく。その様は鍋が勝手に歩いているようにも見え、ひどい体調だというのに思わず笑ってしまいそうになる。
(さあ私も、貯蔵庫を覗いたら戻って休もう!)
気合を入れ直し、厨房奥にある貯蔵庫の扉を開けると――目に飛び込んできたのは横たわる人影だった。
「っ! 大丈夫⁉」
縺れる脚で倒れ込むようにその人に近づくと、そっと手に触れてみる。
(大丈夫、温かいわ)
うつ伏せに倒れるその人はメイド服に身を包み、やがて私の手の感触に気付き体をゆっくりと起こす。
「あ……お、くさま?」
「ええ、もう大丈夫。動けますか?」
年配の女性の顔には見覚えがある。確かこの離れのメイド長さんだ。細く華奢な体が次第に力を取り戻し、私の体にしがみつく。
「あの、ハンナはっ、ハンナを見ませんでしたか?」
ハンナと呼ばれたその人物の事は知っている。私の身の回りの世話を担当してくれている若いメイドさんだ。しかし彼女を玄関ホールで見たかと記憶を辿ると、見ていない気がする。
眉間に皺をよせ考え込む私を見て、メイド長さんのただでさえ白い顔がサッと青ざめる。いけない、不安にさせてしまったとすぐさま表情を取り繕い、落ち着いた口調でメイド長さんに尋ねる。
「ハンナさんの朝の仕事を教えて下さい」
「あの娘は、今朝は奥様のお部屋のシーツを回収しリネン室へ行ったかと……」
「私の部屋に、リネン室ですね」
それはどちらも二階にある。ハンナが今も二階に居るのだとしたらとてもまずい状況だ。
「私が探しに行ってきます。メイド長さんは避難して下さい」
何か物申したそうなメイド長さんを視線で制し、強引に頷かせる。
玄関ホールへの安全な道筋を説明し彼女を見送ると、厨房の扉を閉めふぅと息をつく。
(厨房の奥には使用人さんたちが利用している階段があったはず。それを上がれば私の部屋は目と鼻の先……大丈夫、行ける)
屋敷の端に位置する私の部屋は、書庫のある中央付近からは少し距離がある。未だ魔力が吹き荒れていよう二階だが短時間ならなんとかなるだろう。いや、何とかせねばならない。
(私のせいだもの。これ以上の被害を出すわけにはいかないわ)
厨房を奥へと進めば扉が現れ、その先にある螺旋階段を駆け上がった。
壁に囲われた階段室は薄暗く、注意深く二階へと上る。二階廊下とは扉で隔てられているため、この空間はまだそこまで魔力が満ちていない。
廊下へとつながる扉の取っ手を掴み思い切り手前へ引くが――その勢いのまま慌ててその場で閉める。
……まずい、思った以上に魔力が濃い。扉にもたれるようにへたりこむとその場で動けなくなる。蹲りとくとくと小刻みに打つ胸を押さえ浅く忙しない呼吸を整えていると、不意に酸っぱいものが胃から込み上げてくる。
「……っ」
慌てて口を押さえるも耐えることができず、身体を捻り階段の隅へと吐き出す。
「はっ、ごほっげほっ……」
喉に灼け付くようなヒリヒリとした痛みが張り付き、頭の中では突き刺さるような痛みと耳鳴りが大音量で鳴り響く。
「早く、探し出さないと……!」
急速に悪化する体調に意思まで呑み込まれないよう言葉を口に出す。朦朧とする意識の中再び扉の前に戻り、今度は体を低くしゆっくりと開く。目には見えないが確実に私の体に襲い掛かる力に抗いながら、這うように廊下へと進み出た。
まずはハンナが向かったとされる私の部屋だ。普段なら数歩で辿り着く距離なのにじりじりと進む体には随分と遠く感じる。扉に手をかけ、ゆっくり手前に引くと見慣れた景色が広がる。ベッド、クローゼット、部屋の隅と順に視線を巡らせてみるも変わった様子は見られない。
いない……ならば次に向かったであろうリネン室だろうか。リネン室はここよりも屋敷中央寄りの、階段ホールにほど近い位置にある。
(ここで引き返すわけにはいかないわ)
床についた手をぐっと握りしめ、開け放った扉もそのままに廊下の先へと体を向ける。
(頭が痛い、喉が痛い、腕が痛い)
はぁ、はぁ、と繰り返される浅い呼吸と、ずるすると絨毯を擦る音だけが人けのない廊下に静かに響いている。床についた手足を動かす毎にあらゆる痛みが全身に纏わりつく。それらと吐き気、倦怠感を引きずりながらもゆっくりと四つん這いのまま進んでいく。
(痛いって事は、意識があるってことなのよ)
包帯が巻かれた右腕に視線を落とせばぽたりと汗が落ち赤い染みに混ざって滲む。一歩進むごとに走る痛みを頼りに進めば、やがて目的であるリネン室の前にたどり着く……あれ、ここだっけ? ここはいくつ目の扉だ?
もうよく分からない。
霞む視界の中を手探りで取っ手を探し、力を込めればもたれた体重で扉が内側に開きそのまま室内へ倒れこむ。
「……見つけた」
床に転がる私の前に見えるのは朧気だが、間違いなく同じ高さで横たわる彼女だ。
何とか這い寄り、ピクリとも動かない彼女の胸が上下しているのを確認するとほっと安堵する。転がすように背負い込めばあとは来た道を戻ればいいだけの簡単なお仕事だ。
だというのに。
ここはどこだ? 自分が来た道ももう分からない。
(止まったら駄目だ……もう動けなくなる……)
あちこちにぶつかりながらも這い進んだ先は、急に壁が途切れ開けている。
(ここは、違う)
目的とは逆方向に進んできたことに気付き思わず動きが止まる。
戻らないと。でももう体が動かない。
体を起こし座り込めば、いつの間にか先程まで全身を蝕んでいた痛みが全く感じられないことに気付く。地に縫い留められたかと思うほどに重く動かない身体とは裏腹にゆらゆらと浮遊感を感じる意識の中、ぼんやりと光る何かが視界を横切っていくのに気付く。
ホタル? にしてはやけに黒い。
まだ動く視線だけでそれを追い見つめていると、その先には明滅しながら漂う黒い光の粒が集まりやがて巨大な塊となる。
次第に輪郭がはっきりするその塊が人の形を成したかと思うと、ふっと弾け、砂粒のような細かな余韻を残しきらきらと消えていく。
「きれい……」
そう口にしたところでふっと体が軽くなるのを感じ、それを最後に私の意識は闇に溶けていった。




