女優をやっている学校1の黒髪美少女が、役作りとして俺にインキャの演技を求めてくる。そんなこと言われても、これただの素なんだけど..
陰キャラ。その言葉は数年前から突如生まれた。
いわゆる、陰なキャラクター(陰気な性格の人)を示す。言動や雰囲気が陰気・暗い・後ろ向きな人。周りの人の気持ちを暗くさせるような人、コミュニケーションのない人、社会性の乏しい人、以下省略
ちなみに、この俺、六道 拓人がその言葉を知ったのは中学3年生の時だ。当時クラスで人気グループにいた女子に、「六道くんってインキャラっぽいよね」と言われた際、インをインテリジェンスの略と勘違いし、「それを言ったら、〇〇さんもインキャラっぽいよ」といった結果、クラスのほぼ全員から卒業までの1年間を迫害されることとなった。
マジで本気の女子怖かったぁ、びっくりした。アイツらは瞳術使うんだもん。睨まれた時完全に動けなかった。ちなみに、物理的に動けなくされたのはその子の彼氏。
いやさぁ、人と話すことがそもそも無かったからインキャ?とかいう言葉使う機会なかったし。ほら、習ってない単語って読めないじゃん。だから、仕方ないと思..はい、すみません。俺が悪かったです。だから、そんな目で見ないで..。
しかし、それも、過去の話。態々街から離れた高校を選んだ甲斐もあり、ここで俺のことを知るものはいない。
憧れの青春なんて必要ない。普通の、友達が数人いるくらいの普通の生活を歩んでいくとしよう。
と腹に決めたのが早半年前。
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全然ダメだった。もう手も足も出なかった。
一応頑張っては見た。登校初日に、ワックスの使い方分からなくて取り敢えず塗りたくったら影でベトベターって笑われてウケも取れたし。
隣の席の女の子に”らららLINE交換お願いいたします?)って聞いたら、ウケるんですけどっ!って柔かなムードでゲットできた。(これからよろしく、と送ってから未読無視が永遠に続いている。LINEよりカカオトーク派なのかな?)
しかし、結局こういうものは元の位置に収まるのである。そして、自身の身の程にあった位置というのが一番居心地が良かったりする。
一周回ってこれに気づけただけで俺は幸せなのかもしれない。
と悟り始めていたのだが、
「付き合ってほしいの」
帰宅の準備をしていた俺は脚を止め呆然と立ち尽くした。
艶のある黒い髪をサラリと靡かせる少女。肌は雪のように白く輪郭はくっきりとしていて、それはまるでテレビの中の世界から飛び出してきたように見えた。
それもそのはず、七瀬 空音。彼女こそ、ただいま世間の隅で人気沸騰中の高校生女優なのだ。
普段テレビを見ない俺でも彼女の顔と名前くらいは知っている。
仕事関係で忙しいのかこれまで教室で見たことは無かった。てか、本当にこのクラスにいたんだな。都市伝説かと思ってた。
「へ?」
なんだ、これ。もしかして、16年間年齢=彼女無し、どころか、友達さえ殆ど居なかった俺にもついにハ...
「私に付き合って欲しいことがあるの」
えぇ、ネタバラシ早いってぇ。まだ、ハルのハまでしか言えてないじゃん...。
ま、現実なんてそんなもんだよな。まず向こうが俺を選ぶ理由がない。とは言え、何かに付き合わされるのは確実なようだ。代わりに宿題をやらせるとか、帰りに鞄持たすとか。まぁ、過去の経験から言うとこんなところか。
「あの、付き合うって何に付き合えば...」
恐る恐る聞き返すと、七瀬は何処からともなく一冊の漫画を出した。
「これ、私が今度出演する作品」
そこには、制服を着た男女二人組の上に”恋と青空”というタイトルが書かれている。初見の俺からすれば、いかにも少女漫画らしいといった印象だ。
「...へぇ、誰を演じるんですか?」
と何となく聞いてみる。まぁ、彼女の最近の知名度と美貌からして主役級なのは間違いないだろうが。
「私、この作品に出てくるヒロインの雅美ちゃん」
正ヒロインか。まぁ、予想以上に大役だが、彼女ならあり得るか。
「の友人役の母親の姉の一人娘の友人が虐めている内気な男の子を演じることになったの」
あ、違うの?何そのモブ過ぎて逆に目立ちそうなキャラ。遠縁過ぎてキャラクターの人物紹介が他との関連性の説明だけで埋まりそうなんだけど。最早何でそんなキャラ作った。
って、あれ男っ!?
