悠久の褥(しとね)に
SFファンタジーです。この惑星の呼吸を感じて、どうぞ一息にお読みください。
褥:しとね……敷物や布団。
大地を覆う森の果てが、ほの白く染まる気配がする。
やがて、青みを帯びた恒星の輝きが、地平から姿をあらわす。
大気のよどみに、綿毛の玉のように輪郭を暈したまま、ゆっくりと森の縁をなぞって、ふたたび眠りにつくように、森の褥に沈んでゆく。
その名残の光が、地平に引き取られていくのを、ぼくは瞼を細めて見送っている。
曇りがちに視界を見通せる、フルフェイスのマスク越しに、いつまでも柔らかな光を投げかけている。
淡く、はかなげで、それでいて、胸に幾許かの感傷を呼び起こす。
水しぶきを凝集したように、ちいさな煌きをあつめた、輝きだった。
胸に溜め込んでいた息を、ゆるゆると、首まで覆うマスクの内に、吐き出していく。
だれに語りかけるでもなく、吐息に『おはよう』と囁きをのせて。
それが、懐かしいあの人たちの習慣だった。
今でも、彼らはあの星の光の向こうで、笑っているのではないだろうか、と思える。
ぼくはなるべく息を吸わないようにして、足元のハッチを開けて、船の中へ飛びこんだ。
三重のエアシャッターに挟まれた狭い空間を何度か下れば、天井の低い内部の居住空間へ降り立つ。
卵型の居住空間には、ベッドや机や椅子などの必要な家具が備えつけられている。壁の塗装は、もとは淡いうす茶色をしていたようだが、星霜を経てぼろぼろにはがれ落ち、合金の板を縦横に継いだ壁面が露わになっている。
その壁に、先のすり減ったネジで、一つ×印を刻みつける。
短い黎明と、昼と、黄昏がひと時に終焉を迎える、その頃には、一つだけある楕円形の窓の外が、蛍光色の黄を帯び始める。
長い、長い夜が訪れる。
ふと窓に寄れば、太い幹を並べた森の景色が、けたたましいばかりの黄色い光を醸しだす。厚い皮に覆われた幹も枝も、内側からほのかな光を帯びて、葉は、蒸散にのせてごくうすい煙をたてるように、微細な黄の輝きを放出している。
そうして、夜の森は足元に藍を残し、蛍光の黄色に染まる。うたた寝のまどろみから醒めた直後に見れば、色素の薄い己の瞳を、眩く射るほどに。
その警告を発するような黄は、かつてこの星への移民を行った祖先たちが関った、大きな、大きな戦争の名残だと、伝え聞いている。
人類の新天地となるはずだった惑星は、戦闘兵器から大気中へ大量に撒き散らされた汚染物質によって、ことごとく住処と生命を奪われた。
外気から遮断された屋内に逃れたわずかな者たちも、永の間、黄色い大気の煙る外へ出ることはかなわなかった。
その微粒子は、深呼吸で吸引したり、付着した皮膚から摂取したりするだけで、容易く人を死に至らしめた。フィルタにろ過され、閉塞したシェルター内にも、わずかずつ紛れ込む汚染物質は、体内に抗うすべを持たぬ者から、根こそぎ命を奪っていった。
そうして、各地のコミュニティが滅びていく中でも、環境や偶然に恵まれた幸運な者たちは、子孫の代へと種をつなぐことができた。
だが、やがてさらなる問題が蔓延し、彼らを死地へと追いやった。
ぼくはゆるやかな曲線を描いた壁にある、小さな扉に隙間を開けて、首を差し入れる。
中は一面にロッカー式の棚が備えつけられた、小部屋になっている。壁一面に、規則ただしく縦横無尽に並ぶ扉は、そのほとんどが開け放たれている。その一つに手を差し入れて、薄い金属フィルムの袋をたぐり寄せる。ふたを開けて、飲み口から中身を吸った。
わずかに甘みを感じる液体が、喉を下っていった。
この場所は、かつて不時着した、移民用の宇宙船だったそうだ。
床は衝撃で破損していたが、当時に誰かが板を打ち、修繕して住居に用いていたようだ。
