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荒廃した街で、退廃した俺たちは  作者: つくたん
惨禍と参加の章
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序章 魔淫


次に行っちゃいますね、と小部屋の中の梠宵に聞こえるように言い残し、診察室を出る。まだ打撃音がしていた。

その診察室と手術室らしい部屋、並ぶ病室と離れた方に伸びる廊下の奥。そこが次の目的地だ。

清潔感のある白い空間にはおよそ似つかわしくない、怪しげな雰囲気の扉が廊下の奥に鎮座していた。

「通称"薬局"だね」

医者がいるなら薬屋も、である。曰く、外傷なら梠宵のところへ、病気やそれ以外ならこちらへ行くのだという。

だが薬屋といっても黄炬が想像しているようなものではない。治療薬が並ぶ薬屋ならどれほど平和だろうか。

「リグさん、お邪魔しますね」

そう言って忸王が扉を開ける。

室内は最低限の明かりしかなく、壁は暗色。その部屋の中心に対面のソファが一揃い。背の低いテーブルがひとつ。

出入り口のある面以外の三面の壁には薬棚が。家具は暗色で統一されていて、窓ひとつ無い。

眩しささえ感じるほど白かった医務室とはうって変わった暗さだ。白から黒へ。落差に目眩がする。

「いらっしゃい。話は聞いてるわ、黄炬」

そしてその部屋の主である女性も闇に溶けるような暗色だった。くすんだ金髪と白い肌だけが闇に浮かぶよう。

梠宵とは違う路線の妖艶さだった。あちらは劣情を煽るようなわかりやすく単純な艶やかさ。こちらは気付けば底に沈んでしまっているような暗沌とした妖しさだ。

黒くゆったりとした裾も丈も長いドレス。服の各所に銀のブローチやコサージュが見える。

引き込まれそうな闇を凝縮したような女がこの薬局の主を務める。

「リグラヴェーダよ。長いからリグでいいわ」

言うまでもないが一級だ。よろしく、と手を差し出してくる。

この手を取ったら闇に連れ込まれるのではないかと思いながら、黄炬はその手を握り返した。

「名前が不思議な響きだって?」

どういう字を書くのだろうと不思議そうな黄炬を紫の瞳が見据える。

まるで獲物を見る蛇のようだと黄炬は思った。隙を見せれば闇を体現した蛇に丸呑みにされてしまう。そんな想像が脳裏をよぎった。

「……"大崩壊"の前は私のような名前ばかりだったのよ」

良きものも悪しきものもすべてが吹き飛んだ。そう呼ばれる世界を襲った大災害だ。1000年も前の出来事だ。

魔法というものを遺物にしてしまった大災害は世界のありとあらゆるものを破壊した。

大陸でさえその形を変えた。廃都と化した国にはおびただしい死者が積み上げられた。

生き残った人々は荒廃した世界で生き延びるため、文字ひとつひとつに意味を付けた。生きるための祈りを名に刻んだのだ。

「いい名前じゃない。黄炬。力の中心を示す"黄"に篝火の"炬"」

人々の中心に立って未来という暗闇に明かりを灯す。そういう祈りでもって刻まれた意味。

たかが事故の贖罪で消えていい明かりではない。黄炬がここに至る経緯をかいつまんで聞いているリグラヴェーダはそう思った。

普通の人間には推し量れない価値観を持つリグラヴェーダはあの程度の目覚めの事故など気にしない。

この国だか街だかを抱える大陸が丸ごと吹き飛んだらほんの少し表情を変えるかもしれない。何千年という単位でものを見る彼女は内心で黄炬の懊悩を鼻で笑う。

「あぁ、そうだ、忘れていたわ」

これに署名して頂戴。リグラヴェーダが黄炬に一枚の紙を渡した。

「…なんて書いてあるんですか」

「読もうよ黄炬くん…」

忸王が溜息を吐く。といわれても、まともな教育を受けていない黄炬が紙面を埋める長文を読み切る堪え性があるはずもなく。文字は読めるので読めるのだが、忍耐力がないので長文に耐えられない。

「最初の一行だけ読めればいいわ」

それ以外は最初行のための細かい補足事項だ。読むに越したことはないが読まなくてもいい。

そう言われ、黄炬は最初の行に目を移す。書いてあった文字を愚直に読み上げた。

「死後、俺の身体はリグラヴェーダの自由にしてよい、って、えぇ!?」

読み上げた数秒後に意味を理解した黄炬が声を上げる。あぁやっぱりそうですか、と忸王がのんびりと笑った。

「あら。ヴァイスが何をしているか知らないの?」

喧嘩の仲裁から災害の援助まで。秩序維持組織としてあらゆる活動を行う裏ではもちろんそれなりに汚いことも。こんな世界では珍しくもないが。

汚い裏の世界を渡り歩くヴァイスの薬局が、真っ当なものだけを売っているわけがない。薬と称した何やらも扱っている。薬ではなく毒だって。

それらは全てここで作られる。それを作り上げることができるのがこの薬師である。

「こんなことわざがあるのを知っている? "神様と肉屋だけがソーセージの中身を知っている"」

言い換えれば、神様と薬屋だけが薬の中身を知っている。神の存在などリグラヴェーダは信じていないが。

「うちはね、人が足りないの」

何せ薬局はリグラヴェーダひとりが担当している。あちらの医務室と違って助手はいない。

もっともリグラヴェーダが助手をほしいと思ったことはないが。

「だから役に立ってもらおうかなと思って」

「役に立つ、って…まさか」

人間は薬の材料になる。そういうことだろうか。

蛇に丸呑みにされる寸前の獲物の気分で黄炬は表情を変えた。

ただの孤児あがりの黄炬にとっては臓器売買でさえ恐ろしい物事だと言うのに、それよりも恐ろしいことをやってのけるのか。

「冗談よ。本気にしないで」

血の気の失せた黄炬にリグラヴェーダはふっと微笑む。これだから新参者をからかうのは面白い。

少しからかってみただけだ。本気でやろうとは思っていない。

「…本当に?」

少し心配そうに黄炬が確認する。冗談だと言って安堵させたところで落としてくる展開もありうる。

えぇ、とリグラヴェーダは頷いた。

「貴方程度を材料にした薬なんてたかが知れてるわ」


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