襲章 魔撃
「化物なんて失礼ね」
人間からしたら亜人は化物なのだろうか。亜人といえど立派な種族だというのに。ほんの少し人間とは見目が違うだけで。
"大崩壊"より前、世界には人間に混じって亜人が生息していた。それぞれの社会と文化を尊重しながら、時には弾圧しながら共存していた。リグラヴェーダもその中で生きていた。弾圧されたことはあまりない。
「何と言ってくれても構わないけれど」
それが私なのだから。ゆっくりと立ち上がったリグラヴェーダは眼前の女を見据える。
その、信じられないものを見るような目はいつ以来だろうか。拠点に常駐する後方支援役という立場上、戦線に立つことはあまりない。だからこの人間とは違う素性を他人に明かしたことなどない。言いふらす必要がないので公言もしない。聞かれれば答えるが、聞かれなければ沈黙する。
リグラヴェーダが亜人と知るのは白槙と一級の数人。そしてもうひとり。片手で済む程度の人数しか知らない。何人かはぼんやりと察しているようだが、確証がないのかそれとも興味がないのか面と向かって聞かれたことはない。
「理解できないものを化物と言って弾圧する。結構ね。人間らしいわ」
化物呼ばわりにそれほど傷ついてはいないのだが、それでも苦いものは残る。酷い人。リグラヴェーダの形の良い唇がそう動く。その瞬間、派手な音を立てて女の体が弾き飛ばされた。
「っ、武具か!」
不可視の力で弾かれた右肩を押さえるようにして女が睨む。
何かしらの武具を発動させて自分を弾いた。女はそう思っていた。
だが、それは違う。リグラヴェーダは武具を発動していない。それどころか、彼女は武具をひとつも持っていない。
「さぁ、何かしらね?」
その長い生で培ったリグラヴェーダの魔力は強大だ。それはそのまま放つことで物理的な衝撃として拡散することができる。圧縮した空気を打ち出すのと同じだ。
魔法というものは、魔力という形のないものを武具という型にはめることで発現する。装置と動力に例えられるそれだ。具体的に例えるならば装置は機械であり、動力は電気だろう。だがリグラヴェーダは動力である電気をそのまま電撃として行使する。
魔法を扱うには武具が必要という常識をリグラヴェーダはあっさり打ち破る。そもそも武具を武具たらしめているのは素材に使われる魔銀だ。魔銀は銀に砕いた魔石を練り込むことで作られる。その魔石は鉱石に魔術を合成して作られる。つまり、専門知識の要る魔術を一般にも使いやすいよう加工したものが武具だ、と言い換えられる。扱いやすい既成の型だ。
ならば、型を構成する原料、その大元である魔術を理解していれば自在に型を作り上げることができるということだ。既成の型は必要ない。
リグラヴェーダの強さはそこにある。悠久の生によって培われた魔力と、そして魔術の理解。さらには桁外れの生命力。個として完全に完結した存在。
「説明したところでどうせ貴方は化物と罵るのでしょう?」
ならば説明するだけ無駄だ。くすくすと笑うリグラヴェーダの声はまるで深淵のよう。それに合わせ、からん、と何処かでベルが鳴った。
「っそこか!」
ゆったりとした服の腰飾りを認め、女は掌程度の火球を放る。袖の僅かな隙間を縫って火球は見事狙い通りに命中する。
「残念。それじゃないわ。偽物よ」
リグラヴェーダが右手を振るう。また不可視の衝撃が女を叩く。背後の薬棚に叩きつけられて床に崩れ落ちた。それを見下ろし、悠然とリグラヴェーダは笑う。
「さぁ、砂を掻く努力を見せて頂戴」
このまま諦めずに攻撃していればどれかは武具に当たるかもしれない。そうでなくても、リグラヴェーダ自体を殺せばいい。武具か術者さえどうにかできれば勝ちだ。希望をちらつかせてリグラヴェーダは口端を上げる。
先述のように武具など必要ないのだから持っていないし、持っていない武具の破壊などできようもない。
"大崩壊"を生き残った桁外れの生命力を誇る彼女を殺すのは至難の業だ。殺したいなら"大崩壊"以上の災禍を起こさねば死なないだろう。
つまり、どちらも実際には不可能だ。だがそんなこと知らない女に希望を差し出す。まるで武具を持っているかのように。まるでリグラヴェーダが簡単に死ぬ人間であるように。
彼女が砂を掻く努力と呼ぶ、目標に向かってひたすら努力を続ける人間の足掻きを見たいが故に。
妖艶に超然と。彼女の言葉は人を惑わす。
底無し沼のように呑み、蛇のように絡みつき、奸計で翻弄する。
残酷なほど頂点に君臨する絶対不朽の永遠。故に彼女はこう呼ばれる。
魔に生き淫わす。故に"魔淫"と。