序章 呪禁
絶対零度、再臨。背中に伝う冷や汗も凍りそうだ。そんな黄炬の横で瑶燐が捌尽をねめつける。
「あんたたちが帰れば? もう食べ終わったんでしょう?」
私これからなの。言い返した瑶燐が食堂から出る転移装置を指す。食後にだらだらといちゃつくつもりなら帰って部屋でやれ。刺々しい視線を捌尽に送るが、本人は意にも介さないようだった。
「僕は新入りに釘を差してただけ。僕の霜弑に手を出したら殺すからね、って」
そう言い、見せびらかすように霜弑を抱きしめる。霜弑は動じた様子もなくされるがままになっている。
「僕のって枕詞が邪魔よ、この変態」
「うるさいよ、狂信者」
舌戦勃発。火花を散らすふたりに挟まれるような形となった黄炬は、同じく挟まれている霜弑に視線で助けを求める。しっかりと抱き締められながら、霜弑は口の動きだけで一言。諦めろ、と。
こんな言葉の応酬など日常だ。争いはご法度という食堂のルールに従って今は舌戦だけで、普段なら挨拶代わりに斬りかかることもある。これもいつものことだと流せるようにならなければ一級の連中とは付き合えない。
「変態の分際で…」
「いやだなぁ。僕はただ、僕の霜弑を愛してるだけだよ」
「それが気持ち悪いって言ってるのよ」
嫌悪をにじませて瑶燐が吐き捨てる。同性愛についてではない。その恐ろしいまでの執着が気持ち悪い。粘り絡みつく糸のような愛で雁字搦めにする。自分たち以外のすべてを排除して。愛の形を装った妄執を嫌悪する。
「これ以上馬鹿なこと言ったら殴るわよ」
「やってみれば?」
捌尽が挑発する。争いはご法度というルールを蹴飛ばして、瑶燐は挑発に乗った。じゃら、とブレスレットが光を受けてきらめいた。
「"咲き誇る災い"」
瑶燐が呟く。ぱしん、と空気が割れる音がした。捌尽の顔から穏やかな笑みが消える。彼女がどこまでやる気なのかを見定めているようだった。そして、やろうとしていることを正面から受け止めて捻り潰そうとしているようだった。
「…おい、それは…」
まずい。武具を使う気だ。本格的な交戦大勢に入ったことに焦りをにじませ、霜弑が仲裁に入る。
一級が本気でやり合うだなんて冗談ではない。お互いに本気を出せば食堂どころかこの拠点もろとも吹き飛ぶ。以前にも二人の激突で居住区の個人の部屋がひとつだめになった。あれだけで頭首である白槙からかなり絞られた。半年減給、むしろ無給で働かされた。それが拠点丸ごととなったら何年無給だろうか。
「後悔するんじゃないわよ」
「上等」
やってごらんよ。捌尽が笑う。彼我の実力差など知っている。瑶燐も一級だし捌尽もそうだが、二人の間には差がある。瑶燐は二級の統括の地位にある。そして捌尽は一級の統括。一級の中で、一級を占める。つまり一級の中で誰よりも強いということだ。その差の分だけ、あと一歩、瑶燐は捌尽に届かない。
それを知っているから瑶燐は捌尽に食らいつくのだ。ほんの僅かな差を覆そうと躍起になる。捌尽はそれを真っ向から受けて差を思い知らせる。
「死を導け、骸を招け…」
読み上げるのは詠唱だ。これを唱えなければ彼女の武具は能力を発動しない。武具という装置に魔力という動力を注ぎ、魔法をもたらす。
「我与えしは」
呪い禁じる魔法が発現するための詠唱が終わりかける。今のうちに余裕ぶっていろと瑶燐が睨む。
詠唱が完成し、装置と動力が反応して効果を発揮する。その寸前。
「はい、ストップですよ」