episode3 自分と向き合い続けること
とんでもないことになった、と星蘭は心の中で呟いた。
信じられない思いでローベルを見つめるが、ローベルの方はそんな星蘭のことなど意に介していない様子で、星蘭の勉強机の上で毛繕いをしている。背中の翼はいつの間にか小さくなっていた。
聖霊は魔法少女にしか見ることができないから、星蘭はイラストでしかローベルの姿を見たことがない。
黒曜石のような瞳に銀色の長いたてがみ。実在するかもわからない、伝説の獣と同じ姿をした生き物。目の前にいる生き物はそのイラストと全く同じ姿をしていた。
「あっ、そうだ。ステラ。いや、もう帰ってきたから本名の方で呼ぶべきだね。
君の名前は?」
「京星蘭。星に蘭の花の蘭で星蘭。」
「そうか。綺麗な名前だね。
星蘭、これが君のフルール・ビジューだよ。」
ローベルはそう言って、光の玉を出現させ、それを星蘭の方に寄越した。星蘭が慌てて手を伸ばして受け取ると、光が弾けて、ハーバリウムのような見た目をした小さな球体が、星蘭の掌の中で転がった。
これが、と思って星蘭はガラス玉のような見た目のそれを見つめた。
これはフルール・ビジューと呼ばれているもので、魔法少女が変身するための道具だ。中身や形は魔法少女によって異なるが、どれも小さなハーバリウムのような見た目をしている。
星蘭のフルール・ビジューは丸い形をしていて透明な液体に白い星のような形をした花が数個入っていた。
「形状は何がいい?」
「ネックレスで。」
「了解。」
星蘭のフルール・ビジューが光に包まれ、その光が弾けると、金色の鎖がついていた。
フルール・ビジューはネックレス、イヤリング、ブレスレット、ブローチ、アンクレット
等々、魔法少女が持ち運びやすいよう、聖霊に形を変えてもらえる。
魔法少女ではなくても、魔法少女に憧れて似たような見た目のアクセサリーを持ち歩いている少女は多いから、フルール・ビジューを見られて魔法少女だと断定される心配はない。現に星蘭の友人もフルール・ビジューそっくりのアクセサリーをいつも身につけていた。
星蘭はフルール・ビジューを首につけた後、ローベルに尋ねた。
「ローベルは本当にリアンさんのこと、何にも覚えてないの?」
ローベルは困ったような顔をする。意外と表情が読み取れるものだ。
「うん。本当に何も覚えてないんだ。
だけど、あの眼鏡の人も言っていたけど、聖霊が記憶を無くすなんて聞いたことがない。もしかしたら、誰かに魔法で記憶を封じられているのかもしれない。」
「誰かっていうのは邪霊のこと?」
「ぼくはその可能性が高いんじゃないかと思ってる。他の聖霊や魔法少女がそんなことをするとは思えないし。」
「そう…」
最強の魔法少女リアン。別名白翼の魔法少女。
正義感の強さと常に努力を怠らない姿勢。そして底抜けに明るく、前向きな性格。その人間性に加えて、圧倒的な魔力量の多さ。魔物だけでなく、邪霊さえも何体も屠り、多くの人々の命を守った、まさに伝説の魔法少女。
しかし、15年前、そんな彼女が突然姿を眩ました。死と隣り合わせで戦う魔法少女であるから、普通に考えれば命を落とした、ということになるのだろうが、未だに彼女の遺体は見つかっていない。
彼女が今も生きているのか、それとも、もう亡くなってしまっているのか、議論が続いていたけれど、ローベルが彼女の死によって契約が解けたと言うなら、そういうことなのだろう。
「ローベル。とりあえず魔法少女について基本的なことが知りたい。魔法少女の強さは聖霊の強さと本人の魔力量で決まる。これは間違いない?」
「間違いないよ。まず聖霊の強さだけど、聖霊の強さにはD~Sまでのランクがある。そしてランクが高い聖霊ほど数が少ない。」
星蘭が調べた情報と合致している。
「ローベルはSランクなんだよね?」
「そうだよ。
上位の聖霊と契約するほど、技の威力が高くなる。もちろん、ランクの低い聖霊と契約して強くなる魔法少女もいないわけではないけど、それをカバーできるだけの魔力量が求められるから、強い魔法少女への道はより険しいものになる。」
「なるほどね。
聖霊は取り替えできないって言われたけど、魔力量は鍛えられるものなの?」
「もちろんだよ。魔力量は努力次第で大きく伸ばすことができる。だから初任務が来るまでに少しでも鍛えておこう。あまり、猶予はないかもしれないけど。」
「魔法少女の力って実際どうやって鍛えるの?
