第二次夫婦喧嘩、勃発 2
目の前に座る女が「何故か」と問いながら俺を睨み付ける。先程まで青ざめていた顔は色を取り戻し、怒りを孕んでいることが容易に見て取れる。
そのあからさまな喧嘩腰には怒りよりも呆れを感じ、思わず溜め息が漏れる。
(本当に分かり易い女だ)
貴族たる者腹芸は出来て当然だ。でなければすぐに敵対勢力に足元を掬われ食い物にされてしまうだろう。だというのにこの女は感情を隠すことを知らないのか、何でもかんでも表に出す。
今しがたも商会との取引について黙り込んだところに圧をかけてやれば案の定、見苦しく狼狽えてみせる。
(とても狡猾な商人と渡り合えているとは思えん。付け入られる前に関係を断ち切らねば面倒だ)
枯葉色の大してうまくもない、だがほんのりと魔力を感じる不思議な茶をぐいと飲み干した。
◇ ◇ ◇
時は戻って昨日の事。
馬車に揺られる体がようやく落ち着き、外へと降り立てば久方ぶりに戻る己の屋敷を見上げる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
エントランスで出迎える家令が下げた頭を上げると、そこはかとなく疲れた顔を覗かせる。
(まあ、無理もない)
その原因に思い当たる節があるため多少の罪悪感を覚えるも、疲労という点では自分も相当に溜め込んでいる。
ふうと一つ息を吐き、慰労もほどほどに執務室へと足を向けた。
いつものようにどかりと椅子にもたれかかれば、ようやく仕事から解放されたことを実感し体が弛緩する。王都の城にほど近い地区に建つ公爵邸だが、勤め先である王城内の魔術研究区画に10日も缶詰となれば相応に堪えるものだ。
魔術省での官吏としての業務には何とか区切りをつけたが、それとは別の公爵としての問題が目の前に積みあがっているのを見ると頭を抱えたくなる。
よく磨かれた執務机の上に積まれたその紙束は、この留守中に溜まった離れについての報告書である。
(キリクを大量に活けたと報告を受けた際は暫く近寄らないと心に固く誓ったものだが、まさか職場に隔離される状況になるとは想定外だ)
そしてそんなときに限ってあの女は問題を起こすのだ。
簡単な報告は仕事場へと物品を届けに来た使用人から受けていたが、改めて書類を手に取り詳細に目を通す。留守中の大小さまざまな問題が羅列されているが、とりわけ問題なのは来訪者についてであろう。
その事案について纏めてある一番分厚い紙束を山から引き抜き、ぺらりと表紙を捲った。
――来訪者は名をギリアムという、王都を中心に商いをしている男だった。
数年前に新興の商会を立ち上げ、規模こそ中堅ながらも堅実な商売をしているようだ。扱う品は武器防具や骨董・美術品など多岐にわたるが、とりわけ魔道具の取り揃えに定評がある。特に昨年売り出した魔術師用と銘打ったインクは、魔力の馴染みが驚くほどよく魔方陣や魔術書を書くのに最適だと魔術師の間で評判の品だ。
かくいう俺も愛用者の一人である。俺の持つ黒の魔力と相性がいい魔道具というのはあまり見かけないのだが、このインクは六色の魔力それぞれに対応したものが揃っているというのだから大したものだ。
商会への感心はさておき、報告書を捲り浮かぶ疑問の答えを探す。
(魔術師として無能なあの女がなぜそんな商会の人間と?)
