人生はおもしろくもあり、哀しくもあり、ふるさとを離れて50年。思えば遠くに来たもんだ 続・小夜物語 第20話
高卒後、、、体を壊して2年療養したために
2浪して20才で
東京の大学入学でふるさとを離れてそれからあっという間に50年。
でも、、いまどき、生まれた家で育ちそこで学校へ行き、
そこから就職してそこで結婚して生家に住んで
そしてそこで老いていってそこで死ぬ。なんて人がいるんだろうか?
つまりずっと実家にいるという生涯ですね。
江戸時代以前はこれが当たり前でした。というか戦前も次・3男はともかく長男は家にいるものと決まっていましたね。
次・3男は家を継げないので仕方なく、婿に行ったり、出稼ぎに南米に行ったり満蒙開拓団に行ったりしました。
私の祖父の弟も、次男ですから満州に行って満鉄の技師をしてましたよ。
敗戦で引き上げて妻の実家の九州に住み、以後は、戦後のどさくさで交流はありませんね。
その子孫はいまでも九州に住んでいるんでしょうか?
さて、
しかしいまボーダーレス社会です。
隣の家に外人が住んでいる時代です。
そして社会の流動化ですね。
家だって先祖代々の由緒ある家が、跡継ぎ不在で?ぽんぽん売り飛ばされていく時代ですよ。
ネットの不動産広告でも、立派な古民家がたくさん売り出されていますね。
どこに住もうが、どこに行こうが自由な世の中ですよ。
そして社会も、仕事を求めて、転勤や、海外派遣も当たり前です。
家は定年になったら買うという、転勤族もいます。
転勤また転勤では家を買っても意味ないでしょう。
私も、大学に行くので実家を出て東京暮らしに始まり、
卒業しても仕事が実家から遠いところで
その仕事を30年以上して、実家にかえることありませんでしたね
これからふるさとに帰ったって、浦島太郎状態です。
誰も知る人もいません。
実家の周りに家も建て込み、すっかり町?になりました?
子供のころは、うっそうと雑木林が茂った、狐の出るようなところだったんですがね。
いまは開けて、住宅地帯?です。
両親はとうの昔になくなり、知ってる人もいません。
其の後実家は長らく空き家状態で、、、どうしようもないのでしばらく前に
捨て値で売り払いましたがね
実家を出て全く帰ってない私がいまさらそんなところに帰ったって意味ないです。
だってこっちに家も買い、40年以上も住んでるんですから。
こっちが第二の故郷ですね。
子供達もこっちで生まれ、ここが彼らのふるさとですよ。
まあ、彼らだっていずれ仕事を求めて、
転勤で、遠いところにいきそこが
定住地になってしまうかもしれませんがね。
いずれにしても、人生どこへ行くか。
なにがあるか、
どうなるのか。
ほんとに分からないものですね。
ああそういえばこんな歌もありましたよね・
「思えば遠くに来たもんだ」って。
むかーし
むかー-し
まだ私が若かったころ、
人生をどう
とらえたらいいのか?
或いは
人生って、、どう生きたらいいのか?
誰でも少年の日々
そう
自己疑問しませんでしたか。
わたしも
15歳の春
「俺ってこれからどうしたらいいんだろ?」って
深刻に悩んだものでした。
まあいまにして思えば、、、
青い
青い
悩みでしたが。
当時は深刻でした。
でもそれからあっという間に
あれからどんだけ時は過ぎただろうか?
そう
ある日、
気がつけば
何と、
半世紀が過ぎ去っていたのです。
そうです
50年、、
過ぎ去ってみれば、、、、あっという間でしたね。
鏡をのぞきこめば
そこには
白髪と老人斑だらけの顔の
おじいさんが映るのです。
あんなに若くて、、希望に満ちて、、青春真っただ中だったのに、、
あんなに真剣に人生探求してたのに、、。
あっという間に気がつけば、、
無感動な、、、こわばった心の
老人になった自分が映るのです。
あの日
真剣に悩んだあのことも、
「おれってこれからどう生きたらいいんだろ?」
そんな悩みも
人生の浮き沈みに翻弄されてるうちに?
どっかに消し飛んでしまって?
私の人生にも
それからいろんなことがありました。
田舎の鄙びた村から大都会の大学へ青雲の志を抱いて?進学して
でも実際は大都会の下町のどぶ臭い
三畳一間の、築80年のうら寂しい下宿に細々と間借りして
青春の恋も全く無縁で、、
ただ、
大学では九州出身のO君と親友になり、
それだけが友人だったこと、
それから、、、
大学生活もあっという間に終了して
喰うために、就職は50社受けて
当時就職難で、、、どこも不合格で、、
そうして、、、探して、、、探して、、、、
やっと見つけた就職先は
とんでもない田舎の遠い県にあって、、
仕方なく、、そこに就職するしかなかった
はるばるその田舎県まで電車で3時間も乗り継いで、、、
赴任したこと、
都落ちの裏みじめさばかりでしたよ。
いやいや?ながら?そこに勤めて
でも働けるところがるってそれだけでも?幸せ?でしたよね?
