第一話「大蔵合戦」
時代小説始めました。
平安時代末期、久寿二年(西暦1158年)。
八月十六日の酉三つ時(十八時半)を数えるとき。
とある神社の奥まった場所にある、宮司が済む館に、五歳を迎えた巴はいた。
夕食の片付けも終わり、ぼんやりと高貴そうな親子が鞠遊びを戯れになるのを眺めている。
その親子とは、後に圧倒的な知略をもとに隆盛を極めた平氏を追い込み、大将軍に任命され朝日将軍と呼ばれた、幼名、駒王丸、のちの木曽義仲とその母である。
巴は部屋の隅で膝を抱えて座りながら、ただずっと見つめている。
「お父上が、死んだ」
ふいに、若干二歳の駒王丸が動きをとめ、つぶやいた。
駒王丸は、誰から聞いたわけでもなく、ましてや目撃したわけでもない。
そのお父上がいる大蔵館からは、1里(3~4km)弱ほど離れている。
ただ急に、今まであんなに興じていたはずの毬遊びをやめて、そんなことを言うのだ。
「そのような不吉なことを申すものではありません」
母である小枝御前は、そう駒王丸を強くたしなめた。
駒王丸は母の言葉に視線を落とし、困った顔を見せた。
子どもはまだ善悪を知らない。
ただ感じたことを、夢か現実かも分からないことを、身近な大人に伝えたがる。
小枝御前も、普段ならそう解釈し、落ち着いた対応ができるはずだが、少し、声が感情的になっている。
それも無理からぬ話だ。
駒王丸の言葉を、幼子の言葉遊びと考えるには、あまりにも状況が揃いすぎている。
だからこそ、駒王丸への言葉も、小枝自身が思っている以上に強くなってしまっている。
駒王丸の父、つまり小枝の夫、源義賢から、自分の身が危ないかもしれないからと、住まいの大蔵館から、息子の駒王丸と一緒に、この鎌形八幡宮という神社に居候するように言われたのは、もう一月も前。
居候とは言え、この神社は義賢が建てたものだが。
そう切迫したものではなく、このご時世だから用心もかねて、別荘で子守に専念して欲しい。
七五三を迎えるまでは、子に魔が尽きやすいものだからと。
すぐに帰れると言っていたはずが、音沙汰がない。
たまりかねて小枝が義賢のもとを訪ねると、追い返された。
そこで何か尋常じゃないものを感じたが、女、子どもにできることはない。
小枝は泣く泣く鎌形に戻り、ひたすらに夫の身を案じていた。
(まさか、今夜)
そんな考えが、小枝の頭によぎってしまう。
だが、すぐにかき消す。
私たちを逃がすほどに警戒していたなら、それ相応の準備をしているはず。
どこの賊だか知らないが、夫は、近衛天皇の警護帯刀の長を務め、父は武蔵国の最大勢力である秩父氏を束ねる。
その二人がそう簡単に討ち取られるわけがない。
小枝はそう自分に言い聞かせる。
「もう寝ましょう」
小枝がそう言い、侍女が寝る準備を進めようとした。
「来る」
先まで駒王丸の鞠を、部屋の隅で目を追っていた巴が、小枝の前に立ち、口に人差し指を当てた。
巴は、身長3尺(90cm)もない、小柄な少女だ。
摺という、女性使用人の簡略的な礼装を着ていて、髪は肩までに切りそろえている。
「明かりを消して」
そう巴が言葉を足した瞬間、玄関を荒々しく開け放つ音が聞こえた。
明らかに宮司が帰ってきた音ではない。
小枝達は今は知ることができないことだが、5人いた護衛の兵は、実はもう死んでしまっていた。
その者達に殺された。
いや、5人だけじゃない。
大蔵館では、義賢どころか、全滅している。
「巴、貴女……」
「消して」
巴と小枝に呼ばれた少女は、小枝の言葉を遮って、再度伝えた。
侍女は、悲鳴が漏れそうになる口を手で押さえながら、ろうそくの炎を消した。
「私が守る」
巴は明かりが消えたのを確認し、襖に向かった。
「巴、やめなさい。子どもがどうこうできることじゃない!」
玄関に近い部屋から順に、襖が開かれていく音がする。
もう数分いや1分(3分)も経たないうちに、この部屋は開かれる。
「私が守る。小枝御前様。今まで私を育ててくれて、ありがとうございます」
巴は小枝の言葉に、そう返した。
「そんなことさせるために、貴女を育ててきたんじゃない!」
巴はじっと、襖の前で身をかがめ、身を潜めた。
両手には、母の形見である匕首(短刀)が握りしめられている。
だが巴は、母にも神にも祈らない。
ついに襖は開けられた。
襖を開けた男の、足の甲に向けて匕首を振り下ろした。
その主は当然、相手の攻撃を想定しながら、反撃の準備はしていた。
それも居合いの達人である。
間合いに入ったものをことごとく斬ってきた。
今日はもうすでに、義賢も合わせて、十数人切り捨てている。