運動神経がいい方がいいのかなとは思って運動はやってたんだけど。」
星蘭は、両親が殺された後、空いた時間にずっと体を動かしていた。そうしていると、家族を失った底のない悲しみを、一瞬だけ忘れることができた。
「正直、変身していない時の運動神経はあまり関係がない。
魔法少女にとって、一番大切なのは自分と向き合い続けることだよ。」
「自分と向き合い続けること?」
ローベルの意図が分からず、星蘭はローベルの言葉を繰り返した。長時間訓練を積むとか、天賦の才があるとか、魔法少女として大切なことは他にあるのではないのかと思っていたからだ。
「そう。自分の持つ特性と価値観を知り、自分の力を最大限に引き出すこと。
邪霊であっても魔物であってもコアを砕けば倒すことができる。だから全ての魔法少女の目標は敵のコアを砕くこと。
だけどどうやって砕くのが一番効率的かは、皆それぞれ違うんだ。
魔法少女の中には、憧れの魔法少女と同じ種類の武器を使ったり同じ戦い方をしようとする子がいる。でも魔力の形も量も、君たちの魔法少女としての身体能力も一人一人違うから、他人の真似をするのは一番の愚策になるんだ。
大切なのは自分の強み、弱みを知ったうえで戦い方を選ぶこと。試行を繰り返し、改善を続けること。どの武器を持つのがいいのか、遠距離から攻撃するのがいいのか近距離から攻撃するのがいいのか。威力の高い攻撃を一度に打ち込むのか。連続攻撃で少しずつダメージを与えていくのか。
そして、魔法少女として戦っていく中でいくつも決断を迫られる時が来る。」
「決断?」
ローベルは、長いたてがみを揺らして頷く。
「優先順位を自分の中で決めておくんだ。人の命を守るのか、魔物を一刻も早く倒すのか、社会的に批判を受けるとしても、自分の命を優先して追い詰められたら逃亡も辞さないのか、とかね。
何かを選ぶことは常に何かを捨てることと一体だ。だからこれは逆に言えば何を真っ先に切り捨てるのか、決めることでもある。
星蘭は何を最優先で動きたい?」
それは星蘭の中で明白だ。人の命が最優先。これ以上邪霊や魔物に人の命を奪わせない。そのために魔法少女になったのだ。
「他の人の命を守ることが最優先。」
「たとえ、その結果君が命を落とすことになったとしても?」
「…!」
ローベルに尋ねられて星蘭は思わず息を呑んだ。ローベルの漆黒の瞳は、真っ直ぐに星蘭を映している。
「ごめん。すごく意地が悪い質問だってわかって聞いてるんだ。即答できなくていいし、よく考えて…」
「いいよ。」
ローベルが言い終わる前に星蘭は言った。
「命を落とすことになってもいいよ。それで私みたいに苦しむ子が減るなら私はそれでいい。」
「…そう。君の決意は固いんだね。
決意が固いのはいいことだよ。魔物には殆ど知能がないから心配ないけれど、いずれ邪霊と戦うなら心を強く持つ必要がある。彼らは狡猾だ。物理的に殺害することより容易、あるいは面白いと判断すれば、魔法少女の心を壊そうとする者もいるからね。」
ローベルはそこで言葉を切った。それから羽ばたいて、星蘭の部屋の棚の上、家族との写真が映し出されているフォトフレームの辺りに降り立った。
「そして、将来的には仲間を作る必要がある。最初は管理省がどの魔法少女と任務に行くのか、適当に割り振ってくれるけれど、任務をこなしていく中でチームを組む魔法少女を選ぶ必要がある。」
「…仲間、か。」
今の星蘭は、大切な存在を作ることに微かな恐怖を感じていた。また、自分が誰かと当たり前みたいに些細なことで笑える日が来るなんて想像ができなかった。大切な人を失うことがこんなに苦しいことだなんて、少し前までの星蘭は考えもしなかった。
かつて在った時の中、幼い星蘭を囲んで微笑む二人の姿があった。たくさんの思い出がフォトフレームの中で繰り返し、繰り返し回っている。そして、もうここに新しい写真が増えることはない。
「戦い方を決めること、武器を選ぶこと。やることがいっぱいだね。」
「一度に全部はできないから、一つずつこなしていけばいいよ。
とりあえずは武器選びかな。」
「わかった。武器を見せて。」
これからの選択の一つ一つが自分の生死を分けることになる。星蘭は硬い表情でローベルに言った。