代理人、要望書に埋もれる
「大輪の乙女の生まれ変わりがこの学園にいるんだって」
これはこれは困った。
学園に足を踏み入れた瞬間、知らない人の知らない声が知っている単語を口にしているのを耳にする。
軽い気持ちで歌に魔力を乗せてみた結果、完全に噂になっているらしい。まだあの魔法を使って一日しか経っていないのに。
一日どころか、あの魔法を使ったのは昨日の放課後なわけだから、まだ一日も経っていない。だって今、まだ朝だもの。
しかし噂などただの噂だ。そのうちそっと消えるだろう。と、朝の私はそう思っていた。
まぁそんな上手くはいかないみたいで、昼休みになっても噂が消えることはない。
一緒に昼食を、と私を誘いに来た王子殿下もその噂を聞いたらしく、なんともいえない苦笑いを浮かべていた。
話す内容も内容だから、と王子殿下のお付きの方々が生徒会室に昼食の準備をしてくれているとのことだったので、私は途中でノアを拾って三人で生徒会室に向かった。
「光の速さで噂になってるな」
生徒会室に入るなり王子殿下が口を開く。
「学園中に広まってる……?」
恐る恐る私がそう口にすると、ノアが苦虫を噛み潰したような顔をして頷いている。
「このことを知ってるのは俺たちだけだから、俺とトリーナとノアさえ黙ってれば大丈夫だとは思うけど」
「そうだねぇ」
そうだといいね、という意味も込めつつ呟きながら、適当な椅子に腰を下ろして用意されていたサンドイッチに手を伸ばす。
貴族たちってのは噂だのゴシップだのが大好きだからな。噂が消えるのが先か、変な尾ひれがついて背びれがついて、なんかもう最悪胸びれなんかもついちゃったりして最後には足が生えちゃったりして? ……なんてことにならなければいいけど。
「あ、このお肉のやつ美味しい」
手を伸ばしたサンドイッチに挟んであったのは、めちゃくちゃ柔らかいお肉だった。さすがは王子殿下側の人が用意した食事だなぁ。
「噂の当事者が一番呑気なんだよなぁ」
と、ノアに呆れられてしまった。
「……昨日、あの後アルバンに教えてもらったんだが、あの部屋で読んだ大輪の乙女の話は子ども向けに脚色されてあるやつで史実とはかなり違うらしい」
そんな王子殿下の言葉に、私もノアも言葉を詰まらせてしまった。
なぜだか王子殿下が小難しい顔をしていたからだ。
どう言葉を返したもんかと思い悩みながらも、サンドイッチを頬張る。王子殿下もノアも、黙々とサンドイッチを頬張っている。
ここは、私が口を開くべきなんだろうな。
「史実って、どんなだったの? アルバンさんに聞いた?」
「……いや、まぁ、今度本を持ってくる」
「あぁ、うん。分かった」
教えてくれねぇのな、と思いつつ、私はこくりと頷いて見せる。
言いたくなさそうにしているようだから、きっと王子殿下はアルバンさんに何か聞いたんだと思う。
でもこれだけ言いたくない空気を出されていたら、さすがの私も遠慮してしまう。
これがアルムガルトとかだったら普通に聞いてるけど。小ばかにする勢いで聞いてるけど。
王子殿下はわりと繊細そうだからな。アルムガルトと違って。アイツはアホだもの。
「トリーナ、自分が大輪の乙女の生まれ変わりだとか言うんじゃないぞ」
脳内でアルムガルトに対する暴言を吐いていたところで、王子殿下にそう言われた。
「言わないよ。そもそも大輪の乙女の生まれ変われじゃないし」
そんな恥ずかしいことするわけないでしょ。と二人の顔を見れば、なぜか二人ともきょとんとしている。
え、まさか私が言い触らしたりするとでも思っていたのか?
言い触らすような恥さらしなんかしないし、そもそも私には言い触らす相手がいない。こうして軽い雑談が出来る相手なんて王子殿下かノアくらいのもんだ。
そう、私には友達がいない。
「生まれ変わりの可能性もあるだろう」
いや、そっちの意味できょとんとしてたの!?
