第36話:八犬士 『孝』
アタシは目の前の男と向き合う。
「さっきお前ェ、ここで始末しても良さそうだとか言ってたな? どういう意味だありゃあ」
「……お前に話す必要は無い。ただ俺は任務を遂行するだけだ」
男は腰に差していた日本刀を抜く。そちらに関しての知識は無いが、その日本刀がかなりの業物である事が分かる。
どうやら誰かから命令されてやっているらしい。恐らくはリオンが言っていた『里見』とかいう奴だろう。問題はどれだけの刺客が命を狙ってきているかだろう。
「……お前ェ、名前なんてんだ?」
「そうだな、最期位は教えてやろう。里見八犬士の一人、犬塚孝盛だ」
名前からしてこの日本に似た国、ニキタマ国の出身と見て間違いないだろう。それにやはり複数の人間が里見に仕えている様だ。
アタシは臨戦体勢をとる。
「お前に怨みは無いが、我らが主君のため、死んでもらう!」
犬塚は踏み込むと、一瞬にしてこちらの間合いに入り込んできた。その速度はリオンを思い起こさせた。犬塚はアタシの体を真っ二つにするかの如く、刀を真上から振り下ろしてきた。アタシは咄嗟に左腕に付けていた隠しブレードを出し、刀を受け止める。
ブレードは意外な事に犬塚の刀を受け止め、折れる事は無かった。
「……初めて見る武器だな」
「へっ……そうかよ。アタシはお前ェみたいな動きは見慣れてるぜ?」
アタシは刀を逸らし、後ろに飛び退く。
この犬塚のあの動きはリオンと同じものと見てもいいのだろうか? 速度は完全にリオンと同じものだったが、こいつも同じ様に何か手が加えられているのか?
うどん屋に目を向けると今にも跳び出そうとしているレーメイをオーレリアが腕を掴んで抑えていた。
「……お前ェらの目的は何だ? アタシの命か?」
「そうだ。だがそれだけではない」
「他にあんのか?」
「ああ。だが……お前が知る必要は無い」
犬塚は再び凄まじい速度でこちらへと近付き、再び刀を振り下ろしてくる。アタシは先程と同じ様に防御したが、その時、犬塚は腰に差していた脇差を空いた左手で抜き、体を狙って切りかかってきた。
アタシは犬塚の腹に蹴りを放ち、その場から逃れた。犬塚は両手にそれぞれ太刀と脇差を持ち、こちらを睨んでいた。
あの犬塚、相当な奴だな……力があまり入っていない不安定な蹴りだったとはいえ、あまり利いていない様に見える。それにあの刀……何かがおかしい……業物であるのは間違いないが、何か……妙だ。
アタシの体が僅かに震える。
……今のは武者震いだろうかと思いたい所だが、明らかに違う。今のは寒気だ。さっきから少し気温が下がっている様な気がする。それに今気が付いたが、あの日本刀……少し濡れている様に見える。さっきまではそうでは無かった筈だ。
犬塚はゆっくりと歩きながらこちらへと近寄ってくる。その目には明らかな殺意が見て取れた。
……正直言って、こいつが悪人だったとしても殺すのは罪悪感がある。一度殺した事があるからこそ、余計に殺したくないという思いが強くなる。だが、こいつの目には殺意が見えた。今まで出会った敵達には見えなかった殺意だ。それこそ、あのリオンですら見せなかった殺意……。
「正直……お前が今まで生き残っていたのは偶然だと思っていた。わざわざ俺がここに出向く必要も無いとな。だが、今ので分かった。お前は普通の人間では無い。あの咄嗟の判断力、まともに生きてきた人間では出来ないものだ」
犬塚の言葉を聞き、頬に汗が伝う。まるで自分の過去を見透かされた様だった。
「理解した。俺がわざわざここに来なくちゃならなかった理由をな」
犬塚は目を見開く。
「俺が、殺さなければな」
犬塚は両手に持った二つの太刀で同時に切りかかってきた。アタシはブレードでいなしながら後ろに下がったが、猛攻は止まる事無く連続で襲い掛かってきた。不思議な事にブレードはこの猛攻を受けても折れる事は無かったが、それをいなすアタシの腕は少しずつ痺れ始めていた。
このままじゃまずい……例えこいつが折れなかったとしても、先に腕の方に限界が来ちまう……。それに犬塚の殺意を見るに、レーメイやオーレリアに頼る訳にはいかない。きっとこいつはアタシを殺すためなら手段は選ばないだろう。もしあの二人を人質に取られたら、自由が利きにくくなる。
そんな事を考えていると、犬塚の右手に握られている太刀が左腕を掠める。思わず痛みに顔を歪めてしまうが、その時、違和感を感じた。
切られた筈の傷口からの出血がやけに少ない……いくら掠めただけとはいえ、もっと出血してもおかしくはない切られ方だった筈だ。それなににどうしてこんなに出血が少ない……? 本来もっと出る筈の血はどこへ行った……?
