表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悠久の褥(しとね)に

作者: 天星玲

SFファンタジーです。この惑星の呼吸を感じて、どうぞ一息にお読みください。

褥:しとね……敷物や布団。

 大地を覆う森の果てが、ほの白く染まる気配がする。

 やがて、青みを帯びた恒星の輝きが、地平から姿をあらわす。

 大気のよどみに、綿毛の玉のように輪郭をぼかしたまま、ゆっくりと森の縁をなぞって、ふたたび眠りにつくように、森のしとねに沈んでゆく。

 その名残の光が、地平に引き取られていくのを、ぼくは瞼を細めて見送っている。

 曇りがちに視界を見通せる、フルフェイスのマスク越しに、いつまでも柔らかな光を投げかけている。

 淡く、はかなげで、それでいて、胸に幾許いくばくかの感傷を呼び起こす。

 水しぶきを凝集したように、ちいさな煌きをあつめた、輝きだった。

 胸に溜め込んでいた息を、ゆるゆると、首まで覆うマスクの内に、吐き出していく。

 だれに語りかけるでもなく、吐息に『おはよう』と囁きをのせて。

 それが、懐かしいあの人たちの習慣だった。

 今でも、彼らはあの星の光の向こうで、笑っているのではないだろうか、と思える。

 ぼくはなるべく息を吸わないようにして、足元のハッチを開けて、船の中へ飛びこんだ。

 三重のエアシャッターに挟まれた狭い空間を何度か下れば、天井の低い内部の居住空間へ降り立つ。

 卵型の居住空間には、ベッドや机や椅子などの必要な家具が備えつけられている。壁の塗装は、もとは淡いうす茶色をしていたようだが、星霜を経てぼろぼろにはがれ落ち、合金の板を縦横に継いだ壁面が露わになっている。

 その壁に、先のすり減ったネジで、一つ×印を刻みつける。

 短い黎明と、昼と、黄昏がひと時に終焉を迎える、その頃には、一つだけある楕円形の窓の外が、蛍光色の黄を帯び始める。

 長い、長い夜が訪れる。

 ふと窓に寄れば、太い幹を並べた森の景色が、けたたましいばかりの黄色い光を醸しだす。厚い皮に覆われた幹も枝も、内側からほのかな光を帯びて、葉は、蒸散にのせてごくうすい煙をたてるように、微細な黄の輝きを放出している。

 そうして、夜の森は足元に藍を残し、蛍光の黄色に染まる。うたた寝のまどろみから醒めた直後に見れば、色素の薄い己の瞳を、まばゆく射るほどに。

 その警告を発するような黄は、かつてこの星への移民を行った祖先たちが関った、大きな、大きな戦争の名残だと、伝え聞いている。



 人類の新天地となるはずだった惑星は、戦闘兵器から大気中へ大量に撒き散らされた汚染物質によって、ことごとく住処と生命を奪われた。

 外気から遮断された屋内に逃れたわずかな者たちも、ながの間、黄色い大気の煙る外へ出ることはかなわなかった。

 その微粒子は、深呼吸で吸引したり、付着した皮膚から摂取したりするだけで、容易く人を死に至らしめた。フィルタにろ過され、閉塞したシェルター内にも、わずかずつ紛れ込む汚染物質は、体内に抗うすべを持たぬ者から、根こそぎ命を奪っていった。

 そうして、各地のコミュニティが滅びていく中でも、環境や偶然に恵まれた幸運な者たちは、子孫の代へと種をつなぐことができた。

 だが、やがてさらなる問題が蔓延し、彼らを死地へと追いやった。


 ぼくはゆるやかな曲線を描いた壁にある、小さな扉に隙間を開けて、首を差し入れる。

 中は一面にロッカー式の棚が備えつけられた、小部屋になっている。壁一面に、規則ただしく縦横無尽に並ぶ扉は、そのほとんどが開け放たれている。その一つに手を差し入れて、薄い金属フィルムの袋をたぐり寄せる。ふたを開けて、飲み口から中身を吸った。

