襲章 暗撃
瑶燐の法の撤廃によって、ようやく征服者は事態に気がついた。
「障壁が出来たと思ったら…」
「"呪禁"か! くそ!」
なんたる失態だと歯噛みする。この失態は奴らの首をもってして贖わねば。
「あらぁ? やれると思ってるのかしらぁ?」
舐められたものだ。瑶燐は残酷に笑む。ここにいるのが誰かわかっているのだろうか。一級、"呪禁"と恐れられる仕手人だ。たとえ相手が魔力持ちだろうが関係ない。災いで呪い法で禁じて縛りあげる。
「は、させるか!」
「"ジャッジ"」
一人が躍り出てきたのを認め、瑶燐は頭上の銀のプレートを回収する。絶対禁止の法は複雑で、相手の能力がわからない以上下手に縛る訳にはいかない。
この場全体を縛るよりも、相手一人を縛ったほうが良いと判断した瑶燐は"ジャッジ"を回収する。常時発動型である"ジャッジ"は法を撤廃するならば新たな法を敷かなければならない。法のない無秩序は許されない。だがそれに割り込んで無秩序とすることができる方法が存在する。
法の敷かれた秩序ある空間。だがしかし、どれだけ秩序ある空間でも疫病というものは突発的に発生する。自然は法では管理できない。つまり法を一時的に失効させる手段は。
「――"咲き誇る災い"」
瑶燐がブレスレットに触れる。魔力を流して魔法を発現させる。
さぁ災厄の疫病よ、法の秩序を荒らして来たれ。
「骸を招け、死を導け……」
「"アシッドボム"!」
男が叫ぶと同時、瑶燐の顔のすぐ側に毒々しい緑の液体の球体が浮く。人ひとりを簡単に溶かす強酸の爆弾だ。破裂すれば一級とて無事ではすまない。生身で耐えられるものではない。
そこから一歩でも動けば酸塊を破裂させるとの脅しの言葉も意に介さず、瑶燐は続きを舌に乗せる。我、と続いた瞬間、酸塊が爆発した。
「っ…!」
咄嗟に回避したものの、腕につけていたグローブとブレスレットが溶けた。皮膚につかなかったのは幸いだろう。
だがこれで"咲き誇る災い"は失われた。武具が破壊されては災いを撒き散らせない。"呪禁"の名の半分を削いだのだ。
武具がなければいくら強大な魔力を持っていてもどうしようもない。あとは絶対の法"ジャッジ"を酸で溶かし丸腰になった瑶燐を嬲り殺すのみだ。命乞いを聞くのが今から楽しみで仕方ない。
そう勝ち筋を見出した男の耳に信じられないものが飛び込んできた。
「"岩の如く"」
世界が固まった。男も、その背後で嬲り殺しのショーに参加しようと控えていた有象無象も。
どうして、と口が動いたなら問うているだろう。"咲き誇る災い"であるブレスレットは酸に溶けた。なのにどうして災いが撒けるのだと。
何故、と愕然とした表情で固まる男を見下ろし、瑶燐は残虐に笑う。
「冒険活劇に出てくるやられ役じゃあるまいに、教えるわけないでしょう」
単純な話だ。何故拠点の倉庫にあれだけレプリカが置いてあるか。答えは簡単だ。このためだ。
術者同士の戦いになれば、確実な勝利のために武具の破壊を狙う。だからこうして偽物をつけ、普段はそれを見せびらかす。目立つように見せ、まるで本物であるかのように振る舞う。
瑶燐が"咲き誇る災い"の際にわざとらしくブレスレットに触れるのもそのためだ。武具はここにあると示すため。こうして武具破壊を目論む攻撃から狙いを逸らすため。
本物の"咲き誇る災い"はアンクレットの形状を取る。瑶燐の左足首にあるそれが本物だ。不自然でないように右足にも同じ形状のダミーをつけている。
「さぁて」
本来なら溜飲を下げるために散々嬲るのだが、今はあまりそれどころではない。早く拠点に戻らなければと逸る気持ちが先走る。即行で終わらせ、拠点の様子を見なければ。
「問題は搦め手担当ってことねぇ」
逸る感情を宥めるためにわざと間延びした口調を心がけながら、瑶燐は悩む。
相手を呪い禁じ、縛り上げてからようやく相対する。それが瑶燐の戦い方なのだ。どうしても時間がかかる。だが速攻する手段がないわけでもない。
瑶燐はブレスレットのあった位置を触る。癖なのだ。いつもの詠唱を紡ぐ。災禍を撒き散らす。
「"別れの宣告"」
疫病は時に一瞬で命を奪う。一瞬の静寂。世界に戻った最初の音は、事切れた征服者の面々が地に伏せる音だった。
「つまんないわねぇ」
額に浮かんだ脂汗を拭って呟く。動きを止める呪いをかけたまま、命を奪うほどの強力な呪いをかけた。しかも複数人に。かかる負担は相当だ。
できればこのまま眠ってしまいたいほど疲弊した。だが倒れるわけにはいかない。まだ立っていなければ。一級がここで倒れるわけにはいかない。
戦力の話ではない、精神的な話だ。戦力でいうなら後続の二級だの三級だのを投入すればいい。各地の任務から戻ったとはいえ連戦くらいできるだろう。だから戦力の話ではない。問題は精神の方だ。
家であり居場所である拠点を襲撃されて、誰もが動揺している。それが一番強いのは瑶燐だ。狂信者と呼ばれる彼女のヴァイスへのこだわりは誰もが知っている。
だから、一番揺れているからこそ、一番倒れてはいけない。頭領である白槙が不在で連絡がつかない今、一級がその役を果たさなければならない。司令塔が倒れてはいけない。倒れれば動揺は不安となって戦線が崩壊する。
「先頭に立って、なおかつ倒れるなって命令するなんて…水葉は本当に人使いが荒いんだから」
こんな無茶を言い渡す水葉が頭領でなくてよかった。白槙なら労って一時的に後ろに下げるくらいの配慮はしてくれる。
疲労を誤魔化すように軽口を叩いた瑶燐は通信端末のスイッチを入れた。
「南、終わったわよ」