消える人
都会のど真ん中で育ったわけではなかった。もしかするとそれが幸いしたのかもしれない。
山の多い街だった。その多い山の一つを切り崩し、平たくした土地に点々と建ち並ぶ新興住宅街の一角で僕は育った。
家やマンションが建ち並ぶなかには、多くの木々があり公園があった。
近郊ではたった一件しかなかったがスーパーもあったし、駄菓子も売る薬局もあって、生活をするのに不自由はなかった。
だが山を切り開いたのだから住宅街には最初何もなかったはずである。
僕は自然あふれる環境で育ったつもりだったが、実際はそれらが人口のものであったことに、大人になってから気付いた。
両親は三歳の僕を連れてそこへ移り住んだ。
僕には当時の記憶がたった一つだけ残っている。
家の玄関口で立ち尽す僕は、喜びとともに家の中を眺めている。もしかすると手は母親とつないでいたかもしれない。記憶の中の家には、家具も何もない。
ふすまやドアは開け放たれたままで、大きなガラス戸を通して外の強い日差しが見えた。
二枚並んだガラス戸の一枚からは金色に近いくらいの太陽の光がむき出しに、その隣からは薄いグリーン色の光沢を伴った光が差し込んでいた。
僕はそのグリーンの光をうっとりと眺めている。
記憶はそれだけだ。その前後は全く覚えていない。どうやってそこに着いたのか、その後僕は靴を脱ぎ中に入ったのか。
だが三歳の僕は、確かにその時希望に胸を躍らしていた。
ベランダから差す光がこれほども喜びに満ちたものとして記憶にあるのは、それはその時に一緒にいた両親が喜びに満ちていたからだろう。
後日僕は、その日のグリーンの光がまっさらな網戸の色を通していたためだ、と気付いた。
きーちゃん、と母親から呼ばれていた僕が十一歳になり、薄いグリーンの網戸が汚らしい茶色が混じったような緑色になっても、記憶の中のグリーンの光は僕の中ではいつまでも鮮やかなままだった。
「きーちゃん、一緒に死んでくれない?」
母親が涙ながらに僕に頼んだその夕方にも、ガラス戸の一枚からは金色の光が差していた。
黒ずみかけたと言ってもいい色に変化してしまった網戸は、もはや光を変える力はなく、ただ夕陽を斑にするばかりであった。
「少し・・・考えてもいい?」
僕は怯えながら母親にそう言った。
夫婦仲は引っ越した時をピークにこの八年間悪くなる一方であった。
身寄りもなく手に職もない母には、僕を連れて逃げる場所も思いつかないまま、暴力こそは振るわないが、酔えば声を荒げ、執拗に母を責めるだけの父から逃げる術が死よりほかに思いつかなかったのだろう。
「きーちゃんを置いて行くだけが不安なの」
心残りになるから一緒に死んでくれという母に、僕は逆らう言葉を見つけることは出来なかった。
可もなく不可もない成績の、なおかつスポーツもそれほど得意ではない僕の過去十一年間は、自分でもこの先続ける価値はないのではないか、と思ったからである。
考えてみる、という言葉が口から出たのはその場しのぎではなく、本心からであった。
その日から僕は毎日学校が終わって一度家に戻る時、母の気が変わってもしかしたら先に一人で死んでしまっているかもしれないと怯えるようになった。だがその後も母親は、僕へ力のない笑みを見せ、いつものようにおやつを買うための数枚の硬貨を渡してくれるばかりであった。お金を受け取った僕は、遊んでくると言ってまた逃げるように家を飛び出していく。
誰かと約束がある訳ではない。家にいたくないだけで、友達もろくにいない子供時代だった。
母には考えておくと言ったまま何日も経っていた。母親と二人きりになって、心を決めたかどうかを聞かれるのが何よりも怖かった。
僕はその日も薬局へ入ると、もらったお金の分きっちり駄菓子を買った。明日があるかどうか分からない僕にはお金を残すことに意味がない。
買ったお菓子をポケットいっぱいに詰め込むと、いつもの秘密基地へ行く。
公園を下ったところには小さな森がある。森は少し坂になっていて、そこを下ると一軒家が多く建ち並ぶ区画へ出れるようになっているのだ。
今思えばそれは、値段の違う集合住宅と一軒家の区域を分けるための境界線として、何本もの木を植えただけのわざとらしいような森であった。
もっとも子供の僕がそう考えた訳ではなく、僕からすれば森はいつでもそこにあった。
「チカンに注意」と書かれた看板が白々しく見えるような昼間でも、その森を通る人は多くなかった。他にちゃんとした道路もあるし、そもそもが人口の多い街ではない。
森にポツリとある木はどれも背は高くはなかったが、森のちょうど真ん中あたりにはとりわけ低い一本があった。鬱蒼と垂れ下がって茂る大きな枝と葉を持つその木は、根元に腰かける僕を通りかかる人の眼からいつも隠してくれた。
僕は決して乾かないその少し湿った地面に腰掛けると、お菓子を開けて順に食べ始める。宇宙船に乗って宇宙食を食べているフリをする日もあれば、遭難した山で残りの食糧を大事に食べるフリをする日もあった。
家に逃げ場のない僕の、そこは唯一の気の抜ける空間だったのだ。
大事に食べたお菓子が終わり、宇宙船の不時着ごっこも、レスキューに見つけてもらったごっこも終え退屈してくると、枝葉の間からぽつぽつとマンションの光が灯るのが見える時間になる。
その時間になると僕はあきらめて家に帰ることにする。
誘拐もチカンも怖い。死のうかどうしようか悩む僕が怖がるのも変だが、怖いものは怖い。
