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第06話 比翼の玉壺氷(レシート裏の暗号)

 

 ボックス席の足元には取り残されたレシートが二枚。

 裏返せば一枚は書き損じ、二枚目は極丁寧に達筆な漢字・・でこう書かれていた。


 ―― 汝窯宮中禁焼 內有瑪瑙為釉 唯供御揀退方許出売 近尤難得


「読めない……中国の漢字?」


 逆木が熱心に物書きしていた一枚。書き損じも含め、忘れられたレシートはこれみよがしに異彩を放っている。まるで暗号文のように思われた。


 元異国の文字が連ねられて、加えて意味がちっともわからないのだ。行きつく先は然もありなん。これには重要性があるように思われた。


 丸眼鏡の守矢が横から顔をのぞかせる。ゴミなら屑籠に捨てようかと提案されたが、私はこれを慌てて制した。意味深長な漢字の羅列は、彼にすれば暇つぶし程度のただの落書きであるらしい。興味薄に眺めているだけだった。


 元同級生の物に対する審美眼よりの目利きは皆無に等しく、ここまで視点を違えるものだろうかと私は不安になった。まさかユエン兄さんとの長期的付きあいの中で、私の一般的感覚が削がれてきているのやもしれない。


 それとも現在隣でしかめ面している彼にはちょっとした好奇心が足りないだけなのか。同年代の少年少女に比べて堅実である存在なので、単に物事に関心がないのだろう。


 とにかく書き残されたメッセージを読み解くには、私達だけの知識ではいかんともしがたい。私は馴染みのある、けれど馴染みのない漢字の羅列をみて決断する。逆木はユエン兄さんにレシートを残した。そう考えるのが妥当だった。


 漢詩や古文で必須であったレ点や一二三点が一切ない漢文を前に、和製漢字に慣らされた私では本来の発音すらわからないのだ。


「じょがま……きゅうちゅう……」


「あ、それだと重箱読みになるから」


 無意識につぶやいた言葉を指摘されて息がつまる。

 納得いかず訝しげに見つめると肩をすくめられた。


「それだと音読みと訓読みの混合だよ」


 中国大陸に訓読みはない。というのは間違いである。ただし大和言葉の発音に対する音訓ではない。各地の方言のなかに二種類以上にみくだしたものがある。つまり同じ漢字でありながら読みが違うもの、という訓読みは存在するのだ。


 広大な中原で上にわかれ下にわかれ、争いのなかで交わり繁栄して、近代に継がれた言葉はついぞ統一されず各地の方言として継承されている。


 もっとも中国大陸で話される方言はマンダリン。別称を官話という。征服王朝で使用された官僚言葉である。これは清王朝の都が置かれた場所をはじまりに、三百年かけて共通語として使用されるにまで至った。


 しかしこの場合の指摘は、文章内での発音である。言われてみれば中国語の文章を読むのに大和言葉の発音をいれるのはおかしい。


「窯ってたしか音読みだとヨウだったかな?」


「ふ~ん……じょようきゅうちゅうウンタラね」


 気のない相槌をうちながらおもむろに立ちあがる。


 オーダー表を携えた丸眼鏡が後ろにつづき、会計レジに回りこんで慣れた手つきでボタンを押した。手動式のアンティークにくくったレジスターから軽妙な音が鳴る。私はつり銭を懐におさめると、さっさとライヤンリーへ帰還した。



 ***



 店内に月江院の姿はない。

 ああして伯爵夫人邸から姿を消した逆木であったが、一旦こちらに連絡をいれたうえで帰宅したという。律儀にも現状身動き取れづらいと説明して、後日に予定を改めたそうだ。本日中に問題を片すことが困難だと思われたため、月江院も諦めやすく早々に踵をかえしていた。


 小部屋には店主ひとりだけ。頬杖をついて中庭を眺めている。その横顔は大陸風の骨董屋ライヤンリーにふさわしい面構えである。然もあらん貴人めいた恭しさが睫毛から隆鼻の余すところまで薄らとして儚げに感じられた。