卵型の居住空間の先の扉は、さらなる居住部を束ねる廊下へ連なる。その先は操縦室ではないかと聞かされていたが、開かずの扉となっている。外部から、すでにその部分が破壊されているのは確認されている。自ら気密を解くのは愚かな行為だろう。
それに、一区画でさえ独りで生活をし、身動きをするには十分にだだっ広い。
だが、中央付近に固定されたベッドに、背をもたせかけるようにして、床へ両脚を投げ出している人影を勘定に入れれば、程よく広い、と言っても良いのだろう。
それに、机や棚や、床のうえまで、いまは随分散らかしてしまっていた。
ぼくは、散らばった端材や塗料や筆の隙間を縫ってそこへ近寄り、床から工具を一本、拾い上げた。
「……ああ、かわいそうに」
微動だにしない『それ』は、人の少女の姿をしている。
藍色のさらりとした髪が、うつむきがちな頬を隠していた。左腕の皮膚であるはずの部分が、ふたのように大きく開いて、繊細なコードの束が覗き、幾筋かは床へ飛び出している。
「誰がきみをこんなにぼろぼろに、したのだろうね」
それは、母なる星から持ち込まれた、人工知能を備えた機械人間――ヒューマノイドだ。
「……かわいそうなんて、きみたちは理解しないかな?」
ぼくは、彼女に語りかけながら、髪一本より細い、絹糸のような腕の配線の束を、一本ずつほぐしている。
「さて、どうだろうね」
微笑みをこぼす。手の動きは慣れてきたが、随分、気の長い作業だ。コードの束の先端に結びついた部品に傷をつけないように、配線の一本ずつを、工具の先端を操り、丁寧に剥離させている。
長い夜の狭間に、窓の向こうにまどろみのような光が訪れて、去っていく。
そんな時の一廻りを、ぼくより前からずっと誰かがしてきたように、壁に刻みつけながら、また少女のもとへ膝をつく。
両手に工具を握りしめて、コードの接続部分を縁から削り、やがて芯が離れるまで続ける。一筋、外れれば、次の一筋へ。
ぼくはふらつきを覚え、カタリ、と工具を取り落とす。
手袋をめくれば、肌が透きとおらんばかりに蒼ざめていた。
床を這うように進んで、小部屋から栄養源の小袋を探り、夢中になって胃へ流し込む。
深い夜の淵に佇む船を、森に満ちる蛍光色の大気が、浮かびあげている。
「ぼくは、まったくの役立たずなんだよ。よく言われたっけ……ぼくは、おもちゃ遊びばかりして、お喋りなんだってさ」
ぼくは、物言わぬ少女へ、語り続ける。
この機械人間の少女は、いつだったか、彷徨うように船の外へ足を踏み出した日に、森に無造作に投げ出されていたのを見つけて、引きずってきたのだった。普段は使わない壁の緊急用ハッチを開けて、そこから部屋の中へ、まるで客人のごとく招き入れた。
その頃から、外見はありあわせの材料で、それらしく修復できたのだが。
「どうにか、ぼくは成体にはなれたんだけどね」
ぼくは少女の隣、床のうえに座り込む。胃に、もう数え切れぬほど口にした液体を、流し込みながら。
かつて、共に暮らしていた人たちは、もうここにはいない。
汚染されているのは、大気ばかりではない。水も生物も大地も、自然に循環するものすべてに、生をむしばむ微粒子は混ざりこみ、ゆるやかに汚染が蔓延していった。
それらは同じ環の上で循環を重ね、いつその環がほころぶとも知れぬまま。
摂取量の違いはあれ、どこにいても、何をしていても、生物は避けられぬ侵食を受けていく。
水は、濾過装置を使えばある程度浄化できたが、食糧はそうもいかない。
「食べられる生物は、この星には自然に存在しないんだ」
汚染前に保存されていた食糧には、限りがある。
かつての仲間たちは、新たな食糧を求めて、極端に汚染濃度の高い外気の中へ旅立っていった。何処かに置き去りにされているはずの食糧を捜し出すのは、命を賭した賭けであった。