しかし、視界に入らなければ対応はできない。
匕首が男の足の甲に突き刺さる。
「ぐっ」
男はうめいた。
巴は匕首をすぐ抜き取り、後ろへ下がるのではなく、男の股をすり抜け、前に出た。
その場所に、すぐ男の刀が降りてきて、床を差し込んだ。
男の攻撃が突きでなければ、巴は斬り殺されていただろう。
横には襖、上には長押(柱を水平方向につなぐ部材)があり、刀を薙ぐことも振り下ろすこともできなかったのだ。
室内という状況を生かし、相手から自分がどう見え、刀がどういう軌道を描くか分かっていなければ、避けられなかった。
この巴の考察力。
そして、刃物を迷いなく振り下ろすことができる度胸。
刃物を向けられてもひるまない胆力。
すべて5歳の少女のそれではない。
「松明を下げて、足下を照らせ! 獣がいるぞ!」
もう一人の武士が、そう叫ぶ。
その武士には、人影に隠れて松明に照らされないほどの大きさで、人を攻撃するものなど、獣以外に思いつかなかった。
しかし、巴に斬られた男は、足の痛みから、獣の牙ではないと感じた。
ともかく、巴は警戒された。
命を狙われる。
さっきのような奇襲は成功しないだろう。
しかし巴は動きを止めない。
松明の影と影とを移動する。
「いたぞ! 右だ!」
闇と闇の間にあった巴の影を見つけて、武士の一人が叫び、その影に軌道に向けて刀を振り抜こうとした。
しかし、壁が邪魔で振りかぶれない。
しかたなく、突きに切り替える。
「くそっ!」
当たらない。
巴は、手を足のように使い、壁を駆け上がり、窓の枠や長押などにつかまり、縦横無尽に移動し、翻弄する。
もはや、突きの軌道では巴を捉えることなどできない。
駒王丸は、巴の動きに見とれた。
しかし、所詮は子どもの動き。
男は刀に注意を向けさせ、巴の動きを読み、蹴り上げた。
「ぐっ」
甲冑を着込んだ大人の蹴りである。
巴は大きく吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「童女だと……?」
松明に照らされたのは、壁に体を預けて倒れ込む巴だった。
男はそこでようやく、自分の足を串刺した正体を知った。
「重能従兄様!?」
思わず、小枝がそう叫んだ。
小枝は、声から自分を襲う賊の正体を知った。
そう。
夫を殺し、小枝達を殺そうとしているのは、賊でも北の勢力でも平氏でもなく。
夫・義賢の実の兄である源義朝であり、その息子の悪源太義平であり、そこに仕える従兄弟の畠山重能である。
「小枝、久方ぶりだ」
これは家族の壮絶な殺し合いだった。
「なぜ、なぜこんなことをするのです!」
「女、子どもに言ったところで分かりはしない。ともかく駒王丸さえ差し出せば、この戦いは終わる。分かってくれ」
言葉を少なくしゃべるが、随所に感情が乗る。
今回の戦いに、重能が知る限り義賢に罪はない。
でも源氏は大きくなりすぎてしまった。
罪があるとすればそこだ。
重能は、それもまた仕方ないと思っていた。
自然淘汰、弱肉強食は世の常。
人間もまた、その理からは逃れようもない。
そもそも武士とは、土地の奪い合いの果てに生まれた存在だ。
だが、小枝は、助けられる命だ。
「叔父上、母上と巴は助かりますか?」
駒王丸は重能の前に歩み寄った。
怖くはないのか。
まっすぐに見据えている。
「約束しよう」
この年で家族を守るか。
家族を殺している我々とは対照的だなと重能は思った。
「やめなさい!」
小枝が慌てて、駒王丸を引き戻し、抱きしめた。
「この子は命に代えても守ってみせます」
小枝はそう言い切った。
そこには、重能に、抱っこをせがんだ幼い頃の小枝の姿はなかった。
美しく立派に育ったものだと重能は思った。
「重能にいさま、どうか私の命と引き替えに、この子の命を見逃してはくれませんか」
重能は眉をしかめた。
見逃すという選択肢はない。
小枝の首を持って行ったところで、主君の命に背いたいことに変わりはない。
重能の近くには、3人ほどの同士が、2人のやり取りを見守っている。
「その駒王丸を生かせば、義賢の仇を討とうとするだろう。禍根を残すことになる。そうすれば、また争いを生む。それはできない」
重能は、従姉妹の小枝と、自分の武士と、どちらにも偏らない言葉で説得をする。
このままでは、小枝もろとも斬らなければならない。
「この子には、仇討ちなどさせません」
「そんなこと、どうして確約できる」
そんな時だった。
後ろの武士が悲鳴を上げた。
「どうした!」
小枝に刃をむけつつ、重能はそう言った。
まだ護衛の兵が残っていたか?
