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第01話 比翼の玉壺氷(いつもの来客)

 

「金烏玉兎の香炉を売ってくれないか」


 初夏の清々さっぱりとした帰路の途中――

 寂れた袋小路から男が現れてそういった。原因は言葉のとおり。私の高校入学を祝してユエン兄さんがプレゼントをくれた。その中身が問題だった。


 ユエン兄さんこと自称日本国籍取得者。古から脈々中国大陸奥地で繁栄してきた民族の末裔が、日本列島埼玉県奥秩父に越してきたのは私が生まれる前のこと。


 彼は若々しい二十代前半の容姿を保っているが、指折り数えて年月を遡ればまっとうに三十路どころの話ではない。彼は私の幼稚園の運動会に父兄役で参加した経歴すらある。

 その時だって骨董屋ライヤンリーの店主であった。


 ユエン兄さんの生業からして曰くつきの古物と縁がある。そのため私は彼から頂いた青色の香炉をおそるおそる扱った。値段も値段で考えたくなかった。

 使用痕迹のない美しい釉薬には香灰など散らしたくなかったし、作法も知らずに手を付けたら呪われるような気がしたのだ。


 香炉の大きさにも原因があった。

 香炉は子供の頭部くらいの大きさで、最初は火鉢かとさえ勘違いしたほどだった。ゆえに持て余して箪笥の肥やしならぬ、押入れの肥やしになった。


 私は祖父譲りの浪漫好きがこうじてよく想像をめぐらした。

 この香炉きっと中国皇帝の何番目かの后が愛用したもので、骨董品についた大陸幽霊の眼鏡にかなわなければとり殺されてしまう。

 だから持ち主を転々として海を渡って、この寂れた町だか村だかわからない土地にある可笑しな骨董店にやってきてしまったのだ。


 なんの因果があってのことか。その価値に釣りあわぬ庶民の貧しい部屋に身をやつして、あまつさえ一度も使われぬまま押入れにしまわれてしまった。


「えっと――どうして香炉のことを知っているんですか?」


 相手はのっぴきならぬ顔をしていた。

 前触れもなく現れた男に唖然としていた私だったが、理由が理由で物が物であるため、意を決して声をあげた。


「店主に聞いた。きみが良ければ譲ってもらっても構わないという」


 いくら押入れの肥やしとはいってもありえない。

 あまりにも嘘くさい発言だった。


「あの……そもそもどちら様でしょうか?」


「ああ申しわけない。俺は東京でアンティークショップをやっている者だ」


 男は結局のところ名乗らなかった。しかし私には()()()()()()()があった。


「どうしても君の持っている香炉が欲しい。噂を聞きつけてもしやと思い、足を運んだんだ。そうしたら月宮殿の天女である星君が天より頂いたという沈香の伽羅が……」


 信心深げなものいいで、男は不審きわまっていたが恐ろしいほどに真剣であった。思わず後ずされば同じだけ距離を縮められる。


「ちょっと私にはわかりかねますので、大人を……店主をまじえて話しませんか?」


「それはできない。できないからこそ今ここで君に頼んでいるというんだ」


 私は助けを求めんとして、男を問題の骨董屋ライヤンリーに連れていこうと思い立った。が一刀両断に拒否されてしまい窮地に追いやられる。


 この状況から逃げだすことに失敗した。


 かくして路地裏に引きずりこまれ、人目を避けながらひたすらに香炉の譲渡を迫られた。てんで意味をなさない会話に私は疲れきってしまった。


「わかりましたっ。わかりましたからっ。ちょっと確認させてください」


 私は諸手を挙げて降参した。いちかばちかの狂言でもって男を路地裏から連れだそうと、いっさいの恥を捨てさる覚悟だった。


「本当は香炉じゃなくてその中身がほしいんですよね。つまり世にいうかぐや姫の薬……」


 自身で言っておきながら荒唐無稽な話だった。いたたまれずに顔を背ける。そっと男の様子をうかがえば形相すさまじく破顔していた。

 この話題こそ限りなく()()()()()()()に近かったのだ。


