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第02話 比翼の玉壺氷(逆木家の遺言)

 

 店主と客人は今一度小卓を挟んで交渉をはじめた。逆木が重々しく語る。


「壺と香炉の持ち主は祖父だった。その祖父が心不全で亡くなった。老衰による寿命で特に病死とも言えなかったが、厄介なことに資産家だったわけで相続で揉めた」


 ユエン兄さんは「ドラマみたいだなあ」と感心している。私も芸能ニュースを聞くような心地でいる。故人の事情に巻きこまれた親族はたまったもんじゃないだろうが、非日常の体験談はつねに楽しいものだ。


 逆木は一瞬言いよどみ話をつづけた。


「わかりきっていることだけどね……父の兄弟は皆いい人だったが、いざ蓋を開けてみればという結果になった」


 大金が絡むと人が変わるという。逆木の祖父は「いい人」であった彼らを惑わした。一体どれほどの資産を残したのだろう。


 テレビに向かって語りかけるように「気になるな……いくらなのかな」と呟いた私の声を、逆木は聞き逃さなかった。


「残された資産は相続税を差っぴいても恐ろしい額になるそうだ。それで皆んな目の色が変わった。能の般若面ってあるだろう。まさにあの顔だ。たしかに鬼の顔だった」


 それから――と本題に触れはじめる。


「祖父は死にぎわに自身の骨を納める壺を指定した。これを叶えた者が逆木家を継ぐことができるとね」


 死期が迫るにつれて無茶ぶりする御仁は少なからずいる。逆木の祖父も親類にそれを強いた。もとが多額の資産を所有していた人間だ。大金で人が狂うことはわかっていたはず。


「それで一斉に家探しだ。私だけがそのあとにつづいた弁護士の言葉に耳を疑ったよ」


「なるほどなるほど。その骨壷予定の器がこの壺だったというわけですね?」


 ユエン兄さんの指差した先で、二つの壺が瞬いた。


 丸窓からの陽射しに照らされた真贋の器たちは、さながらさざなみ揺蕩うエメラルドグリーンの海だった。乱反射した波が小部屋中いっぱいに広がっている。


 光の陰りすらも眩しかった。一体どちらの壺が指差されたのか。

 私にははっきりと見えなかった。だが二つの壺のどちらかには違いない。


「いっときの金欲しさに売り払った壺と香炉だ。袁君は破格の値段で買い取ってくれたけど、今では三千万なんて端金になってしまったという事情さ」


 逆木は三千万を端金とはしたがね言いきり、ユエン兄さんは肩をすくめて笑った。


「坂木さんにとって今はもう三千万は二束三文の価値しかない。転がり落ちてきた好機を前に優先事項が変わったということですね」


「好機といっても……父親や叔父を尻目に俺は部屋にこもって頭を抱えたよ。この時にはすでに壺も香炉も手放していたから何処を探したってない。それを言うべきか悩んだ」


 二人は私の存在など構いなしに話をつづけている。小卓の前に立ちつくして呆然と眺めるしかなかった。私は並べられた二つの壺の美しさだけ見つめて、はあと溜息をついた。



 ***



「じゃあ……私はお店の掃除してるからね」


 する事もないので小部屋から退散して、日課である駝鳥の羽ハタキを振るった。

 誰に言われるでもなく好きこのんで埃を払いつづけて数年。骨董屋ライヤンリー店内で年単位不動の古物をここまで気遣うのは、店主をおいて果たして私くらいのものだった。


 こうして長年商品を眺めているが諸々の知識は養われず、私的な審美眼のみが培われている。愛着を持った商品が買われていけば、嬉しい半面切なくもなった。


 私もしや骨董店のアルバイターなんだろうか。

 極たまに労働の対価としてユエン兄さん手づから中庭の梨をもいでくれる。万能包丁でくるりと丸めてくれるのだ。しかし賃金未払いだ。ところが文句はまったくない。


 ユエン兄さんは祝事の節目を皮切りに、入学祝いやら誕生日やらプレゼントに事欠かない。それもすべて価格不明なアンティークだから恐ろしかった。今は税務署にも慣れたが、なんだか将来的に睨まれないか不安である。付きあう両親も苦笑していた。


 骨董品や美術品はいつ価値が高騰するか低落するかわからない。

 なぜなら鑑定した時分の状態というものがある。保存状態も関わってくるが、例えば希少価値の古銭がひょんなことから大量に掘り起こされたりもするのだ。


 ユエン兄さんは商売柄知恵があるので、現時代においては低落した価値のない骨董品を選んでくれるので安心だが。けれど世間の鑑定はさておき、それらは私が美しいと思えるものにかぎられて、選別に妥協を感じたことはなく、個人的には手にするのも憚られる価値あるものばかりだった。