 わずかに甘みを感じる液体が、喉を下っていった。

 この場所は、かつて不時着した、移民用の宇宙船だったそうだ。

 床は衝撃で破損していたが、当時に誰かが板を打ち、修繕して住居に用いていたようだ。

 卵型の居住空間の先の扉は、さらなる居住部を束ねる廊下へ連なる。その先は操縦室ではないかと聞かされていたが、開かずの扉となっている。外部から、すでにその部分が破壊されているのは確認されている。自ら気密を解くのは愚かな行為だろう。

 それに、一区画でさえ独りで生活をし、身動きをするには十分にだだっ広い。

 だが、中央付近に固定されたベッドに、背をもたせかけるようにして、床へ両脚を投げ出している人影を勘定に入れれば、程よく広い、と言っても良いのだろう。

 それに、机や棚や、床のうえまで、いまは随分散らかしてしまっていた。


 ぼくは、散らばった端材や塗料や筆の隙間を縫ってそこへ近寄り、床から工具を一本、拾い上げた。

「……ああ、かわいそうに」

 微動だにしない『それ』は、人の少女の姿をしている。

 藍色のさらりとした髪が、うつむきがちな頬を隠していた。左腕の皮膚であるはずの部分が、ふたのように大きく開いて、繊細なコードの束が覗き、幾筋かは床へ飛び出している。

「誰がきみをこんなにぼろぼろに、したのだろうね」

 それは、母なる星から持ち込まれた、人工知能を備えた機械人間――ヒューマノイドだ。

「……かわいそうなんて、きみたちは理解しないかな?」

 ぼくは、彼女に語りかけながら、髪一本より細い、絹糸のような腕の配線の束を、一本ずつほぐしている。

「さて、どうだろうね」

 微笑みをこぼす。手の動きは慣れてきたが、随分、気の長い作業だ。コードの束の先端に結びついた部品に傷をつけないように、配線の一本ずつを、工具の先端を操り、丁寧に剥離させている。


 長い夜の狭間に、窓の向こうにまどろみのような光が訪れて、去っていく。

 そんな時の一廻ひとめぐりを、ぼくより前からずっと誰かがしてきたように、壁に刻みつけながら、また少女のもとへ膝をつく。

 両手に工具を握りしめて、コードの接続部分を縁から削り、やがて芯が離れるまで続ける。一筋、外れれば、次の一筋へ。

 ぼくはふらつきを覚え、カタリ、と工具を取り落とす。

 手袋をめくれば、肌が透きとおらんばかりに蒼ざめていた。

 床を這うように進んで、小部屋から栄養源の小袋を探り、夢中になって胃へ流し込む。

 深い夜の淵に佇む船を、森に満ちる蛍光色の大気が、浮かびあげている。

「ぼくは、まったくの役立たずなんだよ。よく言われたっけ……ぼくは、おもちゃ遊びばかりして、お喋りなんだってさ」

 ぼくは、物言わぬ少女へ、語り続ける。

 この機械人間の少女は、いつだったか、彷徨さまようように船の外へ足を踏み出した日に、森に無造作に投げ出されていたのを見つけて、引きずってきたのだった。普段は使わない壁の緊急用ハッチを開けて、そこから部屋の中へ、まるで客人のごとく招き入れた。

 その頃から、外見はありあわせの材料で、それらしく修復できたのだが。

「どうにか、ぼくは成体にはなれたんだけどね」

 ぼくは少女の隣、床のうえに座り込む。胃に、もう数え切れぬほど口にした液体を、流し込みながら。

 かつて、共に暮らしていた人たちは、もうここにはいない。

 汚染されているのは、大気ばかりではない。水も生物も大地も、自然に循環するものすべてに、生をむしばむ微粒子は混ざりこみ、ゆるやかに汚染が蔓延まんえんしていった。

 それらは同じ環の上で循環を重ね、いつその環がほころぶとも知れぬまま。

 摂取量の違いはあれ、どこにいても、何をしていても、生物は避けられぬ侵食を受けていく。

 水は、濾過ろか装置を使えばある程度浄化できたが、食糧はそうもいかない。

「食べられる生物は、この星には自然に存在しないんだ」

 汚染前に保存されていた食糧には、限りがある。

 かつての仲間たちは、新たな食糧を求めて、極端に汚染濃度の高い外気の中へ旅立っていった。何処かに置き去りにされているはずの食糧を捜し出すのは、命を賭した賭けであった。