「それと、その男の子には誰も想像出来ない特別な秘密があるの。あ、それを知りたかったら原作36巻を購入してね」
ついでに宣伝かよ。そして、めっちゃ続いてんじゃん...。絶対ドラマでその秘密のところまでいかないだろ。
てか、本当に男役なんだな。へぇー、なんでわざわざ...。あれ、まてよ?
「...まさかと思うけど、実はその男の子が女でした、なんてことない..ですよね」
いや、ないよな。そんな36巻でやっと告げられる真実が、キャスティングの段階でバレるわけ。
「え?」
何で分かったの?とでも言いたげに真顔になる七瀬。
マジでそうなのかよ..。流石にもう少し工夫しろよ、製作陣。
てか、付き合うって原作買って金積んでねってことか。怖っ、これぞ芸能界の闇。それで、本当に買ってしまいそうな自分が一番怖い。だって、この顔で頼まれたら無理じゃん。中学生の時絡まれた不良より強制力ある。
とにかく、なんか気まずい空気になったし、それっぽくはぐらかして立ち去ろう...。
「...や、やっぱ、何でもないです。とりあえず、買うかはまだ分からないけど、応援はします...じゃあ」
「まって!」
背中を向けた途端、大声で呼び止められる。
へ、36巻までじゃダメなの?秘密を知ったから最新刊まで買わなきゃだめだと?
「私は..」
私は?
「私は君に..」
俺に最新刊まで買わせると?
「陰キャの演技指導をしてほしいのっ!」
「....はい?」
「今回の役のイメージを監督に聞いたら、んー、インキャっぽい感じ、と言われの。でも、私学校にも余り通ってなかったらそういうの分からなくて。その時、クラスにいる貴方を見て思ったの。これこそがきっと陰キャなんだって」
熱弁で語り出す彼女。その口元はさらに言葉を続ける。
「私は君ほどインキャの演技に秀でた人を知らない。目線・仕草・表情、全てが私の仕入れた情報の事細かに表現している」
へ?今何の話してんの?もしかして、暴言吐かれてる?てか、まずインキャの演技って何。これオート操縦・常時発動だぞ。なんか結界みたいでカッコいいな、おい。
「...や、あの俺演技とかやったことないんですけど...」
「つまり、天性の才能なのね」
それだと生まれた時から陰キャということになる。(前世で何したらそんな罰ゲーム受けんだよ....)尚更、失礼極まりない。
「..ともかく、そういうの出来ないんで、他を当たって貰えれば、なんて...」
「分かった。なら、見て盗むことにする。これから宜しくね」
見て盗む?俺はその意味がよく分からなかったが、正直興味も湧かなかったので深く考えないようにした。
だが、そのまま放置して次の日を迎えたことが仇となることになる。
「...席ここだっけ?」
周りを気にしつつ小さな声で話しかける。俺が座る左後方最端の隣の席には、昨日の放課後に出会った七瀬 空音がいた。
おかげで、ここら一辺めっちゃ見られる。逆に目立ち過ぎて俺なんか視界に入って無さそうだけど。
彼女の艶のある唇がゆっくりと開く。
「ここの席が良いって先生にお願いしたら変えてくれた」
あぁ、そうですか。え、そんなんありなの?先生、いくら相手が女優だからって甘やかすのはダメですよ。
「私、実は近眼だから」
そういう事情?なら、無闇に責めれないな。
「って設定にしとこう。そうすれば、周りから責められないはずっ。大丈夫、俺はいつだって君の味方だよ、って先生が」
甘やかしってレベルじゃ無かった。アイツダメだぁ。後で、PTAの目安箱に匿名でチクっとこ。
「この席からだと君の技術がよく見えるの」
インキャの技術ってなんだよ...。
「だから、そういうんじゃ..もう何でもいいですけど、期待に添えれるか分かりませんよ」
「大丈夫、君ならきっと出来るわ」
彼女は澄んだ瞳でグットポーズをする。
純粋に澄んだ瞳が眩しい。今まで完全にわざとやってると思ってたけど、マジでこの人悪意ないのか...。
そもそもな話、昨日君ほどのインキャに秀でた人はいないとか何とか言っていたが俺はそこまでインキャじゃない。インキャの中ではヨウキャな方なのだ。だって、ほら、心の中だと一人でこんな話せるし、退化した声帯さえ鍛え直せばラジオトーク出来るレベル。後、通り過ぎる女子からは偶にフッて笑顔を振る舞って貰える。なんなら、文化祭で男女逆転コスプレで、キャーって叫ばれたのサッカー部のイケメンと俺だけだったんだぜ?凄くね?ただのインキャにこんなことできる?出来ねぇよなぁっ!!