アタシは犬塚の攻撃の僅かな隙に右手で掌底を叩き込み、左手の脇差を狙って蹴りを放った。蹴りは脇差に当たり、犬塚はよろめく。
その時、アタシはさっき切られた場所に血が散っている事に気が付いた。それは丁度あの傷口から出た量としては違和感が無い血だった。
まさか……あの日本刀が濡れているのはこういう事をするためか? あの血はそれこそ、水で洗い流したかの様だ。だとしたら、あれに切られるのはまずいかもしれない……切られた瞬間に血が一気に洗い流されるかの様に体から飛び出すと考えると、一気に血が抜かれる可能性がある。
アタシは覚悟を決め、周囲を見渡す。
こいつには手加減をするべきでは無いかもしれない。殺したくは無いが、殺さなければこっちが殺される。この戦いは……そういう戦いだ……。
見回していた視線に路上販売をしていたものと思われる風呂敷や木箱が映る。風呂敷の上には綺麗な簪が並んでおり、先程まで商売をしていた痕跡があった。恐らく、周囲に居る野次馬達の中に商人や客が居るのだろう。
アタシは犬塚が体勢を立て直し、こちらへ辿り着く前にそこへ移動し、簪を一つ取った。
「……やはりお前は只者では無いな。まるで戦うために生まれてきた様な奴だ。それでこそ、俺の獲物に相応しい。さぁ……この村雨丸と桐一文字の錆となれっ!!」
犬塚は吼えると同時にリオンの様な速度でこちらへと突っ込んできた。今までならリオンの様に苦戦していた相手だろう。だが、それは今や過去の話となった。
アタシは……まだ死にたくない……。
犬塚が横から振るってきた脇差に合わせる様に右手に持っていた簪を振り下ろし、犬塚の左手に突き刺した。それと同時にブレードで太刀を弾き、そのまま犬塚の首へと突き出した。
犬塚の動きが止まり、周囲は静寂に包まれた。犬塚の首からは血が滴り落ち、道を赤く濡らした。
覚悟を決めていたからか、体が震える様な事は無く、呼吸も落ち着いていた。だがその事実は、アタシが実際には人殺しに抵抗の無い人間だと知らしめている様で、アタシは自己嫌悪した。
ブレードを首から抜き、収めると、アタシの手は犬塚の血に塗れた。それと同時に犬塚は両手の武器を落とし、その場に倒れこんだ。住人達はそれを見ても特に驚く様子は無く、徐々に各々の働き場所に戻っていった。
犬塚は僅かに顔を上げ、こちらを見る。
「ふ……やはり、な……お前は、そういう、人間だ」
「……勘違いすんな。あいつらを守るためだ」
犬塚は口から血を流しながら笑う。
「いいや……それ、が、お前の本来の姿、だ……!」
「違う……アタシは、あいつとは……あんな……クソ親なんかとは違う……」
信じたくなかった……自分が人殺しに抵抗の無い人間だなんて……。
「俺から、の、助言だ。さっさと……自分に素直になった方が楽だ、ぞ……。お前は、人殺しの目を、してるからな……!」
「……だったら楽にならなくていいぜ。人じゃ無くなっちまう位なら、一生苦しみながら生きてる方がずっとマシだ……」
犬塚は小さく笑うと大きく吐血し、動かなくなった。
アタシはレーメイ達の方へと近寄る。レーメイはアタシを心配そうに見つめていた。
「悪ィ……今戻った」
「き、キセガワさん……」
「嫌なもん、見せちまったな……」
アタシはオーレリアの方を向く。
「金払っといてくれ。アタシは先に出てる」
「畏まりました」
オーレリアは一切表情を変える事無く、いつも通り言われた通りに動いていた。
アタシが店を出ると、レーメイも後を付いてきた。
「あんま近寄るな。汚れるぜ」
「だ、大丈夫ですよ。それに、ここに入る前にこの先に橋があるのが見えましたから、そこに行けば川で手を洗ったり出来る筈ですし……!」
「そういう事を言ってんじゃねェ。アタシはまた人を殺しちまった。それも、一切の動揺無くな。今回の事ではっきりしたんだよ。やっぱり……血は抗えねェってな……」
レーメイはその言葉を聞き、口をつぐんだ。
こいつがあの戦いを見て何を思ったのかは分からないが、こいつの事だ、アタシを傷付けまいとするだろう。今黙ったのも、きっとそういう意味がある筈だ。
アタシは血を自身の嫌悪感ごと洗い流すために、川の方へと歩いていった。