 要するにユエン兄さんは考えふけっていた。


 しかし声をかけて反応がないというわけではなく。

 私は小卓の対岸に腰かけて件のレシートを二枚献上した。


「ユエン兄さん、これなんて書いてあるかわかる?」


 ユエン兄さんは目線だけちらりと小卓に覗かせる。


「汝窯宮中禁焼、內有瑪瑙為釉、唯供御揀退方許出売、近尤難得」


「あの……もっとわかりやすくお願いします」


「汝窯は宮中の禁焼なり。内に瑪瑙ありて釉となす。ただ選びわけて出売を許す。最も手に入れ難し」


「――汝窯は貢窯(民窯)ではなく官窯である。禁中貢納から落選したものが売りに出される。が今最も手に入れづらいもの。ということが書かれているけど」


 実際にみくだしてから違和感を抱いたのか、ユエン兄さんは柳眉を僅かにつりあげた。二枚のレシートを摘みあげると表裏を交互にひらめかせて見比べている。


「これどうしたの……?」


「逆木さんがユエン兄さんに書き残していったみたいで」


「へえ~これを僕に」


「連絡きたなら何か聞いてない?」


「さてどうだったかな」


 意味深長なメッセージには意味があるのか。はたまた憶測がすぎたか。単なる拾いわすれなら返却するべきか。とにかく浪漫めいた胸の高鳴りもあって気がかりだった。二進も三進もいかない存在感は、喉に刺さった魚の細骨のようだ。


「二枚目のこっちは人虎伝説の詩だね。ほら日本では……ああ山月記っていう小説。その一説にある詩だよ。学校で習うと思うけど中島敦の小説で」


「な、中島敦ね。それぐらいわかるよ」


 私は声を上ずらせる。


 喫茶店でのやり取りもあって、無知由来の勉強不足が明らかになった。戒めながら顔を背けたが、ユエン兄さんは歯牙にもかけず話をつづけた。


 しかし二枚目が書き損じではないことには驚いた。ひっそりと書体を確認すれば、形は漢字のていを成している。そのように読めないこともなかった。癖の強いくずし字というやつだろう。


「偶因狂疾成殊類、災患相仍不可逃、今日爪牙誰敢敌――思いがけず精神を病み、異なる存在となった。災いがつづいて逃げられずにいる。今の私の爪と牙にあえて挑むものはない。という意味になるんだけど、少しおかしいね」


「おかしい?」と反復すれば、今一度レシートは小卓に並べられた。


「この山月記の詩は意味のある区切り方をしている。漢詩には韻律があるんだよ。例えば日本風にいうなら五七調とかね。これは七字からなるから七言律師。しっかり決まりの型がある。もともと全体八句からなる詩なんだ」


「う~ん……」


「押韻が第一句と偶数句の末尾にあって、二句一組でれんとする。これが律師。そうして絶句の場合は四句で起承転結となる。だから山月記の詩は八句あるから七言律師だね」


 私は彼方に追いやっていた記憶、中学最後の年、漢文の授業を思い出した。

 絶句と律師。絶句は全体四つの句からなり、その中で起承転結がなされる。はじめの句を起句と呼ぶ。同様に後も承句、転句、結句とする。

 対して律師は全体八つの句からなる。二句一組を連ねて首聯、頷聯、頸聯、尾聯とする。つまり身体の部位になぞらえて、頭と顎と頸と尾ということになる。


「だから三句目である今日爪牙誰敢敵で区切るのはおかしい。やるなら四句目である当時声跡共相高となるべきだけど、態とらしく三句で終わっている。聯がなくなって連なりが途切れているわけだけど……ほらここ」


 ユエン兄さんは指先で文字をなぞりながら細かく説明してくれた。そうして押韻を見ろと言わんばかりに、第三句の末尾を指腹でトントントンと叩いた。


「山月記の第一句は韻を踏んでいない。これを踏み落としというんだけど。まあそれは置いておき。するとレシートに書かれた押韻は二句目の末尾だけになる。本来あるはずの四句目をいれれば二つ」