というわけで、俺は七瀬の思ってるほどインキャじゃない。悪いが、ちょっと物静かな一般生徒として振る舞わせて...
「あの六道くん」
「ひぇあいっ!!?」
「へ、なに...数学の課題提出してなかったから、先生が言ってこいって伝えようとしただけなんだけど...」
「あ、あー、分かった。えっと、あああありがっ」
「うん、じゃあよろしく....ねぇ、めっちゃキモかったんだけどっ!」
女子生徒が、わさわさ騒ぎながら友人グループの元へと走っていく。
「声をかけられた途端、肩を痙攣させ上擦った奇声を上げる。その後、視線を上下にゆらして声を吃らせる。....相変わらず凄い表現力だわ」
メモと共に感心の眼差しを向ける。
...もう嫌だ。死にたい。
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「たははっ、そりゃ、ウケるわ」
放課後、とある公園のベンチで友人の白井 健人が腹を抱えて笑っていた。
「うけねぇよ、マジで困ってるんだから」
「お前は贅沢なんだよ。普通芸能人が隣に来て、話しかけてくれるなんてありえねぇぞ。しかも、お前に」
「そうだよな?俺だぜ?マトモな関わりがある人間がお前くらいの俺に」
「おいおい、流石に家族は関わりあるだろ」
「や、最近の親、妹ばっかで俺放置だから。この前なんて、来週授業参観あるって言ったら、いやぁっ!また私に恥をかかせる気なのっ!って怒られたし」
「...それ重症だろ。一体何があったんだよ。まぁ、とにかく、お前のインキャさのおかげで良い巡り合いが来たんだ。この機会に縁作っとけよ。そんで、俺にも繋いで」
「あぁ、大丈夫。縁も作らないし、お前にも紹介しない」
「ちぇっ、そう言うところだぞ。周りに馴染めないの」
不機嫌そうに目を細めていたが、直ぐに遠くを見る様な目をして話題を切り替えた。
「でも、そっかぁ。今そんな感じなら今回で本当にダメになっちゃうかもな」
「...今回も?何の話だ?」
「しらねぇの?前に出演してた作品、結構ビッグタイトルだったんだけどさ。余りにも棒読み演技で炎上したんだよ。まぁ、初の演技が事務所の推しでいきなり主役させられたっつうんだから可哀想な話なんだけどさ。それでも世間では、顔だけで選んで作品を汚すなっとか。どうせ枕営業でもしたんだろとか、そりゃもうあることないこと書かれてるのなんの。想像してみろよ。俺らと同じ歳の子が、数千人から批判されるんだぜ。考えるだけで寒気するわ」
冗談まじりに肩を浮かせそのまま話を続ける。
「まぁ、その一件で女優として仕事は一時休んでいたらしい。突然学校に通うようになったのも、それで説明がつく。そんなこんなで、やっと次の役が決まったんだ。1話しか出ないただのモブでも、彼女にとっては絶対に失敗できない最後のチャンスなんだよ」
「..なら、尚更俺なんかに関わるべきじゃねぇよ。ちゃんとしたプロのレッスンを受けてそれに従えばそれなりには」
「んなもん、既にやってんだろ。やっててこのままじゃダメだと感じたから、究極の最終手段としてお前なんかに頼ってきたんじゃないのか」
「....」
「まぁ、確かに幾らインキャ役を演じるからってお前をモデルにしてどうこうなるとは思ってねぇよ。でも、お前からなら出来ることは少なくとも一つくらいあるんじゃないか」
「悪い、ちょっと用事思い出した」
突如、駆け出していく六道。
それの後ろ姿を見て、健人は呆れたように笑っていた。
「そういうとこだぞ。俺がお前と親友なってんの」
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翌日、七瀬 空音は相も変わらず俺の行動を真面目な様子でメモ帳に何枚も書き込んでいる。
「メモばっか取ってるけど、ちゃんと練習してるんですか」
その日、俺は珍しく強気な口調で返した。驚いたような表情をする七瀬。しかし、直ぐにその口は開く。
「少しずつだけど、やってる最中...」
「そうなんですね。なら、ちょっと見せてくれません?」
「え?」
「仮にも俺を真似ようとしてるんだから、本人に見せるくらいしてもいいでしょ」
少し考え込む様な素振りをして、真剣な表情と共に分かったと告げた。
「じゃあ、他の人に突然声をかけられた時の演技で」
そう言って、胸に手を当て深呼吸をする。
二人の空間に緊張が走る。
「ふぇあいっ」
あ?