「やはり香炉に隠されていたんだな――不老不死の沈香!」


「中身は私のところにないんです。店主が他の人に売りつけたので……」


 当初香炉には市販のお香が添えられていた。ユエン兄さんは単なるバニラの安息香に冗談めいた即興のお伽話を付けてくれた。


 これは不老不死の妙薬、かぐや姫の置き土産、燃やした灰をつめた香炉――。


 民族雑貨屋で購入されただろう線香の筒箱には翻訳書きの説明すらなかった。語学知識のない私を謀るなら、いくらでも与太話は付けたせた。


 しかし間に受けるほど子供ではない。冗談だとわかりきっていた。


 この作り話、誰が信じるだろうと。


 私は路端を通りすがる人影に咎められた気がして、慌てて男の腕をむんずと掴み、袋小路の陰から連れだした。


「とにかく一度お店のほうにいってみましょうっ」


 息つく間もなく商店街に向かった。

 無論のこと目的地は件の骨董店しかない。いきつく先は問題と原因の生まれた場所。

 私はユエン兄さんに面倒事すべて投げうって、これを解決して貰うことにした。



 ***



 時はしばし遡る。


「おもしろくない話だな。そっちが是非買ってほしいといったから買ったものを半分の値段で買いもどそうとするなんて……じつに詐欺師めいた思いつきじゃないか?」


 来客用の門鐘を鳴らさぬように扉を開ける。これは昔からつづく悪癖だった。そうやって閑古鳥が鳴く店の奥、小部屋の椅子で寝こけているユエン兄さんをわっと驚かしていた。

 私は高校生になって久しく、悪戯は鳴りをひそめて間もない。それであれ慎重に扉をあける癖は抜けず、始終入りびたりのままだった。


 怪しげな骨董店に子供がひとり単身、訪ねているにも関わらず、長年それを誰にも咎められずにいた。ユエン兄さんは商店街の住民から長年厚い信頼を寄せられている。

 なので正しく徳のある善人には違いないのだが――。


 どうやら今日は珍しくも先客がいるようだった。

 私は抜足差足でライヤンリーに踏みこんだ。店の奥にもうけられた小部屋から抑揚のない声が聞こえてくる。店主であるユエン兄さんの口ぶりは勉めて朗らかだった。

 にも関わらず、支柱の欄間から覗きみた横顔は、ものいう客に呆れはてていて心底気だるげといった様子。応接間での団欒とは言いがたい。


「そこを同業のよしみでなんとか。ほしい品物があったんだが資金繰りがいまいちで」


「一度手放した骨董品をもう一度ってのは欲深いと思わないかい?」


「これを逃せば誰の手に渡るかわからない。それがアンティーク業界の一期一会だろう?」


「お金が足りないのなら金貸しに頼むのが道理だろう。二度言わせないでほしい――」


 ユエン兄さんは塩でもまくような仕草で手のひらを揺らした。


「わかったわかった。だがここぞと追いつめられたときは助けてくれよ」


「その時がこないことを祈るよ。さて、お客様が来られたようだから君には退出願おうか」


 小部屋から出てきた先客と入れちがいになる。客は頭狐面の若い男だった。

 見知った顔である。ここ最近、数年前からライヤンリーを訪れるたびに顔をあわせている。常連客中の常連客だ。ユエン兄さんの世間話に度々あがるうえ、聞くところによれば目利きの悪い鴨鍋であった。


 男はどこぞの地主の次男坊らしく趣味ではじめた骨董品蒐集がこうじてライヤンリーに通いはじめた。全国津々浦々骨董品保護をうたって放浪している。

 毎度入れちがいになるので会話らしい会話を交わしたことはないが、互いにライヤンリーの店主からあれは誰々だと話を聞いて人となりを知っていた。


 前回会ってから三ヶ月音沙汰がなかったので、山奥の寺で殺人事件にでも巻きこまれたのではないか――と案じていた矢先の出来事だ。


 男はこちらに気がつくと、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「おお、楓子ちゃん久しぶり。聞いたよ入学祝いに古い香炉もらったんだって?」