怪しげな商人が来訪したと簡易的な報告を受けた時に詳しく調べるよう指示を出し、それらが纏められた頁に目を落とす。
この数日で調べ上げられた事実は――俺の想像の裏を行くような内容で。ひとつひとつを丁寧に、読み落とさぬよう頭に叩き込んでいく。
全ての頁に目を通し終え、天井を仰ぐように椅子の背もたれに体を預けたタイミングでノックが響く。「入れ」と短く返事をすれば、コーヒーを携えたマルセルがにこりと柔和な笑みを浮かべ入ってくる。
いつもいつも見計らったような頃合いにやってくる家令には頭が下がる。香り立つコーヒーを口に運びようやく気持ちも落ち着く。
「随分苦労をかけたようだ」
「滅相もございません。お役に立ちましたのなら何よりでございます」
報告書の内容は不審な商人の正体と、あの女の噂の真相について。マルセルの子飼いの間諜に探らせたのか、短期間の調べでありながら事細かに記されている。
本来ならば婚姻前に済ませておくべきことだったが、今更自分の怠慢を嘆いてもしょうがない。
「して、どのようになさるおつもりで?」
「あの女に直接問いただす他ないだろう」
柔らかな表情を崩さぬままにマルセルに問われ、億劫な返事を返す。
あの女の目的は理解した。それでも残る疑問がある。離れの使用人たちの不満も随分と積もっているようだし、その辺りもきっちり話をしておくべきだろう。
久方ぶりの休日が消し飛ぶことが確定し、面倒ごとに腹をくくると残りの報告書を手に取った。
翌日、久しぶりに立ち入った離れのその変わりようには驚嘆した。
(模様替えをしたとは聞いていたが、この変化は何だ?)
単に家具類の配置が変わったというだけでは説明がつかない。前回来た時と明らかに違うそれの正体はすぐに掴める。
(魔力、か。確かに魔草であるキリクを大量に活けたというのならそれなりに影響を及ぼすこともあるだろう。それにしても……)
これほどまでに変わるものなのか。淀んでいた空気が緩やかに流れる様に心地よい空間が広がっている。
あの女の仕業か? 魔術師と名乗れぬほどの無能な才で意図的にこの環境を作り上げたというのなら、それは既に非凡と言えるのではないだろうか。昨夜に目を通した報告書にも得心が行く。
「旦那様、如何なさいましたか?」
この離れを任せているスヴェンが玄関ホールに立ち止まった俺に不安げに声をかけてくる。
(スヴェンを始めここの使用人は皆魔力を持たない者たちだ。気付かずとも無理はない、か)
「いや、問題ない」と短く答え、快適になったその空間を堪能するようにゆっくりとサロンへ歩を進めた。
◇ ◇ ◇
空のティーカップをソーサーへ戻し視線を前に向けると、怒りの面をつけた女が視界に入る。
柔らかい日の差し込む穏やかなサロンでテーブルを囲む二人の周囲だけが固く凍り付いている。
「そもそも非魔術師であるお前がなぜあの商会を利用している」
「答える必要はありませんわね。質問を質問で返さないで下さいまし」
少し前までの落ち着きのない挙動は消え失せ、真正面から俺を見据えている。この公爵相手でも怯まない胆力は見事なものだが、それでも強気一辺倒な態度では硬軟を巧みに操る商人という人種に通じるものではないだろう。
「……ヒース商会とやらは商品は確かなものも多いがその内情には謎が多く、お前のような迂闊で愚かな小娘が考えなしに利用する様な店ではない。ギリアムと言う男もそうだ。お前はあの商人にいいように利用されているだけだ」
怒りに流される相手に動じることなく静かな口調ではっきりと告げる。
報告書に記されたギリアムという男の風貌を確認し思い出したことがある。以前ヒース商会の店を訪ねたときに見かけたことがあったのだ。
その男はいかにも怪しげな風体だが物腰は柔らかく、頭を低くし客に接している。しかし注意深く観察すればその瞳の奥が隙のなく光り、只者でないことを窺わせる。酸いも甘いも知った曲者であることは間違いない。
彼女との会話の中で、商人とは金銭の代わりに新しい魔具の着想で取引をしていることを察する。この離れの空気を良くしたことと言い、無能であっても発想力には長けているのだろう。そしてそこに目を付けられた。
