代理人、本を読む
軽い気持ちで騎士の訓練所を見に行った王子殿下と私に対してノアは盛大なため息を零した後で「見に来るならちゃんと俺に報告してからにして」と言ってもう一度大きなため息をついた。
私たちが勝手に見ていたあの時はどの騎士たちもただ剣の打ち合いをしていただけで比較的静かだったけれど、魔法騎士が訓練を始めたら周囲に魔法が飛んだりすることもあるんだそうだ。
大人しくしろって言われてるから騒がなかったもん、とは冗談でも言えない呆れられかたをしてしまった。
「それで? 訓練所にいた理由は、訓練中の俺を見に来たってことにしといてあげるけど、医務室にいた理由は?」
そんなノアの問いかけに、どう答えたものかと思案する。
王子殿下も似たようなことを考えているのだろう。眉間にしっかりとした皺を刻んだまま「うーん」と呻っている。
「野次馬だな」
まさかの歯に衣着せぬ物言い。
「や、やじうま?」
ノアもあまりの衝撃に目を丸くしながら絶句している。
「野次馬っていうか……まぁ野次馬なんだけど」
適当な言い訳を探すつもりだったのに、王子殿下が野次馬と言い切ってしまったから私も一旦脳内がリセットされてしまい、気の利いた言葉が出てこない。
「訓練を見ていたら、弾き飛ばされて悶絶してる奴がいたんだ」
王子殿下が事の発端から我々が医務室にいたところまでの経緯を、順を追って話し始めたので私もノアも大人しく聞く。
「それはそれは痛そうでな。見ているだけで何も出来ないのは心苦しかった」
そうか? と言いたい気持ちをぐっとこらえながら、私はうんうんと頷いて見せる。
最初は二人とも痛そうだなぁと思ってただけだし、私が治癒魔法使ってもいいかって話を持ち出した瞬間王子殿下はいたずらっ子の顔をしていたはずだ。
しかし今のちょっと怒ってるノアにそれを言うわけにはいかないし、勘付かれても困る。もっと怒られるから。
「そこでトリーナが歌に乗せる治癒魔法を試したいと言ったんだ」
その王子殿下の言葉を聞いたノアは、ふと怪訝そうに首を傾げる。おそらく「試すも何も、出来るよね?」と言いたいのだろう。
だって、私はノアの傷を歌いながら治したことがあるのだから。
しかしあれは見栄っ張りの私が苦し紛れに出した紛い物の魔法だ。
「……結構な距離があったから、届くかなぁ? ってね」
……まぁ、これも苦し紛れ。見栄の上塗りである。
私が見栄っ張りなばっかりに。
「結局、トリーナが歌い終わったところであの怪我人が静かになったんだ」
「静かに?」
「ああ。うっすら聞こえてきたのは寝てるという言葉だったな。そして静かになったまま医務室に連れて行かれた」
「寝てる……?」
「そうだ。気絶ではなく、寝てると言っていたんだ。気になるだろ? 俺は気になる。気になって気になって仕方がなかった」
明らかに王子殿下がノアを丸め込もうとしている。
「それに俺はトリーナが毎日毎日魔法の勉強をしているのを知っている。そんなトリーナの魔法が成功したかもしれないと思ったら足が勝手に動いていたんだ」
それで丸め込むのはちょっと難しいのでは?
「トリーナが勉強してるのは、俺も知ってるからなぁ……」
「そうだろう?」
丸め込まれてんな?
「それで、結局野次馬の結果はどうだったの?」
完全に丸め込まれてんな?
ノアの瞳から綺麗に怒気が消えてしまっている。
「あんなに悶絶してたのにどこも痛くないって言ってた上に、歌が聞こえたって言ってただろ?」
「歌が聞こえたって言ってたのは、俺も確かに聞いたけど」
二人の言う、歌が聞こえたって言ってたってのは医務室内での盗み聞きの件だ。
その話は私も確かにこの耳で聞いた。
大きな声で歌ったわけでもないのに、私が狙いを定めた相手にだけ聞こえていたらしい。それがただの幻覚だったのか、私の声だったのかは確認していないから分からない。
そんなことを考えていたら、王子殿下がうーんと首を傾げていた。
「隣にいた俺にやっと聞こえるくらいの声だったのに、あの怪我したやつにだけ聞こえたってのもすごいな?」
「確かに!」
さっきまで怒っていたはずのノアの表情がきらきらと輝き始めた。
おそらくノアは自分がさっきまで怒っていたことも忘れているかもしれない。いや、さすがにそれはないか。
「俺がこの前やってもらった治癒魔法は至近距離だったからなぁ。ねえトリーナ、今度俺が怪我した時は遠くから試してもらってもいい!?」
……忘れてね?