その末路を想像しようとして、ぼくは静かに瞼を落とす。
「そう遠くない未来に、『ぼくら』は滅んでしまうだろう」
夜が降り積もる。
黄色い灯りに浮かび上がる無機質な壁に、おびただしい数の×印を背負いながら、手先を動かしつづける。
ぷつり、と髪の毛を引くようにコードが切れた。
ぼくは、全ての配線を剥離し終えたのを丹念に確認して、少女の腕の中へ、指先を向けた。左腕の芯に格納されていた、黒い金属の筒を、たしかに掴み、慎重に引き上げる。
その重みに、疲れの溜まっていた腕がわななく。奥歯を噛みしめて、筒を空中にすべらせていく。
ゴトリ……と重い音がして、鈍い黒色の筒が床に置かれた。
動力源との接続を断たれた黒い兵器は、他愛のない玩具のように見えた。
祖先たちが、何を相手に、何故争ったのか――今のぼくには、知るよすがもない。
だが、その最終局面では、母星から連れてきていた、ヒューマノイドたち――案内や学術の補佐、家事や介護のために創造された個体まで、無理やりに武装させて、宇宙空間へ駆り出されていたのだと、記録が残っているそうだ。
今はすべて、伝え聞いただけの、昔、昔の話になってしまったけれども。
ぼくは、眠るように閉じ合わされた少女の瞼へ、眼差しをそそいでいる。
「きみの瞳には、どんな景色が映っていたのかな……?」
いったい、どれくらいの歳月を経てきたのだろう。
同じものが、右腕にも、両脚にもまだ、埋まっている。
そのことに気づいてからは、取り外さなければと、憑かれたように考えつづけている。
「ぼくらが夢みたのは――なんだったのだろうね」
懐かしさを覚えるほどの周期に一度、青白い光の気配が訪れる。
ぼくは、身体をすっぽり防護服に包み、頭から首筋までをマスクに覆い隠す。
ハッチを開けて、船体の上、合金製の外壁に、両の足でしっかりと踏み立つ。
そうして、最果ての黎明を待つ。
地平の縁に、白い光の礫を散らしたような、わずかな光明が宿る。
瞼を細めて、その有様を網膜に灼きつけ続ける。
眺め渡すかぎりの森の樹木は、太い幹を持ち、枝を放射状に広げ、輝く葉を茂らせ、みな一様の姿をしている。
故郷の環境に似せるため、母星から持ち込まれた植物を祖先に持つうちで、唯一この環境に適合したものだ。適合種の網からこぼれたものは、跡形もなく土に還った。
先祖返りを起こしたのか、遺伝子に変異を来したのかは知らないが、ぼくに生殖はできない。仲間たちは、人という種をよりこの星の適合種に近づけるために、慎重に遺伝子の組合せを選び続ける。
人の名を冠した樹形図の先に、わずかな希望を、永らえさせるために。
防護服の中で、胸を膨らませるように、深く、息を吸い込む。
マスクを通過して紛れこむ蛍光の微粒子は、肺腑の表に浸み込んで、細かな針のように、刺し貫く。そこから、細胞を侵し、組成を壊し、まだ見ぬ形へ変容させていく。
ぼくは、この星に適合していない。
マスク一つを外し、ひとたび汚染物質を吸えば、数日ともたず息絶える。
残りの食糧は、この星の自転周期で、三月もつかどうかだ。
ぼくはマスクの首筋に手をかける。
もしも、その時が訪れたなら――
黎明を褥に、胸いっぱいに星の大気を吸おう。
そして、夢を見よう。
永久のまどろみに揺られて、いつか僕らの見た夢を。
<了>
読了いただき、ありがとうございます。
深呼吸、それとも息をひそめて、この星に満ちる空気を感じていただけたなら、幸いです。
SFファンタジーの魅力を、少しでもお伝えできましたなら光栄です。
一言でも、感想を頂けると、大変喜びます。
また、どこかの星でお会い致しましょう。(天星零)