「ないわ。……え? そんな可能性あるわけなくない!?」
「分からないだろう? 誰が誰の生まれ変わりであるかなんて誰にも分からないんだから可能性だって絶対にないわけではないだろう?」
「いや、まぁ……ええぇ?」
そうか……そうか? いやでも私の前世は一応日本人だからな……。あの少女の人生映像にも大輪の乙女なんては言葉一切出てこなかった。
だから、きっと生まれ変わりではないと思う。けれど、あまりにも強く否定するのも不自然だから、ここは納得したように見せておくしかない。
「……とにかく、トリーナもノアも言い触らすんじゃないぞ」
そんな王子殿下の言葉に、ノアは何度も深く頷いている。
そして、私は二人に現実を突きつける。
「そもそも私、言い触らす相手がいない」
と。
二人は何も言わずに私からゆっくりと視線を逸らした。
そんな複雑な空気のままお昼休みを終え、午後の授業も通常通り真面目にこなす。
そうして放課後。
少し図書室に寄りたいなと思ったのだが、どうせ王子殿下に早く生徒会室に来いと急かされるだろうから一旦生徒会室に行ってから図書室に行くべきか。
「……んー、邪魔だなぁ」
どちらにせよ、目の前の廊下が塞がっていた。
「アルムガルト様ぁ、わたくしレカルカの招待券をいただきましたの! どうぞご一緒に」
「アルムガルト様! そんなことより私のお話を聞いてくださいませ」
「アルムガルト様~!」
アルムガルトとそれに群がる蛾……いや、女子生徒たちが往来を塞いでいたのだ。
アルムガルトもご丁寧に立ち止まらずに歩きながら話を聞けばいいのに。
アイツが立ち止まるせいで廊下には次々と女子生徒たちが溜まっていくし、そのせいでそこを通れない他の生徒たちもどんどん溜まっていく。
そしてモテない男たちによる僻みの視線もアルムガルトへと集まっていく。それはちょっと面白い。
さて、いつもなら適当にアルムガルトに声をかけて蛾を蹴散らすのだが、今日はそんな気分じゃないな。
回り道でもするか。
アルムガルトがいるであろう方向に呆れた目線を送りながらそう考えていると、人だかりの中から一対の瞳がこちらを射貫いてきた。
まぁ他でもないアルムガルトの瞳だったわけだけれども。
めんどくせぇ以外の何ものでもねぇな、と踵を返そうとすると、射貫くような視線が強くなる。
クソ怖い顔して「助けてくれ」と言っているらしい。めんどくせぇ。
なんで普段仲良くする気なんかさらさらないみたいな態度のくせにこういう時だけ助けろとか言うんだろうなぁアイツ。めんどくせぇ。
「あらあらアルムガルト様。本日も見事な塊で。ご立派ですわね」
にやりと口角を上げただけの嫌味な笑顔を浮かべながらそう言ってやれば、アルムガルトはあからさまな溜息を零した。
「またお前かトリーナ」
と、いかにも私が好き好んで声をかけてきたかのようなリアクションを見せ、女子だけで出来上がっていた人だかりをかき分けながらこちらにやってくる。かき分けられるなら最初からかき分けろよ。
「お前はいつもいつも文句ばかりだな」
「そうでしたかしら?」
「まぁいい。そんなことより今から生徒会室に行くんだろう?」
「そのつもりですわ」
私が醸し出す『退け』という空気を感じ取ってくれたのか、アルムガルトに嫌味を言う私に引いたのかは知らないが、女子生徒たちがふわっと道を開けてくれたので遠慮なくそこを通り抜ける。
そしてそのまま適当な会話をしながら女子生徒たちの塊から遠ざかる。
女子生徒たちからの視線には殺意に近いものが混ざっていた気がした。
「なんで毎回お前を助けるために私が悪者にならなきゃいけないわけ」
「いつもすまないなトリーナ」
「すまないなんて一切思ってねぇじゃん」
「しかしああでもしないとどうしようもないだろう」
「いやお前が全員無視すればいいだけの話じゃん」
「そんなことは出来ない!」
「お前のその変なこだわりのせいで私のイメージは地の底まで落ちてるんだけど」
「トリーナのイメージなど最初からずっと悪いんだからもう下がることはない」
「よーし今後は見かけても絶対に助けてやんねぇ」
生徒会室に入るなり堰を切ったように口論が始まる。
この野郎、最初の頃はまだ多少なりとも感謝の欠片を感じないこともない程度だったはずなのに、今では助けてもらって当たり前だと思ってやがる。
さらには私に対しては暴言も吐いていいと思ってやがる。クソ野郎だなマジで。
「トリーナがなんだかんだ言いながらも助けてやるからアルムガルトも甘えるんだろう」
大量の箱と紙に埋もれた机のほうから声がした。
私の記憶が確かなら、あの場所には生徒会長の席があるはず。それなのに、その生徒会長の席が見えなくなるほどの箱が積まれていて、その周辺には大量の紙が散らばっている。
「アシェル……?」
「おう、俺。今日は寄り道せずに来たんだなトリーナ」
「あぁ、まぁ、途中でこれ拾ったし」
これ、とはもちろんアルムガルトのことである。
一刻も早く文句が言いたかったからここに連れてきたと言っても過言ではない。
そんなアルムガルトは「俺は甘えてなどいない!」と王子殿下に不満を述べている。あれが甘ったれていないんだとしたらなんだというんだクソ野郎め。
「何この大量の紙」
手近にある一枚を拾い上げると、そこには『要望』の文字が。
「この学園の生徒たちから来た要望書」
「そんなのあったっけ?」
拾い上げた紙に羅列していた文字を読めば、まぁなんともくだらないことが書いてある。
「どこぞの女子生徒がこの要望書入れに紙を入れれば生徒会室に届くということに気が付いたらしい」
昔からそこに存在していたいわゆる目安箱的な物が、最近活用されはじめたということのようだ。活用方法が若干間違っているようだけれど。
「アルムガルト宛だよこれ。『お慕いしております』だってさ」
ゴミじゃねえか。読み上げると同時にその辺に投げ捨てた。
「そんな内容がほとんどだよ……」
呆れの滲む声でそう言ったのは王子殿下だった。
彼は少し前からこの紙たちと格闘していたらしい。
要は、目安箱じゃなくファンレターボックスとして活用され始めている、ということなのだろう。
そんなわけなので、王子殿下は今紙に埋もれながら要望が書かれたものとただのゴミ……いや、ファンレターとに仕分けているんだとか。
そんな王子殿下を見ておいてスルーするわけにはいかないので、私も近くの椅子に腰を下ろして手伝うことにしたのだった。
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