表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巴御前  作者: 脇役C
2/3

第二話「シシ狩り」

第二話です!

ありがとうございます!

 齋藤の言うとおり、木曽路きそじは山の中にあった。

だが、木曽路に続く秩父ちちぶの道すらもまた、山の中にある。


 昼は青々した緑の葉も、すみをたらしたように黒く染まる。

その葉が、三日月から放たれるわずかな月明かりをさえぎり、4人の体は黒と同化してしまっている。

 4人とは、大蔵合戦から生き延びた、木曽義仲きそよしなか駒王丸こまおうまる)、その母である小枝さえ、幼い女中のともえ、それを手引きする齋藤実盛さいとうさねもりである。

 しかしこの闇が、この4人の逃走を、追っ手から守っている。


「齋藤どの、あの動物はなんだ。不思議な声で鳴く」

 駒王丸は、齋藤の胸に抱かれながら、指をさし質問している。

 幼児は本能的に暗闇を恐れるものだ。

 駒王丸は、恐れるどころか好奇心を隠しきれない様子で、齋藤に尋ねる。


「ほう、あれが見えなさるか」

 齋藤が顔を上げ、感心してそう答える。

 淡い三日月が、フクロウの輪郭を薄く示す。

 

「あれはフクロウという鳥。おもに夜に活動いたす」

「あのような姿で、空を飛ぶのか」

「ずんぐりな姿ですが、あれでなかなかの翼を持っているのです。獲物をとらえる力は驚嘆に値します」

「そうか。見てみたい」


 そう言うやいなや、ふくろうが翼を広げ滑空した。

 駒王丸の見てみたいと口にした瞬間であったため、不思議なことがあるものだと齋藤は思った。


 しかし、驚くべきことはこのあとにあった。


 ふくろうが、こちらに向かってくる。

 齋藤はとっさに剣を抜こうとした。

 野鳥が人を襲うことはままある。


「齋藤どの。大丈夫だ」

 駒王丸に言われ、齋藤の手が止まる。

 その間に、フクロウが肩に止まった。

 フクロウの口には、すずめの幼鳥が加えられている。


「くれるそうだ」

 駒王丸が両手を差し出すと、フクロウがその中に雀を離した。

 フクロウはすぐに飛び立っていった。


「駒王丸様は、動物と会話することができるのか?」

 齋藤が驚きを隠せず、そう尋ねる。

「会話はできぬが、伝わってくるだろう?」

 長らく馬の世話をしていると、馬の言わんとすることが分かるということはある。

 それが野生の動物で、初見でそのようなことをする。

 幼児特有の能力と片付けるには、あまりに希有けうな例に見えた。




「あっ」

 小さい叫び声が聞こえた。

 小枝の声だ。


「小枝御前、どうなされた!?」

 後ろからついてきてるはずの小枝に、斎藤が呼びかける。

 声からすると、斎藤が思っていたよりも離れていた。



「なんでもありません。少し、踏み外しました」

 息が切れた声で、そう答える。



 月明りが出ているが、鬱蒼うっそうと茂る枝葉が、足下を隠す。

 小枝さえは恐怖を感じ、力強く足を踏み出せない。

 

 当然だ。

 道とはいえ、獣道。

 落石などそのまま岩がむき出しであるし、そこら辺に木の根っこが張り出している。

 下手に踏み込めば転ぶ、足をくじく、最悪の場合は滑落かつらくする。

 滑落すれば、ただでは済まないだろう。


 恐怖は地形に留まらない。


 野鳥の鳴き声が聞こえる。

 獣の息遣いが聞こえる。

 たまに訪れる静寂も、それがより一層想像を掻き立てさせてしまう。


 かわいげのあるフクロウの声も、夜目が効かない小枝にとっては、恐怖でしかない。


(今からでも平地を行くべきか)

 斉藤がそう思案する。


 このままでは、木曽に着くまでに何日もかかる。

秩父にも平地はある。

 北に迂回するか。


 そうは思うが、どこまで敵方が占拠しているか分からない。

今の武蔵国(埼玉、東京、神奈川の一部)は、危うい。


 普通に考えれば、このような山道は、女、子どもが通る道ではない。

 だがらこそ、敵の意表をつける。

 それに、木曽への最短に通じる。

 やはり、安全は山の中にある。

 せめて甲斐国かいのくに(山梨)まで抜ければ、敵の追っ手を気にせずに平地を移動できる。


 ここは、小枝御前にある、母としての強さに賭けよう。

 斉藤はそう結論付けた。


「やあやあ、今日はお月様が夜道を照らしなさる。やはり、駒王丸様は神に愛されたお方だ」

 齋藤はのんきにそんなことを言う。

当然、小枝を励ますためだ。

 小枝はくすっと笑った。


「ええ。あの方の御子ですから」

 息を切らすのを隠せないまま、小枝はそう答える。

は、父君と母君の子だ」

 駒王丸がそう答えるので、小枝と斎藤は声をあげて笑った。


「利発な子ですな」

 斉藤がそう言うと、

「ありがとうございます、斎藤殿。おかげで体が軽くなりました」

 小枝の返事に、強いお人だと斎藤は思った。

「なんの。それがしの言葉でお体が軽くなるのであれば、そんな光栄なことはございません」

 ふふ、と小枝はまた笑う。



 しかし。

 斎藤は思った。

 驚くべきは、ともえと呼ばれる童女わらべだ。


 それもそのはず。

 巴は、斎藤の前を迷いもなく突き進んでいる。

 

