代理人、盗み聞きをする
「おい! おい大丈夫か!」
私の歌の終わりと共に、人々の焦った声が聞こえてきた。
ついさっきまで悶絶していた彼が、動きを止めていたから。
「王子殿下、あれ大丈夫でしょうか」
「え、死んだ?」
「いやいやいやいやそんなアホな」
王子殿下と私はこそこそと喋りながら身を乗り出すようにして闘技場内を見ている。
そんな私たちの視線の先では、ついさっきまで悶絶していた彼が担架に乗せられている。とても静かに。
あまりにも静かだから、王子殿下が口走った通り死んでいるように見える。
おそらく彼の近くにいる人々も突然静かになった彼が死んだのではと思ったのだろう。次々に彼の胸や首に手を当てて脈を確認している。
「寝てる!」
「寝てるぞ!」
闘技場内に安堵の声と少しの笑いが響く。
「びっくりした」
「本当に」
本来なら彼らとは全く関係ないはずの王子殿下と私もほっと胸をなでおろす。
「いや、トリーナは治癒魔法を飛ばしただけだしアイツに何かあったところで無関係だとは思うんだけどな」
「まぁ、確かにそうですけど」
「治癒魔法の失敗で人が死ぬなんて聞いたこともないしな」
「それもそうですけど」
「それにしても突然寝るってどういうことだろうな? 気絶か?」
「気絶……ですかねぇ?」
気絶のわりには周囲の人が焦っていたけれど。そして気絶なら「寝てる」とは言わない気もするけれど。
王子殿下も私も、お互い不思議そうに首を傾げながら顔を見合わせる。
「……行ってみるか、医務室」
「え」
「トリーナの治癒魔法が届いたかも気になるしな」
そう言った王子殿下はうきうきで立ち上がった。
こうなってしまえば行きませんとは言えないわけだし、私も王子殿下に続くように立ち上がる。
「届いてないんじゃないですかねぇ。寝てるらしいですし」
「効き過ぎて寝てたりするかもしれないだろ」
そんなことあるぅ? ポジティブだなぁ王子殿下。なんてことを考えながら、私たちはこそこそと医務室を目指した。
「……とはいえ、だな」
医務室に辿り着いた私たちは、中に入ろうとしたところで気が付いた。
そもそも怪我もしてないし具合も悪くないし中に入る理由がない、という至極当たり前のことに。
何しに来たの? ってなるやつじゃん。
王子殿下の身に何かあれば大変なことになるわけだから、私が怪我をするか仮病を使うしかない。
怪我をするとしたら自傷行為か……。自傷行為……か。
「私が今ここで適当に怪我をしてみるのはどうでしょうね」
「何を言ってるんだお前は」
「考えてみてくださいよ。私は治癒魔法が使えるんですよ?」
「うん」
「自分で怪我をして自分で治すことも出来ると思いません? やったことはないけど」
「理屈は分かるが物騒が過ぎるわ。却下だ」
「却下かぁ」
ちょっとやってみたかったんだけどな。でも痛いのは嫌だし却下でいいか。
などと考えつつ、仮病のほうを考える。頭痛か胃痛あたりが無難だろうか? 薬を飲まされる可能性を考えたら胃痛のほうがいいか。
「よし、胃」
「お」
私が胃痛と言い終える前に、王子殿下の小さな声が漏れる。
何事かと思い王子殿下の顔を見ると、彼はこちらではないどこかを見ている。
何を見て声を漏らしたのかと思っていると、王子殿下の視線の先のほうから新たな声が聞こえてきた。
「こんなところで何してる……んですか?」
「ノア」
王子殿下の視線の先にいたのはノアだった。とても怪訝そうな顔をしている。
「えーっと」
ノアのほうを向いていたはずの王子殿下の視線が泳ぐ。
何をしていたのかと問われれば、ただの野次馬だと答えるしかないから。それをそのまま口に出すのは憚られる。だって王子殿下が野次馬なんて、ねぇ。
「ノアは? どうしたの? 怪我? さっきまで訓練してたよね?」
