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嵐の前の静けさ

 朝起きて食事を済ますと温室へ顔を出す。それがここ最近の私のルーティーンだ。

 数日前に温室にまいた種はまだまだ芽吹かず、デデの仕事の邪魔にならないように軽く会話を交わして離れに戻る。

 本来なら庭仕事を手伝いたいところだが、平民スタイルで庭を歩き回るのはやめてくれとデデに渋い顔で言われてしまったので致し方ない。


「今日は何をなさるおつもりで?」


 出迎えるのはいつも通りに不機嫌顔を張り付けた執事のスヴェンさんだ。屋敷内をふらふらと徘徊する私の後を、いつものように見張る様についてくる。随分と慣れた光景だ。

 その目は相変わらず鋭く私を観察しているが、私に害意があるわけではないのでさして気にならない。彼はただ主に忠実で仕事には誠実、ちょっと融通が利かない堅物なだけなのだ。


「今日は書庫で過ごすわ。食事もそちらに用意してもらえるかしら」

「かしこまりました」


 今日の予定を告げると端的に返事をし周囲の使用人さんたちに指示を出していく。そつのない仕事は見事なものだが、やや寂しくも感じる。そう思うようになったのは、最近会話をするようになった庭師にはぶっきらぼうな言葉の中にも温かみを感じるからだろうか。

 スヴェンさんの顔をじっと見つめていると、眉間の皺を深くし怪訝な眼差しを返される。


「……何でしょう?」


 彼の眉間の辺りには薄暗い魔力の靄が渦巻き、疲労が溜まっているのが見て取れる。


(人を嫌い続けるのは疲れるものね)


 私自身は嫌われているからと言って不自由はなく、気に留めることもなかった。しかしそれは嫌う側には相応の我慢を強いていたのではないだろうか。公爵様の怒りを買うのも頷ける。


(今更よね、でも)


 別にあの人の言葉に従う訳じゃない。ただ気付いたからには放置するわけにはいかないというだけだ。

 自分の意固地さを一旦棚にあげつつ、彼とうまくコミュニケーションを図ろうと思考を巡らすが――そういえば私は彼の事もよく知らない。ならば、と捻りだした言葉は。


「……ご趣味は?」

「は?」


 どうやら質問の選択を間違えたようだ。

 スヴェンさんは唐突な意味不明の問いに盛大に嫌悪感を現している。私自身「お見合いか!」とツッコミを入れたくなるような残念質問だったので彼の気持ちは痛いほどよくわかる。


「ええと、あのね。私スヴェンさんのこと何も知らないなって思って」

「知ってどうするおつもりですか?」


 しどろもどろに説明をするも彼の目は冷たいままだ。


「どうするってことはないけれど、もう少しお互いを知って親しくなれば、スヴェンさんの心労も少しは減るんじゃないかしら」


 私の説明に一瞬目を丸くするも、すぐに半眼で一笑に付す。


「貴女と親しく? 必要ありませんね。疲れなどありませんので無用な気遣いは結構です」


 まあ嫌いな相手から急にそんなことを言われても反発するだろう。すべては私の日頃の行いが悪いせいなのだ。

 しゅんと肩を落としすごすごと書庫へ向かうもその背中を追うように言葉が突き刺さる。


「そういえば最近奥様は庭師とよく話をしているようですが、使用人を誑し込んで何を企んでおいででしょうか?」

「何も企んでないわ。デデはこのお屋敷の信頼できる使用人でしょう? 彼を悪く言うのはやめて頂戴」


 半身を翻し睨むようにスヴェンさんを見れば、私の剣幕に驚いたのかぐっと押し黙る。


(本当に、因果応報だなんて今更だわ)


 地の底まで落ちた信用度を前に、後悔先に立たずとはこのことかと内心溜息をつく。縮むどころかちょっと開いたような彼との距離に頭を抱えながら書庫へと足を踏み入れた。



 離れ二階の階段ホール脇にある書庫は、そう広くはないまでも興味深い本が数多く収蔵されている。

 それは諸外国の歴史書であったり古い魔術師の手記であったり、マイナーであるが故になかなかお目にかかれない本たちだ。


(さすがは公爵家ね……離れの書庫でこれなら本邸にはどれほど貴重な魔術書やらがあるんだろう)


 いつかは覗いてみたいものだが、生憎今はその立場にない。なのでまずは目の前にある本の山をひたすら捲るのみだ。

 私が知りたいのは高魔力症の治療法、あるいは魔力を打ち消す方法である。直接的な解決方法が見つかれば万々歳だがそううまくいくはずもなく、それらに繋がる手がかりになる情報がないかを注意深く探していく。

 正直干し草の中から針を探すような気の遠くなるような作業だが、何もしないよりはマシなはずだ。宝くじだって買わないと当たらない。……そう思わなければやってられない。

 魔術に関係があるかも微妙な本であっても構わず目を通していく。『騎士団の歴史』『民芸図録』『吟遊詩集』……誰が集めた書なのか分からないがジャンルに脈絡がない。内容が頭の中でとっ散らかり、おかげで睡魔に襲われる隙もないのは喜ぶべきことなのだろうか。

 閲覧机に齧りついてどれほど経ったのか、いつの間にやら室内に明かりが灯されていることに気付く。

 体をほぐす様に両腕を頭の上へ伸ばせば、背筋がバキバキと音を鳴らす錯覚を覚える。体中が凝りに凝っている。


(今日はここまでね。面白い本は多かったけど目ぼしい情報はなかったなぁ)


 とんとんと肩を叩きながら机に積み上げた本を棚に戻していく。しゃがみ込み下の棚へと手を伸ばす、と、ふと目が留まる。本棚の隙間からうっすら漏れ見えるのは魔力である。


(んん? 隙間に何かある?)