「足の腱を……、斬られました」
片足をついている。
「なんだと? 相手は誰だ!」
そう叫ぶと、今まで雲に隠れていた月が顔を出して、月光がさした。
武士達はぞっとした。
巴だった。
匕首を口にくわえ、返り血に染まり、日本人形のような真っ黒い横髪が頬に張り付き、四つ足でこちらを見ている。
もうすでに居合いの間合いから離れたところにいる。
次の好機を狙っているようだった。
(神の子か、それとも物の怪か)
月の青白い光が、巴の白い肌にしみ込み、まっすぐな黒い瞳がぎらぎらと月光を反射していた。
「動ける者は、そいつを殺せ」
重能がそう命令を下す。
何かに怯えるように。
が、つかまらない。
巴は壁を駆け上がる。
天井も幅も狭い通路を、巴は知り尽くしている。
まるで水の中にいるように、重能は感じた。
身動きが取れない中を、巴は自由自在に姿を変える。
重能には、自分を狙わず他の者を狙ったことも巴の計算のうちに思えた。
なぜあんな動きができる?
そもそも、あの蹴りなら、内臓破裂していてもおかしくはない。
重能が混乱した。
俺が相手しているのは、本当にこの世に存在している者なのか?
「どけ! 俺がやる! 他のやつは駒王丸が逃げないように見張れ!」
そう言って、巴を見ると、気づいた。
木製の匕首の柄に、黄金色に反射するものが埋め込まれていることに。
「菊花紋章!」
重能は思わず叫んだ。
皇族にしかつけることが許されない紋章が、なぜか童女が持つ匕首に埋め込まれていた。
「菊紋だと!?」
他の武士にも動揺が走る。
それはそうだ。
皇族に刃をむけるということは、朝敵になるということなのだから。
こいつは何者だ……?
獣でも、鬼でもなく、本当に神の子とでも言うのか?
重能の剣は、迷いで動かない。
この時代にとって、天皇は、神武天皇から続く、神の化身である。
巴の動きは、神の化身とも言うべき姿に、重能は感じた。
じゃあ、こいつが護る駒王丸は何者なんだ……?
動きを止めた武士たちに、巴は動きを止めなかった。
巴は武士の一人の太ももを切りつけた。
鎧で守られていない、大動脈が走る太ももを。
「不覚……!」
斬られた男は、片足をついた。
みるみる血だまりが溜まっていく。
もう助からないと重能は思った。
「もはや、これまで!」
武士の一人が叫んだ。
「駒王丸を逃しましょう!」
「何を!」
もう一人の武士が叫ぶ。
「主君、義朝殿を裏切る気か!」
「ご免!」
駒王丸を逃がすと言った武士が、それを止めようとした武士を切り捨てた。
同士が裏切り者を切り捨てたのではなく、裏切り者が同士を切り捨てたのだ。
「齋藤! 正気か!」
重能は叫んだ。
なんということだ。
たった一人の少女に惑わされ、仲間討ちが発生した。
そう思った。
「ともえ! やめよ!」
童の声がした。
駒王丸だ。
「敵はいない」
二歳児とは思えない、しっかりした声。
「ごくろうだった」
巴は壁から床に着地し、四つ足をやめ立ち上がって、匕首を鞘に納めた。
さっきまでの獣のように振る舞っていた巴が、ウソのように駒王丸の言葉に従っている。
張り詰めた獣のような殺気が、まるでなくなっていた。
「おいで」
駒王丸がそう言うと、巴は駒王丸のもとに膝まづいた。
巴が頭を垂れると、駒王丸はその頭を撫で始めた。
巴は気持ち良さそうに目を細めて、やがて駒王丸の手を捕まえて、自分から頬にすり寄せ始めた。
いくら小柄とはいえ、五歳児の巴のほうが二歳児の駒王丸より大きい。
犬が幼児に戯れているように見える。
(この状況でもう終わったと思っているのか!)