話題を変えるしかないと思った私は矢継ぎ早に質問を飛ばす。
すると素直なノアはさっきまでの怪訝そうな表情を消して「え?」と小さく呟いた後で口を開いた。
「あぁ、うん、ちょっとした怪我なんだけど」
ノアがそう言って袖を捲ると、そこには雑に巻かれた包帯が見えた。しかも包帯には血が滲んでいる。
結構さっくりいってしまったらしく、なかなか血が止まらないらしい。
痛々しいから治癒魔法を、と、普通なら治してあげるところなのだけども。
「よし、じゃあ医務室に入るか」
と、王子殿下がノリノリで医務室に入ろうとしている。
「トリーナがいるのに?」
ノアはとても不審そうである。
「説明は後でする。俺は今どうしても医務室に入りたいんだ。トリーナが自傷行為をはたらく前にな」
「自傷行為!?」
元々大きな目をこれでもかと真ん丸にしたノアと目が合う。
そんなノアを見た私は「なんのことだかわかりませんわ」なんて呟きながら王子殿下の後に続いた。
早く説明してほしいという様子がだだ漏れのノアを伴って医務室に入ると、手当てをする場所とベッドを隔てるカーテンの向こう側に人の気配がある。
おそらくさっきの寝ちゃった人とそれを連れてきた人たちがいるのだろう。
「ど、ど、どうなさったの?」
医務室の先生が、突如として入ってきた王子殿下に恐れおののいている。
そう言えばあの人たち以外にも先生がいたんだった。
「王子殿下も私も友人の付き添いで来ただけですわ」
小さな声でそう言ってにこりと笑顔を作る。
医務室の先生はさらに小さな声で「心臓に悪いわ」と呟いた。まぁまぁ高齢の女性だったので心臓を止めてしまわなくて良かった。
そんな先生がノアの手当てをしている中、王子殿下と私はカーテンの向こう側の会話を拾おうと必死で耳を澄ましている。
「あんなに痛そうにしてたのにどこも怪我してないってどういうことだ?」
「しかもめちゃくちゃ気持ちよさそうに寝てるし」
私たちが耳を澄ましてからすぐに男の子たちの会話が聞こえてくる。
どうやらカーテンの向こう側ではたくさんの疑問符が飛び交っているようだ。
それを聞いた王子殿下と私はそっと顔を見合わせて笑いを堪えている。いたずらが成功した子どものように。
「手当てもしてないのに怪我が治るってことは、治癒魔法か?」
「でもあの場に治癒魔法が使える人なんていなかっただろ」
「だよなぁ。いたとしても俺たちみたいな訓練中の見習い騎士相手に使ってくれるわけないもんな」
そういうもんなのか。
私ならいくらでも使っちゃうのにな。治癒魔法。
それどころか実習代わりに使わせてもらいたいくらいなのにな。
「でも治ってるのはおかしいよなぁ」
「最初から怪我してなかったとか?」
「それにしては物凄い悶絶っぷりだったけど」
「確かに。わざと痛がってたようにも見えなかったし……ってことはどこか遠い場所から遠隔治癒魔法を……?」
「まさか。そんな大輪の乙女みたいな人いないだろ。お伽噺じゃあるまいし」
「でもいたら面白いよな。大輪の乙女の生まれ変わりとかさ」
初めて聞く単語に、私は首を傾げる。
皆知ってるんだろう、かと王子殿下を見ると、彼はこちらをしかめっ面で見ているし、ノアに至っては呆れた様子で私たちを見ている。
人の話を盗み聞きするなんて行儀が悪いよ、という意味の呆れな気がする。
「はい、終わりましたよ」
どうやらノアの手当てがいつの間にか終わっていたらしい。
もう少し盗み聞きをしていたかったところだが、手当てが終わってしまったのならここに居座る理由がない。
怪我が治っているらしいって話は聞けたし、まぁいいか。おそらく王子殿下も私もそんなことを考えていた。
「おぉ、起きたか。大丈夫か? どこも痛くないか?」
寝てたやつが起きたらしい。