その日も僕は、森を抜けて人通りの少ない道へ出ると、出来るだけ歩みを遅くして家への道を歩き始めた。
マンションのあちこちに見える窓の明かりを見てため息をつく。あの明かり一つ一つの下で、それぞれの家族が仲良く夕食を食べているのだろう。自分が選んで外で時間を過ごしたはずなのに、急に取り残されたような気持ちになった。
人通りの少ない一本道を歩いていると、前にスーパーの袋を両手に下げたおばさんがゆっくり歩いているのが見えた。腰でも悪いのかもしれない。その歩みは必要以上にゆっくりであった。
僕はしょっちゅうわざと遅く歩くから、人の歩みの速度をよく知っている。夕方のこの時間にゆっくりと歩く人は、滅多に見かけることがない。
僕はうつむいた。いくらゆっくり歩いてもそのおばさんの歩みの遅さでは、僕がその内に追いついてしまいそうだった。
自分の顔を見られるのは嫌だし、話しかけられるのはもっと嫌だった。
足のつま先を見ながら一歩、また一歩進んだ。靴がものすごく汚れている。
僕はしばらくうつむいたまま歩いていたが、顔を上げてすぐ目の前におばさんの背中があったら大変だ、とふと思った。背中にごちりと当たったりしたらおばさんと話しをせざるを得なくなるではないか。
道は一本道で曲がる道も全くない。おばさんを避ける方法は全くなかった。
だが僕は顔を上げて茫然とした。
おばさんはいなかった。どこにもいなかった。
搔き消えるようにいなくなっていたのだ。
僕は走り出し辺りを覗き込んだ。おばさんが隠れるようなところが、あるのかと思ったのである。道の片側は小学校の高い壁がそびえたち、反対側には幼稚園の高いフェンスがあるばかりであった。それらは腰を痛めているような歩き方をするおばさんが超えれるような高さではかった。
僕は慌てて周囲を見渡したが、やはりおばさんはどこにもいなかった。
僕は急に恐怖に駆られ、足を速めた。
何度も後ろを振り返りながら家までの道を走った。
家に帰るために走るなど、何年ぶりのことであっただろう。
「きーちゃん、おかえり」
母はやはり力なく僕に微笑んだ。僕も、ただいま、と息をきらしたまま言った。父は風呂に入っているらしい。
あのおばさんは何だったのだろう。
僕はその日も夕食を、父の際限なく続く仕事の愚痴と料理に関する文句を聞きながら、いつも通りに味を感じないまま噛み続けた。
僕は幽霊を見たのか。だとすると初めての体験だ。
実話をベースにしている恐怖漫画は嫌いではなかった。どの子供も持つ程度の興味は僕も持っていたし、死後の世界にも興味もあった。
自分の部屋で膝を抱え、おばさんの姿を思い浮かべ、考え続けていた僕は突然思った。なぜかは分からない。だが僕は強く思ったのだ。
死にたくない。まだ、死ねない、と。
父が酔って部屋に引き上げたのを確かめると、僕は片づけ物をしている母の背中に取り縋って言った。
「死にたくないよ。僕はまだ死にたくない。十一年間、何も楽しいことはなかったけれど、まだこれからもないって決まったわけじゃない。死ぬなら、お母さん一人で死んでよ」
そう言えば、僕を心配する母が一人で死ぬわけもないことを僕は知っていた。
僕はしゃくりあげ泣いた。
父親に泣き声を聞かれたくなくて、僕は自分の手を強く噛んだから血が少し出た。
母親はしばらく驚いた顔をしていたが、「きーちゃん、ごめんね」と言いやはり静かに泣いた。
あれから二十年経つ。
あの日死ななかった僕は、自分の言葉を証明したくてがむしゃらに生きてきた。
もっともがむしゃらな努力をしたわけでもなければ、快楽を追い求め続けたわけでもない。だが、あの日死ななかった自分を正しいと証明するために、人生を過去の十一年よりはこの先の十一年をいいものにするためにそこそこの努力をして、そこそこに気を抜いてやってきた。
僕は結婚して可愛い子供も二人出来た。共働きで働く妻のために、母は毎日二人の孫の世話をしてくれている。
同居はしていないから、自転車で十分の距離に住む母の家に僕は毎朝子供達を落としてから会社に向かう。
暴飲暴食がたたったのか、父は十年前に胃がんで亡くなった。
父を理不尽だと思っていた長年の想いは、自分が父親になって自然と消えていった。かばうつもりはないが、父もまた弱い人だったのだろう。
「きーちゃん、今日はお迎えは何時?」
そう僕に訊ねる母の表情はやわらかい。
母に流れた二十年という時も悪くないものだったのに違いない。
それは何よりも僕には嬉しいことだ。
あの日消えたおばさんのことは今でも分からない。
あれ以降、二度とあのおばさんを見かけることはなかったし、他の幽霊を見たこともなかった。
だがあの日から数年後、学校からの帰り道を歩いていた僕は、おばさんの後姿を見かけたような気がしてぎょっとしたことがある。
だがよく見るとそれは僕の母親だった。
その時、僕は母親が消えてしまう恐怖に襲われ大声で母を呼んだ。
珍しく大声を出した僕に母は驚いた顔を見せた。
あのおばさんは、もしかしたら僕が未来の母を垣間見ただけだったのか。
それとも、あれは死んだ母の姿だったのだろうか。
もしあの時僕たちが死ぬことを決めていれば、母は成仏も出来ぬまま、それまで毎日そうしたように、死んでなお父の食事のための買い物にあの道を永遠に歩き続けていたのかもしれないではないか。
僕はその姿をたまたま見たのだろうか。
いま母は同じ道を二人の孫と歩いている。
スーパーの重い袋を下げて歩く代わりに、母の両手には、孫の小さな手がある。