襲章 地撃
「ひっでぇさぁ」
通信端末ごしに聞こえた言葉に彼は苦笑する。文句のひとつでも言ってやろうか。その思考は数秒後には消えていた。飄々と主義主張を変える彼は過去には拘らない。
「ま、ネズミさんの駆除が先かねぇ?」
彼が歩いているのは地下道だった。拠点へ続く道は地上の街道だけではない。もう一本、排水用の地下水道がある。巨大なそれはもはや人口の洞窟だ。数人が横に並んで歩けるだけの幅を持つ。
東西南北の道を他の者が担当しているので、無名はこちらに、と水葉からの指示通り、彼はそこの見回りをしていた。
「んな暗くて湿っぽいトコ、誰もいねぇさぁ」
願望を口にしつつ、暗闇を進む。地下水道には彼以外の気配がない。見回りなど意味がないだろう。
否、闇に潜む影があった。息を殺し隠れる銃口はそっと彼の急所を狙いすましている。
それに気付かないふりをして、彼は気怠そうに座り込んだ。携えていた"スティンガー"を杖代わりにしてもたれかかる。サリッサの先端が地面に少しだけ食い込んだ。
彼はそこから動く気配を見せない。誰もいないなら見回りなどさぼってしまえという雰囲気を漂わせて。
「はぁー…人使い荒ぇさぁ」
こんな暗くて湿っぽいところの見回りを頼んだのは絶対わざとだ。水葉はこうして小さな嫌がらせをしてくる。それでも頼むということは、それなりに実力を評価してくれている、ということなのだろうか。
どうなんかねぇ、と彼は誰もいない空間に訊ねた。当たり前だが答えは沈黙。
「…なぁ」
思いつくままにぼやいた彼は、はっきりとした指向性をもった声で暗闇に訊ねる。
「盗み聞きは楽しいかい?」
にぃ、と彼の口元が歪む。尾行者の存在など最初から気付いていた。放っておいたのは単なる気まぐれだ。だが察知したにも関わらずあえて放置しておくのも飽きた。
気付かれた。退こうとする狙撃者より彼の方が早かった。何故なら、彼の攻撃はすでに始まっていた。"スティンガー"を杖代わりにして座り込んだ時から。
"スティンガー"の能力は非常にシンプルだ。多重に分裂する。ただそれだけ。攻略されやすい単純な能力故に、彼は常に先手を取ろうと画策する。つまり奇襲だ。上空や地中からの不意打ちを得意とする。
「ほい」
尖兵の足元から無数のサリッサが突き出し、その身を貫く。杖代わりにして寄りかかったサリッサの、地面にめり込んだ先端から分裂を繰り返して忍び寄った"スティンガー"は足元から串刺しにする。
いくらか風通しの良くなった尖兵は、汚水の中へ落下する。どぼん、と落ちた音を聞いて、彼は地面から"スティンガー"を抜いた。そのまま左手で手遊びのように揺らしながら見回りのため歩き始めた。
後ろにはもう、目もくれなかった。




