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代理人、UMAに思いを馳せる

 そういえば、私には兄がいる。

 ブラットフォーゲル家の跡取り息子である兄が。

 実は私はそんな兄を正面からしっかり見たことがない。この世に生まれてから十年以上が経過しているというのに。

 後ろ姿は何度か見たことがあるのだが、正面からは見たことがない。

 だから彼が父親似なのか母親似なのかも知らないし、彼の瞳の色も知らない。

 喋っているところも見たことがないのでどんな声をしているのかも知らない。

 正直自分に兄がいることすらもわりと最近まで知らなかった。

 そんな兄と私は少し歳が離れているらしく、現在は彼のみが学園に通っている。十四歳から入学する学園に通っているわけだから年齢は十四歳以上。

 去年だか一昨年だかの頃にはすでに制服を着ている姿を見かけた気がするので十六歳くらいの可能性もあるのだろう。

 なぜ実の兄をそんなにも見かけないのかというと、端的に言えば『親の過度な期待』によるものだ。

 親からの過度な期待を一身に受けた兄は、学園に通いながら数多の習い事を掛け持ちさせられているらしい。

 噂によれば、他国語や算術などといった座学から剣術や乗馬、魔法などといった実技まで、時間の許す限り詰め込まれているんだとか。

 嫌々通わされているせいで身になっているのかは分からない……って話だった。

 ちなみに噂の出どころは使用人たちのこそこそ話である。

 そろそろお察し状態ではあるのだけれど、我が家の両親はこの家の使用人たちにわりと嫌われている。

 使用人たちに厳しく当たっているわけではないようなので、話があまりにもつまらないから鬱陶しがられている……って感じなんじゃないかな。

 身分の話か金の話しかしない奴らだからな。

 私が生まれてからというもの王子殿下と年齢の合う女児が私しかいないからこいつが王妃で決まりだ! って話を何百回何千回としているらしいし。考えただけでうんざりする。

 これが地位や名誉、金に執着した欲深い人間の権化なのだろう。

 ……と、まぁ父親や母親がヤバい奴らだというのはわりとどうでもいい話で、今は兄のことだ。

 なぜ唐突に兄の存在を思い出したのかというと、兄の忘れ物がテーブルの上に置いてあったからだった。

 テーブルの上にあったのは、小難しそうな教科書のようなもの。

 それを見付けた私は触ってもいいものかと思案していたわけだが、それに気が付いた私付きの侍女ジェマが「それはトリーナ様のお兄様のものですね」と教えてくれた。

 そしてそれを聞いた私が、ぽつりと口走ったのだ。


「兄は実在するんだね」


 と。

 だって、実はいるらしいって話を聞くばかりだし、姿を見たと言っても後ろ姿だけだし、完全にUMAなんだもん。

 ツチノコかよ。


「実在しますよ」


 と、答えてくれたジェマは必死で笑いを堪えようと口元をもごもごさせていた。笑えばいいのに。


「トリーナ様のお兄様はバーシム様といって、今は学園に通っておられます」


 もごもごが少し落ち着いたところで兄の名を教えてくれた。多分初耳だった。


「お兄様は、とても忙しいみたいね」


「はい。バーシム様の予定表を初めて拝見した際は驚きで言葉を失いました」


「え、そんなに?」


「はい」


 ジェマの真剣な顔を見るに、冗談で言っているわけではないのだと悟る。


「私、会ったことないのよね、お兄様に」


「確かにそうですね。バーシム様はトリーナ様が起きる前にお出かけしてトリーナ様が眠った後に帰ってきますものね」


「……お兄様って、まだ十代よね?」


「はい。十六歳になられたばかりですね」


 過労死寸前のサラリーマンみたいな生活してない? 大丈夫?

