襲章 闇撃
「地図にあったトコロまで飛ぶよ。――"ラド"」
ぴん、と"灰色の賢者"は指輪を親指で弾いた。その瞬間、空間転移魔法が発現する。
ヴァイスの拠点にある転移装置のように受信側となる装置がない上に長距離の移動。それをなしてみせる技術と魔力に白槙は舌を巻く。感嘆と賞賛の言葉は転移魔法の光に飲み込まれた。
転移の際にどうしても目を閉じてしまう。転移魔法の発動の際に視界を焼くような白い光が輝くので仕方ないとはいえ、目を閉じるという決定的な隙を作ってしまうのはどうなのだろう。毎度目を閉じてしまうことに悩む白槙の様子に"灰色の賢者"は苦笑した。慣れでどうにかなるような行為ではないのに。"大崩壊"以前を知る賢者とて転移魔法の眩さに目を閉じてしまうのに。
「生真面目だネェ…ボクはそういうトコロも好きだケドネ」
力を貸すといっても、どうやら最後の最後まで手助けはしないつもりらしい。どうしてもだめな時に、最後の最後にそっと助け舟を出す。弟子を試す師匠のような、幼子を眺める保護者のような態度だ。彼女はいつもこういう態度を取る。
白槙とて、"灰色の賢者"がどうして自分にこれだけ入れ込むのか理由を知らない。知らないままではいられないので何度も訊ねたが、知らなくていいと巧妙にぼかすのだ。問いただしても答えないならと調べれば阻止してくる。
彼女の言動から白槙に理由を知られてはいけないというルールがあるわけではなさそうだった。どちらかといえば、とっておきの秘密を暴露せずに内緒にしておきたい。そういうような子供の悪戯のような意地悪だ。
といっても完全に秘密にできるものでもなく、今まで彼女が喋ったことからだいたいの予測はついていた。どうやら"灰色の賢者"の縁者、あるいは友人知人、その子孫が自分であるようだった。平たく言ってしまえば、年の節目にくらいしか会わない親戚の子供を構うようなものだ。
「サテ、お手並み拝見といこうカナ」
目的地である征服者の本拠地前には送り届けてやった。ヴァイスの拠点に総攻撃をかけるため人が出払っているのか、警備は最低限しかない。見回りの者も白槙たちには気付いていない。やるなら今だ。
あとは見守るだけだ。ヴァイスの頂点に立つその実力を。一級を超越した特級、"応召"と呼ばれるそれを。まるで子供の成長を見守るかのような顔で"灰色の賢者"は白槙を促した。
促され、白槙は服の下に忍ばせているペンダントを引きずり出した。今はもうない生家の家宝だ。元は別々のものだったらしいが、"大崩壊"あたりの時代に打ち直し、一つのペンダントトップとして作られたという。
2色の鉱石を中心に銀の弦が細く絡みついている意匠だ。それを握り、白槙は言葉を紡いだ。
「――闇に在りては闇なる光」
魔法陣が展開する。それは、瑶燐が法や災いを与える時のような、一言二言で終わる口上ではない。魔力とともに紡がれる文言は複雑な手続きを口頭で済ませるもの。すなわち、異界に棲む生物を喚び出し使役するための詠唱。
「震えろ」
現存する武具の中で最も貴重なもの。それは異界から神を喚び出し力を借りるものだ。武具があっても魔力が適合するのは稀、さらには召喚に必要な魔力も膨大である。奇跡的に適合したとしても魔力不足で喚び出せないという場合がほとんどだ。仮に喚び出せたとしても、それは異界との門を開けて神々をこちらに通しただけ。意のままに使役することなどできやしない。神はそれほど安くない。
それを喚び出すだけでなく従えるなど、現代の人間でこんな芸当ができるのは世界中どこを探しても白槙くらいなものだろう。少なくとも白槙は今まで神とそれに連なる者を喚び出し使役する者に会ったことがない。すぐ隣にいる"灰色の賢者"を除いて。あれは色々と規格外なので考えない。
「闇馬…"アムドゥシアス"」
来い、と喚び出したのは影を切り取ったような漆黒の一角獣であった。額にある角は禍々しく湾曲し、まるで剣のように薄く鋭い。4枚の被膜の翼は、まるでたった今生まれた子馬のように粘液で濡れている。
足だけで白槙の身長を遥かに超える巨大な馬は、ひと鳴きもせずに地面を蹴った。風を切るように駆けたそれは頭を振り剣のような角を振りかざす。まるで漆黒の衣装に身を包んだ騎士が剣を振り上げるように。
そして、両断。振り下ろされた角が影の刃を帯びて叩き切る。空気も、空間も。まるでこの広大で荒廃した国を手のひらに乗せられるほどの巨人がナイフを振り下ろしたかのように。影の刃は征服者の本拠地を文字通り両断した。




