-15『練習の成果』
「よし、今だ」
ヒョロとマッスルを置いて先行して走っていったサンシタが廊下の袋小路に入ったのを見て、俺はこっそりと後ろに控えていたクウに合図をする。
クウは頷くと物陰から姿を現し、サンシタの背後からそっと忍び寄った。
「ねえねえ、お兄さん」と声をかける。
びくりと大きく肩を震わせながら彼らが振り返った瞬間、クウは煙を噴出して姿をくらませた。次の瞬間、まるでキリンともゾウとも、ライオンともとれるような奇妙な動物に変化してみせた。
「ぐおおおおおおお」とその奇妙な動物が咆哮する。
変化が下手で思い通りに姿を変えられないクウだが、意図せず歪になってしまうせいで、むしろそれが恐怖を煽る謎の生物を作り上げている。
以前にも見せた失敗の変化だが、今はある意味それが最適な使いどころだろう。
「ば、化け物だ。お化けだあああああああ」
悲痛なほどのサンシタの叫びが夜の廊下に反響する。
しかし声は虚しくも遠くに響くだけ。
取って食われそうなその化け物を前に、やがてサンシタは腰を抜かしてその場にへたり込む。
しばらくするとまた煙が漂って化け物の姿は消え去った。
だがまだ廊下には独りきり。
頼れるものは何もなく、闇の中を何かが蠢く気配だけが彼を戦慄させる。
やがて、
「も、もうイヤだああああああ」と絶叫しながらまた廊下を走り出していってしまった。
・
「なんや、あいつの声が聞こえたで」
サンシタの後を追って歩いていたヒョロが身を竦めながら呟いた。
その声で彼らが俺たちに近づいていることを悟る。
次はどうしてやろうかと考えている俺の袖をナユキが掴む。
目が合うと、彼女は思いつめた真剣な顔でこくりと頷いた。
まさかナユキから言い出すとは思わず、数瞬ほど呆けてしまう。
いや、だがおかしいことではないのだろう。
ナユキはずっと、俺がこの旅館に来たときから変わろうとし続けている。初めての来訪時、仲居娘の中で真っ先に接客に来てくれたのも彼女だった。
一番奥病で、けれども一番勇気があるのかもしれない。
引き止める理由なんてない。
俺は力強く頷き返してやった。
「いったいこの旅館はどうなってるねん。おかしいやろが」
「おい、どうするよ」
「どうするって、女将や。女将に請求したる。こんなバケモン旅館に泊めやがって。金を返せっちゅう話や……」
ついには心のたがが外れて激昂した口調で荒ぶり始めたヒョロに、死角からナユキが歩み寄る。
紅潮すると水に溶けてしまう体質を利用したドッキリだ。
目の前で人が水になれば驚かないはずがない。
かくいう俺も初見の時は心臓が飛び出るほど吃驚した。
だが俺は、ドッキリを仕掛けにいったナユキの問題点に気付いた。
緊張のあまり自分の鼻を塞いでしまっていたのだ。おそらく無意識なのだろう。しかしこれではいつものように我慢してしまって水に溶けれない。
「ナユキ、鼻。鼻」
囁く声は小さすぎてナユキに届かない。
――仕方がない。ごめん、ナユキ。
脅かそうとナユキがヒョロの背後に回って袖を引っ張る。と、ヒョロがそれに気付いて振り返ろうとしたその瞬間、
「……ひゃうっ!」
先に悲鳴を上げたのはナユキだ。
ヒョロが振り返ったその一瞬に、俺は物陰から飛び出し、手を伸ばしてナユキの体に触れていた。
肩を叩くだけのつもりだったのだが、咄嗟のことで思わず彼女の太もも触ってしまう。冷たくさらさらした肌の感触を指先に覚え、予想以上の大きな悲鳴がナユキから漏れた。
ちょうどそのタイミングと同時にヒョロが振り返る。
案の定というか、ナユキの顔はすっかり真っ赤になっており、瞬く間に身体が液体となって溶けてしまった。
「ひ、人が水に溶けた……?」
信じられない光景に、ヒョロは素っ頓狂な声を漏らす。
傍で見ていたマッスルも同様に放心してその跡を見つめていた。
やがてその目の前の現実に表情は青ざめ、二人は飛び逃げるように大急ぎで足を動かしていった。