「へえ……」


「たしかに三句目で区切ろうが意味は通じるけど、わざわざ漢詩を書きとるくらいなんだから、もとある韻律を無視するのはどうかと思うよ」


 つまるところレシート裏の漢文には意味があったのだ。意味を紐解けば残されたメッセージを解読することができる。私は気もそぞろに、しかし胸元をおさえながら一呼吸おいて、ユエン兄さんに問いかけた。


「それでこれは暗号文なの? ダイイングメッセージなの?」


「それじゃあ逆木さんは死人じゃないかい。思うにこれは第三句の末尾を見ろということだろうね。山月記の詩自体にメッセージ性はないよ」


「なんだあ……てっきり暗号とか言葉遊びみたいなもんだと思ったのに」


 期待に反して肩抜かしだった。私は大袈裟に小卓につっぷした。頬杖よろしく片肘つきながらレシートを眺める。折り皺のある光沢紙には大手コンビニの店名が刻まれていた。二枚ともに同地域の店舗である。


 ふとユエン兄さんの指先が前髪をかすめてレシートを摘みあげた。


「となれば……汝窯の文にも意味があるのかも。こっちは詩じゃないから韻律に共通点はないけどね。文章で触接伝えるでもなし言葉遊びならいざ知らず、ここまで遠まわしに伝えたい理由があるのかな」


 汝窯とは古代中国に存在した官窯の名前である。もとは民窯であったが貢納を務めるにあたり禁中、宮廷御用達の陶窯となった経緯がある。これこそユエン兄さんが説いた雨過天青たる青磁を焼造した窯のひとつだった。


 いわく内に瑪瑙ありて釉となすとは、軟玉に属する瑪瑙を用いた釉薬のことである。青磁の色味をだすために瑪瑙の粉末を溶かしてあることから、独特の青い光が宿るとされている。その美しさ光をはなつよう。内部から湧きいずる名品である。


 ユエン兄さんの雑学によるところ、清波雑誌という古書に記された汝窯は、北宋王朝徽宗の時代から二十年の後に崩壊。今日になってもその卓越した技術は再現すること叶わずにいる。


 この徽宗きそうこそが汝窯の青磁を「天青色的幽玄」とした人物であるが、歴史上では暗君とされた。彼は皇帝というよりも美に傾倒した芸術家であった。その結果、後世に数々の名品が残されたという。


 金塊珠礫きんかいしゅれき銀衣玉食ぎんいぎょくしょくの時代であった。


 それこそ汝窯の色は、皇帝という貴人レベルでなければ叶わなかった。王朝の滅亡と引きかえに幽玄の天青色の領域に到達したとみる。惜しげもなく捧げられた末に起った、陶磁器の全盛期であった。


「青磁釉は試行錯誤の賜物だから」とユエン兄さんはいう。ただしそれは先人達が見いだし創りあげた数多あるうちのひとつ、宋時代の青でしかない。

 今となってはそれを極端に青色と差していいのかわからないが、理想の色を求めて瑪瑙を混ぜこむなんてすごいことするなと、私はただただ関心した。


 しかし一見して違いなんてまるでわからないものだ。知識と興味は同じものではない。こうやって教えられても一介の凡人の脳には、蓄積されることはあっても引き出されることは稀にもないだろう。


 逆木が残した漢詩と古書の漢文を並べても同様で、些細な違いなんてわからなかった。ましてや遠まわしに伝えたいことなんて探しだせない。


「私から見れば、この二つ比べても何が何やらって感じなんだけどな」


 ―― 汝窯宮中禁焼 內有瑪瑙為釉 唯供御揀退方許出売 近尤難得

 ―― 偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃 今日爪牙誰敢敌


 ユエン兄さんは、山月記の漢詩については第三句の末尾を見ろと解いた。

 ではそれを踏襲して、汝窯の漢文についても第三節を見るべきなのだろうか。


「じゃあ”唯供御揀退方許出売”と”今日爪牙誰敢敌”に意味があるのかな?」


「さてねえ……う~ん」


 ユエン兄さんは悩ましげに唸る。それきり黙ったままだった。


 口を挟んで謎解きの邪魔をするのも憚られる。私は声がかかるまでの間、中庭にでて草むしりに興じることにした。僅かな時間だったが梨の木の根本付近を身ぎれいにして、あたりに放られていた素焼きの欠片を拾い集めた。