「月江院さんお久しぶりです。実はそうなんですよ。分不相応なので驚きました」


「ハハハ何言う。そんなことないさ。そうだ俺からも後でなにか贈らせてもらおう」


「じゃあまた」と、男こと月江院はさっそうと店から出ていった。耳鳴りのような門鐘の音色がしんと静まってから、私は小部屋のなかに踏みはいった。


 先客が温めていた椅子にこしかけて店主と向きあう。

 椅子は台湾商家から購入したコテコテの骨董品である。小部屋に置かれた小卓と揃いで入手したのだと聞いている。大陸に流れる由縁の一族が所有してきた家具だった。

 いったい何代の持ち主を見送ってここに来たのか。


 幽遠なる大河――さながら渓谷ほどの隔たりを感じさせる硝子板の小卓、その精神的な対岸でユエン兄さんが頬杖をついて中庭を眺めていた。


 ユエン兄さんは美青年だ。大陸風の骨董屋ライヤンリーにふさわしい面構えをしている。長袍チャンパオに白虎の毛皮をひっかけた国籍不明の店主。

 清廉静謐な顔で物事を煙にまいて惑わせるは朝靄のごとし。水辺に浮かぶロータスの匂いを漂わせている。声色すらも宦官の美声だろうと思えた。


 ここは中国の秘境かと錯覚する。朝靄のなか遠目に安らぐ貴人を眺めては、声をかけまいかと胸を煩わせらる異郷人の気持ちになった。


 ふと小卓をのぞき見る。柔らかな湯気をあげる茶碗がだされていた。

 薄茶のなかに花冠の茶柱が浮いている。口をつけた形跡がない。月江院はそうそうに追い出されてしまったようだった。


「楓子や。あいつを助けるべきか僕は悩んでいるよ」


「追いかえしといて気にかけるほどなら助けてあげたら」


 制服のスカートシワを整えながら邪険にして答える。

 つんとそっぽを向いていたユエン兄さんが訝しげな横目でこちらをみた。

「ずいぶんとお優しいじゃないか……」とぶつぶつ言っている。


「しかし条件が気に食わないね。高額で手放したものを買いもどすことはよくあることだけど、それは骨董屋の生業じゃないよ。()()()()()みたいなものだろう」


 資金繰りがいまいちとは一体どういうことだろう。月江院といえば山をふたつみっつ駆けても見通せない土地持ちで、時代的にいうならば新華族のはしり。金はあまりあるといった人種である。とユエン兄さんから教えられていた。