 どちらにせよ本人が大丈夫だと思ってたとしても働かされ過ぎだとは思う。


「それ、お兄様の身体は大丈夫なのかな」


 私がぽつりと零すと、そこにやってきた別の侍女が「まあ大丈夫ですよ」と言いながらテーブルの上の教科書を拾い上げた。

 あまり見かけない侍女だなと思ってきょとんとしていると、ジェマが彼女のことを教えてくれる。

 彼女は主にお兄様の身の回りの世話をしている侍女で、名はイザベル。年齢は三十代半ばといったところだろう。ちなみにジェマは二十歳らしい。


「学園のほかに習い事をぎちぎちに詰められているのに大丈夫なの?」


「バーシム様は賢いですからね。ご自分できちんと息抜きをされております」


「それならいいけど……」


 そんな私の言葉を聞いたイザベルは、そっと私に顔を寄せて声を潜める。


「これは内緒のお話なのですが、バーシム様がこのお屋敷に寄りつかないのはご両親と顔を合わせたくないから、というのもあるのです」


 あー、やっぱり兄もあの両親が面倒臭いのだな。


「お兄様は私を……いや、お兄様は、私の存在を知ってる?」


 ふと私の頭にお兄様に恨まれているのではないかという思いがよぎったのだが、なんとなく聞けなかった。

 恨まれてますと言われるのも嫌だし、恨まれてますと言わせるのも嫌だ。


「もちろんご存知ですよ。トリーナ様が赤ちゃんのころはずーっと側にいて、かわいいかわいいと言ってつつきまわしておりました」


 一応恨まれてはいなかったようだ。

 そしてつつかれてたんだ。覚えてないな。赤子の頃はわりと朦朧としてたからな。

 どうにか思い出せないかなと考え込んでいると、イザベルの顔がもう一度近付いてきた。


「トリーナ様を未来の王妃に、というご両親の思惑を知って嘆かれておりました。トリーナ様が可哀想だと言って」


「可哀想……」


「貴族社会など、それこそ王族の周辺など汚い思惑が飛び交う世界。かわいいだけでは生きていけませんからねぇ。そんなところにかわいいかわいい妹を行かせたくないという兄心なのでしょう」


 お兄様、思ったより優しい人だったようだ。ツチノコ呼ばわりしてごめんな。

 いや、だってあの両親からそんな出来のいい子どもが生まれるとは思わないじゃん。


「おっと、それでは私はこちらをバーシム様に届けてまいります」


 イザベルは教科書をしっかりと胸に抱く。


「あぁ、引き留めてしまってごめんなさい。あと話を聞かせてくれてありがとう」


「本当は黙っていたほうがいいと思ったのですが、トリーナ様に心配をさせてしまうのはバーシム様の本意ではないでしょうからね。それでは」


「そっか。いってらっしゃい」


 ひらひらと手を振れば、イザベルはにっこりと笑って去っていった。


「いつかバーシム様とお話出来ればいいですね、トリーナ様」


「うん」


 そんなジェマの言葉に、私はそっと頷いたのだった。


 さてさて、本日もやってまいりました、王子殿下たちの遊び部屋に招かれるという地獄の時間が。

 月に一度ペースとかだったらいいなと思っていたけれど、このペースなら週に二度ほど呼ばれそうな勢いである。気疲れするからそんなに呼ばないでほしい。出来れば。

 そんなことを考えていたら、あっという間に部屋に到着してしまう。

 呼ばれはしたけど実は部屋の中は無人! とかだったりしないかな。


「また来たのか!」


「また来たのか!」


 残念。一発目からコピペ双子に声をかけられた。はいもう帰りたい。


「ごきげんよう」


 嫌な気持ちを精一杯隠して、作り笑顔を浮かべながらそう言えばコピペたちはごにょごにょと文句を言いつつも部屋中央のテーブルへと歩いて行った。お? 作り笑顔恐怖症かな? 

 私はそんなコピペたちを見届けてから、前回定位置と決めたピアノ前に向かう。

 面倒な奴に話しかけられないように、本をいくつか手に取ってピアノの椅子に腰かけた。

 誰もいなかったら弾きたかったのにな、ピアノ。と、そんなことを思いながら、鍵盤蓋をそっと開ける。

 いやピアノは家にもあるんだけれども。そして家ではガンガン弾いているけれども。楽譜なしで。

 あの母親、ピアノはくれたけど楽譜はくれなかったんだよな。楽譜の存在知らないんだろうか。

 日本で覚えた曲は大体忘れてないから楽譜なしでも一応大丈夫ではあるものの、この世界の曲も弾いてみたいな、とは思う。

 でも今は一人で気軽に外を出歩ける身ではないし自分で楽譜を買いに行くことは出来ない。借りようにもどこで借りられるのかも分からない。

 そんなわけで今は日本で覚えた曲をぽちぽち弾いて遊んでいるしかない。好き勝手弾いているのも楽しいから不満はないけれど。

 今更誰かに習いたいかと言われれば、あまりそうは思わないし。

 日本で小さなころから指導してくれていたのは鬼のような先生だったけれど腕は確かだったし、あの先生以外に習ってもなぁ。

 ……そうそう思い出した。あの鬼のような先生のせいで私は今も覚えた曲を忘れずに弾けているのだ。

 あの人、暗譜していかなきゃマジで鬼みたいに怒るから。怒られたくないし、そもそも超が付くほど負けず嫌いだった私は覚えろと言われた曲だけじゃなく他にも数曲まとめて覚えたりしていた。それを今も指が覚えている。

 今思い返してみれば先生のほうも負けず嫌いで、私が予習みたいな感じで覚えていくもんだからお互いが全然知らない曲の音源を渡されて耳コピで覚えて来なさいって話になったりして、聞いたこともない演歌だのアニメソングだのも散々覚えていったな。あれはもはやピアノの練習ではなく私と先生との戦いだった。

 負けず嫌いと負けず嫌いによる意地と意地の頂上決戦……ああ懐かしくも苦い思い出……!

