episode2 記憶を無くした聖霊
家族が殺された日から一ヶ月半が経った。
あの後、警察の調査であの日起きた出来事が明らかになった。まず、魔物が星蘭の家の壁を突き破って侵入。すぐにリビングにいた父親が殺された。それから、玄関に向かって逃げ出した母親が後ろから魔物の持つ槍で突き刺された。
星蘭の家は壁と玄関扉が破壊されていたけれど、修復を専門とする魔法少女が直してくれて、見た目だけは元通りになった。ただ、あの日からずっと、星蘭しか居ない家の中は葬式のように静かだ。
あれから星蘭は魔法少女や魔物のことを熱心に調べた。幸い、魔法少女としての活動に専念するために学校を辞めたので、時間は十分にあった。
実際のところ、調べれば調べるだけ、魔法少女として魔物と戦うことの厳しさを突きつけられるばかりだった。それでも星蘭の決意が揺らぐことはなかった。
魔物について分かっているのは、魂を奪うため、無差別に人々を傷つけ殺しているということ。そして魔物を創り出しているのが、邪霊であるということ。
邪霊のことはほとんどわかっていない。人と同じような姿形をしていて、会話もできるらしい。そして、魔物を創造している存在であるから、魔物よりも遥かに魔力が強い。だから、彼らと出会った人間は、たとえ魔法少女であってもまず生き残れない。かつて邪霊を倒した魔法少女も存在したらしいが、その時に彼らの狙いが人の魂であることを聞き出せた、というのが今の所の最大の成果のようだ。
強い魔法少女を狙って現れることが殆どらしいので、星蘭が邪霊に出会うことは当面の間はないだろうが。
インターネットで魔法少女登録の申請をしてから半月。魔法少女ダリアに言われた通り、あの日から一ヶ月経った後に申請した。その後、国の機関、魔法少女管理省から届いたのは一枚の紙だけ。今日の12時にこの紙を手に持っていてくださいという指示とともに。
今の時刻は午前11時50分。
魔法少女になる時の詳しい過程については情報統制がされていて、調べてもよくわからなかった。
魔法少女管理省から届けられた白い紙には、片面に魔法陣のような模様がプリントされている。この紙に何の意味があるのか。星蘭は半信半疑で待つ。
12時になった瞬間手に持っていた紙が光り輝いた。あっと驚く間も無く星蘭はその光に包み込まれた。
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目を開けると、神殿のような場所にいることがわかった。
今は昼のはずなのに空は真っ暗で無数の星が見えた。光沢のある滑らかな白い石でできた床と柱。そして目の前の階段を登ったところに泉があるのが見えた。どういう仕組みか分からないが、泉を囲うようにして、空中から細い糸のように水が降り注いでいる。夜空を切り取ったような広い空間に、水の流れる澄んだ音が響いていた。
辺りを見渡すと、星蘭以外に4人の少女がいた。そしてもう一人。
「ようこそ。未来の魔法少女の皆さん。」
髪を短く切り揃えてメガネをかけ、黒いスーツをピシッと着こなした女性がいた。
あの人はテレビで見たことがある、と星蘭は思った。確か名前は安西郁枝。元魔法少女で今は魔法少女を育てている。最強の魔法少女、リアンと同じチームに所属していたことで有名になった人だ。
魔法少女から師事させて欲しいという依頼が絶えないそうだが、才能のある人にしか教えたくない、の一点張りでほとんどの依頼を断っているらしい。
「名前を読み上げるので返事をしてください。ステラさん!」
星蘭は大きな声で名前を呼ばれて背筋が伸びる思いがした。
ステラというのは、魔法少女としての星蘭の名前だ。魔法少女のプライバシーの保護のため、魔法少女の登録申請をする時、本名とは違う名前を決める。
ステラというのはラテン語で星のこと。星蘭という名前を持つ自分にはぴったりだと思ったのだ。
他の魔法少女はそれぞれラパン、エメラルド、イリス、マールというらしい。
「全員揃っているようですね。大変結構。」
安西は満足気に眼鏡をずり上げる。
「それでは魔法少女となる過程について、軽く説明させてもらいます。
これについてはもうご存知と思いますが、魔法少女になるには聖霊と契約をする必要があります。人は普通魔法を使えませんが、聖霊と契約すれば、貴方達自身が自分の魂を元手として魔力を作り出せるようになるわけです。そして、どの聖霊と契約するかは、貴方達の魂の性質次第。現在どの魔法少女とも契約をしていない聖霊の中で、貴方達と最も魂の形が合う聖霊が契約してくれます。
もっと強い聖霊がいい、この聖霊は嫌だ等々文句をいう魔法少女が後を経ちませんが、一度契約した聖霊を取り替えることはできませんし、一切の異議も受け付けません。