 ついに実家から敷居をまたぐべからずといった引導を渡されたのか。手放した骨董を半分の値段で買いもどしたいほどに懐具合が寂しいというならば、それしか考えられない。


 高額で手放したものを半分の値段で買いもどす。これでは結局どちらも損をしてしまう。なりふりかまわずだ。それほどに月江院は資金集めにあぐねいている様子だった。


 しかし買いもどせたとして、その骨董品をどうするつもりなのか。

 ライヤンリー以外の当てがあってこその行動だろうが。


「私いまいち質屋と骨董屋の違いがわからないのよね。ユエン兄さんの美学なんて飯の種にもならないでしょう。あまり意地悪してたら月江院さん来なくなっちゃうよ?」


「たしかに楓子の言うとおり。あいつは中々にいない上客だ。鴨がネギを背負ってきたを体現する男だからね」


「ところで――」とおもむろにユエン兄さんは話題を変えた。


「お客様を立たせたままでは悪いだろう。楓子は油売りなんだから席を交換しなさい」


 いつのまに来客があったのか――。小部屋の前に長身の男が立っていた。客人はこちらを一瞥すると気弱そうに頭を垂らした。


 私という先客が居たために気を使ってくれたようだ。

 ライヤンリーの門鐘は月江院が帰ってから一度も鳴らされてはいない。


「お、お待たせしました。どうぞこちらの椅子におかけください……」


 たちすくむ客人に椅子を勧めて小部屋をでる。それから壁際のいかにも骨董品でございといった収納箱に腰かけた。


「お久しぶりですね逆木さん。今日はどういったご利用ですか?」


「久しぶりだなえん君……言いづらいんだが、つまるところ」


 二人は小卓越しにそっけない形だけの握手を交わした。客人こと逆木はひと時言葉を詰まらせる。私は壁向こうに耳をすまして固唾をのんで見守った。


「去年の末に君に売った海色の壺と、青色の香炉を買いもどしたいんだ」


 ――ガタガタっ


 藪から棒に寝耳に水の話だった。飛びあがらんばかりに驚いた。

 勢いよく身じろいだことで収納箱の蓋が音を立てて浮きあがった。二人は揃ってこちらに振りかえる。示しあわせたかのように目を瞠っていた。


 私は直感的に察した。入学祝いの香炉は、この男が持ちこんだ物であると。


「あ、うるさくしてすみません。えっと……あれはお客様の持ち物だったんですか?」


 支柱から顔をのぞかせて謝罪を述べる。逆木は苦笑するにとどまり、ユエン兄さんは場を持たせるように話しはじめた。


「是非にと言うから買い取ったんだよ。とても美しい碧玉三脚香炉だったから。摘みが兎っていうのも可愛かろう。楓子に贈るならこれだと思ってね」


「あれって釉薬じゃなくて本物の碧玉だったのね……」


假玉かぎょくの器もすばらしいけど真玉しんぎょくには勝らないだろう?」


 これは玉か否か、釉薬の有無がわからなかった私の反応に逆木は絶句していた。現在の持ち主がその香炉の価値をわかっていないのだと察したのだ。気が気でないようだった。


 そもそも釉薬というものは陶磁器を焼くさいに硝子で覆うのごとし。化学反応を利用して化けさせる。耐久防水および着色などを施すためにかけられる懸濁液のことだ。

 ようするに鉄やら灰やら石などを混ぜこんだ粘土状の液体で、火力による酸化と還元による金属元素の着色を使い、素っ気ない器に化粧するための薬品なのだ。


 だから釉薬は丸ごとの玉ではない。


 美術の選択授業で焼き物に挑戦したことがある。釉薬はどう見ても泥水だったが、焼きあがりには感動した。見本どおりの色を出してくれた窯焼き業者はすごかった。


 古代人は現代人よりも何倍も賢かったようだ。美しいものを追い求める心は、予々シルクロードの果てから日本列島に伝播した。「実はそうした気持ちを何千年も保つことのほうが大切なんだよね」とユエン兄さんは語った。


 普遍の美的感覚と蒐集意欲の維持は、文明と文化が保たれてこその余裕だ。


 目に見えないものに価値を見いだして啓蒙することは難しい。金属の化学反応なんて果たして古代人は正しく理解していただろうか。


 歴史は人の手を介して物を伝えてきた。だからこそ物好きは世の中に必要だった。そういった人種がいなければ成り立たないことがある。骨董屋の店主であるユエン兄さんの生業だってそのひとつなのだ。


 そうこう物思いにふけっていると、うっとりとした青年の声色が聞こえてくる。


「でも……だからといって青磁に価値がないわけではないよ。その青色は玉のようだという喩えなんだ。美しい発色と艶を出すために何千年ついやして、それこそ玉にも優るものを得たとみていい。でもまあ結局は所有した人間が器の価値を決めるんだけど」