だからこその進言だというのに。
「利用しているのはお互い様よ」
俺の言葉を素直に聞くはずもなく当然のように食い下がってくる。自分が騙されていないというその自信はどこから来るものなのか。
どことなく砕けた口調は冷静さを欠いている証左であろう、その聞き分けのなさに軽く苛立ちを覚え言葉にも棘が混じる。
「その考えが浅はかだと言っているのが分からんのか? 一方的に搾取され今に痛い目を見ると忠告しているのだ」
「公爵という肩書き以外何一つ知りもしない貴方より、事実世話になっているギリアムの方が信用出来るのは当然のことです」
時折飛び出す彼女の的を射た発言は、その度に俺の耳に痛みを与えてくる。真面に彼女に向き合っていなかった自分が不審な商人よりも信用に劣るというのは認めたくないが真実であろう。
苛立ちが増し、軽く舌打ちが漏れる。
「それほどまでに庇いだてする男だということか」
「そういう話ではないわ」
「ならば、……病床の妹のためか」
「何で知って……⁉」
問答の末、俺につられて出た言葉に慌てて口を押えるがもう遅い。その態度では肯定したも同然だ。
そうだ、全ては妹のためにこの女は動いている。それは医者も治療師も手の打ちようがないと見放したほどの重病であり、抗えない事実なのだ。それをいつまでも受け入れられずに藻掻く様は見苦しく、とても見ていられるものではない。
だからこそ言わねばならない。
「お前のやっていることは独善的な自己満足だ。専門家ですら解決できないことを無能な小娘であるお前に何が出来るというのか」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないわ!」
「ならばその無駄な足掻きに振り回される周囲について考えたことはあるのか?」
「それは……どういう……」
興奮気味に身を乗り出しつつも、言葉の意味が分からないのか困惑の表情を浮かべ固まる。
「お前は自分の行動が見えてなさすぎる。その悪評により社交界で伯爵や子息がどんな思いをしているか知っているのか? ここでも好き勝手やっているようだが家の人間の苦労を理解しているのか? それとも知る必要もないと切り捨てるただの愚か者か?」
俺が問う度に視線が下を向き、握り込むその手が小さく震える。
「そんな事言われなくても分かってる。それでも、私は……」
かろうじて耳に届く微かな声は俺に対する返答かそれとも自分に言い聞かせているのか。
俯く彼女にかける言葉が残酷であるのは承知の上だ。殴ることで納得するのならそれでもいいだろう。
「妹とてそれを望んでいない。だからこそ家を出る際に二度と顔を見せるなと吐き捨てられたのだろう」
勢いよく上げた顔は赤く染まり、焦色の瞳は潤み雫を湛えている。堪える様に眉間に皺を寄せつつ、食いしばった歯がぎりりと唇を嚙み激しく形を歪ませている。
頭上に掲げられ勢いよく振り降ろされた彼女の右手は、どんっ、と大きな音を立てテーブルを打ち付ける。ガチャガチャと不快な音を奏でたティーカップが静まる頃、ぽつりと零れる。
「貴方なんて、大嫌い……っ」
静かに一言だけを残し彼女が立ち去ると、サロンに静寂が訪れる。
ぽっかりと空いた隙間をなぞるようにふわりと空気が流れた。
責めるつもりはなかった。
彼女が縋ろうと伸ばした手が掴んだ藁は、あっけなくも沈みゆく。ならば引き戻してやるのも優しさであると信じてのことだった。
だというのにこの後味の悪さは何なのだ。
(こんなつもりではなかった)
しかし結果は彼女を傷つけただけなのではないだろうか。
本邸に戻り、サロンでのやり取りを聞いていたであろうマルセルに問う。
「俺は、間違ったことを言ったのか?」
「正論がいつも正しいとは限りません故」
相変わらず表情を崩さぬマルセルの言葉に思わず顔をしかめる。
「……俺もまだまだ若造というわけか」
自分が口にした独善的な自己満足という言葉を思い出し、深い溜息をついた。