私は精一杯の時間稼ぎとして、その場にハンカチを落とした。それをゆっくり、のろのろとした動きで拾えば多少は稼げるだろう。
「痛くない……痛くない!」
「本当に怪我してたのか? 寝たかっただけじゃなくて?」
「してた……と、思う。骨からすごい音がしたから。ただ、どこからか歌が聞こえてきたんだ」
歌、という言葉に王子殿下もノアも私も小さく反応する。
「歌ぁ? そんなの聞こえたか?」
「聞こえなかったけどなぁ?」
周囲にいた人物には聞こえていなかったらしいが、怪我をした本人には聞こえていた。
照準を合わせていたから……かもしれない。
「とても綺麗な歌声で、心地よくて……気が付いたらここにいたんだけど」
……ここまで聞けたのならまぁいいだろう。
ということで、私たちはバタバタと医務室を後にした。時間稼ぎも限界だったからな。
色々と話したいことはあるけれど、廊下でべらべら喋ると誰が聞いているか分からない。ということで、私たちは当り障りのない会話をぽつぽつと交わしながら生徒会室へと急いでいる。
ノアは一旦訓練所に戻るとのことだったので、生徒会室に辿り着いたのは王子殿下と私の二人。
生徒会室の中には誰もいなかった。
他の奴らはまだ来てないのか、と思ったけれど、来た形跡があるので私たちがなんやかんやしてる間に来ていたのだろう。
私たちも結構な時間ここから離れていたから。
「もしかして、成功だったんじゃないか?」
バタン、とドアを閉めるなり王子殿下が口を開いた。
「歌が聞こえたって言ってたし……やっぱ成功かも?」
そんな会話の最中、私たちの眉間にはしっかりとした皺が寄っていたのだが、それもすぐに消滅した。
そして、王子殿下も私も手を叩いて喜んだ。
「やったー!」
と。純粋に、魔法が成功した喜びと、ちょっとだけ、いたずらが成功した喜びだった。
「ところでアシェル、大輪の乙女ってなに?」
「なんだったっけなぁ、お伽噺だったか昔話だったか……」
「作り話ってこと?」
「いや? 作り話ではなかったと思うけど」
王子殿下はうーん、と小難しい顔で考え込んでいる。
魔法に関する本は結構読んだけど、物語みたいなものはあんまり読まずに生きてきたからなぁ。私は全然記憶にない。
しかし遠隔で治癒魔法を使ったって話の中で大輪の乙女って単語が出てきたんだから、その大輪の乙女とやらはそういうことが出来たってことなのだろう。
そういや以前先生に「歌声に魔力を乗せるのと治癒魔法の融合とかは?」って聞いた時に、昔そういう人がいたって言ってたっけ。
その人のことかな?
「図書室とかに行けばあるかな? その大輪の乙女とやらの本」
「あるんじゃないか? ちょっと行ってみ」
王子殿下がそこまで言ったところで、生徒会室のドアが開いた。
ドアを開けたのはノアだった。急いで訓練所から戻ってきたのだろう。
パタン、と比較的静かに閉まったドアを確認して、くるりと振り返ったノアの表情は、ちょっと怒っている。
「ライネリオ先生が大人しくしててって言ってたでしょ!」
結構怒っていた。
「騒いではいない」
怒ったノアに対して、屁理屈を零す王子殿下。
「騒いではいなかったとしても……! なんで医務室なんかにいたの?」
ノアの追及に、王子殿下と私はちょっとしゅんとしながら顔を見合わせる。
「いや、その、訓練中のノアが見てみたいねって話になってね」
己の口から出た言い訳の言葉が、思いのほか小さくて。
「騎士の訓練がどんなものなのかを見てみたかっただけなんだ」
王子殿下の口から出た言い訳の言葉も、私と同じくらい小さくて。
「はぁ……」
ノアの口から零れ落ちたため息だけは、とても大きかった。
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