第49話:八犬士 『信』
アタシが『孤児院』内の薬を使って治療をしているとリオンが部屋へと入ってきた。その顔には返り血と思われるものが付着しており、少しだけ息が上がっていた。
「……大丈夫かよ」
「ええ……一応、ね」
「里見の奴か」
「……ふぅ……そうよ。あんた相当邪魔者みたいね」
あいつらはレナスの国王が盗んでいた『黎明』を奪っていった。多分、それがどんな力を持っているのか知っているからだろう。だからこそ、それを取り戻そうとするアタシ達が邪魔なんだな。
「まァ……そうなんだろうな」
「……これからどうするつもり? 多分あいつらはあんたを殺すために何度でも襲ってくる筈よ」
「別に構わねェよ、それなら何回でも叩きのめすだけだ」
そう……アタシが狙われるのは構わない。アタシ自身の問題はアタシが自分で認識出来るからだ。だが、もしアタシが居ない所でレーメイやオーレリアが死にでもしたら……。
「なァリオン。悪いが、ちょっとあいつらを見ててくれねェか?」
「……前にも言ったけど、私はお守じゃないのよ?」
「分かってる。ちっとばかし買い物に行ってくるだけだ」
そう言うとアタシはリオンが反論をしてくる前に外へと出た。自分でもあいつにオーレリア達を任せるのは身勝手な話だと思うが、こうするのがあいつらにとって一番安全だ。一人で居る間は、少なくとも狙われるのはアタシだけだ。
『孤児院』から離れたアタシは森を抜け、街へと出た。どの建物もしっかりとしており、通りには人通りも多かった。恐らくこの街はかなり豊かな街なんだろう。だが、この平和そうな街には里見の奴らが来ている。油断は出来ない。
川沿いを歩いていると、やがて広場の様な場所へと出た。そこそこの広場であり、植樹もしてある。しかし、そこには何故か人の姿は少なかった。普通ならこういう場所には人が集まる筈だが……。
アタシは広場の端にある木にもたれる様に座っている薄汚い男に話し掛ける。
「なァ、あんた」
「……ん? どうした?」
「この辺で普段は見かけない人間とか見たか?」
「ははっ……あんたもそうだよ。あんた……ここの人間じゃないだろ?」
「……分かんのか」
アタシは少し身構える。
「まぁまぁそう構えんなって……ここに居りゃあ分かるさ」
「どういう意味だ?」
「俺はな、ホームレスなんだよ。大体はここに居る。他の奴らもそうさ」
少し意外だった。豊かそうな街にホームレスが居るなんて考えもしなかった。
「毎日、ここに居んのか?」
「ああ、毎日だ」
「……意外だな。豊かそうな街に見えたが……」
「へっ……そりゃあ表向きの話さ。綺麗なもんの裏側は皆こんなもんさ」
「ああ……そうかもな」
アタシは周囲を見渡す。
「……他の奴らは何処に居んだ?」
「大体皆好きにしてるが、そういや今日はやけに皆戻ってこないな……」
アタシはホームレスが普段どういう生活をしてるかは分からない。だが、どうもおかしいみたいだな……。
その時、アタシが来た方向とは反対側から一人の男がこちらに歩いてきた。その男は着流しを着ており、左手には顔を血塗れにした男が服を掴まれ、引き摺られていた。
「ひゅ、ヒューさん!?」
「知り合いか……?」
「あ、ああ。俺達のまとめ役だ。何であんな……」
男はヒューと呼ばれた男をその場に手放すと、周囲を見渡す。
「そいつで、最後か」
「オイオイオイ、どういうつもりだよテメェ」
「喜瀬川か。丁度いいな」
男は手に十手の様な物を持っており、それをこちらに向けながら歩いてきた。右頬には牡丹の花によく似た痣が付いており、鋭い眼光からは今までの里見一家の人間とは少し違った狂気を感じた。
「全く……何度聞いても答えなくて困ったぞ。あのクズ共が」
「あ? アタシは最近ここに来たんだぞ? ここのホームレス連中がアタシの事知ってる訳ねェだろ。ここの人間は関係ない」
「それこそ関係無いんだよ。ここに居る浮浪者共はクズだからな。クズを痛めつけて何が悪い?」
「イカレてんのか? そんな理屈が通る訳ねェだろ」
「通るさ。クズが居ると街が腐るんだよ。美しい街がな」
