エリカ・バートン元伯爵令嬢です
リヴェルム王国、王都の外れにある教会。
人気は少なく、たまに職員と思しき人間がぱたぱたと駆けていくのが目に入る。
石造りの飾り気の少ない通路にはひやりとした空気が流れ、ぼんやりと現実逃避を目論む意識を否が応にも繋ぎ止める。
半歩ほど前を歩く男に遅れぬようやや速足で進んでいくと、奥の受付にいた男性がこちらに気付き立ち上がり礼をする。身形から察するにこの教会の司教様のようだ。司教様直々に受付待機とは恐れ入る。
目の前まで辿り着くと私の隣に立つ男が書類を取り出し、受け取った司教様が内容を確認していく。
「……確かに。婚姻証書を受領致します。それではこちらを」
書類をしまい、代わりにトレイを差し出す。トレイに被せられた布がめくられると銀色に輝く指輪が二つ現れる。
「手を」
隣の男が発する短い言葉に促されおずおずと左手を差し出すと、薬指をするりと冷たい感触が通り抜ける。はめられた指輪をしげしげと眺めている隙に男はさっさと自分の指にもう一つの指輪をはめていく。
二人の手に指輪が納まったことを確認し、司教様がにっこりと微笑みながら口を開く。
「キースベルト・マクスウェル公爵並びにエリカ・バートン伯爵令嬢の婚姻が成立したことをここに宣言いたします」
こうして私エリカ・バートンは今日から人妻となった。
◇ ◇ ◇
(いやいやいや、待ちなさい! おかしいでしょーう⁉)
来訪者用の待合室に一人残された私は思わず心の中で叫び声をあげる。
(結婚式よ、ケッコンシキ! うら若き18歳の乙女の! それが何? この寂れた教会で、しなびた服装で、最低限の参加者での事・務・手・続・き!)
ぶんぶんと大きく身振り手振りで虚無の空間にツッコミをいれては、ぜーはーと肩で息をする。
(はぁ、はぁ、少し落ち着いたわ。まったく、奇行にでも走らないとやってられないわよ)
縺れた長い黒髪をばさりと後ろへ流し、部屋の中央で腕を組みながら仁王立ちになる。
ぼんやりと天井を仰げば、窓から差し込む柔らかい光をうけた空気中の塵のようなものがキラキラと輝いている。ゆらゆらと揺蕩う光を目で追っていると視線は窓ガラスへと誘われ、映り込む自分の姿に思わず顔をしかめる。
藍が褪せたような渋い色合いのシンプルなドレス。所々に刺繍などの装飾が施されつつも動きやすさを損なわない機能性に長けた一着だ。左右の耳の上では結ばれたリボンが揺れ、あしらわれた菫色のカットガラスが煌めく。どちらもお気に入りの一品ではあるが、だからと言って結婚式に纏う衣装では断じてない。
(別にウェディングドレスに憧れがあるわけじゃないわ。だからと言って着倒した平服のままというのはどうなのよ。……政略結婚なんてこんなものなのかしら)
大きく溜息を漏らすといからせていた肩までストンと落ちる。
さっきまでの怒りはどこへやらと、どんどんしょんぼりと体も心も縮こまってくる。
(政略結婚、イヤな響きね。そりゃあ貴族として生まれたからには覚悟はしてたけど。それにしたって)
先程婚姻を結んだばかりの男が頭をよぎる。
が、顔はよく思い出せない。当然だ。何せ今日初めて会ったのだから。
しかも対面するなりつかつかと先を歩いて行ってしまうものだから、顔を見ようもない。ただただ悪印象だけが脳裏にこびりついている。
(キースベルト・マクスウェル公爵、か)
もちろん噂は知っている。なんたって社交界人気ナンバーワン(自分調べ)のうら若き公爵様だ。
弱冠24歳の、魔術の名門マクスウェル家の当主にして魔術省の副長官。黒の魔力を持つ天才術師で、『黒公爵』の異名でも知られている人物だ。容姿端麗・物腰も柔らかく、キラめく笑顔で独身のご令嬢のみならずあらゆる女性を虜にしている。
……らしいが、嘘っぱちではないのコレ? 誇大広告にも程がある。詐欺で訴えたいところだ。
大体そんな優良物件が今の今まで未婚で、しかも面識すらないこの貧乏伯爵令嬢で地雷でもある『私』を相手に選ぶだなんて。怪しさしかない。
(例えば訳あって婚姻を結べない本命が他にいるとか、実は誰かに脅されているとか、はたまた……特殊性癖とか⁉)
どんどんと無軌道に突き進む妄想に背筋がぞくりと震えたその時。
バンッと乱暴な音を立て予告なしに開かれた扉にびくりと心臓が跳ねあがる。
痛むくらいにバクバクと打ち付けるそれを押さえながら振り向けば、一人の男がずかずかと部屋に入ってきた。
比較的長身でやや細身、銀に輝く髪はまばらな長さに揺れ後ろで一つにまとめられている。そんな雑さが垣間見える髪とは裏腹に整った顔立と鋭く光る銀色の瞳。ギャップがすごい。しかしそれがまたこの男の美貌を引き立てているのだからたいしたものだ。
身に纏った鈍色の、膝まである長いコートのようなローブのような上着が歩くたびにしなやかに靡き、光に触れた箇所がきらきらと淡く銀の光を放っている。非常によく似合っていると思う。
この唐突に現れた目つきの悪いイケメンこそが我が夫となったキースベルト様である。
(『黒公爵』なんて呼ばれるわりに外見には黒要素がない……いっそ銀公爵にした方がいいのでは?)
