序章 拠点
「じゃぁまずは、拠点内をざっと案内しますね」
歩いて回ると1日あっても足りないので口頭で。
そう付け足して忸王が黄炬を連れてきたのは、机が立ち並び人が行き交うあの場所だった。
ここは業務に必要な書類を作成したりそのための資料が置いてある。まさにデスクワーク専用の場所ですね、と忸王が補足する。情報交換をするための端末や、報告を統括して総合するための端末。ヴァイスがその仕事をするためのところだと覚えてくれればいい。
「ささっと説明しますよ」
壁に貼り出してある階層案内の地図を前に、左手で指しながら右手の手振りを交えて説明が始まった。あまりにも膨大なので覚えるのは難しいだろう。だいたい何処に何があるかが把握できさえすればいい。黄炬が覚えられるよう、心を砕いて話し始める。
「まずは玄関。当然ですけど1階にあります」
非常用の出入り口はもちろんあるがあまり使われていないという。警備が手薄なわけではないが。
玄関に回り込むのが面倒なのでと非常口を玄関代わりに使っている人間もいる。裏口ではあるがひとの往来はある。
「その玄関にをくぐるとロビーがあって、門番代わりの下っ端さんが思い思いにくつろいでいますね」
休憩用の机と椅子があって、飲み物や軽食を摂ることもできる。料金は取られるが良心的な値段だ。社員割引ですね、と忸王が言う。
どうやら黄炬が知る以上に整然と形態化されているらしい。上から任務が与えられ、その結果によって給料がもらえる。その給料で日々の生活を営む。秩序維持のための組織とはいえ自警団あがりなのだから、もっとごろつきのような雑然としたルールだと思っていたらそうではないらしい。
街で職も金もなく強盗や殺人で食いつないでいくよりかは、たとえ末端の末端でもヴァイスに入った方が安全だし安心だ。しかも荷運びだの雑用だの、末端で働くようなら特に素質も必要なく簡単にヴァイスに加われる。入りさえすれば日々は保証される。この保証された日々によってヴァイスは勢力を増やしたのだ。この荒廃した世界で衣食住が保証されることは何よりも重要だ。保証を目当てに加入を希望する人間も多いしヴァイスはそれを受け入れてきた。
「だけどそんな資金どうやって」
「大きい組織ですから。お仕事の依頼もいっぱい入ってくるんですよ」
現地に住む当人同士では解決が難しい事態だとか、ひとや物が必要な大掛かりな工事だとか。そういうものの解決に人々が依頼を出す。ヴァイスはそれに応えて仕事をこなす。
それに、ここまで大きくなった組織とあれば壁の中に引きこもった政府も無視はできない。存在を黙認し、非公式だが援助も受けている。安全な壁の中で暮らせるように、裾にしがみつく埃を平定しろと。
「私たち…ヴァイスは"大崩壊"で失われた魔法を収集することと秩序維持と、両方の面があるんですよ」
魔法を扱える者を集めていたら秩序維持を任されるようになったのか、秩序を維持していたら魔法を操ることができる人々が集まっていたのか。どちらが先だったかは忸王は知らないが、とりあえずそのふたつの役割がある。
一般にヴァイスといえば知られているのが秩序維持組織の顔で、黄炬だってそう認識していた。もうひとつの顔など知らなかったし、そうであると言われても鼻で笑っていただろう。魔法だなんておとぎ話を探しているのか、と。
「話を戻しますね。…それで、ロビーの奥に転移装置があって…ここに来た通りですね」
その転移装置で好きなところまで行ける。何処にでもというわけではないが、各所に置いてある装置同士で行き来ができる。
仕組みは解明されていないが、そういうものだと原理よりも効果を優先して利用されている。何処から持ってきたものなのか誰も知らない。ヴァイス結成当時からいる面子なら知っているとは思うが。
「階級によって使える移転先が違うんですよ」
「階級?」
黄炬の問いに、ヴァイスの階級です、と忸王が答える。
頭首である白槙を頂点に、魔法が扱えるか、魔法を発現できないが魔力持ちか、魔力もない人間か。魔法が扱える人間の中でもその強さに応じて更に分けられる。そういう風に序列づけて階級を割り振っているのだ。ちなみに一級から五級まであるらしい。
成程、瑶燐がたまに口にしていた一級とはこのことか。一級ということは恐らく頭首の白槙に続く階級だろう。幹部といっても差し支えないだろう。
「21階…あ、ここです。この上の22階までが五級の人たち…誰でも出入りできる階層ですね」
玄関である1階とここまでの階層にあるのは一般団員の居住区である。
魔力持ちはその上に住み、魔法を扱えるものはさらにその上。文字通り頂点に頭首の白槙。そういう構成になっている。
「黄炬さんもたぶん四級か三級かの居住区の何処かの部屋になると思います」
集合住宅のように個室が並んでいる。ベッドと机、クローゼットがあるだけの簡素な部屋だ。
それだけしかない小さな部屋だが、明日もわからず食い詰めた末にヴァイスに行き着いた人間には豪邸だろう。
この部屋は無償であてがわれる。ヴァイスの一員である限り追い出されることはない。
安心して眠れる場所がある。これだけでこの荒廃した世界でどれだけ救われるだろう。
「居住区に関しては本当に個室が並んでいるだけなので省略しますね」
立ち並ぶ部屋と各階層への転移装置しかない。人によっては部屋を改造して店の真似事をやっているが。
壁に掲示してある案内図でもひとつひとつの部屋を書くのは煩雑だったのか、居住区としか書かれていない。
「20階からは歩いて回りますね。幹部…一級の人たちはだいたい上の方にいるので、挨拶を兼ねて」
各階にそれぞれ施設があり、そこを一級の何人かが任されている。
後方支援として働く彼らと顔を合わせるのは、恐らく実働部隊である面々より多いだろう。
「ざっと皆さんに挨拶が済んだら、階級分けのちょっとしたテストを行ってもらいますね」
本来なら挨拶からテストまでを1日で済ませるのだが、時間が時間だ。テストは明日になるだろう。
気付けばすでに夕刻だった。今まで与えられた情報を噛み砕く時間も必要だろう。
「行く前に、質問はありますか?」
「んーと、質問ではないんですけど」
黄炬が頭を掻く。忸王が真っ直ぐな瞳で黄炬を見た。
どこからどう見たってただの少女だ。このなりでも上司なのだ。
「忸王さん、上司なんですし…敬語、やめてもらえませんか?」
慣れない敬語で黄炬は伝えた。敬語などあの荒れた街で孤児の青年が生きていくために大人に頭を下げる時くらいしか使ったことがない。
同年代とつるみ、物盗りで暮らしてきた。それがまさか、こんなことになるとは。
「あぁ、それなら私も敬語はなしで。さん付けもだめです」
上司にあたるとはいえどう見ても年下だ。年下の少女にぎくしゃくした敬語を使わなくてもいい。
それはさすがに、と遠慮した黄炬だったが、何度かの問答の末にようやくそれを了承した。
敬語はなし、遠慮しなくていい。そのことを了承させた忸王はぱっと花が咲いたように笑った。
「じゃぁ改めて。案内ツアー始めるね」
何か質問があればその都度聞いてくれ。そう付け足して忸王は黄炬に転移装置に触れさせる。
「触りながら、何階に行きたいか念じれば動くの。まずは20階からだから、20階へ、と」
言われるままに触れた装置に念じる。20階、20階と心の中で念じる。
すると、黄炬に反応して転移装置は転移魔法を展開する。そのまま黄炬と忸王を光の中に飲み込んだ。