代理人、いたずらっ子になる
あの本の力でこの国の未来を見た翌日から、先生は学園を休んでいる。
あれを見た直後から何度もトート・ウィステリア・アンガーミュラーの名をぶつぶつと呟いていたので、今頃その人について調べているのだろう。
まぁもう五日ほど経っているのだけれど。なげぇな。
しかし曲がりなりにも先生なんだから学園を休んでまで調べるなよ、と思うわけだけど、あの先生の本業はどちらかというと教師ではなく研究者らしいので許されているんだとか。
「トリーナ、生徒会室に行くぞ」
「あ、はい」
王子殿下直々のお迎えが来てしまった。
先生が調べ物に奔走し始める直前「調べ物が終わり次第すぐに戻ってくるから大人しくしといてね」と言い残したばっかりに、私が暴れようとしていると勘違いした王子殿下とノアがずっと私の近くにいる。監視でもするかのように。
どちらかというと今後問題を起こすのは王子殿下のほうなんだけどなあ、と思いつつも、どうせ行先は一緒だし断る理由もないので一緒に生徒会室を目指す。
「ノアはまた訓練ですか?」
「そうらしい。忙しいよなぁ」
「忙しいですね」
ぽつりぽつりと、そんな会話を交わしながら生徒会室を目指す。
生徒会室までの間はもちろん他人の目があるので、私の口調は崩せない。
他人の目が全てこちらを向いているわけではないのだが、私が以前よりも視線を集めるようになってしまったので用心はしておくべきだろう。
つい最近までは私なんかが歩いていたところで誰も気になどしていなかったのだけれど、こうして王子殿下と行動するようになってからは視線が付いて回るようになったのだ。
こうなる前は「王子殿下と一緒にいるところなど見たことがない」だとか「婚約者とはいえ王子殿下に相手にされていないのでは」だとか、適当なことを言い触らされていたわけだもの。
それがこんなにも友好的に過ごしているのだから、やっぱり婚約者なんだな、と認識され始めたんだろう。実に迷惑なんだけども。
そうなってくると、私を足掛かりに王子殿下とお近づきになろうと考える奴らがちらほらと出現してくる。
例のあの少女の記憶の中にも取り巻きは存在したからな。婚約破棄後にどっか行ったみたいだけど。
実に鮮やかな手の平返しだよ。
「あんなに毎日毎日訓練なんかして、体力は尽きないんだろうか?」
「そうですねぇ」
なんて会話をしていたら、いつの間にか生徒会室に辿り着いていた。
王子殿下がカギを開け、扉を開ける。
そして王子殿下も私も室内へと足を踏み入れて、バタン、と音を立てて扉が閉まった。
「そもそも騎士の訓練がどんなものか知ってるか?」
「知らない。そういや見たことないね」
生徒会室に入った瞬間からこうして即タメ口になるのはいつものことなのだが、ここにアルムガルトがいると毎度毎度ご丁寧にドン引きされている。慣れろよ。
そんなアルムガルトは生徒会以外にもなんやかんややっているらしく忙しそうにしていて、今日はまだ来ていない。
アルムガルトの弟も来ていない。多分アルムガルトと似たようなもんで忙しいらしい。
あの兄弟は身体能力が高いとかで、部活の助っ人に呼ばれることもあるんだそうだ。
銀髪兄は多分女遊びが忙しくてまだ来てないんだと思う。
コピペたちは知らん。
そんなわけで、現在生徒会室には王子殿下と私の二人だけ。
「俺も見たことないんだよな、騎士の訓練」
「見てみたいね」
「ご令嬢が興味を持つようなもんか?」
「……ノアが頑張ってるとこを見てみたいねって」
「あぁ、まぁそれなら……まぁ、確かに」
明らかに納得してないじゃん王子殿下。別にいいけど。
ノアが頑張ってるとこを見たいのも嘘ではないけど、実際私が興味を持ってるのは訓練そのものだからな。
私にも出来そうなら見習い騎士の資格だけでも取って護身用に木刀を持っておきたい。
戦える力、自分を守る力はいくらあっても邪魔にはならないもの。
「アシェルは剣に興味はないの?」
「昔は憧れてたけどな。カッコイイし」
「うんうん」
「一応個別指導で訓練をしたこともあるし、帯剣は出来る」
「そうなの?」
初耳である。
「正装のとき帯剣するからそのために形だけ訓練するんだよ」
「なるほど」
その訓練のときにもっと極めたいと思っててくれれば、近いうちにやってくるあの女と戦える戦力を持っていたのでは?
