襲章 毒撃
「如何したの?」
リグラヴェーダの応答は早かった。まるで訊ねられるのを待っていたかのように。
「えぇと、あの」
どう切り出せばいいのか少し困るふうを見せる忸王。それを察したのか、あらかじめ答えを用意してあったのか、リグラヴェーダは忸王が知りたいことをすぐに教えてくれた。
「殺虫剤をね、撒いてみたの」
「殺虫剤?」
聞き返せば、リグラヴェーダは、えぇ、と頷く。
「先刻から居るでしょう、厄介な害虫が」
異形のことを指しているのだろう。しかし、あの異形を虫と呼んでみせるとはさすがリグラヴェーダというべきか。相変わらず超然としている。
「邪魔だから駆除しようと思って」
"零域"の中和薬をそっと空調に流し込んでいたらしい。音でわからないように少しずつ。においでわからないよう微かに。
密かに、静かに流していた中和薬は空気中に漂い、呼吸によって異形の体内に取り込まれ、そして体内に蓄積したそれが効果を発揮したのだ。体内に吸収された薬はすぐに効果をあらわす。"零域"を中和し無害化する。そうすれば、"零域"で肥大化した肉に負けて内臓が潰れる。
拠点内で暴れ回っている他の異形も、しばらくすれば絶命するだろう。
「もうすぐこちらは終わるわね」
「…こちら?」
リグラヴェーダの言葉の意味を掴み損ねて忸王が訊ねる。どういうことだろう。こちらというがどちらの話だ。問う忸王にリグラヴェーダが教える。自慢の聴覚で外に耳を傾けてご覧なさい、と。
「外に…いっぱい人がいる…?」
聴覚というより魔力を感知して答える。殺意と害意と敵意に満ちた気配がする。
「あちらの幹部でしょうね」
拠点襲撃の報せを聞いて戻ってきたヴァイスの人間を全滅させるつもりだのだろう。
手薄な拠点内の制圧は"零域"によって異形化した者たちが破壊し、武具を扱える幹部級は外に控え、戻ってきたヴァイスの人間たちを待ち受ける。迎撃だけではない、拠点内の破壊から逃げおおせた者を仕留める網にもなる。
「愚かね」
リグラヴェーダがそっと呟く。忸王には聞こえない音量で。
「…あの子が、彼の為に何もしないと思うのかしら」
その呟きに応じるように、一瞬のうちに拠点を覆う結界が形成される。六角形を組み合わせた薄く透明な青い壁だ。拠点を覆うような半球状の結界は、拠点から伸びる東西南北の大通り以外を残して完全に遮断する。網目のように内外へ通じる小さな通りも、建物の中ですら貫通して防壁を作る。
外からの攻撃から拠点自体を守る緊急用の仕組みだ。組み立てたのは転移装置同様、かの"灰色の賢者"である。発動のスイッチは玖天にある。
「操作端末がやられてたのね」
情報ネットワークへのハッキングのいざこざで機能停止状態に陥っていたのがようやく復旧したらしい。今更復帰したところであまり意味はないのだが、ないよりかはましだろう。出入り口が絞られれば人は自ずとそこに集合する。帰還するヴァイスの人間たちも、それを待ち受ける征服者の精鋭たちも。
「さて…迎撃されるのは誰かしらね」
忘れてはいないだろうか。帰還するヴァイスの面々たちの中に一級がいることを。実戦部隊の全員が出払っている。それが戻ってくる。千も万も死体を築いた一級の悪徳が、である。
そして征服者の者たちもまた、それを迎撃するだけの力を持つ。持っていると確信しているからこその作戦だろう。
果たしてどちらが勝つのだろうか。リグラヴェーダが心底楽しみだと言わんばかりに微笑んだ。さぁ、砂を掻く人間の努力を見せてもらおう。