 その末路を想像しようとして、ぼくは静かに瞼を落とす。

「そう遠くない未来に、『ぼくら』は滅んでしまうだろう」


 夜が降り積もる。

 黄色い灯りに浮かび上がる無機質な壁に、おびただしい数の×印を背負いながら、手先を動かしつづける。

 ぷつり、と髪の毛を引くようにコードが切れた。

 ぼくは、全ての配線を剥離し終えたのを丹念に確認して、少女の腕の中へ、指先を向けた。左腕の芯に格納されていた、黒い金属の筒を、たしかに掴み、慎重に引き上げる。

 その重みに、疲れの溜まっていた腕がわななく。奥歯を噛みしめて、筒を空中にすべらせていく。

 ゴトリ……と重い音がして、鈍い黒色の筒が床に置かれた。

 動力源との接続を断たれた黒い兵器は、他愛のない玩具のように見えた。

 祖先たちが、何を相手に、何故争ったのか――今のぼくには、知るよすがもない。

 だが、その最終局面では、母星から連れてきていた、ヒューマノイドたち――案内や学術の補佐、家事や介護のために創造された個体まで、無理やりに武装させて、宇宙空間へ駆り出されていたのだと、記録が残っているそうだ。

 今はすべて、伝え聞いただけの、昔、昔の話になってしまったけれども。

 ぼくは、眠るように閉じ合わされた少女の瞼へ、眼差しをそそいでいる。

「きみの瞳には、どんな景色が映っていたのかな……?」

 いったい、どれくらいの歳月を経てきたのだろう。

 同じものが、右腕にも、両脚にもまだ、埋まっている。

 そのことに気づいてからは、取り外さなければと、かれたように考えつづけている。

「ぼくらが夢みたのは――なんだったのだろうね」



 懐かしさを覚えるほどの周期に一度、青白い光の気配が訪れる。

 ぼくは、身体をすっぽり防護服に包み、頭から首筋までをマスクに覆い隠す。

 ハッチを開けて、船体の上、合金製の外壁に、両の足でしっかりと踏み立つ。

 そうして、最果さいはての黎明を待つ。

 地平の縁に、白い光のつぶてを散らしたような、わずかな光明が宿る。

 瞼を細めて、その有様ありさまを網膜に灼きつけ続ける。

 眺め渡すかぎりの森の樹木は、太い幹を持ち、枝を放射状に広げ、輝く葉を茂らせ、みな一様の姿をしている。

 故郷の環境に似せるため、母星から持ち込まれた植物を祖先に持つうちで、唯一この環境に適合したものだ。適合種の網からこぼれたものは、跡形もなく土に還った。

 先祖返りを起こしたのか、遺伝子に変異を来したのかは知らないが、ぼくに生殖はできない。仲間たちは、人という種をよりこの星の適合種に近づけるために、慎重に遺伝子の組合せを選び続ける。

 人の名を冠した樹形図の先に、わずかな希望を、ながらえさせるために。

 防護服の中で、胸を膨らませるように、深く、息を吸い込む。

 マスクを通過して紛れこむ蛍光の微粒子は、肺腑はいふの表に浸み込んで、細かな針のように、刺し貫く。そこから、細胞を侵し、組成を壊し、まだ見ぬ形へ変容させていく。

 ぼくは、この星に適合していない。

 マスク一つを外し、ひとたび汚染物質を吸えば、数日ともたず息絶える。

 残りの食糧は、この星の自転周期で、三月もつかどうかだ。

 ぼくはマスクの首筋に手をかける。


 もしも、その時が訪れたなら――

 黎明をしとねに、胸いっぱいに星の大気を吸おう。

 そして、夢を見よう。

 永久とこしえのまどろみに揺られて、いつか僕らの見た夢を。


  <了>

読了いただき、ありがとうございます。

深呼吸、それとも息をひそめて、この星に満ちる空気を感じていただけたなら、幸いです。


SFファンタジーの魅力を、少しでもお伝えできましたなら光栄です。

一言でも、感想を頂けると、大変喜びます。


また、どこかの星でお会い致しましょう。(天星零)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