 今は、後ろを振り返り、談笑している3人をじっと見つめている。

 斉藤は駒王丸を抱え、小枝さえを気にしながら進んでいるとはいえ、まったく遅れをとらない。どころか、前を進んでいる。

女児であの速さは異常だ。


 身長は3尺もない。

 張り出した木の根を越えるにしても、大人であればまたげるくらいの高さでも、巴の胸くらいある。

 その運動量は、斎藤らの比ではない。

 

 その巴が、息を乱さずについてくる。

 胸くらいあろうが、頭より高かろうが、猿のように手足をうまく使い、枝や岩をつたいながら移動する。

 それどころか、駒王丸たちを気づかい、落ちた枝や石など、障害になりそうなものを除けているのだ。


 こんな夜道で、しかも巴は手負いである。

 常軌を逸していると言っても良い。


(この童女わらべはやはり、神の化身けしんやもしれない)

 斎藤にとっても、この山道は恐ろしいものである。

巴に心強さを感じるとともに、そら恐ろしさを感じた。


 立ち止まりこちらを見ていた巴が、こちらに向かって引き返し始めた。

 こちらを気になったのかと斎藤は思い、巴のほうに歩き出す。

 それでも巴は歩みを止めず、斎藤の目の前まで来た。


「斎藤どの。いのししの声が聞こえる」

 ずっと黙っていた巴が口を開く。


「なんと」

 巴に言われ、斎藤は耳をすます。

 はたして、猪の息遣い、足音が聞こえた。

 近い。


「猪……!」

 小枝は息をのむ。


 猪は、田畑を荒らす害獣である。

 駆除しようした人間が、猪の被害に遭い、命を落とす話はよくある。

 猪は500斤(350kg)ほどあり、人の何倍もの速度で走る。

 当たればひとたまりもない。

 猪に当たり、太ももが破裂し失血して死ぬ者を、斎藤は見たことがある。


「大丈夫です。落ち着いて、鈴を鳴らしながら離れましょう」

 斎藤がそう言うと、

「音を鳴らすのですか? こちらの場所が分かって、襲ってくるのではないですか?」

 小枝は脅えながら、そう聞いてくる。

「猪が人を襲うのは追い詰められたときだけ。人間の気配を察すれば、向こうから離れていきまする。猪は、人に対して臆病な生き物なのです」

 斎藤は鈴を鳴らそうとする。


 その手が止まった。

「いや、今日は猪鍋ししなべとしゃれこみましょう」

 斉藤はそう思い立った。


 よくよく考えれば、せっかくの獲物だ。

 食べられるうちに食べたほうが良い。

 道中はまだ長い。


「暗いぞ、斎藤。無理だ」

 巴が口を開く。

 斉藤はにやりと笑った。


「神の化身である巴殿にも、ようやく子どもらしい姿が見えましたな。狩猟の先祖を持つ、この斎藤の腕をとくとご覧あれ」


斉藤は、抱えていた駒王丸を小枝に預ける。

「お二人には、火おこしをお願いいたす。きっと大きな獲物を捕らえてきますゆえ」

「お待ちしてます。御武運を」

 小枝の声に、斎藤は笑った。

「そんな大仰なことにござらん。食料を調達してくるだけのこと」


 斉藤は山の中に分け入る。

 巴もそのあとに続いていった。


「巴殿」

 後ろの気配に気づき、斎藤は振り向いた。

「巴殿は休まれよ。猪に気づかれると厄介ゆえ」

「邪魔はしない。狩りを見せてほしい」

「邪魔はしない、か」


 並の童なら狩りの邪魔だが、巴なら役立つかもしれない。

 本来なら、狩りは団体チーム戦だ。

 協力者がいれば、成功確率もあがる。


「あい分かった。ならば、某の命令に必ず従ってくれることを約束されるか」

 斉藤の言葉に、巴が頷く。

「では最初の命令にて申す。少しでも某についてくるのが困難に感じた場合は、速やかに道を引き返すように」

 再び、巴が頷く。


 斉藤はそれを確認し、ぐんぐんと奥に入っていく。

 齋藤に迷いがない。

 それは巴の身体能力、判断能力への信頼でもある。


「猪もまた命なり。命あれば生活あり。生活あれば習慣あり。習慣を追えば、必ず射止めん」

 歩幅を変えず、斉藤はそう言った。

 独り言のようだが、巴に投げかけた言葉だ。


「巴殿には、ちと早かったか?」

 斉藤にそう言われて、巴は顔を横に振った。

「貴殿もまた、利発な子だ」

 斉藤は満足そうにうなづく。


 実は巴は斎藤の言葉がよくわからなかったが、知らないと思われるのがしゃくなので、首を振っただけ。

 巴は負けず嫌いだった。

 同時に、言葉で分からずとも、見ればわかるだろうという自信もあった。


「まず方角を見る」