「本当はもうちょっと訓練したかったんだけどな、俺が王子であるばっかりにめっちゃくちゃ手加減されてなぁ」
「手加減」
「俺の身に何かあったら一大事だからって。それ見てたら申し訳なくなって諦めた」
「なるほどぉ……」
確かに王子殿下に怪我でもさせたら大変だもんなぁ。そっかぁ。
でもなぁ、強い心は強い肉体に宿る的な感じで騎士の訓練で強くなればあの女に魔法を使われる前になんとか……ならないもんかなぁ?
「俺は怪我なんかしないって食い下がったこともあったんだけどな」
王子殿下はそう言いながら苦笑を零している。
おそらく王子殿下が怪我をするかしないかではなく王子殿下に怪我をさせるかさせないかのほうが大変なんだろうな。
最悪の事態になれば怪我させたほうの首が飛ぶ。
「……じゃあ魔法の勉強なんかも似たような理由で」
「そうそう。魔法の暴発がないとも限らないっていってな」
だから必要最低限の勉強しかしていない、と。
そのせいで将来的に帝国からやってくるスパイに狙われることになるんだけどなあ!
「ま、王家のそばには騎士団も魔法騎士団も魔術師団もいるからな。俺に大した力がなくても大抵のことからは守られる」
「確かに」
確かにそうだ。王城には王宮騎士団、王宮魔法騎士団、王宮魔術師団、その他諸々王家を守る人たちが沢山いる。
王宮勤めの従僕や侍女、料理人だって何かしら戦える能力を持っているって噂も聞いたことがあるくらいだ。
だから王子殿下が戦う必要もなければ、危険な目に遭う可能性のある訓練をさせる必要もない……ということなのだろう。
結果的に大変危険な目に遭うし、最終的にはこの国が滅びてしまうのだけれども。
しかしそれだけ厳重なのに、どうやってあの女は魔力の強いものを排除していったのだろう?
あの女一人でやったわけではないよなぁ。
「でも、訓練を見るくらいは許されると思わないか?」
「は?」
「幸いアルムガルトたちもいないし今は俺とトリーナの二人だけ。今日は生徒会の仕事もほとんどない」
「はぁ」
「訓練中のノア、見てみたくないか?」
「そりゃ見てみたいけど」
「よし、じゃあ行くか」
「えぇ」
王子殿下の気紛れで、私たちは今来たばかりの生徒会室を後にした。もちろん、ノアがいる騎士の訓練所へ向かうために。
王子殿下と並んでほんの数歩ほど進んだところで、ご令嬢三人組に声をかけられた。
「王子殿下、トリーナ様、ごきげんよう」
精一杯の勇気をもって声をかけました、といった様子だった。
そんな三人に、王子殿下は人当たりの良さそうな笑顔を見せる。
そして私は、いつもの作り笑いを浮かべて無言で会釈をするだけでさっさと通り過ぎた。
令嬢達に声が届かなくなったあたりで、ふと王子殿下が口を開く。
「あの三人、トリーナに話しかけようとしてなかったか?」
「私、無駄な労力は使わない主義なのです」
「喋ってもないのに無駄と言い捨てるのか」
王子殿下はけらけらと笑っている。
「私が一人で行動してる時なんていくらでもあるのに、わざわざ王子殿下と二人の時に話しかけてくるってことは、私に用があるわけではなくて権力に用があるってことでしょう?」
「ふふ、まぁそうだろうな」
「ああいう人間は簡単に裏切るから」
そう、あの令嬢三人は、あの少女の記憶の中にもいたのだ。
権力にすり寄ってきたただの取り巻きとして。そして王子殿下との婚約が破棄された瞬間さっさと消えてしまった。
