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 -2 『仲居三連星』

 女将さんが出ていってからすぐ、部屋のドアがノックされた。


 浴衣を持って戻ってくるには随分と早い。


 不思議に首をかしげながらも返事をすると、引き戸がゆっくりと開いた。


「…………あれ?」


 ただ開いただけだった。


 てっきり女将さんが顔を出してくるのかと思ったが、誰かが姿を見せる気配もなく、しんとした静間だけが部屋を満たした。


 まさか本当に超常現象か。ポルターガイストとでもいうのだろうか。


 なんて下らないことを思い浮かべていると、ひょこりと、小さな頭が顔をのぞかせた。


 小さな女の子だ。十歳前後だろうか。

 作務衣みたいな無地の着物を着ている。


 年齢の割りに色あせたような白みがかった長髪をしていてるが、それ以上に雪のように真っ白な肌が特徴的だ。目尻が垂れたおっとりとした印象で、つぶらな水色の瞳は少し潤んでいるように見える。


 ふと俺と目が合うと、彼女は急に自分の鼻をつまんで「へう」と呻き、そのまま急いで引き戸の裏へと隠れてしまった。


 まるでくしゃみを我慢するようだ。声も幼げで可愛らしい。


 あの子はなんだったのだろう。

 今日は他に客もいないと言っていたし、となるとこの旅館の子なのだろうが。


「……もしかして、女将さんの、子?」


 あの若々しい風貌に反して一児の母だとでもいうのだろうか。


 旅館の女将をやっているほどなのだし、本当は外見よりもっと年齢を重ねていて、子どもがいてもおかしくないくらいなのかもしれない。


 子持ちの若妻。ニッチだが需要は多分にありそうだ。


「し、失礼します」


 か細い声とともに、引き戸からひょこりとまた先ほどの少女が顔をのぞかせた。


 今度は胸の辺りまで乗り出し、胸元で握った拳を更にぎゅっと締めて、部屋の中へと入ってきた。


 とことこと狭い歩幅で歩く様子は小動物のようで可愛らしい。


 赤い生地に白いバツ印のような模様がたくさんはいった着物をベージュ色の帯で締めていて、足元の裾からは彼女が歩くたびに白い足袋のつま先がちょこちょこと顔を見せていた。


 少女は座椅子に腰掛けている俺の前にまでやってくると、膝を折って正座し、机の上に置かれていた急須へと手を伸ばした。


 どうやらお茶を入れてくれるらしい。

 だが気のせいか、彼女の手は見るからに震えているし、湯呑みを手に取ったり急須に茶葉を入れる手つきもスローモーションのように遅い。


 冷や汗のようなものが彼女の額から流れ、緊張が目に見えるようだ。


 急須にポッドのお湯を入れようとするが、力が弱いのか、ポッドの頭のボタンを押してもお湯が出てこない。それが殊更彼女を追いたて、手の震えが尋常ではないほどに大きくなり始めていた。


 やがてポッドのロックがかかっていたことに自分で気づき、はわはわと慌てながら、ようやくお湯を出せていた。


 ――なんというか、見てて面白い子だな。


 小動物の挙動を眺めるような気持ちで、俺はそんな目の前の微笑ましい光景を見守っていた。


 やがて急須から湯呑みにお茶を入れ終えた少女は、顔を真下に俯けたまま俺の前の机へと差し出してくれた。


「ありがとう。いただくよ」


 俺が労いを込めて礼を言う。

 ふと、伏し目がちの彼女と一瞬だけ目が合った――と思った瞬間だった。


 湯呑みに触れていた彼女のつま先がぴくりと震えた。

 そして突然立ち上がったかと思うと、また「へう」と鼻をつまみ、一目散に外へと飛び出してしまったのだった。


 あまりに急な出来事で俺は呆気に取られてしまった。

 何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。考えるが、思いつかない。


 怪訝に眉をひそめながら、入れてくれたお茶を飲もうと湯呑みに手をかける。


 冷たい。ポッドから注いだお茶のはずなのに何故か湯飲みが冷たい。確かにお湯を注いでいたように見えたのにだ。


 気にはなったが構わず湯呑みに口をつけると、しかしいくら傾けても口音へお茶が注ぎ込まれることはなかった。


「なんだ、いったい」


 さすがに変だと思って湯飲みの中を見る。

 が、俺はすぐに素っ頓狂な声を上げてしまった。


「な、なんなんだよこれ」と。


 覗き込んだ湯呑みの水がひとつも水面を揺らがせなかった。まるで凍ったかのよう――いや、実際に凍っているのだ。だがまったくその状況が理解できなかった。


 ポッドからは確かにお湯が注がれたはずだ。

 それが湯呑みに入った一瞬で凍るなんてことが起こるはずがない。

 ただただ奇妙な出来事に、不気味さを感じて湯呑みを投げ捨てたくなった。


 と、突然扉の方がまた騒がしくなった。

 今度はノックもなく無遠慮に戸が開かれる。


 次に勢いよく飛び込んできたのは、小さな二人の女の子と大きな叫び声だった。


「ナユキになにしたのー! 泣かすなんてひどい!」


 駆け込んできた女の子たちが俺に飛びつき、胸元を掴んで詰め寄ってくる。


 まったく同じ赤地の着物を着ているが、さっきのお茶を入れてくれた子とは違う子だった。片方は少し眺めの黒いオカッパ髪が特徴的で、もう片方は栗色の髪をポニーテールにして括っている。


 黒髪はわんぱくな子ども然とした活発な子で、茶髪は少し大人びた雰囲気のある目鼻立ちが鋭く整った美人顔だ。


 どちらもまた十歳前後だろうと思う容貌で、幼さの残る甲高い声で俺の耳元近くで喚き散らしていた。


 二人して交互に俺を勢い強く責め立ててくる。


 この人でなし。馬鹿。アホ。なす。かぼちゃ。ちんどんや。ぶさいく。髪ぼさぼさ。変態。


 ――いやまて、最後の方はただの罵倒じゃないか。普通に傷つくぞ。


 しかしいったい何なんだこの子達は。


 少女たちの勢いは俺にはまったく手に負えず、どうしたものかと困っていると、ふといつの間にか二人の背後に人影が立っていることに気づいた。


 それが女将さんだと気づくのに俺は数瞬の時間を要した。


 何故なら先ほどの天使のような微笑みを浮かべた彼女とは似て似つかぬほどに、般若のごとく眉を吊り上げて凄みのある渋面を浮かべていたのだ。


「あ、な、た、た、ち……」


 低く重たい女将さんの声に、勢いが嘘だったように少女たちの動きがピクリと止まる。声の方へ振り返った彼女たちは、瞬く間に表情を引きつらせたのだった。


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