 あれのせいで今も音楽を聴くと自動的に頭の中に楽譜が浮かぶようになってるもの。


「トリーナ!」


「おう、ノア。……ごきげんよう、ノア」


「今更取り繕わなくていいって」


 懐かしくも苦い思い出のせいで頭が完全に日本人に戻ってたわ。

 おおよそご令嬢とは思えない挨拶をぶちかましてしまった。ちゃんと言い直したけど。一応。


「弾くの?」


「ん? ああ、開けてみただけ。うるさいだろうから」


「ふーん」


 ノアはつまらなそうにつぶやく。

 そもそもうるさいうるさくない関係なく音を立てたら文句を言ってきそうなやつが室内にいる状態で弾くのは面倒なのだ。

 と、思っていたら、ノアが人差し指で鍵盤に触れる。ピアノはもちろんポーンと一つ音を立てた。音色は良好。きちんと調律もしてあるようだ。


「そんなにうるさいかな?」


 なんて言いながら首を傾げている。

 そりゃあちょっと音を出す程度であればうるさくはないかもしれないが、曲を弾くとなると話は別だ。

 私は絶対に弾かないからな、という強い意志を込めて、私は膝の上に置いた手を握りしめる。

 そんな時だった。背後から人の足音が聞こえる。

 またコピペ双子がいちゃもんでも付けに来たのかと思ったが、どうも足音は一つしかしないようだ。


「それがただのテーブルじゃないって知ってたんだ」


 そう背後から声をかけてきたのはまさかの王子殿下だった。

 また一番面倒なのが来ちゃったじゃん。ノアのせいだ。


「ええと、はい」


 話しかけられたからには答えねばなるまい。


「テーブルみたいに使ってるから知らないんだと思ってた」


 なんだろう、表情はとても普通で馬鹿にしてる様子なんてないのに、なんとなく小馬鹿にされてる気がする。私の被害妄想かな。


「それは北東の国発祥の楽器なんだよ。この国にはまだあまり数がないんだ」


 王子殿下がピアノについて教えてくれる。聞いてないのに。

 そんなことより知ってるなら楽譜をくれ。


「弾ける?」


 王子殿下の視線は、私とノアに向いている。

 ちらりとノアの様子を窺ってみると、奴はふるふると首を横に振った。

 面倒なので私も弾けないことにしておこうかな。


「トリーナは弾けるよね?」


 どうしたノア。やめてくれノア。そもそもなんで知ってるんだノア。


「え、なんで」


「だってこの前弾くのか聞いたら『弾かない』って言ったから」


「……言ったけど?」


「弾けない、じゃなくて『弾かない』って。要するに弾けるってことかなって思ってたんだけど」


 名探偵ノアじゃん。黙ってくれ名探偵ノア。頼むから。


「あ、いやそれはそういう」


 そういう意味ではない、と強く否定する前に、笑顔の王子殿下と目が合った。


「弾いてみてよ」


 ノアのせいだ。


「……じゃあ」


 弾けと言われてしまったのなら仕方ない。何か適当な曲を弾こう。

 とはいえ適当な曲ってなんだろう。いきなり天国と地獄とかぶちかまして度肝を抜いてやるのもいいけどさすがに王子殿下を驚かすのはよろしくないか。多分。

 なんかゆっくりした曲で、簡単なやつがいいな。歌詞があると歌いたくなっちゃうからクラシックにするか。

 月光……は暗いな。子犬のワルツ……は別にゆっくりじゃねぇや。ノクターン……G線上のアリア……そうだ、カノンにしよう。無難でしょ。聞いた感じが。

 曲を決めた私は、早速鍵盤の上に指を乗せる。そしてゆっくりと演奏を始めた。

 演奏を始めると、さっきまで聞こえていたコピペたちの声やどこぞの公爵家の奴らと思われる声が止む。

 あまり目立つのも本意ではないので、適当なところで区切ったほうがよさそうだ。

 そんなわけで私は区切りのいいところで手を止めた。確か大体二十小節くらいだったかな。時間にしたら一分にも満たないくらいか。


「すごいねトリーナ!」


 ノアがぱちぱちと拍手をくれた。純粋な拍手なんて久しぶりに貰ったわ。

 こうなったのは全部ノアのせいだとか思ってごめん。お前いいとこあるじゃないか。

 ノアに対してドヤ顔をキメていたところ、王子殿下がふと口を開いた。


「楽譜もないのに?」


 と。


「……なんとなくで弾いたので」


 ……これで言い逃れが出来ればいいなぁ。




 

ツチノコニキ。

ブクマ、評価等本当にありがとうございます。励みになります。

そして読んでくださって本当にありがとうございます!

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