第48話:八犬士 『悌』
部屋から出た私は廊下を踏みしめ、玄関へと辿り着いた。玄関は開いており、外に一人の男が立っているのが見えた。
その男は2メートルを超える様な巨漢で、体は厚い脂肪で覆われていた。服装は犬江が着ていたものによく似ており、ニキタマ国の出身である事が容易に理解出来た。
「……どちら様かしら?」
「要件だけ伝える。あの女性……喜瀬川雅をこちらに引き渡してくれ」
「聞きたいんだけどさ、何であんたに指図されないといけないの?」
私は先程の苛立ちを抑えながら男に近付いていったが、男は微動だにせず、こちらを見据えていた。
「警告するわ。消えろ」
男はその巨体で立ちはだかる様にその場に留まったまま動かず、口を開いた。
「……断る」
「そう」
私はその返事を聞いた瞬間、男の心臓がある位置目掛けて拳を放った。外部から心臓だけを破壊する目的で私が作り出した技だ。しかし、それを食らったにも関わらず、男は地に足を付けたまま少し後ろに引き摺られるように動いただけだった。
「……あんた、今のじゃ死なないのね?」
「ああ。しかし痛く無いかと言えば、そうでもない」
男は股を広げると腰を落とし、両拳を地面に付けながら前屈みになった。
「一応名乗っておこう。八犬士、犬田悌だ」
「……あら礼儀正しいのね。私はリオン……ヒトじゃない生き物」
「言ってる意味が分からない。イカレてるのか?」
「……そうかもね」
犬田は前屈みの姿勢から地面を蹴ると、一直線にこちらに突っ込んできた。巨体故にその様はかなりの威圧感があった。しかし、私が普段戦闘時に使っている速度と比べれば、蚊が飛んできている様なものだった。
私は0距離まで近寄ってきた犬田の腰の辺りを掴み、その動きを止めようとした。しかし、その巨体から繰り出されたパワーは想定以上のもので、思い切り地面を踏ん張る事でようやく止められる程のものだった。
「っ……!?」
「リオン、なかなかやる様だ。だが、どこまで耐えられるか」
「舐めないでもらえる? 私も……修羅場はいくつも潜ってるのよ……!」
私は右足の筋肉を増大させ、一瞬だけ右足を上げるとそのまま一気に地面を踏み、その勢いで犬田の体を少し押し出した。かなりの力で押したにも関わらず、犬田は全くよろめく事も無かった。私は少し後ろへ下がると右腕の筋肉を増大させ、持ち得る限りの最大の力で目の前の地面を殴りつけた。その影響で地面は砕け、犬田の方へと一斉に飛んでいった。しかし、犬田はその破片が当たったにも関わらず、一切負傷している様子は見せなかった。
「なるほど……ヒトじゃないっていうのはそういう事」
「……あんたも、なかなか人間離れしてるじゃない」
「これは、ただの実力だ」
そう言うと犬田は再びこちらへと突っ込んできた。私はまた抑えるために構えたものの、犬田は目の前で急に速度を変えると、私の顎目掛けて張り手を放ってきた。
「っ!?」
走っていた時の力を加えているからか、その張り手は凄まじい威力を持っており、私の脳を激しく揺さぶった。犬田は隙だらけになっていた私の体にすぐさま組み付くと、『孤児院』とは真逆の方向にいとも容易く投げ飛ばした。
「ッ!!」
私は脳震盪の影響もあってか上手く体を動かす事が出来ず、受身を取れないまま地面に叩きつけられた。背中越しに肺へと衝撃が加わり、肺内の空気を全て吐き出してしまった。
「っー! っ……っ!」
脳もまともに動かず、呼吸をする事すら儘ならなかった。何とか体を動かし、犬田の方を見るとキセガワ達が居る『孤児院』へと向かっていた。
マズイ……今のあいつじゃあの男は倒せない……。オーレリアでも倒せるか分からない……。まさか純粋な力押しがここまで強いなんて……。
「っ!!」
私は自分の頭を強く叩き、振動を与えた。丁度犬田の張り手によって発生していた振動と同じ振動になる様に、なるべく近い力で……。
その瞬間、脳の振動が止まり、何とか視界の霞が治ってきた。自分でもここまで上手く行くとは思っていなかったが、どうやら振動の打消しは上手く行った様だ。
「ふぅ……ふぅ……!」
私は可能な限り呼吸を速め、肺に空気を送り込んだ。それにより何とか体の自由を取り戻した私は、かつてキセガワにやったのと同じ様に地面を蹴り、一気に犬田へと近寄った。目前まで近寄った私は犬田の頭を掴み、『孤児院』とは反対方向へと力任せに放り投げた。
犬田はその巨体からは想像も出来ない程の身軽さで受身を取り、着地した。
「まだ動けるか」
「ええ。これよりもキツイ事は他にもあったからね」
犬田は再び前屈みになり、両拳を地面に付ける。
「それ変な構えよね。今まで見た事無いわ」
「これは我が国に伝わる神事、その構えだ」
「へぇ?」
「俺がこの戦い方をするのは、誇りがあるからだ」
