序章 世界
この世界には、"武具"と呼ばれるアクセサリーがある。古に失われた魔の力で練った銀で作られたそれは、"大崩壊"以前の遺物だ。魔法のための装置であった。
一の知識で十の魔法を操り百の悲鳴を上げさせ千の骸を積むそれは、その能力を眠らせたまま世界に散らばっている。遺跡として。古物のアクセサリーとして。
そして時折、魔力を持つ人間が生まれる。彼らは動力だ。装置である武具に動力である魔力を注ぎ込むことによって、かつての人々は自在に魔法を操っていた。
「装置と動力。ヴァイスはその両方を集めているってわけ」
この国だか街だか、もうどう呼んでいいかわからないくらい秩序のない大陸ひとつを支配するのもそれが理由だ。
ある目的によって道具とそれを扱える人間を集めている。集めているというより保護している。魔力に反応する物と魔力を持つ者が出会った時にもたらされる破壊はあの通りだ。
それがもし、目先の欲望に囚われた愚衆が手にしたら。待っているのはさらなる荒廃だ。世界は滅びる。だからそうならないために保護して引き入れる。
自分たちが欲望に囚われた愚衆でないかは保証できないが、少なくとも決定的に道を誤った行為はしていない。正義があると思い上がらないが、邪道でもないからまだ真っ当だろう。
「その力を正しく扱えるように、ね」
癇癪で大破壊をもたらさないように。瑶燐の言葉に黄炬は現実を思い出す。
362-5区画は初めて武具と接触した黄炬の魔力の目覚めによって吹き飛んだ。何千人を巻き込んで。そのきっかけは荷を運んでいた御者に理不尽な暴力を振るわれた癇癪。
見返りを狙った下心があったとはいえ親切に落とし物を拾ったのに、という怒りに呼応して巻き上がった炎。それを発現したのは黄炬が未だ握りしめる腕輪であり、引き金を引いたのは黄炬であり。
「まぁ魔力持ちの目覚めにはよくあることよ」
報じられる災害のうち、いくつかは魔力持ちの人間の目覚めによるものだ。偶然にも装置と動力の条件が揃ってしまった時に起きてしまった事故である。
瑶燐もそうだった。もとは貴族の壁の中の権謀術数に暗躍する暗殺者の家の子だった。ある日、修行の一環で死にかけた時に強く浮かんだ生への渇望が目覚めをもたらした。実家の人間たちは突如として発生した毒霧によって死に、残ったのは瀕死の少女とアンティークの腕輪だった。ただの古物の装飾品と思われていたそれが魔法をもたらす装置だったとは誰も知らなかった。行き場を失った少女を引き取ったのがまだ若いヴァイスの頭目だった。それ以来、彼女は組織の中で力の使い方を学びながら生きてきた。
「よくあることでも、やったことがなくなるワケじゃねぇさぁ」
ちょうど10分でひょっこりと帰ってきた無名の彼が口を挟んだ。絡、と瑶燐が呼んだが、もうその名前は放棄したようで別の名前を名乗っていた。
「そうね。大量殺人犯だわ。…この世界で犯罪なんて日常茶飯事だけど」
そうだ。何もなくなったわけではない。事実は事実として残る。偶然だったとはいえ、俺が殺したのだ。改めて黄炬は現実に打ちのめされる。
その黄炬に瑶燐は重ねて言う。装置と動力が揃ってしまった事故の際、術者である人間も目覚めの衝撃に耐えかねて命を落とすことがある。生き残ったのは奇跡ではないが幸福なことだ。
「あんたは生き残ったの。ということには何か意味があるのよ」
意味があるということは使命があるということだ。あの日、わけもわからず生き残ってしまい、どうして毒霧は自分だけを残したのと嘆いた少女にかけられた言葉を反復する。
物事には意味があり理由がある。だからそれが判明するまでは生きなければならない。でなければ、そこに至るまでに積み上げた犠牲は無駄になる。犠牲の意義をなくしてはならない。
「生きてご覧なさい。…でなければ、ここで死になさい」
そのための手伝いくらいはしてあげられる。意味を知るまで生きる手伝いも。知らないままここで死ぬ手伝いも。生きるなら身柄は力ずくでも保護するがここで死ぬなら結構。黄炬の死体から腕輪をむしり取って帰るだけだ。
「死にたい? 死にたくない?」
「…死にたくない」
瑶燐の問いに答える。瑶燐の言うとおり意味を知る云々の話に心打たれたわけではない。物事の責任は取らなければならない。責任の取り方などわからないが、ここで死ぬのはすべての責任を放棄している気がした。
「じゃあ責任が取れるまで生きなさい」
黄炬の生きる意味は今決まった。責任を取るためだ。そのために生きる。生きるために生き延びる手段を知る。生き延びる手段を知るためには。
「いらっしゃい、ヴァイスへ」
最期の一呼吸まで、白く染まれ。