 斉藤は月を指さした。

「三日月の弓の部分(光の当たる部分)から、お天道様てんとさま(太陽)の位置を知る。ならば、南はこちらだ」

 斉藤は進行方向を指す。


「南に猪がいるとなぜ分かる」

 巴が不思議に思って聞くと、

「猪も寒いのが苦手にて。日当たりの良い平地を好む」


 やがて突き進んでいくと、大きな水たまりがあった。

「近くなってきたようだ」

「これは?」

「ヌタと言って、猪の洗い場である」

 巴は、へえ、と感心した顔でヌタを見つめる。

 巴にはやはり、大きな水たまりにしか見えない。


「ふむ。これだな」

 ヌタから数町(数百メートル)離れたところに、笹の葉が積み上げられたものがあった。

「これは、ねぐらか?」

「よくわかりましたな」

 猪の寝る場所を、斎藤はあっという間に見つけた。

 巴は感心した。


「斎藤はなんでも知っているのか」

 斉藤は笑いそうになるが、声を抑える。

「知っていることは知っていますな。知らないことは知りませんな」

「当たり前のことだ」

 巴ははぐらかされたような気がして、不機嫌な顔をした。


「そんな顔をされるな。某にも知らないことがたくさんあるというだけのこと。ただ狩猟のことについては、人よりも多くのことを知っている」

「斎藤が知らないことはなんだ」

「そうだな」

 斉藤は一瞬考えて、

「たとえば、某は貴殿のことを何も知らない」

「わたしは、わたしだ」


「しっ」

 斉藤が指を口に当て、静かにするように言う。

 巴はそれの意味を理解した。

 猪だ。


 姿が見えるわけではない。

 音と鼻息から、それと分かるだけで、詳しい場所までは分からない。


 でも斎藤は弓を取り出した。

 矢をはめ、ゆっくり弦を引く。


 無理だ、と巴は思った。

 これで弓を外せば、猪は逃げていく。

 その先に駒王丸がいれば、襲うかもしれない。

 中途半端に当たってしまったほうがもっと始末に負えない。

 こちらに場所が分かるどころか、自分の身を守るために、こちらを攻撃してくるだろう。


 山の利は向こうにあるばかりか、力も、五感も、はるかに向こうが上なのである。


 でも口には出さなかった。

 斉藤が静かにするように命令した。

 命令に従うように約束したから。

 でもそれ以上に、この狩りを邪魔してはいけないと、巴は思った。


 弦を引いたまま、斎藤は待ち続ける。

 巴は矢の方向だと思われる暗闇を見続ける。


 だいぶ、長い時が経ったような気がした。


 月の光が、差し込んできた。

 さきほどのねぐらに、枝葉を抜けた光が当たった。

 その差し込んだ光の先には、なんと猪が横たえていた。


 今、と巴は思った。


 そう思うより前に、斎藤の矢は放たれていた。


 右目に突き刺さる。

 猪はいなないた。


 斉藤は、すぐさま次の矢を取り出す。


 猪は立ち上がり、こちらを向いた。

 距離は近い。


 矢をはめる。


 猪はもう動き出している。

 

 矢を引く。


 もう1尺もない。


 だが斎藤はさらに強く引く。


 もう何寸。


 矢は放たれた。


 矢が空気を切る音なんか聞こえなかった。

 近すぎたからだ。


 猪の眉間に矢が突き刺さる。

 猪の断末魔が、黒い山に叫び渡った。


 どう、と地響きを立てて、猪が倒れこんだ。

 その砂ぼこりが、巴に降りかかる。


「斎藤殿」

 巴は興奮した。

「斎藤殿、斎藤殿、斎藤殿」

 巴は斎藤に抱き着く。


「おやおや。童のようなことをなさる。怖かったかな?」

 抱きついている巴の頭をなでる。

「なぜ、月が差し込むことが分かったのだ?」

 ほほ、と、斎藤は笑った。

 好奇心の強い子だと思った。


「なに。お月様も歩きなさる道が決まってござる。お月様が、猪のねぐらに顔を出すのを待っただけのこと」

「猪がなぜ、このねぐらに戻ってくると思ったのだ?」

「猪は、だいたい決まった場所しか居りません。いずれ帰ってくるので、それを待っただけのこと」

「待ってばかりだ」

「狩りとはそういうものにて」


 ふう、と斎藤は息を上に吐く。

 汗ばんだ息が、夜空に舞う。


「なんとか、成功しましたな。活きが良過ぎて冷や汗がでましたが、その分、きっと美味に違いませんぞ」

お読みいただき、ありがとうございます!

第三話もぜひともお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