そうして、、気がつけばそこで
なんと、、
30年以上も勤務することになるとは、、
運命ってわからんものですよね?
仕事人生も終わってみればつい昨日就職したような気分で、、、
その間、、平凡な出会いで
平凡な女性と、
平凡に結婚し、、
平凡な子供も二人産まれて、、
産まれてみれば可愛くて
必死に育てて、、
気がつけば
その子も成人して
ある日、、、、
親元を離れて行ったっけ、、、。
それから私の両親も遠い故郷の実家で今から20年前に相次いで亡くなったっけ、、、。
私は仕事先が遠い他県なので、、介護もできずに、、
そうして今度は
わたしも、、、すっかり老いて、、持病もちらほらと、、体がきしみだしたら、、
そうして、、定年が来て、、
会社ともおさらば、
今は
30年前にローンを組んで買った
すっかり古びきった4DKの建売住宅に
老いさらば得た?老夫婦が残るだけになった。
でも?
人生って?
一体なんだったのだろう?
こうして今はもうすっかり終わった自分がいるばかり。
そうさ
もう、俺は終わった人間さ。
だってこれから
何があるっていうんだい?
もう、なにもないだろ?
それにつけても
人生っていったいなんだったんだろ?
今でも
ハッキリとはわかりかねますが
でも、
こうして過ぎ去ってみて
もうほとんど終わってみて、、わかることは、、
人生とはおそらく
蕩尽するためにあるんじゃないだろうか?
という私の結論なんですよ。
だってそうでしょ?
人生に、出し惜しみ?してどうするんですか?
出し惜しみしたって、、やがて老いぼれて死ぬだけですよ。
だったら、、、パーッと
使い切るんですよ。
燃焼しきるんですよ。
ぶすぶすくすぶってばかりの人生では
いざ終ったとき、、後悔だけでしょう?
燃やし切るんですよ。
浪費?し尽くすんですよ。
ぶすぶすくすぶっただけの人生も、、
一気に蕩尽し尽くされた人生も
ともに、、やがて、、終わるんですから
使わなけりゃ損ですよ。
そうして、
後には?
なんも残りませんよね?
そうでしょ?
どんな御大臣も
どんな乞食も
死ねば
骨は焼かれて、、骨壺に納まり、、
それでおしまいですよ。
それだけ、、、、
だったら
そうなる前に
生きてる間に
この人生を蕩尽してやるんですよ。
燃やしきるんですよ。
だって
そうでしょ?
人生なんてものは
蕩尽するためにあるんでしょう?
それが人生の秘密?でしょ?
それが人生の奥義?でしょ。
かりそめの肉体舟に
気がつけば
乗っていたわたし、
そうして舟は川を下り
ある時は急流にもまれて木の葉のように
また、ある時には
ふかーい瀞の淵に
ゆっくりとたゆたい、、
けれど、
舟はいつも
川をくだっていた。
いつか、大海にたどりつくまで、、
たどり着けば、、海に吞まれて
海底の藻屑になるが、わが定め。
だったら
蕩尽し尽くさんで、なんとしようか?
燃やさずになんとしようや。
何をやっても、、、
世界を放浪して千里の道を踏破しても
あるいは、、
何もしないでどこも行かずに生まれた村でむなしく朽ちようとも、
死んでしまえばみな同じ、、
それはわかってるよ、
でも、
それだからこそ
やってみようじゃないか?
人生は夢?
だったら夢に狂おうぞ。
人生は虚仮?
だったらなおのこと
蕩尽し尽くそうぞ、
それが人生
それしか人生に意味はない。
そうでしょ?
ね?
それが人生
それで人生。
ね?
そうでしょ?
でも
それもこれも
もうみんな終わりですよ。
そうして、、
もうすぐ
最後の大冒険が迫ってくる。
最後の大冒険?
そうさ、
最後の大冒険さ。
そう
それって
誰にでも来る、、死っていう大冒険さ。
どんな平凡な人生を送った人も
最後にはこんなにも
ぶっ飛んだ?冒険が待ってるって。
ある意味、
すごくない?
死ですよ。
死んじゃうんですよ。
全く平凡極まるような人生しか送ってこなかった人でも、
こんな、、死っていう
今までとは全く異種な
異様な?
異質な?
全く経験不能な
どうなってるのか皆目わからない
行ったきりの?
自分が消失する?
謎だらけの大冒険、、、、
死ですよ。
死って、、まさに最後の大冒険の旅立ちでしょ?
平凡極まるつまらない?人生の最後に待っていたのは
死というまさに未知の大冒険だった。
これってすごくないですか?
さあ、
それではそんな死の大冒険を
待つためにも、
心の準備でもしましょうかね?
ね?
みなさん?
最後の大冒険を不安がるのではなく、、
むしろ、誰にでも
当然来るのだという
安心感を持って
恐れることなく
静かに
その時を
待ちましょうかね?
ね?
みなさん?