 覗いてみるが、暗くてよく見えない。細い隙間に手に持っていた本を差し込み、角に引っ掛ける様に手前へ引いてみると、出てきた物は本である。

 手に持つとずっしりと重みがあり、汚れや傷のない綺麗な表紙から比較的新しい本だと推測できる。革が張られた表紙は型押しされた文様が施されとても丁寧な造りだが、本のタイトルはどこにも表記されていないようだ。

 なんとも怪しげな本にぐっと目を凝らせば、青い光が装丁部分からではなく中から漏れているのが分かる。厚い表紙を持ち上げ中を覗くと思わず息を呑む。


(これは、魔術書……なのかな?)


 多分、恐らくそうなのだろう。私には何が書いてあるのかさっぱり理解できないが、確かな魔力を感じる。

 立ち上がり机に広げ、灯りでその中身を照らしてみるも変わらず。本の中身はすべて白紙だった。


(魔術師でないと見えないってことなのかな)


 私の目に見えるのは自分の魔力と同程度のミジンコレベルのものだけだ。白紙のページの端からはうっすらと魔力の残滓が確認できるが、本文はもっと強い魔力が込められているのだろう。どうやら非魔術師は門前払いのようだ。

 せっかく変わった本を見つけ心躍ったのも一瞬、しょんぼりと肩を落とす。

 それにしてもどの棚に置いてあった本だろうか。棚に戻そうとぐるりと見渡してみるが、元々収まっていたような隙間は見当たらない。


(仕方ないわ、机の上に置いとこう。後で誰かが片付けてくれるわよね)


 手持ちの筆記具で『棚の隙間に落ちていました』とのメモ書きをし本の下に挟むと、書庫を後にした。

 その判断が軽率だったと後悔するのは翌朝になってからだった。



 いつものように朝日が部屋に差し込む頃にベッドから起き出すと、身支度を整えて食堂へと向かう。


「おはようございます、今日もいいお天気ですね!」


 すれ違う使用人さんたちにいつも通りに声をかけながら廊下を進むも、その反応は鈍い。それだけならばいつもと変わらないのだが、今朝はちょっと様子が違う。会う人皆が頭やら腰やらに魔力を滞留させ、実に体調が悪そうだ。

 昨夜に大掃除でもしたのだろうか? 首をかしげながら立ち止まっていると背後からいつものように声がかけられる。


「おはようございます奥様。そんなところで立ち止まられては邪魔でございます」


 辛辣な物言いの執事さんに挨拶しようと振り向くと、思わずびくりと全身が跳ねる。


「おはようございますスヴェンさ……うわっ!」

「……貴女は本当に失礼な方ですね。人の顔を見てその態度はどういう事でしょうか?」


 片眼鏡(モノクル)をくいと押さえ、目の上から下からのありったけの皺を眉間に集中させた形相のスヴェンさんに睨まれるも、不可抗力だと訴えたい。何せ彼の周囲は昨日見た眉間に留まらず、頭から足元まですっぽりと魔力に覆われている。マーブル模様を描くようにゆらりと漂う魔力を纏う彼は新種のモンスターかはたまたゆるキャラか。いやいやそんなことを考えている場合ではない。


「あの、スヴェンさん? ものすごーく体調が悪そうに見えるのですけど、大丈夫です?」


 恐る恐る顔を覗き込みながら聞いてみる。その表情は先程と同じく眉間に集中線を描いているが、肌を見れば青いというか白いというか、生気のない明らかな病人色だ。


「何でそんな体調で歩いてるんですか⁉ 寝て下さい、早く!」

「なっ、押すのはお止め下さい! この程度の体調不良など些細なものです、口出しは無用です!」


 ぐいぐいと背中を押し、帰るよう促すも抵抗されてびくともしない。これだけ酷い顔色だというのにさすがは成年男性である。それでも体調不良の自覚はあるようでその点には安心する。

 それにしてもこの使用人さんたちの体調不良率は異常だ。


「屋敷内で何かあったんですか? 病気が流行ってるとか、あるいは食中毒?」


 考えられる原因を挙げてみるも、スヴェンさんは軽く首を捻るだけだ。


「何をおっしゃっているのか分かりかねます。私はただの疲労です。根拠のない風評を流布されては迷惑です」

「でも使用人さんたち皆が体調を崩しているのは事実だわ。原因は何?」

「皆が体調を……?」


 食い下がる私の言葉にようやく耳を傾け、スヴェンさんが周囲を見渡す。目が合った使用人さんたちはそれぞれジェスチャーを返し、体調が良くないことを認めているようだ。


「……確かに、少し調べてみる必要があるようです。奥様はどうぞお気になさらず、食堂へお進みください」


 あまり納得はしてないが、私に出来ることなどないのも事実だろう。この問題はスヴェンさんに任せることにし、その場を後にした。

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