現に重能は刃を巴に向けたままだ。
今なら、簡単に巴を討てる。
しかし、そういう思いとは別に、重能の刀は動かなかった。
「重能殿。もうやめにしましょう」
齋藤と呼ばれた男は、重能にそう言う。
「何をだ」
重能は齋藤をにらみ、そう答える。
「もうここには、本心を偽る必要のある人間はおりません。一人は失血死でまもなく死亡し、もう一人は、某が切り捨てました。本心では小枝御前と駒王丸様を助けたいのでしょう」
重能は黙った。
心を許すところを間違えると、すぐ死につながる。
武士としての警戒心が、すぐに齋藤の言葉を飲ませない。
「齋藤が、仲間討ちをしてまで、どうしてこの者達を助ける。貴様には縁もゆかりもないはずだが」
「ありまする。私は義賢様と親交がありました。主君が違う某にも、大変良くしてくださった……。このような敵味方になってしまったが、旧恩を忘れてはおりませぬ。義賢様に果たせなかった御恩、義賢様を討つことになってしまった贖罪を、忘形見の駒王丸様の命を守ることで果たさせていただきたい!」
重能も、義賢と過ごした時間を思い返した。
知的で穏やかで、剣の腕も立ち、目鼻立ちも整った素晴らしい御仁だった。
人が良すぎるところがあるが、その分、多くの者に慕われていた。
齋藤もその一人なのだろう。
だが、それだけで、とも思った。
昨日まで仲の良かったものを、今日討たねばならないことなど、よくあることだ。
それが戦乱の世の常だ。
それなのに齋藤は、主君の命に背き、そして同士を討った。
そんな大罪を。
これが義朝の耳に入れば、一族の存亡も危うい。
齋藤は続ける。
「駒王丸のお顔を拝しましたが、この方はこの国を救う御方です。そう感じました。この戦いで駒王丸様を討つことになったときは、これも運命かと思い受け入れておりましたが、こうなってくれば話は別です。この御方は、龍神の化身に護られている」
巴に視線を向けた。
巴は、齋藤にとっては龍神の化身らしい。
「世迷い言を」
重能は、齋藤の話を受け入れられなかった。
この時代では、神や仏が生活に根付いているので、齋藤のような話は珍しくない。
重能も神仏を信じていないわけではないが、駒王丸が国を救うとか、龍神の化身とか、そういう部分は妄想に思えた。
しかし同時に、巴の動きを目の当たりにして、それ以外に説明がつかないような気もした。
「どちらにせよ、俺に選択肢はない。同士を殺され、裏切られた。齋藤の指示に従うしかない」
「そういうことにしておきましょう。もし何かあれば、すべては某の責任です」
自分はずるい人間だと、重能は思った。
齋藤にすべてをなすりつけ、従姉妹を守った。
しかし、齋藤のようにはなりたくないと思った。
自分の思いで刀を走らせる者は、やがて身を滅ぼす。
「しかし、どうする気だ。この二人をどこにかくまう」
そう尋ねる。
見つかれば、もう二人は助からない。
「心当たりがあります」
そう齋藤は答えた。
「分かった。任せる。主君には、うまく言っておく」
どこだ、と尋ねる資格が自分にはないと重能は思った。
さすがに手ぶらでは帰れない。
駒王丸の身代わりを探さなくては。
齋藤を含め、すべての同士が戦闘不能になった理由も。
それくらいの役目は自分が果たそうと重能は思った。
「さて、小枝御前、駒王丸様、準備なされ。夜が深いうちに、人の目から離れたいのでね」
齋藤は二人に視線を移す。
人の生き死にに慣れていない小枝は、くちびるを震わせ動けないでいる。
「巴は行かないのか」
駒王丸は齋藤にそう尋ねた。
「ふむ……」
齋藤は巴を見る。
齋藤の見る限り、なんにもないよう振る舞ってはいるが、巴は手負いだ。
蹴りを食らう瞬間、体をよじるなりして上手く急所をずらしたのだろうが、肋骨の数本は折れているだろう。
箱入りで育った女ひとり、齢わずかな子どもをひとり。
そこに手負いの女児が一人増えて、木曽までの路を自分一人で守り切れるのかと齋藤は考えた。
木曽路はすべて山の中である。
敵は人ではなく、獣と大自然である。
「駒王丸様。巴は貴方を守るという役目を終えました。休ませてあげましょう。ここから貴方を守るのは、某の役目になりますゆえ」
齋藤の言葉に、駒王丸は頷く。
「わたしも行く」
巴がそう口を開く。
「わたしが駒王丸様を守る」
「子どもが無茶を言うものではない。呼吸をするだけで痛いはずだ。山道は無理だ。心配せんでも某がお前の役目を」
「行く」
齋藤の言葉を遮り、巴がそう繰り返す。
「なにゆえ、童女のお前がそこまでの使命感をもつ」
そう尋ねる齋藤に、巴は黒々しい瞳を向け、こう言った。
「この身、駒王丸様に捧げたがゆえに」
見た目にも若干5歳ほどの少女である。
斎藤は、何がそこまで巴に覚悟をさせているのか、巴の瞳からは何も窺えなかった。
しかし、斎藤は後に知ることになる。
巴が負った使命を。
そこにある運命を。
それは、実に10年も後のことだ。
お読みいただきありがとうございます!
23時に第二話、0時に第三話を投稿予定です!
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