 これは験担ぎで割られた「かわらけ投げ」の残りである。土器を人形になぞらえて、穢をうつして投げ割る、という一種の神事である。


 ライヤンリーは古物をあつかう商売柄、ある意味曰くつきのアンティークとは切っても切れない。今回の逆木家の呪いの壺だって同様。

 そうした物が持ちこまれることが多々あって、手放す客人に安らぎを与えるために行われる厄祓いのサービスが、この土器投げであった。


 如何にライヤンリーの大陸風の雰囲気から外れていようが、明らかに神仏関連の祈祷祈願であろうとも、ようは気持ちの問題である。ユエン兄さんのトンチキ口車で、これは古代中国に伝わる道教神事のホニャララで云々の儀式だと説明されれば信じざるをえないのだった。


 じつは日本には民間信仰の俗習のひとつに茶碗を割る儀式がある。これは冠婚葬祭どちらにも見られる。例えば故人の魂が現世にとどまらぬよう、宿るもの、または縁を壊してしまうという意味あいの説がある。


 茶碗が割れるというのは、なにも縁起が悪いものばかりではない。諸外国でも皿を割るということに魔除けの意味をもたせた信仰があるくらいだ。


 呪いなんてものない……しかしながらと疑いつつ骨董店にやってくる人間は、蒐集家の性なのか、価値あるものを無料で手放すような真似はしなかった。

 なのでユエン兄さんが講じた厄祓いの儀式は、そうした人間の心を軽くして古物を手放しやすくしたり、財布の紐を緩めることに貢献していたのだ。


 しょうじきストレス解消法としてはもっとも正しく思える。破壊衝動って精神を安定させる何かの物質が分泌されるのだろうか。私はそんなことを考えながら、土器の欠片をなんとはなしに割ってみた。手持ち無沙汰にちょうどいい具合でポキポキおれるので暇つぶしに最適であった。


 ふと視線を感じて顔をあげる。ユエン兄さんが丸窓で頬杖つきながらこちらを眺めていた。のらくらと軒先まで歩いていけば、件のレシートが表面をうえにして小卓に伏せられていた。長い考察の結果ユエン兄さんは匙を投げたようだった。


「まあ今日中に連絡してみるから、その時に理由を聞いてみるよ」


 ユエン兄さんは白んだ目つきで肩をすくめた。


 私は店内にもどり袋詰した土器の欠片を、湯沸かし場にある屑籠へ置いた。簡素なコンロと蛇口が備えられていて古いタイル式の流し台がある。使い込まれた琺瑯のケトルは浅くひび割れているが湯を沸かすくらいには現役だった。


 茶の準備をして小部屋に向かえば、ユエン兄さんは今も小卓のレシートをじっと見つめていた。水玉汲出の碗に注いだ安い緑茶を会話の御湿りにして、私達はふたたびメッセージと向きあった。


 逆木本人に確認を取るのが最善であったが、ともあれ自力で謎を解かねばならぬという意地もあった。ユエン兄さんも私も揃えたように負けず嫌いであった。


 逆木の置き手紙、もといレシート裏の漢文をメッセージとするならば、昨今そういった類のものは大衆ドラマであれば、大概が助けを求める合図である。


 しかし当時逆木にそうした素振りはなかった。あえて気になる点をあげるならば、迎えに現れた美しい女だろう。箱入りの手弱女のように、高貴かつ不健康で、一過性の流行にとらわれず教養のある雰囲気が漂っていた。