 本来のアンティーク市場というものは利益をみすえたものではない。

 世代を越えて継いでいく私人の資産なのだとよくわかる。


 そうして古いものに価値をみいだす者がいるかぎり巨額が国をまたいで動く。

 結局は金持ちの資産であるが、そこにある物の真実など関わった者にしかわからない。


 あの香炉と壺は揃えて三千万円した。壺がおまけなのか香炉がおまけなのかわからないが、両者ともに状態はすこぶるよかった。逆木の祖父が骨壷に望んだとはいえ、壺ひとつの値段だけで三千万だとは思いがたい。


 あの香炉……あの壺たち……そもそもの来歴はなにか。


 収納箱に腰かけてぼんやりと考えていると、いつの間にか店内通路にユエン兄さんが立っていた。商品の山で逆木が出ていったのにも気づかなかった。やはりライヤンリーの門鐘は鳴らされなかった。


「楓子は香炉どうするつもりなんだい?」


 ユエン兄さんは商品の間からこちらを横目に見ている。

 白けた顔のうえ、腕を組みながら対峙されるので、私は少しおかしくなって笑った。


「どうするってさっきの例え話だよ。本気にしたの?」


「だってああ言うから、その気なのかなと思うだろう」


 わざとらしく肩をすくめられて、おやと感づいた。

 どうやら再交渉をへてユエン兄さんは機嫌を直したようだっだ。


「ユエン兄さんから貰ったものだよ。今までだって一度もそんなこと考えつかなかったけど。それにあんな高そうなもの、そう簡単に手放したりしたら変な噂たてられそうだし」


 駝鳥の羽ハタキを弄びながら溜息をつく。ちらりとユエン兄さんの様子をうかがうも通路にはいない。気がつけば収納箱の隅に腰かけていたので驚いた。

 いつ移動したのか気配がなかった。自称の出自から現在にいたるまで雲を掴むような話ばかり語る人だ。その影響か。存在感すらも現実味がなくなってしまったようだった。


「そこは、僕からの贈り物だから大切にしようと思って、ものに価値を見いだしてくれたほうのが個人的には嬉しいよね」


「限度があるよ。おかげで部屋のなか花の女子高生らしからぬって感じになっちゃったんだよ。押入れの整理整頓だって大変なんだからね」


「なら箪笥でも贈ろうか。ほら店の薬棚あるだろう。階段にも組みかえられるやつ」


「だから置く場所がないんだってば」


「楓子の部屋って六畳あるだろう? 余裕でしょう」


「布団敷くスペースしか残されてないよ」


 つんとそっぽを向けば、なぜかユエン兄さんは嬉しそうに微笑んだ。

 嬉しがることなんてあったか。まったく理解できない。


 すると機嫌をうかがうようにして、断りもなく額にかかった前髪を撫でられる。これは手慣れたもので勘違いのもとだった。幼少期からの付きあいだから我慢できるが。しかし相手の年齢をどうか考えてほしい。


「香炉のことは心配しなくていいよ」


「そう?」


「無償で譲ってくれるそうだから」


 無料タダほど怖いものはない。

 なんだか不安だなと思いつつ、ユエン兄さんに任せることにした。


「久しぶりに梨食べていく?」


「うん」


 万能包丁を握りしめたユエン兄さんについて中庭にでた。大ぶりの梨に刃を入れる流暢な手さばきは、梨の皮剥き職人の域に達していた。


 待ちぼうけながら木の根元に座りこむ。


 小池に浮いているアメンボの波紋に目をやれば、銀色の鯉が大口開けて飲みこむところだった。蓮華の葉が揺れた。転覆寸前の小舟のようだ。波間に浮かんでは沈んでを繰りかえしている。花びらの散った水仙の葉がザワザワ鳴っていて耳に心地よかった。