公平に聖霊との契約を進めるため、契約の順番は事前にくじで決めさせていただきました。まずはラパンさん、祭壇に上がってください。」
「はっ、はい!」
上ずった声でラパンと呼ばれた少女が答えた。ウェーブがかかった薄茶色の髪を高い位置で二つに結んだ、可愛らしい少女だった。
星蘭の順番は最後だった。
安西の指示を受け、星蘭は泉の前に立つ。
幼い頃の星蘭なら次々と起こる超自然的な現象に、心臓が高鳴っていただろう。一体どんな聖霊が現れるのだろう、と。絵本の中に入ったようなワクワクした気持ちで。
けれど今は違う。これから命懸けの戦いを始めるのだ。できるなら強い聖霊と契約したい。純粋にそう願った。どんな聖霊と契約することになろうと、自分のできることを全力でやるだけだと割り切ってはいるけれど。
星蘭の足元から光が溢れた。光は赤、青、黄、緑と次々に色を変えていく。まるで星蘭にどの色が合うのか試しているかのようだった。
足元の光は、青い光と白い光の点滅を繰り返した後、白い光のまま、色が変わらなくなった。
円の形をした白い光は、星蘭の足元から泉の中央へ滑るように水面を動き、白い羽を思わせるような魔法陣を描いた。
魔法陣が一際眩い光を放った後、泉から現れたのは大きな翼が生えた馬のような生き物、ペガサスだった。羽を広げた姿は神々しさを感じさせるほど、美しかった。銀色の毛並みが泉から溢れた光を受けて、複雑な色に輝いている。
「はじめまして。ぼくはローベル。
これからよろしくね。」
ローベルは口を動かすこともなく、星蘭の頭の中に響く声で語りかけてくる。
語りかけられた星蘭の方は、返事をすることもできないまま、呆然と目の前のペガサスを見つめていた。
自分の聖霊がローベルであることが、信じられなかったからだ。
星蘭はこの聖霊を知っていた。それも最近魔法少女について調べる中で知った、というわけではない。特に魔法少女について関心がなかった星蘭でもこの聖霊だけは知っていたのだ。
名前はローベル。星蘭の記憶が正しければ、最強の魔法少女、リアンと契約していた聖霊だ。彼女が行方をくらませた後、誰とも契約をしていなかった彼が、今15年ぶりにこちらの世界に現れたのだ。
その場に居合わせた他の少女達も驚きの声を上げていた。
「静粛に!」
苛立たしげに安西が叫んだ。すぐにその場は痛いほどの静寂に包まれた。
「ステラさんの聖霊はローベルとなりました!これで聖霊との契約は終了です。
初任務の通知は聖霊を通して行います。それでは解散!」
安西から解散の声がかかると、他の魔法少女達はちらちらとローベルに視線を投げながらも、それぞれの聖霊に連れられてこの場を去っていった。
星蘭はしばらく呆然とローベルを見ていたが、ようやく落ち着いてきて、ローベルに声をかけて帰ろうと思った時、安西に呼び止められた。
「ステラさん。あなたは少し残ってください。
ローベル、貴方には聞きたいことが山ほどあります。」
ローベルは相変わらず口を動かすこともなく淡々と答えた。
「うん。そうだろうね。ぼくと契約していた魔法少女リアンのことだろう?」
「もちろんです。15年前、何があったのですか?彼女は、リアンは…生きているのですか?」
安西の声には祈るような響きがあった。当然だろう。彼女にとって魔法少女リアンは大切なチームの仲間だったのだ。
「…申し訳ないけど、わからない。ぼくにはその頃の記憶がないんだ。
リアンという魔法少女と契約していたことも他の聖霊に聞いて初めて知った。」
「…!そんな馬鹿なことがありますか⁉︎
聖霊が記憶を失うなど、聞いたことがありません!」
安西はかなり動揺している様子だった。あまりにも大きな声を出すので、星蘭は思わずびくりとした。
「そう言われても本当に覚えてないんだよ。その10年間の記憶がきれいになくなっているんだ。
25年前、ぼくは誰かと契約するために人間界に来た。それは覚えてる。
そして、気がついたらぼくは聖霊界に帰っていた。契約していた魔法少女の死により契約が解けたんだ。そのリアンという魔法少女は既に亡くなっている。」
「それは、確かなのですか?本当に、リアンはもう………
……分かりました。とりあえずそういうことにしておきましょう。」
安西はまだローベルに話を聞きたい様子だったが、これ以上尋ねても無駄だと判断したのだろう。少しも納得がいっていないという表情だったが、引き下がった。
「ステラさん、引き止めて申し訳なかったですね。もう帰っていいですよ。」
「行くよ。ステラ。」
「うん…」
ローベルの魔力だろう。星蘭の身体がふわりと宙に浮いた。気落ちした様子の安西を尻目に星蘭は神殿を後にした。