A memory
本編始まりました。
――そこは、見覚えのあるビルの屋上だった。
「暴徒に襲われている都民を救出せよ」と上からのお達しで、とある都市に向かっていたヘリの着陸ポイントだったを思い出す。たしかあれは、死者らと化する前の都民を乗せてしまい帰還中に墜落したはずなのだが。
「……」
先までの記憶と違う場所に突っ立っていることに、篠原は疑問を浮かべた。たしか自分は死者の軍勢に屠られて死んだ、という記憶があるが、果たしてそれは記憶違いだったのだろうか。
しかし、やつらに噛みつかれたのは紛れもない事実である。あの痛みは、熱は、今も篠原の脳裏にこびりついていた。
これから自分も死者らの仲間入りするのだと自暴自棄になりそうになって――不思議なことに自分が無傷であることに気づいた。
それどころか投げ捨てた9mm拳銃も、底を尽きかけていた9mmパラベラム弾も、すべてが昨日の状態に戻っていることに気づく。
――もしかすれば、あの悪夢は、あの惨劇は、ただの白昼夢だったのではないか。
そう思ってしまえるほどになにもかも、すっかり元通りだった。
見渡せば着陸ポイントにもかかわらず、ヘリはない。
いや――ヘリは確かに存在していた。
屋上のはるか下で、目の前のデパートに突っ込み炎上している機体。死者らと化する前の患者を乗せて、そのまま操縦主が喰われたために起こった事故――しかし、それは昨日の記憶だった。
混乱がより一層強くなる。篠原の記憶が正しければ、デパートはすでに焼け落ち、すべてが黒焦げになっていなければおかしいのだ。だが、今まさに燃えているそのデパートは「たった今炎上した」ように、いまだに一部しか燃えていなかったのだ。
「……どういう、ことだ?」
暴れまわる異形――食人嗜好への無条件発砲許可が下ると同時に、確かに篠原達自衛隊員は都市に出動していた。確かにけが人を救助し、ヘリに乗せて脱出を促した。確かにそのヘリは墜落し、デパートへと突っ込んでいた。しかし、しかしである。それはすべて昨日の記憶なのである。
では何か。――過去へ戻ったとでもいうのか。
「は」
クエスチョンマークですらどこかへ行ってしまうほどの衝撃。ありえないと言う感情と、そうでないと説明できないと言う理性が、自分の中でせめぎあう。
死者ら――食人嗜好が突然都内に数人出てきて、被害にあったら死者らの仲間になってしまうくらいならまだいい。非現実的とはいえどその存在は『ロメロゾンビ』として、創作の中ではあるが認識している。それが薬やウィルスによるものか、自然発生したものか、それとも神の怒りで生まれたものなのかはわからないが、すくなくとも篠原にとっては『未知』ではない。
しかし、『時間の逆行』となるとどうしても理解しがたかった。神すらも恐れる所業までとは言わないが、それは明らかに『ロメロゾンビ』などよりもありえないモノで、理解不能なモノだろう。
「……夢、と考えるほうが妥当か」
おそらく、死者らへの恐怖か何かで一時的に錯乱した結果みた妄想だろうと、篠原は結論付けたー。
「……まずは、駐屯地で安全を確保したほうがよさそうだ」
9mm拳銃をそっと撫で、屋上からビルの下を見下ろす。夢で見た程の惨劇ではないが――しかし、人が人に屠られる地獄は不変としてそこにあった。
「――――」
何度見てもなれない光景に吐き気を覚えながら、篠原は屋上から降りることにした。
* * *
ビルの正面玄関を開けると、血生臭さが鼻をついた。ところどころに広がる血の水たまりに、吐き気がひどくなるのを感じつつ、拳銃を構えて警戒する。忘れられもしないあのうめき声がじわじわと恐怖を駆り立て、焦りで汗が頬を伝うのを感じる。
先ほど出たビルに背をつけて、ビルの裏の道路を音をたてないように覗いた。
「大型トラックの中に食人嗜好者が一体、周りに二体か。……あれは欲しいな」
夢――『記憶』として存在する経験と今の状況はひどく類似していた。
たしか、『記憶の中』では死者らは未知数だったため、手を出さずにいたのだったか。
しかし、移動手段は何としてもほしい。大型トラックであれば荷台の中でも生活できるだろう。物資を運ぶ量だって劇的に増え、近くのガソリンスタンドからいくらか燃料を持ち出せばしばらくは足としてつかえるだろう。やりすぎなければ、武器としても使えそうだ。
幸い、死者らはまだ篠原に気づいていない。背に担いだリュックを下ろし、ポケットに入っていた折り畳み式ナイフを握って慎重に近づく。
拳銃は大きな音を出すため、周辺の死者らをおびき寄せてしまう可能性が高い。これも、『記憶の中』の経験だ。大学生を守るために拳銃を撃ったのは誤算だったと思ったが、本当にあったかも分からない事の話をしても無駄かと篠原は苦笑した。今も、従わないよりかはいくらかマシだろうと思っただけで、その『記憶』の存在は納得しがたいものであることには相違ない。
「――っ!」
車に身を隠し、トラックへと少しずつ近づいていくと、一体の食人嗜好者が目の前を通る。突然の事に篠原は酷く驚いたが、とっさの判断で身を低くして声と息を殺した。
――気づかれたか?