何なんだこいつは……今までの奴らは上から命じられて殺しに来てる奴らだったが、こいつだけおかしくないか? こいつ一人だけ自分の中の正義だけで動いてる様な……。
アタシは前に出る。
「ここの人間に手を出すな。アタシが相手してやる」
「……この俺の正義に歯向かうのか?」
「テメェのは正義でも何でもねェよ」
「笑わせるな」
男はこちらに駆け寄ると十手を顔目掛けて突き出してきた。その動きはまさに人間そのもので、今まで常人離れした奴らを相手にしてきたアタシからすれば大したものでは無かった。
アタシは十手を避けると隙だらけになっている男の右腕目掛けて拳を放った。男の右腕は綺麗な音を立てながら本来なら曲がらない肘側へと曲がった。しかし、男は苦痛を見せる事も無く、曲がった時の衝撃をバネとして利用する様にして十手を振るってきた。隙を見せてしまっていたアタシは咄嗟に腕で防御する。
「何だ……テメェ?」
「予言しよう。お前は俺からは逃れられん。絶対にな」
男はアタシの腕を掴むと捻り上げた。その動きは恐ろしく手馴れたものであり、普段からこういう事をしている人間だという事を予感させた。
「ぐっ……」
「我が一族は代々捕り物の家系。お前の様な小悪党など、簡単に捕まえられるのさ」
アタシは一度、警察に捕まった事がある。母親を殺した、あの時だ。あの時、抵抗するアタシは警察に取り押さえられた。こいつのこの技はあの時の警察の押さえ方によく似ている。だが、こいつは腕を捻り上げた後、アタシの手を掴んで指まで無理矢理逸らせている。少しでも動けば指ごとポッキリだ……。
「なるほどなァ……通りで、押さえ方が上手い訳だ……!」
「ふん……クズに褒められたところで嬉しくないな」
「そうかよ。でもテメェ、ちょっとばかしアタシの事を舐めすぎじゃねェか?」
「どういう意味だ?」
「オイ分かンねェのか? 今までアタシを殺そうとしてきた奴らは何人も居た。それなのにアタシは生きてる。どうしてだと思う?」
男はアタシの後頭部に十手を当てる。
「決まってる。そいつらが弱かったからだ」
「いいや違うな。アタシの方が『上』だからだ」
そう言った瞬間アタシは男の膝に蹴りを入れ、一瞬の隙を突いて拘束から逃れた。しかし、ダメージは全く無かったらしく、男は平然と立っていた。
「随分と……頑丈なんだな?」
「どうだろうな。他のクズ共が貧弱なだけだと思うが?」
どうにも分が悪いな……純粋な肉弾戦が効かないとなると、いよいよアタシの実力じゃ勝てなくなるぞ……。ここは一先ず……。
アタシは背を向ける。
「……何の真似だ?」
「言わなきゃ分かンねェか? 『クズ』に見せる顔はねェってこったよ」
そう言い放った瞬間、アタシは男が来た方向へと全力で走り出した。体中の痛みはまだ治まってはいなかったが、とにかく全力で走った。
広場からある程度離れたアタシは走りながら後ろを振り返る。後ろには鬼の様な形相をしたあの男が目を血走らせながら走ってきていた。
やっぱり思った通りだ。ああいうタイプの人間は、自分の価値観を傷付けられるとムキになる。あいつはホームレス達をクズだと罵っていた。つまりは優劣を付けて自分が上だと思いたい人間なんだろう。だからこそ自分のプライドを守るためにアタシを追いかけてきている。
走りながら周囲を見渡すと、どれもこれもボロボロになった、もう長くは使われていないであろう建物が並んでいた。
これも予想通りだ。ヒューとか呼ばれていたあの男は、多分ここに居る時に襲われたんだろう。普通なら人が襲われているとなれば、多少の騒ぎは起こる筈だ。だがあの時は悲鳴も何も聞こえなかった。もうここには人は住んでいないんだろうな。
アタシは途中の路地に駆け込み、腐ってしまっている木の扉に体当たりを仕掛け、無理矢理廃墟の中に飛び込んだ。その建物は昔は多くの人で賑わっていたであろう酒場だったらしく、棚にはまだ中身の残っている瓶が並べられていた。
アタシは扉の方へと振り返り、男の到着を待った。武器として使えそうな物が沢山あるここでなら、何とか戦えるかもしれない。