「いや、まぁ、あの、怪我した時はね。考えとくけど」
「うっかり寝るかもしれないけどな!」
「怪我が治って歌が聞こえて眠くなるかもしれないんだよね!」
楽しそうだなお前ら。
まぁ別に怒られないのならそれでいい。
そして話が大きくならなければそれでいい。自分で試してみといてなんだけど、話がデカくなるのは本意ではないし。
大輪の乙女がなんやかんやって話だって、あ、そうだった。
「ねぇ、ノアは大輪の乙女ってやつ知ってる?」
私はふと思い出した単語を口にした。
王子殿下も私も知らなかったけれど、ノアなら知ってるかなと思って。
「大輪の乙女? あぁ、聞いたことはあるよ。……いや、聞いたっていうか、見た?」
「見た?」
「見た?」
ノア、王子殿下、そして私の順に首を傾げていく。
しばしの沈黙ののち、いち早く復活したのはノアだった。
「いや、トリーナが持ってたからだよ」
「私がぁ?」
一切記憶にございませんけどぉ? と、もう一度首を傾げる。傾げすぎてもげそうなくらい傾げる。
「ほら、昔皆ですごしてたあの部屋で」
「あー、あの遊び部屋?」
「そうだよ。あそこの本棚から手に取ってたでしょ、大輪の乙女の本」
「……知らん」
私が小さく呟くと、ノアは怪訝そうな顔をする。王子殿下はというと、彼はさっきから首を傾げて黙ったままだった。
あの時の私は大体ノアといたからな、王子殿下も私が持っていた本なんて覚えていないのだろう。
「……まぁでも、そっか。トリーナが本を持ってたのは見たことあるけど読んでるとこはあんまり見たことないね」
ノアはそう言ってふと笑った。
そしてノアのその言葉に、私はふと思い返す。あの頃のことを。
誰かに話しかけられるのが面倒だからと本を手に取ってピアノの前に座っていた。しかし即ノアに声をかけられた。
ノアに声をかけられることが当たり前になったり、銀髪兄弟だとかコピペだとかに絡まれたりして……毎度毎度本を手にとっては誰かに邪魔をされて読めなかった。
「読もうとしてたのに皆が邪魔してくるから読めなかったんだわ」
知らないはずだわ、と続ければ、王子殿下もノアもクスクスと笑い始めた。おそらく当時のことを思い出したのだろう。
笑い事じゃねえけどな。こっちは邪魔されてんだから。
「ま、まぁ、読めなかったとはいえ、その大輪の乙女の本ならまだあの部屋にあるんじゃないのかな? 片付けられたりしてなければ」
学園に通うようになってからは皆生徒会室に集まるようになったし、あの部屋にはもう行っていない。
そういえば、あの部屋があの後どうなったのかは知らない。まだあるのかな?