「そうね!」


 ユエン兄さんの慰めに、私は一応理解したように頷いてみせた。

 十年以上骨董店に通っていながら磁器と玉器の違いもわからないのにだ。


「知らなければ、そのものの正体なんて人それぞれだよ」


「つまり……それってどう違うの?」


 恥ずかしげもなく問いかければ、ユエン兄さんは仕方がないねといった様子で逆木にことわりを入れた。おもむろに立ちあがり、小部屋の薬棚から桐箱を取りだして蓋を開く。

 そうして手のひらほどの壺が二つ小卓に並べられた。


 形から色まで同じような造りだ。口は広く胴は繭形。明るい発色の薄緑色。艶やかさは負けず劣らず。さながら大きな宝石のように輝いている。


 しかし一つは玉自体を研磨して造られたもので、一つは釉薬を玉に見立てて造られたものだという。ようくみれば玉器の透明感は揺蕩う水面のようだ。

 反して磁器はうやうやしく静まりかえった水面のようで、素人目にも二つは別物だとわかるほどだった。


「見ればわかるよ。だからこそ優劣つけられないものだとわかる。ものの美しさは個々に舞台が違うんだ」


 椅子に腰かけていた逆木が堪らずといった様子で立ちあがった。しかしユエン兄さんの御卓識に感動したという風でもなかった。


「やはりその壺だけでも買いもどさせてほしいっ。香炉も壺も個人として手放したことに後悔はない。しかし事情が変わったんだ」


 この揃えの壺も逆木が手放した古物らしかった。


「事情と言われても。香炉は手放して僕のもとにはありませんし、この壺だって常連のお客様から声がかかっている。交渉するなら僕とではなくそちらでは?」


 ユエン兄さんの柔らかな柳眉が鋭くつりあげられた。先んじて月江院の存在があったことも影響してか、逆木の発言にひどく気分を害しているようだった。


 そうしたユエン兄さんの投げやりな返答に咎められたと臆したのだろう、あれは幽鬼かはたまた死体かといった具合で、逆木は見る見るうちに顔色を悪くしていった。


 面倒になった。逆木は現在の香炉の持ち主にとっくのとうに気づいているのだから。


 ユエン兄さんは余計なことを言ってくれた。これじゃあ私が相手をしなきゃいけない。いらない気疲れをするのは御免こうむりたかった。


「お客様にそこまで言わなくても……」


 もの言いたげな目線を投げかければ、ユエン兄さんは大袈裟なため息を吐いてみせた。


「楓子は知らないだろうけど……逆木さんの持ちこんだ物に僕は価値を見いだした。だからそれ相応の値段で譲ってもらったんだよ」


「いくらしたの?」


「三千万だよ……」


「嘘でしょう!?」


 悲鳴じみた大声でビリビリと硝子戸が震えた。


 一介の女子高生からすれば途方もない値段だった。

 ここ秩父ならうまくすれば立派な家が一軒建てられる大金だろう。だがしかし。それほどの蓄えがあるのなら物で溢れかえった狭苦しい店内を改築すればいいのに。と部外者ながらに使いどころを考えてしまう。


 文化価値のある看板建築のライヤンリーは築古物件だ。

 それにともなって綻びも目立つわけだが、ユエン兄さんは頑なに金を渋るので壁やら柱やら戸口の硝子まで昔のまま時を止めていた。


 界隈によれば建物すら価値を見いだせるもので、雰囲気があって宜しいと常連客はいう。


 和洋中折衷様々な異国の器物がライヤンリーの雰囲気をかたどる一部であり、店主の大陸めいた装いもまた売りであった。怪しげな店で怪しげな青年と高額の取引をすることに、客人達はなにかしらの意味をみいだしたのかもしれない。


 しかしユエン兄さんに三千万の大金をぽんと出せる蓄えがあったとは信じがたく疑わしかった。金銭の出処ひじょうに怪しいこと限りなし。


「大陸浪人だって自称してたくせに、そんなにお金持ってたの……」


「ほしいと思ったものにお金は惜しまないよ。ものに対する執着心がなければ何年もこの仕事はできないさ。だから一度買ったものは二度と同じ人には売らない」


「じゃあ……例えば私が逆木さんに香炉売っちゃっても問題にしないの?」


「手放してしまえば後のことは構わない、物が流れるまま流れればいいさ。僕の知らないところでどうなろうが関与しないって方針なだけだよ」


「なにそれは」


 私はユエン兄さんの価値観に呆れながらも若干関心の目を向けた。物好きだなと微笑ましくすら思った。


「だから今話したように、この壺だって三千万以上の値段でもってライヤンリーから一度離れなければね、逆木さんの手元には戻りようがないんだよ」


「ハハハ……袁君そう言わずに事情だけでも聞いてくれっ」


 逆木は空笑いながも言いすがった。


「レンタルでもいい。最終的には壺は返品するし、なんなら三千万も返金しよう。壺を購入したいと言っている客人には私から説明したうえで君の信用は保障させてもらおう」


「え!  返金!」


 逆木の条件は大盤振るまいだ。結果大金を払わずして壺を売れることになる。


 逆木はせっぱ詰まっていた。普通の人間ならば、一度手にした大金をやすやす手放したいとは思わない。これは貧乏人である私の価値観である。

 だがしかしユエン兄さんもその言葉に興味をひかれたようである。逆木を見つめる目にキラリと光るものがあった。


 買ったものを半分の値段で買いもどそうとする男……とは違う。

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