「よっと」と軽快な声をだして隣に腰を降ろされる。差しだされた櫛形の梨を阿吽で受けとり、言葉も交わさず丸々一個分食べおえてから私は話をはじめた。


「逆木さんが欲しがってた骨壷って、ふたつのどちらかひとつだけでしょう?」


「そうらしい。よくわかったねえ。そのポイントがミソなんだよ」


 ユエン兄さんは返事のついでに万能包丁を上下に振った。

 片手には自分用に剥いていた梨を掲げていて危険極まりない。


「まさか骨全部入れるにしては小さすぎるし、欠片を何本かいれる予定だったんだろうけど、でも考えてみたら八十はゆうに越えてる老人の骨だから……まあねえ」


「越えてるとなに? なにか理由があるの?」


「楓子は葬式に最後まで参加したことは覚えてる? 老人の骨は火葬に堪えられないんだよ。若者はちゃんと綺麗に焼けるんだけどね。まあ体外粉々になるよ」


 ぱっと瞠目したが想像してみる。骨は焼いても黒くならない。魂の重みが抜けてひたすらに軽くなったそれが粉々になるなのだからさぞや美しかろう。この世ならざる純白の粉が、辻風に巻かれて輝けば、春の吹雪にも優るはずだ。


「海にまいた残りを壺にいれて墓にしまうそうだよ。葬儀はとっくに終えて、仮の壺にいれたまま待っているそうだ。ハハハじつに面倒このうえない爺さんだよね」


 ユエン兄さんは息継ぎのていで剥いた梨をひとかじりした。

 ゆっくり咀嚼して飲みこむのを待って、はてと私は首をかしげる。


「もともとあのふたつはセットで逆木さんが売りにきたんだよね?」


「そうそう。突然売りにきたのさ。紹介状を持ってね。でも逆木さんは金になるかならないか、そのことだけに熱心だったから、僕はあえて言わなかったのさ」


「あえて言わなかったって一体なにを?」


「う~ん、その目で見えているものについて、かな」


 なにやら意味深長な物言いだった。


「そもそも逆木さんにとっては考えてもみないことだったんだろう。普通は気づいて一言くらい聞いてもいいのに。今日もそのことについて疑問にすら思わなかったらしい」


 両者はものに対する価値の置きどころが違っている。そもそも古物を扱うのに物と金どちらに価値をみいだすか、といった問題である。そのことから生じた壺に対する認識のねじれがあって、ユエン兄さんは我関せずに対応したのだといった。


 じつに詐欺師めいた思いつき……のように思えた。


 しかし逆木は一体なにを見落としていたのか。


「壺は玉器と磁器であって同質のものではない。まったく同じものを造るならわざわざ別物で揃えないだろう。ましてや昔中国で磨かれた壺なんだから当然」


「へえ。あの壺って中国で造られたものだったのね」


 私は両足を投げだして、姿勢を崩したままじっと小池を見つめた。

 けれど耳だけはしっかりとユエン兄さんの語りに傾けている。


「状態よろしく美しく保管されてきたものには理由がある。大雑把にいうなら骨董品や美術品というものは貴人の眼鏡にかなわなければ世に残りようがなかったものだよ」


 数多ある作品を鑑賞に足りるものとして価値を引きあげるパトロン。守り手が居てこその世界だ。そうしてそれは脈々と現代美術に受け継がれている。


 世の中には青色一色だけの絵画がある。


 その青色は稀にない濃い発色で、深淵のようでもあったし天上のようでもあったが、見るたびに捉えどころがなくなるものだった。


 本当にこの作品に価値があるのかと疑わしくなり、そうして眺めているうちに心のどこかで気がついた。


 その青色のキャンバス、価値数億円はくだらない。しかし私にとってあれはただの一色にすぎないのだった。


 ユエン兄さんがいうところの、所有した人間が器の価値を決めるものであり、ものの価値はその人が決めるといったところだろう。


 世間の評価に合わせなければ、結果「よくわからない」ばかりに行きついた。

 きっと逆木は私と同類ゆえの美術的鈍感さだろう。


「逆木さんはそれを疑問に思わなかったみたいでね。途中で入れ替わっているならまだしも最初からその揃えなら疑わないだろうよ」


「なにを疑わない?」


「あの壺は偽物ってこと」


「あ……?」


「たぶん十万もしないよ」


「はあ!?」


 私は驚きと呆れのあまり飛びかかるようにしてユエン兄さんの両肩を掴んでいた。

 まさか聞き間違えたか。いや聞き間違いではなかった。


「偽物ってわかっていて三千万円だしたの!?」


「片方は偽物ってこと。でも偽物に価値がないってわけじゃない」


「でも価値なんてだださがりじゃないの……」


「現代になって造られたものならね。大昔どちらかが欠けてそれを補うために造られたものだとしたら……その諸説にも価値がつけられるよね」


 私はユエン兄さんの語り口に不安を覚えた。キュッと胃袋が縮んだ気がする。

 突然の突風にあおられて水仙の葉がザワザワと擦りあった。耳障りなほどだった。


「こういった話もある。時は豊臣天下の世、秀吉公に献上された茶器が割れてしまった。秀吉公は激怒した。ものの見事に五つにわかれて割れてしまったからね」


 この時代だから茶器は人ひとり分の命以上のものだった。もちろん茶器を故意でないにしろ割ってしまった当人は死でもって償わなければならなかった。しかしここに逸話たる茶器の価値が付加された。戦国きっての文化人細川幽斎が狂歌を詠んで場を取りなしたという。