そう思って王子殿下のほうを見れば、問いかける前に答えてくれた。
「あの部屋はあの時のままにしてあるから、まだある」
あの部屋はまだあるらしい。そしてあの部屋があのままだということは、大輪の乙女の本とやらもまだあるのだろう。
「え、じゃああの部屋に行けば読めるじゃん」
「そうだな。行くか」
王子殿下は我々の返事を聞く前に、さっさと帰り支度を始めようとしている。
こういうところを見ると、やっぱり王子様なんだなぁと思う。唯我独尊みたいなこの態度よ。
「今から?」
「ああ。仕事もないし今日なら行けるだろ。気にならないのか? 大輪の乙女」
「まぁ……気にはなるけど」
「はいじゃあ行こう」
決定してしまった。
普段タメ口で友達みたいな感覚だけど、こうなってしまった王子殿下を止めるのは私にもノアにも不可能だ。
だから、我々はノリノリで行こうとしている王子殿下の後ろについて行くしかない。
そんなわけで、久しぶりにあの部屋にやってきた。
突如やってきた私たちを出迎えてくれたのは、幼い頃の私が初めてここに来た時に案内をしてくれた執事風の男性だった。ちょっと老けた気がする。
「お久しぶりです」
執事風の男性にそう声をかけると、彼は少し驚いたように目を丸くした後、にこりと笑ってくれた。
絵に描いたようないい人、そんな柔和な笑顔だった。
「お久しぶりでございますね、トリーナ様。まさか覚えていてくださるとは」
私が彼のことを覚えていないと思っていたようだ。覚えてる覚えてる。私年上の男のほうが好きだしこの人結構好きなタイプの顔だし。
……と、言うわけにはいかないのでとりあえず笑顔を見せておく。
「それでは私はお茶とお菓子をご用意してまいりますね」
「あ、はい」
私の返事を聞いた彼は、張り切った様子ですたすたと去っていった。
「この部屋を使うのも久しぶりだからな。あんなに嬉しそうなアルバンを見たのは久しぶりだ」
あの執事風の男性はアルバンさんというらしい。
少し白髪交じりの深い緑色の髪に青い瞳、背が高くて非常に姿勢がいい……いい男だな。
「トリーナ?」
「ん?」
「なにか気になることでもあるのか?」
「いや、アルバンさん? 改めて見たらめちゃくちゃ姿勢がいいなと思って」
いい男だな、はさすがに言えなかった。
「ああ、あの人は元傭兵だからなぁ。めちゃくちゃ強くてカッコイイ傭兵だったって父上が言っていた」
だからあんなに姿勢がいいのか。歩く速度も速かったもんな。と、一人でさっさと本棚を目指して歩くノアの背中を見ながら思う。
ノアも姿勢がいいし歩くのだって速い。王子殿下と私の会話なんて気にも留めずにさくさく歩いていくもの。
「トリーナはああいう男が好きなのか?」
「アルバンさん? そうだねぇ、わりと好みだよ」
私がけらけらと笑いながらそう呟けば、王子殿下は「あれはもうすぐ40歳だぞ」と零していた。
なんだ40歳か。めちゃくちゃ許容範囲じゃん。と思ったものの、現在の私はまだ10代だってことを失念していた。私の許容範囲だとしても彼が私に手を出したらおそらく犯罪である。
「あ、二人とも、これだよこれ」
いち早く本棚に辿り着いていたノアが声を上げる。
ノアが手にしていたのは、紫色に金の装飾が施された表紙の、とても綺麗な本だった。
「あー、それ見覚えあるわ。表紙の色が綺麗だったからって理由で手に取った記憶がある」
邪魔が入ったせいで内容は一切見ることすら叶わなかったけれど。
ノアの手から本を受け取り、綺麗な表紙を改めて見る。この綺麗な表紙に「大輪の乙女の物語」と書いてあるなんて、今初めて知った。
この表紙を最初に見たのは数年前なのにな。
「とりあえず開け開け」
と、王子殿下に急かされるままに、私はその表紙を開いた。
この本は児童書らしく、少し大きめの字が並んでいる。
主人公の女の子が魔法の力で世界を救う物語、そんなよくあるお話だ。
「ふーん……どちらかというと歌に魔力を乗せるというより、声に乗せる感じだな」
しばらく三人で同じ本をじっと読んでいたわけだけれど、王子殿下の言う通り、大輪の乙女が使っていたとされる魔法は歌ではなく声に乗せる魔法だった。
ただ、魔法の使いかたのカテゴリーとしては歌も声も似たような感じだし、至近距離ではなく遠距離で治癒魔法が使えるあたりも似てはいる。
似てはいるが、一緒と言えるのかどうか……くらいのものじゃないだろうか。
……と、三人でこの本を読んでいるときは、軽く、いや、かなり軽く考えていた。
まさか翌日学園内に「この学園のどこかに大輪の乙女の生まれ変わりがいる」なんて、そんな噂が蔓延しているだなんて、この時の私は知る由もなかったのだから。
お待たせしました。
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そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。