心臓が少しずつ落ち着きを取り戻せば思考もつられて弛緩する。
ぼんやりとどうでもいい感想が頭に浮かんだ頃、目の前のイケメンから声が降ってくる。
「馬車の準備が整った。来い」
相変わらず簡潔に用件だけを告げる。その声は透き通った風のような清涼さを感じさせるが、同時に有無をも言わさぬ迫力も孕んでいる。そして返事を聞く気もないのか、そのままくるりと背を向け歩き出す。
(本当に! この男が麗しいだなんて、噂を流した人間を見つけてシバきたいわね!)
心の中で悪態をつきながら慌てて追うように一歩踏み出せば、目の前の男が急に立ち止まりこちらに向き直る。
(あっぶな……っ、フェイントとかやめて下さいまし!)
危うくつんのめって追突しそうになるも、すんでのところで踏み止まり一歩下がって距離を取る。……どこまでも人を振り回す男だ。
「その前に、言っておくことがある」
男の声に体勢を正し、平静を装いその顔を見据える。高い位置から見下ろす瞳には感情が乗らず、目の前にいる私など眼中にないといったような無関心さが垣間見える。そして続く言葉からその推測が間違っていないと悟る。
「この婚姻は本意ではない。お前の悪評は聞き及んでいる。お前が『白』の魔力を継いでいなければ好き好んで娶ったりなどしない。公爵家の人間となった以上、今後は勝手な真似は許さん」
一方的に告げられた言葉によると、どうやらこの男は『私』のことを知っているらしい。それは結構。だからと言ってこの不遜な態度を許容するつもりはないが。いや、私の事を知っているというのなら遠慮する必要もないだろう。いい加減、我慢が限界値に達していた私は迷うことなく反論の声を上げる。
「随分な言い草ですわね。本意でないとか私には関係のない事ですわ。決めたのは貴方じゃありませんの?」
私の言葉を受けて、人形のような綺麗な顔の中央に深い溝が刻まれる。私を映した瞳が冷たく光るのを感じ、あらちゃんと感情というものを持ち合わせていたのねと妙な感心をする。
まさか元伯爵令嬢が目上の公爵様相手に言い返してくるとは思わなかったのだろう。一瞬怯むも高圧的な態度を崩さない。
「……なるほど、噂通りの無礼な女のようだな。キャンキャンと良く吠える」
「初対面の、ノックもできない様な方に言われる筋合いはありませんわね。 大体噂なんて信用に値しないことを貴方が証明してますわ。私の事を何も知らないくせに勝手なこと言わないで下さいまし!」
お望みならば吠えて見せましょうとばかりに口撃を繰り出す。が苛立ちを隠さぬまま相手も負けじと反撃してくる。
「ならば社交では派手な装飾で飾り立て夜毎に男を取り換え、時には妻や婚約者のいる者にまで近づき、街では怪しげな商人や冒険者のような者たちとも懇意にしていると有名な性悪女と聞くが、これらの噂が全て嘘だとでも言うつもりか?」
「概ね事実ですわ!」
どやぁ……とお手本のような得意満面で告げれば、目の前の男が額に手を当て苦悶の表情を浮かべている。怒りなのか呆れなのか、はたまた両方か。
「……それでよくその大口が叩けたものだ」
「私は正直実直がモットーですの。貴方こそ麗しの黒公爵どころか腹黒公爵じゃないの。それでよく人のことが言えたものですわ」
無言のままに顔を覆った指の隙間から視線だけがこちらを捉える。
「あら、お気に障ったかしら」
私の言葉に応えるように上げたその顔からは、先程までの怒りが消え代わりに当初のような無関心さが戻っている。感情が見えないにもかかわらずその温度はひどく冷たい。
売り言葉に買い言葉とはいえさすがに言い過ぎたか。少しの後悔と反省の念がよぎった時、ふんという短い溜息と共に聞こえてきた言葉に私の思考が止まる。
「選択を誤ったな。これなら病弱だという妹の方が余程マシだ。姉のお前に虐げられて随分従順だと――」
パンッ
乾いた音がさして広くない待合室の中に響く。
「ふざけないで。あんたみたいなクソ公爵、妹もお断りよ」
怒りでちかちかする視界には左頬を赤くした男が映るが、その表情は見て取れない。
ぐらつく思考に現実感を見失う中で、振りぬいた右手の平にじんじんとまとわりつく痛みと熱だけが取り残されていた。