「誇り?」
「ああ、俺はあの神事を行う選手の中では最強だと言われてる。それ故の、だからこその誇りだ」
誇りか……私には、そんなもの無かったかもしれない。ただただ、金のためだけに殺してきた。殺すためなら手段は選ばなかった。そう考えると、誇りがある分、こいつの方がマシ……? いや、違う……それは昔の私だ。今は、あいつのために動く事に決めてる。こんな私でも見捨てないでくれたあいつのために……。それが、今の私の『譲れない誇り』だ。
「分かったわ。それなら、私もあんたの誇りに敬意を表して、受け止めてあげる」
「ほう」
私は右腕を前に伸ばし、親指、人差し指、中指を伸ばす。
「三本よ。この三本だけで止めてあげる」
「たった三本でか?」
「ええ。あんたを止めるのなら、これだけで十分」
犬田は姿勢を更に落とし、踏ん張る。
「いいだろう。ならば受けてみよっ!」
そう吼えると、犬田は今までとは比べ物にならない程の速度でこちらに突っ込んできた。速度だけで無く、地面を踏んでいる力もかなりのものらしく、地面から振動が伝わってきた。
「来いッ!!」
数秒後、犬田の右肩が私の伸ばしていた三本の指に直撃した。私は犬田の力に押されない様に足に力を入れ、踏ん張った。
やっぱり、正面から掴むよりもこっちの方が良かったみたいね……。三本の指、一見こっちの方が抑えられない様に見えるけど、むしろ衝撃を分散させるにはこっちの方がいい。
「こ、のっ……!」
「無駄よ。あんたの攻撃は既に一回食らって覚えた。どんなに馬鹿力で押してこようと、私を倒せない」
私は左手で右手首を掴んで安定させると、三本の指を一気に曲げた。指はそのまま犬田の服の上から皮膚の内側にめり込み、筋肉を引き裂いた。そのせいで私に返り血が飛ぶ。
「ぐっ、ぎゃああっ!?」
痛みで苦しみ、突進を止めた犬田の体に蹴りを食らわせ、後ろに下がらせる。
「これで……あんたの右肩は封じられた。どうする? 残りの左肩でもう一回やってみる?」
「ぐ、あ……リオン……!」
犬田は右肩を押さえながらこちらを睨む。
「あんたがどんな手を持ってようが、私が勝つわ」
「フン……!」
犬田は小さく笑うと、その場に仁王立ちした。
「……ならばやってみろ。例えこの肩を封じられようとも、俺を倒す事は出来ん」
そう、最初に攻撃を当てた時も思ったけど、こいつの体は異常に頑丈。多分、あの厚い脂肪が理由なんだろうけど、触った時のあの感じだと脂肪だけじゃなく筋肉でもありそうね。私の攻撃でも、ちゃんと通るかどうか……。
「いいえ、私が勝つわ。あんたが倒れる方なのよ」
「ならもう一度打って来い!」
「……ええ!」
私は地面を抉る程のパワーで前方に飛び出し、犬田との距離を一気に詰めた。そのままの勢いで犬田の胸部に拳を打ち込んだ。しかし、最初の時と同じ様に犬田はビクともしておらず、全く攻撃が通っていない様に見えた。
「馬鹿な……」
「言った通りだ。その拳は俺には通らん。無駄な事だ」
そう……これだけなら無駄な事ね……。
私は体がぶれない様に踏ん張る。
「私は……」
「……?」
「私は今、『馬鹿な』と言ったけど、言い間違いだったわ」
「何?」
「正確には『馬鹿め』よ」
私は先程攻撃した場所に再び正確に連続して拳を打ち込んだ。踏ん張っているおかげで体がぶれる事は無く、正確に打ち込めた。犬田の体を守っている脂肪と筋肉の固まりは私の拳から伝わる衝撃で段々内側へと押されていく。
「な、何っ……!?」
「私は、今まで何人も殺してきた……! 兵器として! でもこれからは違う! 私は、私は! 自分の心のために戦うっ!!」
犬田の胸部の脂肪と筋肉は完全に内側に押されていた。私はその箇所を右手の手刀で貫いた。
「ッッ……!!」
「これが……私が自分で選んだ答えよ」
手を犬田の体から引き抜くと、犬田はその場に立ったまま私を睨み続けた。
「……リオ、ン」
「よく生きてるわね。心臓を貫いたってのに……」
「当たり前、だ……俺は……他の、八犬士達の、リーダー、だから、な……」
「あんたがあいつらまとめてるの?」
「あくまで、リーダー、だ。まとめているのは……伏姫、様……」
犬田はふらつきながら背を向け歩き出した。
「どこ行くのよ」
「……誰にも、死ぬところは見せない……。それが俺の、誇り、だ」
「……そう」
私はフラフラと歩く犬田を見つめていた。その姿は、敵でありながら最後まで誇りを通そうとする男らしさがあった。
やがて犬田の姿は森の奥へと消え、ここからでは見えなくなってしまった。走れば追いつけるかもしれないが、それは野暮だろう。最期位は華を持たせてやってもいいかもしれない。
「じゃあね……誇り高い犬……」
私は後ろを振り返る事無く、『孤児院』へと戻っていった。