「割れた茶器は継ぎで修復された。それが今や国宝になっている」


「それ偽物じゃなくて、もとから価値があるものだったんでしょう?」


「もちろん。もともと権力者を渡ってきた茶器だよ。富と権力の象徴だったのさ」


 茶器は戦国武将の象徴でもある。もっともそれは領地にかわって与えられたものが茶器であったためである。茶器そのものが恩賞であり勲章であったのだ。


「まあ聞きなさいよ」とユエン兄さんは言った。


「秀吉公は茶人だった。黄金の茶室だって彼が作らせた。しかしだ。はたして真の茶人であったのかはわからない。歴史上の人物の価値観や感情なんて神のみぞ知るだ」


「ふうん物は言いようだね」


「ただ言えることは秀吉公が茶器に執着していなかったら、その茶器はきっと今の時代で国宝たりえなかっただろうよ」


 ―― 筒井筒 五つにわれし井戸茶碗 咎をば我に 負いにけらしな


 割れた罪は私が負いましょうという意味だが単なる歌ではない。

 この歌には元ネタがあった。


 狂歌が伊勢物語を下敷きにしていることを理解して、怒りの矛を収めた秀吉公もまた文化に通じていた。だからこそ場は取りなされ茶器も現在にいたる。


 歌の詠まれたその瞬間に価値が生まれたのだ。もっとも狂歌の出来栄え、茶器本来の価値、細川幽斎との関係、それらのどれかが損なえば結果は違っていたかもしれないが。


「即物的な人間なら、割れてしまった陶磁器を漆継ぎしてまで手元に置かないだろう」


 興味がなければ金継ぎ技法など考えもつかない。壊れた物を直して使いつづける。簡単なようで難しい技術だ。


「割れてもまだ価値があるっていうのが不思議だよね。でもそれは豊臣秀吉が持っていたから後世の人がありがたがってるの?」


「そうだよ。そういうものだよ茶器ってのは。逸話の価値ってのは伝来の価値さ」


 ユエン兄さんは淡々と語った。


「それに日本では茶器だとか花器だとかにされてる有名な陶磁器ってのはね、海を越えた郷窯では酒瓶だったりご飯茶碗だったりする雑器なのさ」


 ああ偽物云々とはこの事かと腑に落ちた。


 一対の壺として見れば偽物だろうが個として見れば舞台が違う。大昔に造られたとなれば偽物だって真物になる。それが伝来の価値とやらだ。


「伝来の茶器の用途、実はご飯茶碗でしたとか暴いちゃいけない真実だと思うよ」


 有名な茶器はことごとく質素である。飾り気がないので雑器と言われれば違和感はない。もとが日常品なのだから至極当然の眼識である。


「もともと美的感覚が海の向こうとかけ離れていたからじゃない? 派手好きよりわびさびのなんとやらでご飯茶碗を美しく思ったんでしょう。島国的な価値観の違い?」


「さてどうだろう。東山御物に憧れる心につけいったのかもね。当時のほんとうの価値観なんて未来人にはわかりっこないよ」


 身分ある人がこれは素晴らしいともてはやせば後につづけと感化される。流行は先人の模倣から花ひらいた。今だってそれは変わらない。流行は作られるものだった。

 大昔だって率先した存在がいてこそだ。


 説得力がある人物が元雑器に茶器としての価値をもたらしたといえる。


「ただ、もちろん売りつけた貿易商は用途を知っていたよ。有名所でいえば便所壺だったものだってある。これって一種の詐欺事件だよなあ」


「それはご飯茶碗よりも嫌な詐欺だね……」


「つまり言えることは日本の陶磁器ってのはそういう過去があるの」


 そう言いきるとユエン兄さんは午睡のていで梨の木の根元に寝転んでしまった。同時に私は店番を任された。小部屋の椅子に腰かけて丸窓から中庭を眺めた。

 そうやって小一時間過ごしたが、あれ以来客足はなくなり誰ひとり店にやって来るものはいなかった。

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