休章 通知
逃げ出した。だが、何処に逃げようとも無駄だ。ヴァイスの持つ情報網はこの国全体に張り巡らされている。
荒区の端の端の、殺人が呼吸に等しいほど荒れ果てた退廃の世界でも、そこに住むものの生死を把握することができる情報網から逃げられるわけがない。ヴァイスの監視の目はこの国のすべてを管理する。そうと知られないだけで。
「転移装置の使用履歴…っと…3人……伯珂…は……」
棒付き飴をかじりながら、手元が見えないと揶揄されるほどの高速でキーを叩く。高速で回転する脳は常人よりもエネルギーが必要で、その補給のために飴をかじっている。
ぱき、と飴を噛み砕いた玖天は計測結果を提示する。拠点内の監視カメラと転移装置の使用履歴から逃亡者の移動ルートを割り出し、使用した出入り口から逃走の経路を予想する。
時間と距離からしてだいたいこのあたりにいるだろうと目星をつけて、地図に赤い円で囲った。場所が絞れたなら早々に追撃を派遣すべきだと、玖天が手続きの準備に移行しかけた時。
「玖天さん!」
部下の一人が声を上げた。彼はヴァイスに寄せられる意見苦情感想等々を処理する仕事をしていた。ヴァイスと関わりのない一般の住民が、ヴァイスに助力を求める時に使う専用の窓口の担当だ。
そこに一通のメッセージが送られてきたのだ。差出人名義はもちろん。
「征服者からの…」
「おぅ? こっちに転送して」
いったいその名義で何を送ってきたのやら。いくつか予想を立てながら、玖天は自身の端末にそれを転送するように求める。
すぐさまそれは転送されてきた。征服者名義で送付された文面に目を通した玖天は驚きに目を瞠った。
「…なんて根性っていうか…まぁ……」
とりあえずこれは玖天だけの判断でどうこうできる話ではない。通信端末を使って白槙を呼ぶ。今日は特に用事がないので最上階の白槙専用の部屋にいるはずだ。
「どうした?」
「ちょい重要案件」
玖天が委細を話すより直接現物を見たほうが早い、と玖天がメッセージを白槙へ転送する。しばしの沈黙。
「…正気か」
苦い白槙の呟き。征服者から送付されたメッセージの内容はこうだ。
我々は逃げも隠れもしない。最後の一兵残らず首を差し出そう。
故に貴殿ら白い悪徳にも同様の態度を求める。
ここまではよかった。平たく言えば決闘の申込みだ。その程度なら受けて立とう。問題はその決闘に選ばれた地であった。
征服者が指定してきた場所は44-444の永久欠番の地だった。不吉とされる数字がつけられた土地には人が住みたがらず過疎地となり、そこに目をつけた金持ちの狂人が土地を買い占めた。そこに建てられたのは治外法権の競技場。
道楽で築かれた円形の闘技場では無法の決闘が行われている。ヴァイスの秩序すら及ばないその中では、ありとあらゆる血なまぐさい決闘が行われている。足の腱を切ったひとに生肉を縛り付け、そこに飢えた獣を放つだとか。縛り付けた首と足を上下に引っ張って裂くだとか。
その闘技場の出し物として、征服者の残党の幹部たちとヴァイスの一級たちの決闘を望む。敗者の組織は皆殺しにして抗争を完全に終結させる。というのが征服者からの申し出だった。
「…追い詰められた奴ってのは何をしでかすかわからんものだな」
条件を飲まない場合は各地に潜む同志が武具を使って一般人を虐殺すると添えられた文面を眺めて白槙は嘆息する。
さてどうするか。一般人が巻き込まれるというなら飲まなければならないのだが。
「一級の面々に通達。全員集合」
一級に招集をかけてこのことを話すとしよう。呼び出したところで何人来るか怪しいところだが。
「…思うんだけど」
招集に一番に応じた瑶燐が征服者からの申し出を眺めて口を開く。
「これ、あっちが言える立場じゃないと思うんですが」
こういう決闘の形を借りた虐殺は有利な側から送りつけるものではないのか。瑶燐より少し遅れて会議室に到着した水葉は文面を眺めて肩を竦める。
お前たちはもう逃げられない。あとは殺されるだけ。だが逆転できる手段を提案してやろう、だとか。そういうような展開は陳腐な物語によくある。
「いいんじゃない?」
通信端末の音声越しに捌尽が言う。諸事情あって会議室に参上することができないのでこの方法で会議に参加している。霜弑も同じく会議室に来ることができない。理由は察してね、と言う捌尽の声に瑶燐が歪んでいると吐き捨てた。
「彼らには治外法権の闘技場しか僕らの目から逃げられるところがなかったんだから」
この国の何処にいてもヴァイスの情報網からは逃げられない。唯一の例外が享楽と道楽の狂気の闘技場。ヴァイスの管理を跳ね退けるあそこだけはヴァイスの手が及ばない。潜伏するにはもってこいだ。
おおかた、あの闘技場のオーナーから居候の対価として求められたのだろう。武具を扱う魔力持ち同士の殺し合いを見せろ、さもなくば放逐するとでも要求されれば従うしかない。放逐されればヴァイスの監視の下に晒され狩られ、待つのは全滅。
「それで? どうするんさぁ?」
意外なことに事態を伝えると彼は即座に現れた。名無しの彼は白槙に問う。
いつまでも残党に煩わされるわけにはいかない。そもそも前回の抗争の時に白槙が情を垂れて見逃したからこその再起だし襲撃だ。今度こそ慈悲などかけずに皆殺しにしなければならない。
征服者が雁首揃えて待つというなら絶好の機会だ。これで最後というのならなおさら。
これが反故にされ、征服者が逃げ出す可能性はないだろう。場所を貸すことになる闘技場のオーナーは虐殺を好む狂人。敗者を一人残らず捕らえるだろう。逃げ出せるはずがない。
第三者ゆえに公正で公平に残虐だ。そこは信頼できるだろう。
「とりあえず、異議は」
「無し」
薬の調合で手が離せないらしく、通信端末を通してリグラヴェーダが返答する。それに続いて他の面々も了承を示す。
意思は決まった。
「"白い悪徳"に染めてやろうじゃないか」