そんなやつらとの交流を無駄と呼ばずしてなんと呼ぶ。
「お、ついたぞ。騎士の訓練所だ」
あの少女の記憶を思い出しながら、ちょっとだけイラっとしていたところで訓練所に辿り着いたらしい。
「案外騒がしいですね」
訓練所に足を踏み入れる前から、なんだか騒がしい。
しかも男の野太い声ではなく、女性の……黄色い声のような。
「キャー! ノアベルト様ー!」
……あぁなるほどねぇ。
騎士の訓練所は、円形の闘技場といった感じだった。ご丁寧に観客席が用意されているので、訓練以外に使うことも出来そうだ。
そして、その観客席の一角に、女子の群れがいる。
どうやらあれは、ノアのファンたちのようだ。
「すごいな」
王子殿下が小さな声でそう零した。
闘技場に対してか、女子の群れに対してかは分からないけれど、なにかに感心しているらしい。
「ノアってモテるんですね」
女子の群れから遠く離れた席に、二人でそっと座りながらそう呟くと、王子殿下がふと苦笑を漏らす。
「生徒会室の中にいると麻痺しがちだが、ノアも伯爵家の人間だからな。しかも歴代の騎士団長を輩出しているティール伯爵家の」
「騎士団長って世襲制じゃないんですっけ?」
「基本的には世襲制ではない。しかし騎士団長の家に生まれれば、生まれながらにして団長からの指導が入るからな」
「英才教育の結果騎士団長の息子はまた騎士団長になりがち、的な」
「まぁそういうことだ」
痛いから嫌だって言ったままのノアだったら騎士団長なんか目指さなかったんだろうなぁ。
なんてことを思いながら、私は闘技場の片隅に視線を移す。ノアたちが訓練をしているところとは別の一角だ。
そちらでは実戦形式の訓練をしているようで、まぁまぁ白熱している。
ノアには悪いけれど、今はそっちを見ていたほうが楽しそうである。そもそもノアのほうを見ていると自動的に女子の群れが視界に入って若干不快でもある。
苦手なんだよなぁ、女子の群れ。
「あ」
王子殿下と私の小さな声が重なった。
実戦形式で訓練をしていた推定騎士の卵の片方が弾き飛ばされたのだ。
結構な白熱具合だったけど大丈夫だろうか? 怪我してなければいいんだけど……結構悶絶してるな。痛そう。
「あれは痛そうだなぁ」
王子殿下も隣でそう呟いている。
治癒魔法を使うべきだろうか?
まぁここからだと少し距離があるから痛みを和らげる程度にしかならないかもしれないけれど。
「王子殿下」
「ん?」
「治癒魔法、試してみてもいいですか?」
私はこそこそと王子殿下に声をかける。
王子殿下は最初こそきょとんとしていたけれど、私の言葉を理解したのか楽し気に笑う。
「歌に乗せるやつか?」
「まだ出来るような気がする程度なんですけど」
「もし出来なかったとしても怪我が悪化するわけではないだろう?」
「はい。ここからなので万が一失敗したとしても気付かれることはありません」
王子殿下と私は顔を見合わせて、ふと笑った。悪戯を思い付いた時の子どものように。
私は怪我をした人物に視線を固定する。
そしてイメージする。私の魔力が彼の怪我を治すように、と。
すう、と息を吸い込み、彼の元へ魔力を届けるようにという思いを込めて、歌を歌い始めた。
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