冷や汗で下着がびっしょりになるのを感じつつ、目を凝らす。
ナイフを強く握り、目の前の死者にたいして強く警戒するが、幸いにも死者は気づいていない様子だ。ほうとため息をこぼしたくなるのをこらえつつ、死者がとおりすぎるのを待つ。
しかし、今回やり過ごせたとしても次に気づかれない確信はあるのだろうか。そんな考えが篠原の脳裏によぎる。
ここで逃してしまって、次にであったときに殺されるのではないのか。気づかない内に後ろからやられる可能性もあるのではないか。と。
こちらに気づかず素通りしていった死者は、今や無防備な背中をさらしている。
――これはチャンスだ。
そう思ったときには既に本能的に地を蹴り、手に握ったナイフを振り上げていた。そして肩をつかんで――全体重をかけてナイフを頭に振り下ろす。
頭蓋骨が砕け、ナイフがの脳に到達する感触が篠原の手に伝わる。ぐちゃりと気持ち悪い感覚を認識して、次の瞬間には死者はぐがあと短い断末魔をあげて崩れた。
勢いよく刺して、勢いよく引き抜く。それが頭を突き刺すのに一番いいということを聞いたことがある。篠原は殺しをしたことがあったわけではないので詳しくは知らないが、どうやら頭に突き刺したナイフを引き抜くのは思った以上に大変らしい。
――ぅ゛う゛ぁ゛ああああ。
ナイフを引き抜いたところで、後ろからうめき声が聞こえてきた。ブリキ人形のようにぎしぎしと後ろを振り返ると、そこには篠原をしっかりととらえた死者がいた。
冷や汗が頬を流れ落ちる。『記憶の中』の経験上、死者に気づかれるのは不味い。気づかれているのと気づかれていないのとでは、危険度はまるで違う。気づかれないで背後から殺すのが最善なのである。
しかし、一体であるならまだなんとかなる。そう思い、篠原はナイフを強く握りしめた。
「――ぁあああ!」
足を引きづって近づいてくる死者に向かって走り、ナイフを振り下ろす。振り下ろしたナイフは――死者の肩に刺さった。
――おしい。
そう思う間もなく、死者はナイフを持った右腕にかみつこうとしてくる。とっさにナイフを手から離し、死者から目を離さないようにして距離をとった。武器を拳銃に持ち替え、両手で構える。
安全装置を切って、狙いを定め、人差し指を引き金に添え――引いた。
空気を切り裂くような音が、静寂を切り裂いた。次の瞬間、死者の頭から血が噴き出し――倒れた。
「……一刻も早く離れたほうがよさそうだな。今の銃声で集まってくる」
ナイフを力尽くで引き抜き篠原は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。本当は拳銃は使いたくなかったが、手持ちに武器がほとんどないとなると仕方ないだろう。周囲に何もいないことを確認してトラックへと走った。
トラックの運転席のシートベルトに拘束される死者はあまりに間抜けにうつった。苦も無くナイフで処分することができた。遺体のズボンのベルトに引っ掛けてある鍵を三つ引き、彼を運転席から引き摺り下ろす。。それぞれトラックのキーであるかを確認し、いらない二つのカギは投げ捨てた。
「エンジンは良好。タイヤも問題なし。……最高だ」
運送会社の黒猫マークは少しばかり自分の趣向には合わないが、まあそこは妥協すべきだろう。安全なばしょに着いたら荷台も確認しようと考えて、アクセルを踏む。
問題なく、トラックは動いた。道路を曲がる際、うろつく食人嗜好者をみかけたので、置き土産とばかりにトラックで轢いてそのまま進む。トラックの耐久力ならあるていど死者らを轢いてもびくともしなさそうだ。
このまま駐屯地へ向かって武器を調達したいところではあるが――
「……たしかあいつと出会ったのは、公園だったか」
その前に少しばかり、寄り道をすることにした。篠原の『記憶』が本当にあったことであるならば、そこには必ず――
生存者がいるはずだ。
第一章が始まりました。どうでしょうか……まあ始まったばかりなのでなんとも言えませんね……
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