「はい、分かった。あ、ありがとう」
束の間の静寂が流れた後、七瀬はこちらに目を向ける。
「どうだった?」
「.....ダメ」
「え?」
「全然っ、ダメ。それじゃあ、七瀬さんの演じる役のキャラじゃない」
「そう、なのね...」
小さく俯く彼女の顔には暗い翳りが見え、その手は微かに震えていた。
その瞬間、ピリッとした罪悪感に駆られる。
あざとい驚き様、控えめな話し方。演技慣れしていないのか、恥ずかしがる仕草も相まって、男の心を擽るものはある。
だが、それではダメだ。それはただの清楚系の可愛い女子だ。
彼女が演じるのはインキャ。言動や雰囲気が陰気で暗くて後ろ向きで、周りの人の気持ちを暗くさせて、コミュニケーションのなくて、社会性の乏しい人、それがインキャなのだ。
それに、彼女の演じる男子生徒(女子生徒)の設定は、友達も一人もおらず、1日に10回くらいしか口を開かず、行事の日は必ず休むというインキャの中のインキャ。マジで読んでて俺かと思った。後、ちゃんと36巻まで買ったわ。意外と面白くてハマった。
「もっと声のトーンを落として、それと、目は常に泳がす。後、話しかけられた瞬間は、ケツを蹴られた鶏の声を意識して」
なんだよ、ケツを蹴られた鶏の声って。俺っていつもそんな声出してんのかよ。
こんな調子で、放課後、数十分間の特訓をした。
「うん、最初よりマシになった」
そう言って、俺は一息つく。久しぶりに健人意外とマトモに喋ったから喉がカラカラである。
水筒の水をがぶ飲みする俺を七瀬は怪訝な表情で見ていた。
え、何その目。ちゃんとお茶だよ?雨で濁ったドブ水じゃないよ?なんなら、飲む?うわっ、今のはきめぇ、俺。
「どうして急にそこまで協力してくれる様になったの?」
小首を傾げ普段げな様子が俺の目に映る。
あ、そっちか。
「だって...」
それだけ呟き、俺は口籠る。
俺は曲がりなりにも陰を生きてきた人間だ。立場は正反対であっても、周りから色々と好き勝手言われることがどれだけ辛いかは身に染みて理解している。
俺みたいな奴はいいんだ。大した努力をしなかった結果、相応の立ち位置にいる。現状に文句を言う資格は俺にはきっとない。
でも、彼女は違う。例え、やり方は間違ってるとしても、彼女なりに必死で目の前のことに向き合おうとしてる。
そのちょっとした気の迷いで、こんな俺を頼ってくれたのだとしたら、せめて、出来る限りのことをしてあげたい。
ただ単純にそう思ったのだ。
「...俺の似てない演技されて批判きても困るから」
なんて本心を言わず、捻くれた言葉が出てきてしまうからインキャなんだけど..。
七瀬は数秒間目を開いて固まっていた。しかし、それは短い頷きとともに変わる。
「分かった。六道くんの為にも頑張る」
その瞳には決意の色が見えた。女優というのはどんな表情でも絵になるものなのだと改めて感じたのであった。
(よしっ、一丁プライド捨てて頑張りますか)
それから3ヶ月後。俺は最近インストールしたTwitterを開いていた。
ー七瀬 空音のの演技すげぇ
ー役の表現やば
ーどう見てもインキャにしかみえん
ー普段の姿からは想像できんわ
ー演技力ないとかいってすみませんでした
現在放送されている七瀬 空音出演のドラマ。そこでの彼女の評価は、以前とは比べものにならないほど絶賛のものとなっていた。
勿論、それを得る為の努力は彼女が行ったものであり、素人の俺がしたことに意味があったのかは分からない。
だから、口が裂けても彼女を助けただなんて言うつもりはない。
とは言え、隣の席で彼女の努力を見ていた一人として、細やかに喜ぶくらいのことはきっと許して貰えるに違いない。
ーでも、これ七瀬 空音だから可愛いけど、他だったら地獄だよな。ましてや、これがガチの男だったりしたら、一回転生した方がいいレベル。
はい、男のバージョンの俺です。転生したら今度は都会のヨウキャイケメンしてくださーい!はは、笑えよ...。
自分なりに多少頑張ったところで、やはり世間はインキャに冷たいのであった。
それから、数週間、七瀬 空音は番組やら新たなドラマの撮影で引っ張りだこの様でピタッと学校には来なくなった。なんなら、取り敢えず、交換したLINEからも音沙汰はない。兎にも角にも、こうして、普段のインキャ生活が戻り俺の非凡の一時は終わりを迎えたのである。
これで、普通のインキャに逆戻りか、まぁ、普通でも普通じゃなくても、インキャはインキャなんだけど。
そうして、2年生となった新学期初日の朝を迎え、俺は扉を出た。
「久しぶり、六道くん」
そこに立っていたのは何ヶ月ぶりかの制服に包まれた七瀬 空音だった。
久しぶりと言葉を返す前に疑問が浮かんだ。
ーなんでいんの?