 やはり逆木家の親類だったのか。有閑夫人もかくやの妖艶さであった。


 そういえば――と私は話を切りだした。

 些細なことだが引っかかっていたことがある。


「それにしても漢詩やら漢文やら空で書けるなんて逆木さんって博識だね」


「教養があるからって空でかけはしないだろう?」


 それほど漢詩や漢文が好きなんだろう。

 私は納得するように頷いた。するとユエン兄さんがつづけざまに言う。


「たしか逆木さんは休学中だけどK大の学生だったよ」


 名家の出自も専門的な学歴も到底及ばない。にも関わらず、遺産相続の要である壺を手放した失敗談だけで、我知らぬうちに極自然な流れで逆木を侮っていたらしい。おまけにK大は私の志望する大学のひとつだった。思いもよらぬ真実だった。


 うまくすれば先輩後輩の間柄になる。

 私はここでレシート裏のメッセージを解読せずといった選択肢をなくした。


「そのレシート持ってかえっていい?」


「いいけど。どうするの?」


「三人寄れば文殊の知恵。他の人にも助言をこうの」


 私はユエン兄さんの了承をえてレシート二枚を摘みあげると、厳かに胸ポケットへしまいこんだ。



 ***



 いそいそと自宅に帰ってみれば、居間に出されていた万年床の炬燵が跡形もなくなっていた。茣蓙が引かれた床はさっぱりと清々しい。風通しのいい縁側には潰れた炬燵布団が干されていた。


 すでに母親も帰宅している。私は身ぐるみ剥がされた炬燵机の天板に、ずずいっと解読不能のレシート二枚を広げた。しかし三人分の知恵は集大成にはならなかった。母親も解読不能であったようで首をひねっている。これにはがっくりときた。


 ところが些細なものでもきっかけになりうる。私達は意外なところに注目した。


「この漢字だけ中国の漢字? お母さん読めないわ」


「このふたつ」と母親は指さした。


 逆木のくずし字を前にして私は息を詰まらせる。

 母親は新聞紙に挟まっていた単色刷りの広告裏にすらすらと書き写してみせた。


 ―― 汝窯宮中禁焼 有瑪瑙為釉 唯供御揀退方許出売 近尤難得

 ―― 偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃 今日爪牙誰敢


「このふたつだけ字体が違うわよね? 授業でこんなの出た?」


「そりゃあ……でてこないよ。だってこの漢字最近できたやつだもん!」


 私は敌の字を見つめてそういった。


 ユエン兄さんは自称中国大陸奥地で繁栄してきた民族の末裔だ。ならば中国語に親しみがあって当然。紛れこんだ字の一つや二つ違ったところで問題にはならない。ましてや諳んじるように訓めるなら誤字よりも内容に意識が向くだろう。


 誤字であれ意味は通じてしまう。あるテレビ番組でゲスト講師が説明していた。これをタイポグリセミア現象という。


 つまり読めるからこそ見落としたのだ。


 逆木は第三句の押韻に注目させようとした。その字体にこそ意味があったわけだ。そうとわかれば途端冴えてくる。汝窯の漢文にもちゃんと謎が残されていた。


 見るべきところは第三節ではない。第二節の冒頭であった。


 昨今の案内板でよくよくお目にかかる字体だ。一枚目のレシートには画数を簡略化した簡体中文が、二枚目のレシートには日本では常用されない繁体中文がひとつずつ存在していた。


 日本人の視点からみた漢字というものは中国では繁体字といい、それから画数を減らした文字を簡体字と呼ぶのだ。もっとも通常の漢字よりも画数の多い繁体字もあって、これに関しては日本ではお目にかかる機会はなかなかにない。


 簡体字は公布以前より存在しただろうが、俗にいえば近代と現代よりの文字だ。

 つまり整えられた漢詩と漢文に、交じるはずのない字体があえて書かれている。


 ―― 


 私は意味を理解しないまま、レシートを引っ掴むと脱兎のごとく駆けだした。

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