4-1 『静かな日々』
クウの両親が訪ねてきて数日が経った。
あれからというもの、クウは人一倍に仕事熱心になっていた。
両親と改めて出会うことで本人も何か得ることがあったのだろう。
彼らがやって来た時とは見違えるほどに目を輝かせ、日々の業務に取り組むようになっている。もう俺を練習台としなくても一人前の仲居として働けるのではないかと思うくらいだ。
「こら、サチ。サボらないでしっかりとやって」
「ええー。クーちゃん厳しいよー。ちょっと休憩してただけだよー」
「休憩中にカキ氷を食べてる奴があるか。ナユキも、頼まれたからって作ってやるんじゃない」
「ご、ごめんなさい……」
「いいか。いまから洗濯、それが終わったら廊下の雑巾がけだからな。今日こそは女将さんに言われる前にやるんだぞ」
「はーい」
「……う、うん」
けたたましくも微笑ましい仲居見習いたちの会話を遠くに聞きながら、俺は朝食後の散歩に館内を歩き回っていた。
遊戯スペースの近くを歩いていると、ふと、片隅の物陰に大きなパソコンを見つけた。
随分と型が古く、ディスプレイはブラウン管テレビのように分厚い。
足元に置かれたドライブの入ったケースにはフロッピーの差込口があり、なんともいえない懐かしさがこみ上げてきた。
どうやら旅館利用者に自由に解放されているらしい。
しっかりとインターネットにも繋がっているようだ。
随分といいサービスだが、ボール式のマウスにも、ゴムカバーのかかったキーボードにも埃がたっぷりと溜まっている。
せっかくのグローバルネットワークも、ろくに客の見えないこの旅館では無用の長物といったところだろうか。
それにしても随分と古い。
電源を立ち上げてみると一分以上真っ青な画面が続き、起動音が鳴ってようやくトップ画面が開かれた。
ディスプレイも画素が荒く、ぼやけたように字が滲んでいる。
インターネットのアイコンをクリックしてみると、またしばらくの間が空いてからウインドウが表示される。
「……うわ、ダイヤルアップ」
更に一分以上待たされた末、ようやくインターネットのホーム画面に移り、大手検索エンジンが表示された。
「すっごい古い。小学校の頃のパソコン教室を思い出すな、これ」
少し操作してみると検索履歴が表示された。
『お化け』
『妖怪 お話』
『妖怪 おもしろい話』
『妖怪 子ども』
『妖怪 かわいい』
『妖怪 正体』
「なんだこれ。随分とピンポイントな検索だな」
こんなことを検索するのは仲居三人のうちの誰かだろうか。おおよそ想像はつくが。
俺も検索エンジンに、あるキーワードを打ち込んでみる。
『○○大学 オカルト研究会』
数秒かかるページの変移にもどかしさを覚えながら、俺は自分の所属するサークルのページを開いた。
サークルの会長が自分で作った、会員への連絡用のサイトだ。 ついでに広報も兼ねての活動報告なども載せている。
いくつかある項目の中から掲示板を開く。
会員向けの新着の項目があり、目を通した。
『近日、会員による活動報告を兼ねた集会の決行を予定しております。日にちは追って連絡いたしますが、私の都合によっては急な開催となる場合もあります。もし予定が合う方はこぞっての参加をお待ちしています』
書かれていたのは月に一度ほど行われる定例の集会の件だった。
とはいえ毎度全員が出るわけではなく、来れる人だけが来て飲み会のように気軽に騒ぐ場だ。会長だけは必ず出席している。
『追伸。今度の集会は一泊の旅行を予定しています。オカルトにゆかりのある地、もしくは心霊スポット付近にて宿泊できる場所をご存知の方はご報告いただけると幸いです』
最後の文を見て、俺はなんともいえない息苦しさを覚えた。
思いがけず本物の妖怪に出くわしてしまっているわけだが、それを言うのもはばかられる。
なにより、サークルの会長である女性に失恋してここに来たのだ。
逃げた先に振られた相手を招き入れるなど、たとえ血迷ってもできるはずがない。
「俺もこれからどうするのか、真面目に考えはじめないといけないな」
何度も失敗しながら、それでもちゃんと頑張り続けているナユキ。家族から離れた土地で新しく再出発を決めたクウ。どんな時でも元気で明るいサチ。
最近では、そんな彼女たちすら眩しく思えてくる。
「……はあ、結局足踏みしてばっかかあ」
自分の情けなさを実感して胃が痛くなりそうだ。
「どうかしたんですか」
いつの間にか背後に女将さんが立っていて、俺は飛び跳ねるように身体を反転させた。
咄嗟にマウスを動かしてパソコンのウインドウを閉じる。頬を引きつらせながらも咄嗟に笑顔をつくった。
「おはようございます、女将さん」
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「そうですね」
「こんないい天気には、いいことが起こるものです」
女将さんが微笑を浮かべる。
「なんだか機嫌がよさそうですね」
「ええ。クウがサチたちをしっかりと頑張らせているおかげで、私が手をかけることも少し減りましたから。それもこれも、悠斗さんのおかげですね」
「え、なんですか急に」
「クウに聞きましたよ。あの子のこと、いろいろと気遣ってくださったみたいですね。本当なら私がやらなくてはいけないことなのに、責任を考えると、どうしたらいいかわからずに何もできませんでした。私はまだまだ、あの子達の保護者としてダメダメですね」
そんなことないですよ、と言おうとした言葉を俺は飲み込んだ。
適当な気休めにしかならない無責任な言葉になってしまうと思ったからだ。
「俺も、大したことはしてないですよ。クウは自分で自分のことを解決させただけで。たぶん俺がどうこうしなくても、時間はもう少しかかったかもしれないけれど、いずれちゃんと折り合いをつけれていたはずだって。そう思います」
「たとえそうだとしても、悠斗さんがいてくれたことは、とても良い方向に繋がるきっかけになったと思いますよ」
女将さんはどうしてそこまで俺を持ち上げるのだろうか。辛いことから目を背けてこんなところまで逃げてきた俺を、まるで何かを期待するような目で見てくる。
俺はそんなに立派な人間じゃない。
もし立派だったらそもそもこの旅館にすら来ていないだろう。
失恋したショックをあっさりと乗り越えて、次の生活を送り始めていたはずだ。
そんな俺の後ろめたさを余所に、女将さんはそれからも終始ご機嫌な様子だった。
サチが性懲りもなくサボっていたところを見つけても、いつもなら三十分は説教を続けるようなところを十分程度で済ませていた。
鼻歌まじりに洗濯物を干しているところを俺が見つけたときは、恥ずかしがって真っ赤な顔をしてはにかんだ。
そんな珍しい女将さんを見ているのも楽しかったが、しかしそんな穏やかな時間もそう長くは続かなかったのだった。