「その..最近忙しくてずっとお礼言えてなかったから。最初はLINEでいいかなって考えたんだけど、どうしても、自分の声で伝えたくて」
「お礼なんて言われる筋合いは無いですよ。誰よりも頑張ったのは七瀬さんなんですから」
「やっぱり、六道くんは変わらないね」
そう彼女は何処か懐かしむような表情で微笑んだ。
変わらない?まぁ、確かに、16年間インキャだけども。
「...取り敢えず、撮影お疲れ様。今後は一ファンとして応援してますよ」
「ちょっとまって!」
通り過ぎた瞬間、俺の腕を小さな手が掴んだ。
振り向くと、彼女は頬を赤く染めている。
「私、君と一緒にずっと練習してきて、気づいたの。私にはやっぱり君が必要なんだって」
いじらしく動いていた彼女の目が下から望み込むように俺を見つめる。
なんだこれ。もしや、告白?はは..まさかな。え、でも、俺のこと必要ってもう告白じゃね?
....あ、来たわこれ。
気恥ずかしさでこちらの顔まで赤くなっていく。
そして、彼女が告げるであろう言葉に期待を膨らませた。
空音の艶やかな口元がゆっくりと開く。
「私と付き合ってほしいのっ!」
きたたたたたたああああっ!!!
「今度は、ぼっちの演技指導にっ!」
チーン。
どうやら、彼女との関係は当分の間切れそうにはないらしい。
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とある喫茶店。貸切という看板の付けられた扉の中の室内には、青いスーツに包まれる一人の若い女性と、テーブル一つを対面に座る一人の男の姿。その男の肌は年月を感じさせる皺があり、髪は所々に白髪が混じり合っている。しかし、仕草、姿勢、表情、それら全てからが持ち出される渋さと紳士めいた色気が、彼を老人ではなく未だ男と至らしめている。
そんな彼に若い女性は小さく頭を下げた。
「今回の件本当に有難う御座いました。お陰で、七瀬の評価回復にも繫がりました」
「大したことをしたつもりはない。孫にとっても人と接する良い機会になった」
「実は私正直疑ってたんです。貴方のような名俳優の孫とは言え、普通の高校生に演技指導が務まるのかって」
「小さい頃、拓人は毎日のように私の教室を訪れ、舞台の演技指導の様子を見ていた。そして、ある日、私は拓人に演者全員の評価をさせたことがある」
「どうなったんですか」
「全て私と同じ意見。いや、時にはそれ以上の時さえあった。拓人には、演技だけでなくそれらを含めた作品全てを俯瞰視出来る程の感性と繊細さがあったんだ。無論、それを言語として表現できる程の技術は当時無かったが、あの子が良いと認めた演技は必ず舞台で歓声を浴びていた」
「それは確かに演技指導をさせる上では素晴らしい能力ですね。ですが、同時に理解しました。何故彼が今のような性格になったのかを」
「ほう、話してみてくれ」
「簡単なことです。色々な物が見えるということは同時に余計なものまで気づいてしまうということ。人の気持ちや、環境の変化、それは必ずしも良い形であるとは限りません。悪意や、悲しみ、そして、痛みといった感情を彼は人に関われば関わるほど感じ取ってしまう。だから、人との自然と関わりを拒絶し、いつしか一人でいることを臨むようになった、そうですよね」
「ふっ、君も良い目をしているな」
「これでも人気女優のマネージャーを務めていますので」
「だが、一人が許されるのは義務教育までだ。人間の社会で生きていれば自然と人とは関わらなくてはならない。だからこそ、この度の一件は、拓人の更生にも繋がると思ったのだがまだまだ先は長いらしい」
男は葉巻の先端でトントンと灰皿を叩いた。
「一つお聞きしてもよろしいですか」
「何かな」
「もしお孫さんが、貴方のように俳優を目指したいと言い出したらどうします?」
女性の顔は真剣にも微笑んでいるようにも見えた。
男の頬がニヤリと釣り上がる。
「勿論、止めるさ。はははっ」
最後まで読んでくださり有難う御座います。面白いと感じられたり、続きが見たいと思われた方は評価とブクマして下さるとやる気でますっ!