やがてあの男は目を血走らせながら中に入ってきた。
「逃げられると思うな……!」
「別に逃げた訳じゃねェよ。あそこじゃ戦いにくかっただけだ」
「暴行罪に住居不法侵入……やはりクズはお前だ……!」
「……別にそう言いたきゃ言えばいい。だがな、アタシにも意地がある。あいつらとの約束守るまでは死ねねェンだよ」
「我らが犬飼一族の末裔、犬飼信彦の名の元に、くたばれ喜瀬川ァッ!!」
犬飼は狂気的な唸り声を上げながらこちらに駆け出した。アタシはバーカウンターの上を飛び越える様にして反対側に移り、棚から適当に瓶を取ると、そのまま振り向きざまに犬飼の顔へ叩きつけた。
「ッ!!」
しかし犬飼はその攻撃に全く動じる事は無く、そのままアタシの上から馬乗りに圧し掛かってきた。
「死ねクズがァ!!!」
アタシ目掛けて突き下ろされた十手をかわすと、アタシは手元に残っていた割れた瓶を犬飼の腹に勢い良く突き刺した。これには流石の犬飼も効いたのか、アタシから離れる様に後ろへ下がった。
「……どうする? ここで止めるんなら終わりにしてやるぞ」
「我が、我が一族の誇りに掛けて! 必ずお前を殺す!」
やっぱり期待するだけ無駄だったか……。正直ここで止めてくれたら体力的にも嬉しかったんだがな……。
「……なら掛かってきな。テメェらが、もう二度とあいつらを傷付けられねェ様にしてやる」
アタシが構えると、犬飼は近くにあった椅子を片手で掴むと、こちら側に足を向け一直線に突っ込んできた。恐らく足の間にアタシを挟んで動きを封じるためだろう。
アタシは床を蹴り、酒瓶が入っている棚を掴むと、思い切り体を持ち上げた。アタシ一人分の体重が掛かっている事もあってか、棚は嫌な軋みを上げたが、今のアタシにはこれが倒れない事を祈るしか他無かった。
これによって何とか椅子を回避したアタシはそのままの体勢で犬飼の顔に蹴りを入れ、瓶を一つ取りながら着地した。
「ぐぅ………! クズがァ……!」
「一つ予言するぜ。『テメェはアタシを捕まえられない』」
「このっ……三下がァーーーーーッ!!」
犬飼は怒りで我を忘れているとしか言えない形相で椅子を投げ捨てると、手に持っている十手で殴りかかってきた。アタシはその十手にぶつける様に瓶を振った。瓶は先程と同じ様にバラバラに砕けたが、それこそがアタシの狙いだった。
アタシは砕けた瓶を今度は犬飼の顔目掛けて思い切り突く。瓶は見事に犬飼の顔に刺さり、大きな負傷を負わせる事が出来た。犬飼はすぐさまその瓶を引き抜くと床に投げ付けたが、最早目は見えていない様だった。
「もう終わりだ犬飼。その目じゃ戦えねェだろ」
「舐めるなッ!! 例えこの眼が光を失おうとも! 例え腕が腐り落ちようとも! 俺が、俺がクズを一人残らず掃除してやるッ!!」
「そうかよ」
アタシは床に散らばった破片の中で最も大きい物を拾い上げる。
「だったらやってみな。アタシもクズ掃除を手伝ってやるよ。テメェという名のクズの掃除をな」
犬飼は最早狼と言ってもいい程の唸り声を上げると勢い良く十手を振り下ろしてきた。しかし目が見えていないからか、その動きは今までと比べるとかなり直線的だった。
アタシは十手をかわし、その手を瓶の破片で切り裂く。
「ぐっ……な……!?」
犬飼の手には大きな切り傷が出来、床には血に塗れた十手が転がった。
「終わりだな」
「……終わり、だと?」
「ああ、終わりだよ。テメェのキチガイ染みた考え方も、テメェの家系もな」
犬飼は口角を上げる。
「…………いいや、終わりじゃない」
その瞬間犬飼は切りつけられた手を勢い良く振り、アタシの顔に血を飛ばしてきた。その血が目に掛かってしまい、怯んでしまう。
「っ!」
「やはりクズはクズッ! 死に晒せ!!」
犬飼の動きを感じたアタシは記憶を頼りに床へと手を伸ばし、掴んだものを勢い良く横薙ぎに振るった。手からは鈍い感触が伝わり、その直後、人間一人が倒れ込む音が響いた。
「クソ……」
アタシは持っている物を手放すと、腕で顔を擦りながら外へと続く扉に歩いていった。




